札束
文字数 1,499文字
家に帰ると、札束が1mほどの立方体となって、リビングの床に置かれている。
「置かれている」ということばが、適切なのかわからない。
というのも、とても能動的な出立ちなのだ。
ちゃんと見なくても、本物だと信じて疑わないで済む。
それほどの存在感だ。
その身に覚えのない立方体を見つめる。
玄関はふつうに鍵が閉まっていて、それを開けてわたしは家に入った。
家中のあらゆる窓も閉まっている。
つまり、密室でおこなわれた犯行なのだ。
「犯行」ということばが、適切なのかはわからない。
ひとまずその立方体に近寄り、わたしは天面を見下ろした。
1万円札の札束がぎっしりと並んでいる。
お札の短辺が並んでる方を縦とした場合の、縦、横、高さの長さをメジャーで測った。
その際、とりあえず札束に肌が触れないよう、ほんの少しメジャーを離した。
縦は9.1cmちょっと。
横は9.6cmほど。
高さは1mきっかり。
まあほとんど立方体である。
上から見ると、札束は縦に12束、横に6束並んでいる。
つまり、1面あたり72束だ。
お札の厚みは0.1mmで——これはなにかで聞いたことがあって知ってい——それが1m分も積み上がっている。
札束は基本100枚で1束だから、1束あたり1cmの厚みである。
つまり、100束分の高さだ。
7,200束×1,000,000円=7,200,000,000円
ちょっとおかしかった。
これだけ積み上がっていて、100億円はないことに。
そんな邪念はひとまずおこう。
密室で発生するイベントというのは、基本的に何かが奪われたときだ。
命、金、財宝の類である。
金が「追加」されるという密室イベントは、わたしにとって初めての概念としか言いようがない。
じゃあ誰が置いたのだろうか?
やはり、置いたというのがしっくりこない見た目はしている。
わたしのチンケな頭では、何も分析できない。
すぐさま諦めた。
この立方体をどう処理するかを考えよう。
警察に連絡するべきだろうか?
いや、そんなことをしては、まずわたしの手元には1枚も入ってこないだろう。
なんなら、わたしがなんらかの犯罪に関わっているのではないかという、あらぬ容疑をかけられて面倒が増えそうだ。
誰かに相談する?
いや、わたしには家族と呼べる人も、友達と呼べる人もいない。
ああ、孤独だ。
この立方体のせいで、無用な感傷に浸らされて腹が立つ。
銀行にちょこちょこ入金する?
いや、何かの拍子に銀行の人間に怪しまれるのも嫌だ。
日々お札を抜き取って使う?
いや、そうなると何年もこの場所に立方体が存在し続けることになる。
せっかく断捨離を済ませて、ミニマリストとして華々しい日々を送り始めたところだというのに。
なるべく手際よく全額をどこかに寄付する?
いや、面倒だ。
これが一番いい使い道だろうが、面倒にもほどがある。
そんなことを考えていくうちに腹が立ってきた。
この立方体のせいで、いろんなベクトルの欲望と不安が同時に襲ってきたからだ。
なんでこんなに煩わされないといけないんだ。
わたしは質素にシンプルに穏やかに生きたいだけなのに。
こういうときは瞑想である。
しばらくわたしはそれに耽った。
雑念を捨てていく。
そして、はたと気がついた。
わたしは3、4日分の服をキャリーケースに詰めた。
印鑑やら銀行通帳やら、貴重品と呼べるようなものも小さなバッグに入れた。
戸締りを確認した。
ガスの元栓を閉めた。
この家の唯一の家電である扇風機、そのコンセントを抜いた。
ブレーカーも落とした。
その間も立方体には一切触れなかった。
わたしは荷物を持って家を出て、玄関の鍵を閉め、鍵をいつものようにアサガオの鉢の下に隠した。
わたしはホームレスとして生きることにした。