第30話 偽りと仮初

文字数 5,053文字

 トイレから帰った私は、隣の席にいた例の男に話しかけた。

「さっきはありがとうね。少し気持ちが楽になったよ」

 私は彼に偽りの笑顔を見せた。

「……そっか、少しでも元気になったならよかったよ」

 彼も私に笑顔を見せる。
 だが私にとってその笑顔は悪魔のように見えた。
 この男が、美穂子を自殺に追い込んだ。
 付き合う付き合わないは本人たちの意思次第だが、断るならそれなりの配慮はするべきだ。
 この男がきつく突き放すようなことを言わなければ、美穂子は自殺しないで済んだかもしれない。
 そう考えると腸が煮えくり返る思いがした。

「ねえ、今日放課後空いてる? 元気をもらったお礼に何かおごろうと思って」
「え、そんな悪いよ」
「いいのよ。まあ無理にとは言わないけど……」
「い、いや、空いてるよ」
「そう、よかった」

 再び笑顔を見せる。
 別に私は好意でこの男と放課後を過ごすわけではない。
 これは復讐なのだ。
 美穂子はこの男に告白し、酷いフラれ方をされた。
 ならば私もこいつを同じ目に合わせる。
 そのために、まずはこいつに私を好きになってもらうことから始めよう。
 自慢ではないが、私は中学時代からそこそこモテていたし、高校に入学してからも何度か告白された。
 正直自分からアタックすることはなかったが、それでも私に好意的に近づかれたら悪い気はしないだろう、という高を括っているのも事実だ。

 放課後、私は憎き相手にパフェをおごってあげた。
 学校の近くにファミレスがあったので、そこで一番高いパフェをおごってあげたのだ。
 正直痛い出費だが、復讐を遂げるためと考えれば仕方ない。

「ありがとう、奥田さん」
「いえいえ、どういたしまして」

 憎い相手に対して愛想を振りまくのは結構ストレスだな、と思った。

「ねえ、よかったら、これからもいろいろ話しかけていい?」
「え、そんなの願ったりかなったりだよ」

 何を言っているのかわからなかったが、同意を得たので良しとしよう。

「よかった!」
「じゃあ、これからよろしくね」

 私たちは握手を交わした。
 冷酷な男の手は、温かく感じた。



 それから私はこの男と過ごす時間が増えた。
 まずはバレー部を退部した。
 表向きは親友が自殺してしまったことがショックで、これ以上続けられないということにした。
 実際は復讐を遂げるために、少しでも長くあの男と一緒にいるためだ。
 幸い、あの男もバレー部に所属していたため、距離を縮めるきっかけはあった。
 そこからどんどん親しくなっていき、彼の信頼も得てきた。
 だいぶ好感度も上げてきたと思う。

 そしてとうとうその時が来た。
 彼が告白してきたのだ。

「奥田さん、俺と付き合ってくれませんか!」

 精いっぱい大きな声で、彼は言った。
 ついに来た。
 ここで思いっきり断ってやり、美穂子と同じ目に合わせるんだ。
 私は息をのんだ後、返事を言うために口を開いた。

「……うん、よろしくお願いします」

 しかし私の口から出てきた言葉は、自分の心の中のそれとは別のものだった。

(……え? なんで私こんなことを)

 なぜこんなことを言ったのか、自分でもよくわかっていなかった。
 だが逆に考えればこれはチャンスだ。
 彼が私を好きになったことには違いない。
 ならば、しばらく付き合っているフリをし、頃合いを見て盛大に振ってやればいいのだ。
 こうして私は仮初の恋人を演じることにした。

 恋人になってから数か月が経過した。
 周りの人たちにも私たちが付き合っていることは知られていた。
 どちらも容姿がいいためか、お似合いのカップルだともよく言われていた。
 私の計画では、しばらく付き合っているフリをしてから別れを切り出すつもりだったが、ここまで話が広がってしまうといきなり喧嘩するのも違和感が出てしまうか。
 頃合いを見て、倦怠期感を出して上手くいっていないことに見せかけよう。
 だが、意外にそれは難しいことだった。
 というのも、彼が良い人すぎるため、恋人関係が上手くいっていないという状況を作ることができなかったのだ。
 良い人過ぎるというのを理由にすることもできたが、それだと私が嫌な人間だと思われてしまう。
 最悪の場合はそれでもかまわずにやるべきだと思うが、できれば彼が嫌な人だと思わせたい。
 しかしいい案は出なかった。

 その後もずるずると恋人関係を続けていた。
 気が付けばもう高校二年生になっていた。
 雄太と付き合い始めて、半年が経過していた。
 その間、私は彼とデートをするためにバイトを始めていた。
 彼と仲を深めるきっかけになった学校近くのファミレスで働いているため、学校帰りによく雄太と食べに行くこともある。

 雄太は元々甘いものは好きじゃなかったみたいだが、私がおごったパフェは大好きになったようだ。
 私が食べさせれば、なんでも好きになるんじゃないかって思った。
 今度は別のものを食べさせてみようかな。
 なんてことを考えていた。

 そしてその日が来た。
 昨日のことである。
 授業が終わった後、私は雄太に話しかけた。

「ねえ、今日もアパートに行ってもいい? バイト終わりになるけど」

 最近覚えた新しい料理を振る舞うために、私はそう言った。

「……うん、いいよ」

 そういう雄太の表情は暗い。
 一体どうしたのだろうか。
 何故かこの日の雄太からは哀愁を感じたような気がした。

 バイト終わり、私は雄太のアパートに向かった。
 彼から合い鍵はもらっていたため、いつでも中には入ることができる。
 今日は新作料理を振る舞うためにあらかじめスーパーで材料を買ってきた。
 上手にできるかな、と緊張しながら部屋のドアを開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
 雄太が腹部にナイフを突き刺した状態で血まみれになって倒れていたのだ。

「え……?」

 突然のことで理解ができなかった。
 なんでこんなことになっているのか。

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

 私は血相を変えて雄太に近づく。
 だが雄太は既に息をしていなかった。

「嘘、死んでるの……?」

 突然非日常に変わってしまった。
 今日の放課後まで、何事もなく話していたのに。
 あの時感じた哀愁は、これを予感していたのだろうか。
 途方に暮れていた私だが、雄太の遺体の近くにあった手紙のようなものを見つけた。

「これは……」

 中を開けてみると、そこには雄太の懺悔が書かれていた。

『陽子、今までごめん。
 君が吉田さんの復讐を果たすために俺に近づいてきたことは何となくわかっていました。
 俺はあの時、どうしてあんな断り方をしたのだろうと今では後悔しています。
 君は覚えていないかもしれませんが、俺は中学時代君に告白し、断られました。
 その断り文句が、俺が吉田さんに言った言葉そのものだった。
 ああいう断り方をすれば、過去に同じようなことをした君がそれを知って近づいてくるかな、という期待をしたためです。
 君は友達思いな人だから、友人が酷いフラれ方をされたら俺に対して何か文句を言ってくるだろうと思っていた。
 もし俺の想定通りになれば最悪の出会いになるかもしれなかったが、それでも俺は君と近づくきっかけがほしかった。
 それがまさか、彼女が自殺してしまうとは思っても見なかった。
 俺はとんでもないことをしてしまった。
 いずれけじめをつけて自殺しようと思った。
 だけどそれまでに、少しだけでもいいから君と一緒に過ごしたいと思ってしまった。
 人殺しである俺がこんなことを想うのは許されないかもしれないが、せめて最期にずっと好きだった君と恋人になりたいと願った。
 だから、君が久しぶりに学校に来たあの日、勇気をだして話しかけたんだ。
 そしたら君は、一旦生返事をしたものの、再び帰ってきたときは笑顔でお礼を言ってくれた。
 それが偽りのものであることは、何となくわかっていた。
 その後、君に放課後誘われた。
 俺はそれが最後のチャンスだと思い、君に近づくために承諾した。
 それをきっかけにどんどん仲を深め、ついには恋人同士になれた。
 正直そのタイミングで復讐のために断られるだろうな、と思っていたが、意外にも君はOKしてくれた。
 これも君の策略の一つだったかもしれない。
 でも俺は、たとえ偽りの恋人だったとしても幸せな半年を過ごすことができた。
 もう十分良い思いはした。
 後はけじめをつけるだけだ。
 今までの罪を償うために、俺は今日命を絶ちます。
 河本雄太』

 遺書にはこう書かれていた。

「……ふーん、そうなんだ」

 口から言葉が漏れ出す。

「なんだ、初めから気づかれてたんだ」

 お互いにわかっていた状態で、滑稽な偽りの恋人をやっていたわけだ。

「ようやく憎い相手が死んだ。私が思っていたのとは違ったけど、ようやく復讐は果たされたんだ……」

 そういう私の目からは涙がこぼれていた。
 これは、復讐を遂げられた喜びから来ているものだろう。
 そうでなければ、ここで涙を流すことなどない。
 後は警察に通報し、この遺書を見せれば雄太の自殺が証明される。
 それでようやく美穂子も報われるんだ。
 さあ、警察に連絡しよう。
 そう思って私はスマホを取り出した。

 だが私の行動は、スマホのカバーを取り外し、そこに遺書を挟んで再びカバーを取り付けるというものだった。
 あれ?
 なんでこんなことしているんだろう。
 理由はわからなかったが、なぜかこれが正しいような気がした。
 その後、私は包丁の指紋を拭き取り、自分の指紋がべったりとつくように握った。
 こんなことをすれば、私が犯人として疑われるかもしれない。
 けど私の本心はそれを望んでいるようだった。
 理性と本能が、全く別の思考と行動をしている。
 その時の私はそんな感じだった。





「……その後は家に帰ってすぐに寝て、そして今日普通に学校に行って警察がきて、そのまま逮捕されたって感じよ」
「……」

 奥田陽子の話を黙って聞いていた式たち。

「だから正直なところ、なんでこんなことをしたのか自分でもわからないのよ。信じてもらえないかもしれないけどさ」

 その言葉を聞いて、春崎が切り出した。

「陽子、それってもしかして河本くんのことが本当に好きになっていたからなんじゃないの?」
「……え?」

 春崎の言葉を聞いて、奥田は虚をつかれたような表情を浮かべた。

「だってそうだよ! そうじゃなきゃこんなことなんてしないし、河本くんが死んだときに涙を流したりなんか……」
「だから、それは復讐が完了した嬉しさで」
「そんなの嘘だよ! 河本くんが死んじゃったことが悲しくて泣いたんだよ」

 その言葉は、奥田の心に突き刺さった。
 今までよくわからなかった心情。
 それは春崎の言う通り、憎き相手から生まれた恋心だったのかもしれない。
 式も榊も、それに同意だった。

「陽子は復讐のために河本くんに近づいたのかもしれないけど、河本くんと付き合い始めてからの陽子は今まで私が知っていた陽子とは違った笑顔を見せてくれたよ。本当に好きな人と一緒になれたんだなって、私思ったもん」
「そんな、そんなことあるわけ……」
「奥田さん、あなたは始めは河本さんのことを本当に憎いと思って近づいたんでしょう。しかし一緒に過ごすにつれて憎しみが愛情に変わり、心から河本さんのことが好きになっていた。だから彼からの告白も断らなかったし、春崎さんの言う通り彼が亡くなった時に涙を流したんだ」
「……そんなこと、ない。私が、雄太を本当に好きになるわけが……」

 奥田は力なく呟く。
 今まで彼女が疑問に思っていたことが解決された。
 だがそれは決して認めたくないものだった。
 彼女は河本雄太と偽りと仮初の恋人関係を築いていたつもりだったが、いつしか本物の恋人関係になっていたのだ。
 彼女がそれを認められる日がくるのか、それはわからない。
 式はいつか奥田陽子がそれを認められる日がくるようになればいいな、と心から願っていた。
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