現代のシンデレラ

文字数 5,175文字

 現代のシンデレラ

女は行きつけの喫茶店でスマートフォンをチェックしていたが、婚活アプリへの月々の支払にげんなりしていた。
「いくら払ってると思うのよっ、もう少しマシな男はいないの?」
女はつぶやいていた。
一体、いくらつぎ込めば私と釣り合う男が見つかるというのか?
そもそも、海外の大学院まで出たことが間違いだった。
いや、そもそも医者を目指したこと自体が間違いだった。
男ほど権威や学歴に弱い生き物はない。
割といい男だと思って会ってみても、だんだんと女の学歴や職に引け目を感じていくのが目に見えて分かるのだ。
 かといって、ここまで自分を磨き上げたのに、その辺の男とくっついてはしょうもない。
 と、考えている内に、気づけば女は「婚活成功率5%の年齢層」に差し掛かっていた。
 これはヤバイのかもしれない。
 そもそも、女は顔も中の上、能力の才能も出自も全部中の上。もっと上に、もっと上にと目指してスポーツも勉強も打ち込みまくった。例えばサッカー部のエースやバスケ部のキャプテンといった連中と同じ「ランク」になれば、自分のことも見てもらえると勘違いをしていたのだ。
そして、トップ層のオトコたちが求めるのは、ただただ「可愛い女」だということを知ったのは、医者になってからだった。
もう、気づけば女が払ってきた「努力」の量は、その辺の男とくっつくだけでは到底釣り合わない程になっていたのだ。
あるいは、努力というのは沼のようなものなのかもしれない。払えば払う程に深みにハマっていく底なしの努力の沼……。
(これなら、さっさと整形でもしていた方がマシだったじゃない!)
 女は苛立ちながら、アイスコーヒーをお代わりしていた。
 そこに、痩せた顔立ちの男がふらりと近づいてきていた。
「す、すいません。あのう?」
「はい、何かお困りですか?」
 女は咄嗟に医者らしく相手の体を気遣っていた。
 昼間からユニクロのシャツにズボン、少し伸びた無精髭とどう見ても自分と釣り合う男ではなさそうだ。
「いえ、じ、実は以前からこの喫茶店で見かけていて……少し、僕とお話してもらえないかと」
 まあ、この年でナンパしてくれるなんて、それだけで嬉しいわね。
 けれど、この男では……
 いや、待てよ。よく見るとどこかで見覚えがあるわ。
「ええ、もちろん。いい喫茶店日和ですね!」
「ほっ、良かった。僕はこんな風に女性に声をかけたことがないので、断られるかと思いました」
 女はその後も愛想よくして相手の名前と聞き出した。 
 やはりだ、私の情報力はアテになる。
「実は以前、あなたの病院でお腹が痛い時に少し診てもらったんです……それ以来、ずっとあなたのことを考えていて……」
「実は私も全く同じです。あなたは、忘れられない患者さんでした。何故か……どこか印象に残るような魅力があって」
 男は女に免疫がないようで、恥ずかしがっているようだ。
「いやあ、僕なんて何もないですけれど、またこの喫茶店で会ってもらえますか……?」
「もちろん、喜んで! いつでも連絡してくださいね」
 女は「できる女」を演じながら喫茶店を後にして、すぐさま情報雑誌を調べた。
 やはりそうだ。
 さっきの男は、業界でも屈指の音楽プロデューサーだった。
 しかも、「女性経験がない」「気が弱い」「お金を貰っても使い道が分からない」という信じられない上玉だ。
 なんでも、「独自の考え方」のせいで、いじめにあって引きこもり、適当に音楽を作ってネットで公開している内に大ヒットしたという。
「まさに天才の典型ね、イヤになるわね」
 女はつぶやいていた。
 そういえば、高校のクラスメイトで一人作家になった女の子がいたけど、ずっとイジメられていたっけ。
 しかし、これこそが上玉だ。これを逃せば、後がない。
「絶対に捕らえるわ」
 深夜に顔中にパックを張りながら、女はつぶやいた。
 
 それから、交際が始まるまではあっという間だった。
 女にとって、男をモノにするのは、虫垂炎の切除よりも簡単な施術だった。
 手作りのお菓子に、軽いボディタッチに、お洒落な店めぐりにと、やっている内に二人の交際はあっという間に始まった。
「す、すいません、僕デートの仕方とかあまり分からなくて」
 男はどうも本当にこれが初交際だったらしい。
「いいんです、私も似たようなものだから」
 流石にこの年でゼロってのも変よね、と女は計算しながら言った。
「けど、あなたがそんなに有名な音楽プロデューサーなんて知らなかったわ。私みたいな普通の業種であなたの相手が務まるかしら?」
「とんでもない! お医者さんほど立派な仕事はないですよ。大体、僕ら音楽だのマスコミだのって、本当に人の役に立っているのかなって思うこともあるんですよね」
 女は微笑していた。やはり天才らしく、本気で人の役に立とうと思って仕事をしてる。
 私がそんな風に思いながら仕事をしていたのは何時までだったろうかと女は考える。
 初めは患者のため、気がつけばひたすら日々のノルマと自分の評価のため。
 それから、男は一方的に貢ぎ続けた。
 成功した音楽プロデューサー、それも天才的な男だ。
 高価な指輪に、海外旅行、クルーザーでの釣りの旅に、タワーマンションでのバーベキューパーティーにと女にこれでもか、これでもかと送り続けた。
 女は特に、クルーザーでの船旅が気に入った。
 船旅なんて今まで一度も楽しんだことがなかったけれど、潮風に当てられながら体をハンモックに預ける。
 全てが、プラン通りに行っていると確信していた。
 今までの努力は無駄ではなかったのだ。
 今度こそ、深い努力の沼から這い上がる、そして女のピラミッドの頂点に立ってやる。
 私は自分の実力に自信がある。けれど、女のピラミッドは、自分より実力が上の男と結婚した時、初めて完成するんだ。
 『未婚の大物女性タレント』のなんと嘆かわしい姿なのか。
 私は絶対にそうはならない。
 夜。女は男を部屋に招き入れた。
 男は初めてのため、せわしなく動いている。
 女はウブな振りをしながら、少し恥じらいながら男を自分の中に入れた。
「ああっ、こんなの初めてっ。あなたとだと、自然に動いちゃう」
 女は今まで培った技術を駆使しながら、体をくねらせて男を導いた。
「ああっ、凄い。こ、こんな世界があるなんて・・・」
 男は自分の動きと快感に驚いていた。こんな世界があるということを今知ったのだ。
 それから、男はさらに夢中になり、女を喜ばせるためにと毎回クルーザーを借り、ヒルズの最上階でパーティーを開き、自分がプロデュースしたミュージシャンを呼んで女に曲をプレゼントした。
 女は着々と、上り詰めていく自分を感じていた。
 テレビに出て、「天才音楽プロデューサーを虜にする美人女医」という触書きで適当にコメントをしていた。ネットで自分の悪口の書き込みを呼んでも、逆に気分が良かった。
 女はある日、今までそこまで本気で聞いていなかった男の楽曲を、夜に聞いてみた。
 それは、一度聞いた限りでは少し軽薄で浅いように感じるような、しかし同時に何度も聞きなおしてみると、不思議と印象に残る代物だった。
 男は言った。
「つまらない曲だよ」
「そんなことない。こんな素敵な曲は他にないわ」
「僕はね、本当はクラシック音楽を専門にやりたかったんだ。けど、『着たい服と似合う服が違う』ってよく言うけど、似合わない服を着てからじゃないと分からないよね。ピアノ楽曲もヴァイオリン楽曲も、まるで才能なし。というか、『現代音楽』っていうジャンル自体がもう死んでるんだ。それも『ロックは死んだ』とかいう意味じゃないよ。現代音楽なんて誰が聞くんだい? だから……僕は全然趣味じゃないポップスをネット上で垂れ流し始めたんだ」
 と、男はいかにも天才らしい台詞を言い、女はうっとりと聞き入っていた。
「あなたのポップスは、バッハにもモーツァルトにも負けないわ」
「ああ……ありがとう……ほんとに、初めての恋人が君で良かった……」
 男は弱々しく微笑んだ。
「実は、君に伝えたいことがある。前から言おうと思っていたんだ……!」
 来たか、と女は身構えた。
「もちろん、君と出会ってからは、全てが最高だった……けれど、それだけじゃない、初めて『理解者』が現れてくれたと思ったんだ! 金目当てのディレクターとは違う、本当の理解者が」
「もちろんよ……私たちは、初めからずっと惹かれあってたの」
 さあ、早く言ってよ、あの台詞を。
「けれど……僕らは、ひょっとすると今までとは違う関係になるかもしれない」
 回りくどいわねえ。
「実は、あまりいい話じゃないんだ……今までずっと伏せてたことがあって」
 あれ? なんか雲行きが怪しいぞ? まさか、不倫……? いやでも、こんな上玉手放すもんか。不倫くらいだったら大目に見よう。
「実は……」
「何よ、早く言ってよ」
「お金を使いすぎた……君を喜ばせるために……今までまるでお金使ったことないから、全部ブラックカードで支払ってたからさ。それで、クルーザーの旅とか、ビルの最上階を借りてのパーティとかさ……で、昨日今月の支払い明細を見てびっくりしたんだ。ゼロを四つくらい間違ってるんじゃないかって思ったんだけど……」
 まさか……ウソでしょ。今すぐウソと言って!
「びっくりする程の借金で火の車なんだ……もう、君とは一緒にいれないかもしれない……」
 女が心の中で積み上げてきた、人生設計のピラミッド。その頂点から底までが一気に崩落していった。

「いやー、美人女医から一転して、借金まみれの奥さんですな。けど、バラエティは厳しいでっせ、ガンガン振りますんでよろしく」
 日本でも名うてのMC型芸人は、きつい関西弁だが愛嬌ある笑顔で語りかけてくれる。
 タレントが俳句を作って、俳人の先生から指導してもらうという名物番組である。
「もちろん、夫を立て直すために今日も頑張ります!」
 女はにこりと笑った。その左手の薬指には、ダイヤの指輪がキラリと光る。
「いやー、健気ですなあ! しかし、俺は見直しましたで。あんたは旦那が失墜したら、真っ先に逃げ出すと思うてました。ところが、『天才音楽プロデューサー、借金地獄』がワイドショーをにぎわしている最中に結婚! これは、日本中のあなたのアンチがびっくりして、今ではファンに代わってる人もいるという」
「ありがたいことです」
「どうして、あの最中に結婚に踏み切ったんです? この先のことが心配やおまへんのか? 結婚生活には先立つものが必要でっしゃろ?」
「もちろん、お金は本当に必要です……けど、私は本当にあの人を愛している。だから、早く結婚して支えたい……! それだけです」
 会場から拍手が起きる。
「いやー、見上げた精神ですなあ。さて、そしたら先生、今日のお題をいきましょか?」
 ふくよかな俳人の先生はにこりと笑う。
「今日のお題は……『金』です」
 会場から笑い声。
「いやいや、スタッフも意地悪いなあ! このタイミングで!?」
 女は余裕で微笑む。
「大丈夫です、では私からいきます」
「はい、女医の先生、ではどうぞ!」
 女は咳ばらいをして、朗々と読む。
「借金も 十億超えれば 保護される」
 会場から爆笑が起きる。
「アッハハハ、あんたなあ、これ大喜利とちゃいまんねんで」
 俳人の先生も笑いを堪えながら、
「これは才能無しです! まず、季語がどこにもありませんからね。川柳であれば、昇段ですけれどね」
 会場中の笑いを聞きながら、女は「全てがプラン通りだ」と思っていた。
 今読んだ俳句は、紛れもない事実だ。
 少額の借金者は毛嫌いされるが、天文学的な借金をすると返って手厚い保護を受けるのだ。破産されれば、貸していた方が大損するからだ。
 確かにとんでもない額の借金だが、それを気に夫となった男は、今まで拒否していたバラエティ番組に出て稼いでいる。さらに、今まで「気分が乗った時だけ書く」というスタンスだった作曲活動も、精力的に行うようになった。
 あの借金は、夫の才能と私のプロデュース力があれば決して返せない額ではないのだ。
必ず、私の手でもう一度、夫をスターダムに乗せる。
今度こそ、プランを間違えない。
私は、ただガラスの靴のサイズが合ったというだけの運だけで、王子と結婚した女とは違う。自分の実力で、夫を支えながら自分も頂点を目指す、現代のシンデレラなのだ。

                   終わり
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