短編・夏 とある迷子と変化系たい焼き

文字数 5,771文字

 二人が帰ってから、丁度一ヶ月のある日の事。

 いつもの様に食材の買い出しに出て来た俺達は…

 「暑い……」
 「暑いね〜…」

 ちょっと夏を舐めてたらしい。

 この街は夏はかなり暑くなる土地柄らしく、上にはギラギラの太陽、下にはその太陽に熱されたアスファルト。空気は湿り気を帯びジメッと生温く、まるで蓋をしたフライパンで、蒸し焼きにされている様だった。

 「暑い…」

 Tシャツや髪が肌に貼り付く。今日買った物は熱で傷むものではなかったが、何となくバッグは体から離して持っている。自分があんまり汗をかいていたので、少し離れて横を歩いて貰っていた由羅さんに、
 「ごめんねセルくん。もう少しで車の免許取れるから…」
 と、謝られる。
 「別に、暑いのは由羅さんのせいじゃないでしょう…」
 「でも…。…あ、バッグ私が持つよ。バッグ持ってると余計に暑いでしょう? こっち買ったばかりでまだ冷やいし…」
 「いや…それは由羅さん持ってて…」
 俺は言いながら、もう残り少なくなった冷たいスポーツドリンクを、残り全部ぐいっとひと息に呷る。

 「…はあっ」

 あー…。あつ…

 「冷たっ‼︎」
 突然の背中の冷感に、思わず声を上げる。

 何だ?水…⁈

 慌てて振り返ると…、

 「すずしくなった?」

 小さな女の子が、水鉄砲を持って立っていた。

 「涼しく…って」
 「セルくん大丈夫?」
 由羅さんも女の子に気付き、こちらに駆け寄ってくる。
 濃いピンクのキャミソールにデニムのショートパンツ、サンダルという活発そうな格好の女の子は、
 「あなた、あつそうだったから、これでひやしてあげたの!」
 と、悪戯っ子な笑顔で水鉄砲をぴゅっと飛ばした。今度は右腕に当たる。
 「冷たっ」
 「こら。そういうの、人に向けて打っちゃダメでしょう?」
 由羅さんがしゃがんで目線を合わせて、女の子を窘める。
 だが、女の子は
 「おねえさんもすずしくする?」
 と、まるで聞く耳を持たない。

 …小さい頃のフェルみたいだ。

 俺は由羅さんを真似てしゃがみ込み、女の子に話し掛ける。
 「確かに涼しくはなったよ。けど、いきなり知らない人に水掛けられたら、びっくりするだろ」
 「びっくりしたの?」
 女の子にきょとんとした顔で訊かれて、俺は誤魔化す気も起きず、『あ、…ああ』と素直に頷く。
 「だから、もう他の人にはやるなよ。いいな?」
 「わかった」
 女の子はこくっと元気よく頷く。

 …本当に分かったんだろうか。

 俺は一抹の不安を覚えながらも、じゃあな、と立ち上がり踵を返した。
 「冷たっ」
 「こらっ」

 「あはは」

 俺は楽しそうに笑う女の子を見ながら、やっぱりと思ったのだった。



 「え、迷子?」
 「うん」

 何度言っても撃つのをやめない女の子に、由羅さんが疑問を覚えよく聞いてみると、女の子は母親と買い物に来ていて、買い物に飽きて水鉄砲で遊んでいるうち、気が付いたら知らない場所に居た、という事らしい。
 由羅さんが続けて女の子に話し掛ける。
 「えっと…私ね、名前、由羅って言うの。…あなたは、なんてお名前なのかな?」
 「ゆのきなな!」
 女の子が元気よく答える。続けて言っていたが、“ゆのき”が苗字で、“なな”が名前だろう。
 「ななちゃんかぁ。ななちゃんは、今何歳かな?」
 由羅さんが続けて訊く。
 「ななはね、いまろくさい。ねんちょうさん」
 「幼稚園行ってるんだ。幼稚園の名前はわかる?」
 「わかるよ!えっとね…」
 由羅さんは的確な質問で、どんどんななから情報を引き出していく。

 「その時ね、なな、びっくりして…」
 「そうなんだ。それから…」

 ななは由羅さんが気に入ったのか、楽しそうに、ずっと笑顔で話している。泣かれると多分対応に困るので、とても助かる。
 暫くななと話していた由羅さんが、くいっくいっと、俺のシャツの裾を引っ張る。
 「どうしたんですか?」
 「ななちゃんのことなんだけどね」
 由羅さんはななと話して分かった情報を、簡潔に纏めて話してくれた。
 先ず、ななの名前。これは俺も聞いていたので分かる。次にななの年齢。これも聞いていた。ななの通う幼稚園。これは由羅さん曰く、ここからは少し離れた場所にあるらしい。ななは母親と、遠出してこの街に来ている可能性が高い。それから、
 「それから、ななちゃんのお母さんは、この近くの和菓子屋さんに、買い物に来たみたい」
 「じゃあ…」
 「うん。直ぐに見つかると思う」
 由羅さんが、ほっとしたような笑みを溢す。

 俺達はななに、お母さんはこっちにいるかもしれないと話し、三人で件の和菓子屋へと
 移動を開始した。



 「あついー」
 「暑いなー」
 右手に繋がれた小さな手が、俺の腕をぶんぶんと振る。早くも飽きてきたらしい。
 「もう少しで着くから、頑張って歩こうね」
 由羅さんがななに優しく言うと、ななは渋々ながらも頷いた。
 「…なあ、俺と繋ぐより、由羅さんと手繋いだ方が良かったんじゃないのか?」
 ななに訊く。
 するとななは、
 「せるのてのほうがいい」
 と、俺の手をぎゅっと握り返してきた。
 小さな手は、俺よりアスファルトに近いからか、俺の手より熱い。
 「なな、大丈夫か?」
 「なにが?」
 「いや、ほら……暑いから。喉とか乾いてないか?」
 「だいじょうぶ」

 「そうか…」

 …なら良いが、熱中症なんかになったりしたら怖い。小さい子供は、特に気を付けなければならないと、夕方のニュース等でも、よく耳にする。
 「由羅さんも、喉乾いたりとかしてませんか?」
 俺はななの右隣を歩く由羅さんにも、ななに聞いた事と同じ事を聞く。由羅さんはさっきからずっと黙っている。もしそれが具合が悪いとかの理由なら、直ぐにどこか涼しい所を探して、休んで貰おう。
 俺がそう思いながら返事を待っていると、
 「大丈夫。ちゃんとさっき買ったの、ちょっとずつ飲んでるから」
 と、割と元気そうな声が返ってきた。

 取り敢えず、元気そうで良かった。

 「そう言うセルくんこそ、身体大丈夫? こっちの暑さ、セルくんは慣れていないでしょう? 気分悪いとか、頭痛いとか、そういうの無い?」
 …元気そうどころか、逆に心配されてしまった。特に言われた様な症状も出ていないので、俺は『大丈夫です』と答える。
 「そう…良かった。…あ」

 由羅さんが視線を前に向ける。釣られて視線を向けると、『水まんじゅう』と書かれた水色の登りが、はたはたと風に揺られているのが見えた。

 「あっ!」

 駆け出そうとするななをしっかりと捕まえながら、俺達は和菓子屋に入る。
 「おぉ」
 「あ…」
 「すずしーい!」
 押して開ける自動ドアを潜ると、店内は冷房が効いているのか、とても涼しかった。
 「セルくん」
 「…あっ」
 由羅さんに優しく呼ばれて、うっかり入り口で立ち止まっていた事に気付く。いつの間にか、ななも手を離していた。
 「すみません…」
 「外暑かったもんね」
 由羅さんがふふ、と微笑んで言う。改めて店内を見回してみると、正面に硝子のショーケース、左側に常温商品の台、右側には、アイスクリームの販売ケースが置いてある。ショーケースに近付くと、並べられている商品が、かなり細かな作りだという事が、よく分かる。
 「いらっしゃいませ」
 「あ、はい」
 思わずそう返事してしまって、少し恥ずかしくなる。…にしても、
 「ほんと、細かいな…」
 ショーケースの中の一つに目が留まる。透明なドーム型の中に、赤い金魚が二匹泳いでいる。ドームの底は石を敷き詰めた水底の様になっており、どうやって作られたのか、まるで想像が付かない。

 …これが“職人技”…。

 「あの…私達人を探してまして」
 由羅さんのそんな声に、俺ははっと我に返った。

 …そうだ。ここには買い物ではなく、人探しに来ているんだった。

 俺はショーケースから目を離し、アイスケースを覗いていたななを捕まえて、店員さんにななの事を見ていないか訊く。
 「遊んでるうち、迷子になったらしくて…」
 すると店員さんは、
 「ああ…はい。その子なら、さっきお見かけました。お母さんが居なくなったって探してらして…さっき買った物を持って、外へ探しに行かれました」
 と、俺達に話してくれた。
 「さっきって、どれくらい前でしょうか?」
 由羅さんが落ち着いて訊く。店員さんによれば、ななの母親が店を出てから、まだ十分も経っていないらしい。
 「まだ近くに居るかも」

 俺達は店員さんに礼を言って、先に探しに出た母親を追い、急いで和菓子屋を出た。

 …と、

 「なな!」
 「お母さん!」
 ななはそう声を上げると、ぱたぱたと鞄を持った黒髪の女性の元へと走って行く。
 そんなななを、女性はしっかりと抱き留め抱き締める。
 「もう!勝手にどこか行ったらダメって言ったでしょう!」
 「ごめんなさい…」
 「もう…!」
 女性はななを叱りつけて、それからもう一度、優しくそっと抱き締める。
 「…すみません。ななを見つけて下さって、本当にありがとうございます」
 女性が顔を上げ、俺達へと頭を下げる。
 「いえ、お二人がちゃんと会えて、本当に良かったです」
 由羅さんが女性へと、笑顔でそう答える。俺は色々と突然で戸惑っているが、由羅さんはいつもと変わらない様子で、ななの母親と、会話を続けている。
 彼女は家では危なっかしかったり寂しがり屋だったりするので、外のとても落ち着いた大人の女性の由羅さんは…、何というか、とても新鮮で、不思議な感じだった。
 「セルくん」
 由羅さんに呼ばれる。何だろうと思っていたら、ななの母親から、よく冷やされた、袋入りのアイスを手渡された。
 「この暑い中、本当にありがとうございました。これ、さっき買ったばかりなので、宜しければ」
 「あ、ありがとうございます…」
 貰って良かったんだろうか。由羅さんに訊こうと振り返ると、由羅さんは訊かれるのが分かっていたのか、こくんと、小さく頷いた。

 …暑かったから、冷たいアイスはかなり嬉しい。

 俺はもう一度ななの母親に、『ありがとうございます』と、お礼を言った。ななの母親は『いいえ。本当に、ありがとうございました』ともう一度言うと、『では…』とななの手を引いて、俺達が来た方と逆の方向へと、歩いて帰って行った。

 「せるー!ゆらさーん!ありがとー!ばいばーい!」

 少し離れてから、ななが振り返って手を振ってくる。
 俺はもう迷子になるなよ…と思いながら、ななに小さく手を振り返した。



 「“たい焼きモナカアイス”?」

 俺は歩きながら、袋に書いてある文字を読んで、頭に疑問符を浮かべる。モナカアイスは知っているが、たい焼きというのは…
 「由羅さん。たい焼きって、あったかい食べ物だったと思うんですけど…」
 前に由羅さんが買ってきたたい焼きは、紙袋に包まれた、変わった魚の形のパンとケーキの間の様な食感の、甘い餡入りのものだった。
 同じくパッケージを見ていた由羅さんが、俺の疑問に答えてくれる。
 「うん。前食べたのが、普通のたい焼き。…これは多分、その変化系みたいなものかな。たい焼きの皮が最中になってて、餡がミルクアイスになってるみたい」

 「なるほど…」

 …形は違うが、要は魚の形をしたモナカアイスという事らしい。俺は早速パッケージを開け、たい焼きモナカの頭を袋から少し出し、それにかぶりついた。

 「ん…!」

 これ…、

 「あ!」
 由羅さんも齧ってみて気付いたらしい。
 たい焼きモナカの中には、ミルクアイスだけでなく、小豆の粒あんとモチモチしたものが入っていた。
 「これ、白玉入ってるんだ!美味しい」
 由羅さんが目を丸くしてたい焼きモナカを見る。モチモチの正体は、白玉という小さな団子だったらしい。
 …サクっとした歯触りのモナカに、ひんやり甘いミルクアイス。小豆のしっとりほっくりとした豆の食感・甘味と、モチモチの白玉。

 豆と餅で食べ応えがある上に、色々な食感で口の中が楽しい。

 とても変わっていた変化系たい焼きは、葉書ぐらいの大きさの割に、あっという間に無くなってしまった。

 「美味しかった〜!」
 「美味かった…」

 歩きながら、由羅さんと二人、たい焼きモナカアイスの余韻に浸る。
 …これは近いうち、またあの和菓子屋へ行くことになるだろう。今度フェルとネルが来たら、二人にも食べて貰おう。
 「美味しかったね、セルくん」
 満面の笑みを浮かべた由羅さんが、嬉しそうにこちらを向いて言う。
 「はい!ちょっと変わってたけど、すごく美味かったです」
 「ね。今度また、あの和菓子屋さん行ってみようか。…セルくんが気になってた、錦玉寒も、今度買ってみよう。きっと美味しいよ」
 「はい!」

 あれは錦玉寒て言うのか…。

 他にも、色々と興味を唆る商品が、あの和菓子屋には溢れていた。甘い物はそこまで得意ではないが、見てるだけでも、充分楽しめそうだ。
 「あ…でも、今度は、もう少し涼しい時間に出掛けたいです」
 今日の暑さは、流石に堪えた。帰ったら、取り敢えずシャワーを浴びたい。
 「そうだね…」
 由羅さんがんー…と、何やら考え始める。
 それから直ぐに、

 「じゃあ次は、免許取ってから来よっか。あのお店は停めるとこなかったけど、近くに共同駐車場があるし…うん。早く免許取れるよう、私頑張るね」

 と言って、由羅さんは『ふふっ』と、少女の様な笑顔で、嬉しそうに笑った。
 「…頑張り過ぎて、また無理しないで下さいね」

 「…気を付けます…」

 打って変わって、由羅さんがしゅんとなる。

 俺はそんな由羅さんに、思わず笑みを零したのだった。



 − 終わり−
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