社畜にアフター5
文字数 3,027文字
タイトル:社畜にアフター5
書いた人:甘らかん(かんらかん 遊んでないのに午前様)
みなさん漫画は好きですか?
私は大好きです。
ページをめくるたびに胸が熱くなる。
世界中どころか宇宙の果てまで冒険して。
信じられない奇跡を目の当たりにして。
二度とない運命の出会いが待っている。
(夢とか希望ってなんだろう)
詳しいことは割愛する。
1日の半分以上を会社で過ごすことを社畜というのなら、業種はなんでも同じことだと思う。
たまたま、私が漫画を扱う印刷会社に身を置いていた、それだけのことだ。
漫画の仕事は美味しいところもかなりある。なんといってもプロ作家の生原稿を毎日拝めるのだ。まじまじと肉眼に焼きつけることができるのだ。これをブラボーと言わずしてなんであろう。
しかし、それも5年近く続けていると。
(運命の出会いとか、イケメンとかはどこにいるんだろう)
2次元でなくて、現実問題として。
毎日連ドラが見られない時間に帰っているから異性との出会い方もわからなくなっていた。
ドSな上司ならいるけど少女漫画の世界には程遠い。ほんとうに、ただのドSしか現実の会社には存在していない。
(イケメンツンデレ上司など紙の上にしか……いな……)
だめだ。言い切ってしまったら夢すら消えてしまう。
(夢と愛はいつ失った?)
「……らさん」
(正社員ならまだしも、私派遣社員だよね? なんでこんな頑張らなきゃいけないんだ)
「か……さん」
(なんで会社のために身を削っているんだろ。派遣という働き方ってなんだ?)
「辛さん、今日は終了です」
(辛と書いて、カラってなかなか珍しい名前だと我ながら思う……いま呼ばれた?)
ライトテーブルにひっついていた顔をあげると、ただのドSが眼鏡の奥の一重を細めていた。
「え? いまなんて?」
「全員終了です。今日中の仕事がなくなりました」
見れば歓喜の声があちこちから聞こえてきて、すでにカバンを持ってドロン(煙のようにいなくなるの意)している人もいる。
これは夢か?
こんな時間に業務終了とは。親会社である出版社になにがあったんだろう。
~編集部、コッパミジンコ!
週刊ヤドカリマガジン、最大のピンチ!
次回、え、もう人事異動!?~
トメの文が浮かんで消える。
「今持っているので終了してください」
「ちょうど終わりました」
「修正は?」
「ありますが、3箇所ですし、明日の13時出しなので、明日の朝イチで大丈夫だと思います」
「ふ~ん。ほんとうに大丈夫ですかぁ~?」
「7コマ目の絵柄に入ったペーノン取って、5コマ目の2コマ目の三点リーダーを二点に変えて、扉のタイトルロゴの白フチ1ミリを3ミリに変えるだけですから」
「ふ~ん、新人オペが修正したら、修正以外のところに間違いがでて再度直しがでるかもよ~」
「それでもすぐ終わりますよ」
この会話の時給いただけるのか?
「すぐという保証は辛さんがしてくれるんですよね~」
なにが言いたいんだこの男は。正社員というだけで偉そうに。
「派遣は責任とれませんけど」
あからさまにムッとする相手は派遣社員のくせに生意気な、とか思っているのだろう。おあいこだ。
「タイムシートにサインください」
上司を振り切って、バックをひっつかんでフロアを出たので、定時に帰れることの重大さに気づいたのは。
「外が明るい!」
正面玄関から外に出られるという類稀ない現実を目の当たりにしたときであった。
堂々と表に出ると、11月の風はひんやりしてはいたが、夕日は優しく照らしてくれる。
私はオレンジ色のニクい人だ。
「へへへ」
声まで漏れてしまった。
夕日だって吸血鬼なら即死だ。
「へへへ」
笑いながら会社に隣接している警察署の前を通る。警察署の前には必ずお巡りさんが立っている。
お巡りさん、今日定時で上がっているんです。まだ5時半ですよ。今ここで歓喜の舞を披露してもいいですか。
ヘラヘラを絶やすことなく警察署を通過。職務質問されなかったのが奇跡だ。
地下鉄の入り口まで来て、階段を降りる前にもう一度太陽を拝む。
「美しい夕焼けだ」
まだ明るいのに地下にもぐるのは、なにか勿体ない気がしてきた。
沈みかけの太陽が、まぶしい。
気持ちがいいので大きな駅まで歩くことにした。徒歩30分でいける。たまには体を動かさないと、いろいろ支障がでる。そういうお年頃だ。
「まだ5時半~♪」
なんの前触れもなく歌い出すミュージカルの気持ちがいまならわかる。あれは心を解放して全身で気持ちを表現しているのだ。
「駅に着いてもまだ6時~♪」
特殊効果で宙を舞ってもいいくらいだ。
「美しいじ~んせ~い~♪限りがない喜び~♪現実に大切なのは~♪自由になることだけと~♪定時が教えてくれたぁ~♪」
気持ちよく歌っていたら、鼻のなかに鰹節の香りが侵入してきて、心が地上に着地する。
「こんなところに少将軒本店があったのか」
平日の夕方。お腹も鳴れば行列もできる。話題のつけ麺屋さん。最近リニューアルして店が綺麗になった。
「魚介系かぁ。いいなぁ……でも待てよ」
帰りが遅くなる社畜にとって、夜遅くまで開いていて早く食べられるラーメンというのは通常食。
類似語に牛丼というのもある。
ここにきてラーメンは勿体ない。
「どうしようかな」
6時が近づいてきて、秋の空はあっと言う間に暗くなった。
高いビルにカラスの影。
横3人並んで笑っている高校生。
犬を散歩させるおじさん。
前と後ろに小さな子供を乗せた自転車のお母さんがジェット機のように通り過ぎる。
それらを見送って。
「お米、あったかいの食べたいなぁ」
思えば一汁一菜という食事を何日していないだろう。
今日なら、どんな店でも門戸を開いて迎え入れてくれるだろう。
行き遅れの派遣社員一人暮らし。趣味を持つ暇なし、にもごはん屋さんはいらっしゃいませと寄り添ってくれる。
暖かなごはんと具だくさんのお味噌汁をお盆に乗せて、そっと持ってきてくれる。
お店の女性はだれに対しても平等な笑顔でこう言うのだ。
「お疲れさま」
路上でテッシュを出して鼻をかんだ。
さんまの塩焼き定食。
私にとってはインスタ映え。
湯気のたったごはんと味噌汁。
さんま。
さんまの焦げ目。
会社を出た時のテンションは通り雨みたいに消え去ってしまった。
あんなにはしゃいで会社を出たのに。
「これからどうしよう」
次の自由はいつになるかわからないのに、やりたいことがわからない。
「どうしよう」
早く帰れてとても嬉しかったのに。
大きな駅のど真ん中でどこにも行けずに立ち往生している。
さ~て、次回の社畜さんは?
社畜です。
夜は残業のためにあると刷り込まれているので、急に早く帰れと言われてもパニックを起こしてしまいます。困ったものですね。
さて、次回は。
社畜、夜の街で見失った自分を探す。
社畜、頭痛とめまいで緊急搬送。
社畜、今日のうちに風呂に浸かって布団に入りたい。
の三本立てです。
鼻かんでもいいですか。
「へへへ」
また明日。
〈完〉
書いた人:甘らかん(かんらかん 遊んでないのに午前様)
みなさん漫画は好きですか?
私は大好きです。
ページをめくるたびに胸が熱くなる。
世界中どころか宇宙の果てまで冒険して。
信じられない奇跡を目の当たりにして。
二度とない運命の出会いが待っている。
(夢とか希望ってなんだろう)
詳しいことは割愛する。
1日の半分以上を会社で過ごすことを社畜というのなら、業種はなんでも同じことだと思う。
たまたま、私が漫画を扱う印刷会社に身を置いていた、それだけのことだ。
漫画の仕事は美味しいところもかなりある。なんといってもプロ作家の生原稿を毎日拝めるのだ。まじまじと肉眼に焼きつけることができるのだ。これをブラボーと言わずしてなんであろう。
しかし、それも5年近く続けていると。
(運命の出会いとか、イケメンとかはどこにいるんだろう)
2次元でなくて、現実問題として。
毎日連ドラが見られない時間に帰っているから異性との出会い方もわからなくなっていた。
ドSな上司ならいるけど少女漫画の世界には程遠い。ほんとうに、ただのドSしか現実の会社には存在していない。
(イケメンツンデレ上司など紙の上にしか……いな……)
だめだ。言い切ってしまったら夢すら消えてしまう。
(夢と愛はいつ失った?)
「……らさん」
(正社員ならまだしも、私派遣社員だよね? なんでこんな頑張らなきゃいけないんだ)
「か……さん」
(なんで会社のために身を削っているんだろ。派遣という働き方ってなんだ?)
「辛さん、今日は終了です」
(辛と書いて、カラってなかなか珍しい名前だと我ながら思う……いま呼ばれた?)
ライトテーブルにひっついていた顔をあげると、ただのドSが眼鏡の奥の一重を細めていた。
「え? いまなんて?」
「全員終了です。今日中の仕事がなくなりました」
見れば歓喜の声があちこちから聞こえてきて、すでにカバンを持ってドロン(煙のようにいなくなるの意)している人もいる。
これは夢か?
こんな時間に業務終了とは。親会社である出版社になにがあったんだろう。
~編集部、コッパミジンコ!
週刊ヤドカリマガジン、最大のピンチ!
次回、え、もう人事異動!?~
トメの文が浮かんで消える。
「今持っているので終了してください」
「ちょうど終わりました」
「修正は?」
「ありますが、3箇所ですし、明日の13時出しなので、明日の朝イチで大丈夫だと思います」
「ふ~ん。ほんとうに大丈夫ですかぁ~?」
「7コマ目の絵柄に入ったペーノン取って、5コマ目の2コマ目の三点リーダーを二点に変えて、扉のタイトルロゴの白フチ1ミリを3ミリに変えるだけですから」
「ふ~ん、新人オペが修正したら、修正以外のところに間違いがでて再度直しがでるかもよ~」
「それでもすぐ終わりますよ」
この会話の時給いただけるのか?
「すぐという保証は辛さんがしてくれるんですよね~」
なにが言いたいんだこの男は。正社員というだけで偉そうに。
「派遣は責任とれませんけど」
あからさまにムッとする相手は派遣社員のくせに生意気な、とか思っているのだろう。おあいこだ。
「タイムシートにサインください」
上司を振り切って、バックをひっつかんでフロアを出たので、定時に帰れることの重大さに気づいたのは。
「外が明るい!」
正面玄関から外に出られるという類稀ない現実を目の当たりにしたときであった。
堂々と表に出ると、11月の風はひんやりしてはいたが、夕日は優しく照らしてくれる。
私はオレンジ色のニクい人だ。
「へへへ」
声まで漏れてしまった。
夕日だって吸血鬼なら即死だ。
「へへへ」
笑いながら会社に隣接している警察署の前を通る。警察署の前には必ずお巡りさんが立っている。
お巡りさん、今日定時で上がっているんです。まだ5時半ですよ。今ここで歓喜の舞を披露してもいいですか。
ヘラヘラを絶やすことなく警察署を通過。職務質問されなかったのが奇跡だ。
地下鉄の入り口まで来て、階段を降りる前にもう一度太陽を拝む。
「美しい夕焼けだ」
まだ明るいのに地下にもぐるのは、なにか勿体ない気がしてきた。
沈みかけの太陽が、まぶしい。
気持ちがいいので大きな駅まで歩くことにした。徒歩30分でいける。たまには体を動かさないと、いろいろ支障がでる。そういうお年頃だ。
「まだ5時半~♪」
なんの前触れもなく歌い出すミュージカルの気持ちがいまならわかる。あれは心を解放して全身で気持ちを表現しているのだ。
「駅に着いてもまだ6時~♪」
特殊効果で宙を舞ってもいいくらいだ。
「美しいじ~んせ~い~♪限りがない喜び~♪現実に大切なのは~♪自由になることだけと~♪定時が教えてくれたぁ~♪」
気持ちよく歌っていたら、鼻のなかに鰹節の香りが侵入してきて、心が地上に着地する。
「こんなところに少将軒本店があったのか」
平日の夕方。お腹も鳴れば行列もできる。話題のつけ麺屋さん。最近リニューアルして店が綺麗になった。
「魚介系かぁ。いいなぁ……でも待てよ」
帰りが遅くなる社畜にとって、夜遅くまで開いていて早く食べられるラーメンというのは通常食。
類似語に牛丼というのもある。
ここにきてラーメンは勿体ない。
「どうしようかな」
6時が近づいてきて、秋の空はあっと言う間に暗くなった。
高いビルにカラスの影。
横3人並んで笑っている高校生。
犬を散歩させるおじさん。
前と後ろに小さな子供を乗せた自転車のお母さんがジェット機のように通り過ぎる。
それらを見送って。
「お米、あったかいの食べたいなぁ」
思えば一汁一菜という食事を何日していないだろう。
今日なら、どんな店でも門戸を開いて迎え入れてくれるだろう。
行き遅れの派遣社員一人暮らし。趣味を持つ暇なし、にもごはん屋さんはいらっしゃいませと寄り添ってくれる。
暖かなごはんと具だくさんのお味噌汁をお盆に乗せて、そっと持ってきてくれる。
お店の女性はだれに対しても平等な笑顔でこう言うのだ。
「お疲れさま」
路上でテッシュを出して鼻をかんだ。
さんまの塩焼き定食。
私にとってはインスタ映え。
湯気のたったごはんと味噌汁。
さんま。
さんまの焦げ目。
会社を出た時のテンションは通り雨みたいに消え去ってしまった。
あんなにはしゃいで会社を出たのに。
「これからどうしよう」
次の自由はいつになるかわからないのに、やりたいことがわからない。
「どうしよう」
早く帰れてとても嬉しかったのに。
大きな駅のど真ん中でどこにも行けずに立ち往生している。
さ~て、次回の社畜さんは?
社畜です。
夜は残業のためにあると刷り込まれているので、急に早く帰れと言われてもパニックを起こしてしまいます。困ったものですね。
さて、次回は。
社畜、夜の街で見失った自分を探す。
社畜、頭痛とめまいで緊急搬送。
社畜、今日のうちに風呂に浸かって布団に入りたい。
の三本立てです。
鼻かんでもいいですか。
「へへへ」
また明日。
〈完〉