第1話
文字数 1,340文字
夜の十時過ぎ。管理人さんにぺこりと一礼して階段を上り、自分だけの城へ帰ってくる。手洗いうがいも早々に、テレビをつける。リモコンには各動画配信サイトの印字されたボタンがあり、ワンプッシュでそれらのサイトに飛ぶことができる。
例によって、赤四角に白の矢印のロゴをプッシュした。
画面いっぱいに広がる近未来的な街並み、聞こえてくる銃声、目まぐるしく流れるリスナーのコメント欄。そして、ひとりなのに飽きもせず、楽しげに喋り続けているのが、推し。
テレビから延長コードで繋げたヘッドフォンを耳に当て、ベッドに寝転がる。
三時間だって、五時間だって、何時間だって配信が続く限り、推しの声を聞き続ける。とりわけ疲れている日には寝落ちしてしまうけれど、特に大切な日はカフェイン入りの飲み物を用意して、昼夜逆転がデフォルトの推しを追い続ける。とはいえ、基本的には、明け方には寝入ってしまうから、推しの声が毎日の子守唄だ。推しの絶叫で強制的に起こされることもしばしばある。しあわせなことだ。
友人からの連絡を放置することはあっても、推しのツイートを見逃すことはない。通知をつけていれば、恥ずかしいからと消したツイートだって見ることができる。言葉少なだったりひらがな多めだったりするツイートが愛らしくて、にこにこしてしまう。とても愛らしい時にはハートを押すし、この上なく可愛らしい時にはスクショしてカメラロールに保存する。カメラロール内にある推しのアルバムは、この間千枚を超えた。うれしい。
たとえどれだけバイトで疲れていようと、遅くなろうと、私がこのルーティーンを欠かすことはない。
たとえ目を閉じていても、推しの声が聞こえるだけで癒された。安心した。心が凪いでいった。
心がしんどい時は、推しの歌を聞く。明るい歌はあまり聞かない。推しは明るい歌をあまり歌わない。自分の持ち味を活かせるような世界観の歌を歌う。新しい歌が世に出るたびに、推しに対する偶像が、複雑で一方的で重たいものに更新されていく。何百回と繰り返し聞くごとに、沈下した心は、推しに救いを求めるようになる。音量を最大近くまで上げて、目を閉じれば、そこには推ししかいない。
ある時には、お前らは愚かだと掴み所のない歌声で嘲笑い、またある時には己の希死念慮を声を張り上げて歌う推し。推しが私を沈めてくれる。つま先から頭のてっぺんまで、静かだが激しく、そして昏い世界へと浸かる。息苦しい。生き苦しい。なのに、心地良い。
それは、信仰に似ている。
けれど、浸かれば浸かるほど、リアルに戻らなくてはいけない苦痛もどんどん増していくのだ。
イヤホンを耳から外した時、待ち受けているのはどうしようもない「義務」である。授業の発表だったり、友人との待ち合わせだったり、厳しい練習だったりするのだが、それはすべからく、夢のようなひとときを奪い去り、今までのが夢で、ここからがお前のリアルだと、お前は今からこうしなければならないのだと、突きつけてくる。
陸に打ち上げられた魚は、いったいどのくらいの間息が続くのだろうか。
いったいあとどれだけ耐えれば、海へ帰れるのだろうか。
人魚になりたかった。そうすれば、どちらの世界でも生きることができるのに。
例によって、赤四角に白の矢印のロゴをプッシュした。
画面いっぱいに広がる近未来的な街並み、聞こえてくる銃声、目まぐるしく流れるリスナーのコメント欄。そして、ひとりなのに飽きもせず、楽しげに喋り続けているのが、推し。
テレビから延長コードで繋げたヘッドフォンを耳に当て、ベッドに寝転がる。
三時間だって、五時間だって、何時間だって配信が続く限り、推しの声を聞き続ける。とりわけ疲れている日には寝落ちしてしまうけれど、特に大切な日はカフェイン入りの飲み物を用意して、昼夜逆転がデフォルトの推しを追い続ける。とはいえ、基本的には、明け方には寝入ってしまうから、推しの声が毎日の子守唄だ。推しの絶叫で強制的に起こされることもしばしばある。しあわせなことだ。
友人からの連絡を放置することはあっても、推しのツイートを見逃すことはない。通知をつけていれば、恥ずかしいからと消したツイートだって見ることができる。言葉少なだったりひらがな多めだったりするツイートが愛らしくて、にこにこしてしまう。とても愛らしい時にはハートを押すし、この上なく可愛らしい時にはスクショしてカメラロールに保存する。カメラロール内にある推しのアルバムは、この間千枚を超えた。うれしい。
たとえどれだけバイトで疲れていようと、遅くなろうと、私がこのルーティーンを欠かすことはない。
たとえ目を閉じていても、推しの声が聞こえるだけで癒された。安心した。心が凪いでいった。
心がしんどい時は、推しの歌を聞く。明るい歌はあまり聞かない。推しは明るい歌をあまり歌わない。自分の持ち味を活かせるような世界観の歌を歌う。新しい歌が世に出るたびに、推しに対する偶像が、複雑で一方的で重たいものに更新されていく。何百回と繰り返し聞くごとに、沈下した心は、推しに救いを求めるようになる。音量を最大近くまで上げて、目を閉じれば、そこには推ししかいない。
ある時には、お前らは愚かだと掴み所のない歌声で嘲笑い、またある時には己の希死念慮を声を張り上げて歌う推し。推しが私を沈めてくれる。つま先から頭のてっぺんまで、静かだが激しく、そして昏い世界へと浸かる。息苦しい。生き苦しい。なのに、心地良い。
それは、信仰に似ている。
けれど、浸かれば浸かるほど、リアルに戻らなくてはいけない苦痛もどんどん増していくのだ。
イヤホンを耳から外した時、待ち受けているのはどうしようもない「義務」である。授業の発表だったり、友人との待ち合わせだったり、厳しい練習だったりするのだが、それはすべからく、夢のようなひとときを奪い去り、今までのが夢で、ここからがお前のリアルだと、お前は今からこうしなければならないのだと、突きつけてくる。
陸に打ち上げられた魚は、いったいどのくらいの間息が続くのだろうか。
いったいあとどれだけ耐えれば、海へ帰れるのだろうか。
人魚になりたかった。そうすれば、どちらの世界でも生きることができるのに。