最終幕 ライチ! サンキューベリーめっちゃ!

文字数 2,679文字

 私立紺碧小学校は、前期、後期の二学期制で、長い夏休みが明けて九月三十日に前期の成績表をもらうと、十月一日から三日までは毎年恒例の秋休み。
 付属の紺碧中学校へは、成績上位の約半数の生徒が無試験で進学できるんだけれど、学年一、二、三位のガー、誠クン、愛ちゃんの三人はもちろん、いっつも真ん中よりちょっと上の成績のあたしと舞子も、この時点で早々と紺碧中学校への進学をキメたわ。
 仲のいい友達の中では、サッカー部の亮クンだけは、五年生の頃から『サッカーが強い公立の中学校へ行く』って宣言してて、あんまり真面目に勉強してなかったから、小学校でお別れになっちゃうことは、もう決まってた。
 亮クン、多分、誠クンと一緒にいる愛ちゃんを、もう見たくなかったんだと思う……。

 秋休み三日目のことよ。
 ママと焼いたクッキーがあんまりにもおいしくできたから、少しだけ……ガーにも分けてあげることにしたの。
 だってママが、突然こんなこと言い出すんだもの。
「最近、大河と全然しゃべってないんだって? 結構落ち込んでるらしいわよ。『自分は必要なかったんだ』なーんて言って。やっぱり頼華のこと、大好きなのね」
「やめてよー。ガーはただの幼馴染みなんだからー」
 えへへ。ママ、それ、別の話だわ。
 あいつ、
『とりあえずボクは条件から外しましょうよ!』
 なーんて言ってたくせに、自分がいないところでも、あたしの能力が発動できちゃったことが、実は大ショックだったのね。
 うーん、仕方ないなー。休日の午前中にあいつがいるところなんて一つしかない。ニュータウンの中にある児童図書館よ。
 キンモクセイの香りの中を、真っ赤な自転車で飛ばす。まるで一匹の赤トンボになった気がしたわ。
 あたしたちの小学校がお休みってだけで、世の中は平日だったから、児童図書館の駐車場には、見慣れない車が一台止まってるだけだった。
 きっと中にもガーしかいないんじゃないかしら。
 入口のガラスの扉を開けると、本の貸し出しと返却用のカウンターがあって、いつもはガーをそのまま大人にしたみたいな、銀縁めがねでガリガリの栗山さんが職員として座ってるんだけど……、今日は姿が見えなかったわ。
 いえ……、いた!
 誰かに両手両足を縛られて、カウンターの後ろに寝かされてる!
 顔は見えなかったけれど、口にはガムテープでも貼られてるのにちがいなかった。
 次の瞬間、あたしは反射的にカウンターを踏み切って、一番手前の本棚の上に飛び乗ってた。
 そうよ、それができるって分かったの!
 ガタン!
 図書館の奥のほうで、椅子が倒れるような音がした。
 あたし、もう無我夢中で、まるでハードルのように規則的に並んだ本棚の上を、一歩一歩、飛び跳ねるように猛スピードで走った。
 四つ、五つ、六つ!
 最後の本棚に足がかかったところで、市立博物館からの帰り道、あたしたちを襲ったあの男が、ガーをロープで縛り上げてるところが見えたわ。
 口にガムテープを貼られたガーは、空中に踊るあたしの姿を悲しそうに見つめてた。
 景色がまた、スローモーションになる。
 バカね。成長が止まっちゃうことくらい、ナンだって言うのよ。あたし、幼馴染みのあんたを助けるためだったら、身長の一センチや二センチ、目録つけて神様にくれてやるわ。
 【条件の悪い場所でだけ急に身軽になれちゃう超能力】か。
 違うわね、ガー。あんたやっぱり、ホントに大事なことを見落としちゃうってとこは、小さな頃から全然変わってない。
 ね、よーく考えてみて。これは【大切なお友達を守る時にだけ発動する超能力】だったのよ。スポーツに生かせないわけだわ。
 あんたが川に落ちた時もそう。みんなが市立博物館の帰りに襲われた時もそう。池田クンに初めて会った時も、あんたを危険に巻き込んじゃうと思った瞬間に体が勝手に動いたわ。その池田クンだって、あたしの動きを止めるために――あたしの体に負担がかかっちゃうのを防ぐために――能力が発動した。
 だから『日本で海から一番遠い場所』では、自分自身の身を守ることができなかったのよ。
 そして……、今。
 そう、走るルートの条件がいいか悪いかなんて、全然関係なかったの!
 むしろ条件がよければ、極端にスピードを上げられるんだわ。ミニバス大会の時みたいにね!
 あ!
 もしかして、頭の回転がついていかないから、出過ぎるスピードを落とすために、条件の悪いところを無条件に選んでるのかも!?
 それにしても、つくづく卑怯な男よね。
 あたしたちに復讐するために、きっととっても反省したふりをして、留置場だかナンだかを三ヶ月ほどで出て来るなり、夏休み前の池田クンと同じように、市内の小学校の登下校の様子をしらみつぶしにあたって、あたしたちの住んでるマンションを突き止めたんだわ。
 なんでその熱意を、もっと他のことに使わないのよ。大邸宅に住んでる誠クンや愛ちゃんを襲うことは諦めて、一番スキのあるガーを狙ったつもりなんでしょうけれど、そうは問屋が卸さないわ!
 あたしに気づいた男が、まるで信じられないものを見るように蒼白になりながら、性格の悪さがにじみ出たようなその顔を、両腕で隠すようにブロックする。
 もうっ! あたしが、飛びひざ蹴りしかできないと思ってるのね。こう見えても、こっちは日々進化してるのよ!
 あたしは最後の本棚からジャンプしながら、そのまま大きく男を飛び越えたわ。そして着地するなり、振り向きざま、無防備な男の股間を後ろから思いっきり蹴り上げてやったの。
 ボゴッ!
 ライチ様、第二の必殺技『池田クン殺しキック』!
 おほほ、ごめんなさい、池田クン。勝手に名前を使わせてもらったわ。
 あたしのとっても豊富な経験によれば、少なくともこれで五分間は立てないはずだけど……、あら、やだ、男はショックと痛みのあまり気絶しちゃってた。
 その時だったわ!
 ミシミシミシッって、聞いたこともないような不吉な音が体の中から響いたの。
 まるで雑巾を絞るように、両足がそれぞれ外側にねじれていく感覚が先にあって、次の瞬間、耐え難い激痛が全身を貫いた。
 口から大量に噴き出した赤黒い泡の隙間に天井が映って、自分が仰向けに倒れたことだけは分かったわ。
「ライチーッ! ライチーッ! ライチ……。サンキュー……ベリーめっちゃ……」
 ガムテープにふさがれて、冗談みたいにこもったガーの声が、あたしの聞いた最後の音になった。
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