書けないわけ

文字数 1,079文字

猫を飼うかどうか悩むと言う行為におかしさを感じるのは、そこでいうところの悩む行為が猫と暮らしたい気持ちと経済的現実的負担を天秤にかける行為だからで、もともと比べようの無いその二つを比べようとすることにおかしさがある。飼った方がいいから飼う、ではなく、飼いたいから飼う。というより、飼いたいと思った時点で、すでに飼っている。猫と暮らしたいと思い始めた瞬間から、将来の愛猫との暮らしは始まっており、飼い始めたらお金のこととかそこらじゅうでおしっこすることとか壁がびりびりになることはどうでも良くなると言うか、"そういうものだよね"ということになる。飼う前からそれらについてあれこれ悩んでもしょうがない。未来の既成事実を受け容れるか、拒否するか。

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ひどい小説を書いてしまったのではないか、というおそれが常にある。
小説を書いていることを知っている知り合いが、結論を書かない、あるいは結論を有耶無耶にする小説は嫌いだと言っていた(例として上がったのは案の定、春樹だった)。読者としては金を払って本を買い、時間をかけて読むのだから、その対価に見合うなにかかたちある成果がほしい。べつに面白くなくても構わないから、この話/作者は結局何が言いたいのか、が分からないのは、金を払って空気を買わされたような気持ちになる。
そうじゃないと思った。思ったし言ったけど、うまく伝えることはできない。というか、その人の言うとおりなのかもしれない。

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澱のように沈んだ身体と心を、だれかに引きあげて欲しくて、甘いものを食べて、イヤフォンをして、ノートにボールペンを走らせる。必要なのは集中だ。別に、意味の通る文章なっていなくてもよい。読める字である必要はない。他の何かをしないために、文章を書く。文字が黒ぐろと吐き出されてノートを埋めていく。

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ポジディブで、笑える話が書きたい。ひとを笑わせることができるというのは、それだけで代えがたい価値である。自虐や、他人を貶めてとる笑いではなく、ただもう笑うしかない、馬鹿みたいな、くだらない、無意味な、子供じみた、笑い。歌には上手い下手があるけど、笑うのに上手いも下手もないのは面白い。笑い方が下手で誰かに怒られるということはない。笑うことはいつか終わるが、終わった後に何も残さないからといって、何も残らないというわけではない。誰のために笑うわけでもないが、それは結果として数日後の数ヶ月後の数年後の誰かの笑いの中に含まれている。
そうなると私は、笑うみたいな小説を書きたい。

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みかんを食べた。分かっていたことではあるが、甘くなかった。




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