まず目に飛び込んだのは、ゴーグルに付着した血液だった。
あまりにも視界の邪魔になる血液は指で拭った。少し拭いきれなかった分がのびてしまったが、気にするほどのものではないので放置した。
ふと思い出して足元を見る。
見覚えのある黒髪の頭が映る。
鼻がストッパーのようになっているのか、下を向いた状態で止まっていた。
胴体は少し向こうにあった。
ああ、いつの間にかまた首に手をのばしていたのかと思いながら手に持っていたナイフを見つめる。
そして胴体を見た時に見えた向こう側のものを確認してみる。
壁にもたれかかるベーミンにその近くに倒れるヨセフ。そして外には2人並んでジュンメスとザースが倒れていた。生死は不明。出血量的には死んでるような気がするが、なんだか直感的に生きているような気もした。
遠くで機械が動いているような音が聞こえる。わかりやすすぎてわざとらしいが。
音のした方へ歩いていく。中央の広間まで来ると、左右の階段の間に下へと繋がっているらしい階段を見つける。こんなもの最初来た時はあっただろうか。
招かれるように階段へ足を踏み入れる。
全く警戒する様子もなく、ラギーは奥へと進んでいく。
階段が終わると、まっすぐと続く薄暗い廊下らしい空間が広がっていた。
左右の壁には管らしきもの。何本もの管が様々な方向に入り組んで壁を埋め尽くしていた。こんな量の管に何を通すのか。
この雰囲気だと、極秘の地下施設ってところか。
そして長い廊下の向こうに微かに明るさを感じる。そこまで着くと、突然広い空間が広がっていた。
その広い空間の中央には、手前の管の何十倍もあるような大きさの柱が一本立っていた。そして壁一面にこんどは管でなく巨大なガラス張りの水入りの円柱。目測5mほど。稼動しているらしく、一定のリズムで空気が重力に従って上へのぼる。中に人らしいものが入っている円柱も見受けられた。全て女性、だろうか。数え切れないほどの細い管が体に繋がれている。
四角いこの空間の左右にはまた廊下らしい道がのびていたが、さすがにまた長く見えたので、入る気にはならなかった。
中央の柱の向こう側にはまた一本廊下があったが、あまり長いようには見えなかったのでその方向へ進む。
さっきよりは少し短かった廊下を抜けると、また広い空間、大量の円柱に迎え入れられる。少し高い位置に設置されている椅子には人影が見えた。
怪しんで立ち止まると、椅子がくるりと回転し、座っていた人物はこちらに顔を向けた。しかしこの空間自体が薄暗く、何か画面に映して見ているのかこちらからすると逆光のため、顔がよく見えなかった。
翻訳ソフトを介すということは日本人…。
なぜかたまに間違えられるが自分は中尉だ。どうやっても少佐ほどの実力は備えていない。
影でも日本人が垂れ気味に首を振ったのが見えた。
どういうことかと声にする前に日本人は話を続ける。返事を聞く気がないというように1人で語り続ける。
[君は強いから脅威になる。そう思ってずっとマークしていたんだが、まさか記憶喪失になるとは思わなかったな。
まあ、しかたないか。]
日本人…彼は足を組み直す。そして少し体勢が変化したため、表情がうかがえた。
だが表情がうかがえたという事よりも、発言のほうにひどく引かれる。
浅く地面の沈む感覚に襲われる。
[ああ、記憶の無い君にはもう関係のないことだったかな。]
重力に押し付けられないよう救い出すように声を出す。
まるでこちらの反応を楽しむように、愉快そうに微笑んだ。
[昔の君には彼女がいて、部下がいた。…それだけさ。]
ないはずのなにかが引っかかる。
彼はそのあいだに、奥の机に手を伸ばす。
そう言ってなにかのボタンを押した。
直後脇腹が折れるような激しい痛みに襲われる。思わず銃を床に落とし、膝を折る。勢いよく膝を床に打ちつけたため膝の骨から腰にかけて少し刺激を感じたが、脇腹の痛みに丸々かき消された。
上体を起こし続けられなくなり、ゴーグルを床に打つ。
[傷は治して来なければ。
…まあ、治さずとも来てくれると信じていたがね。]
声で痛みを少しでも抜こうというように喘ぐ。
彼はその姿を眺めていたが、少しすると再びスイッチに手を伸ばす。
そしてボタンを押すと、喘いでいた声も徐々に収まり、荒い息遣いのみに変わっていく。
痛みで床を引っかいていた指に力を入れ、落ち着いた体を起き上がらせようとする。そのかっこうの情けなさに自分でも笑えてきてしまう。
理不尽に言葉を遮られたため、向こうを睨みつけた。それをまったく気にしていないように、彼は椅子から腰を上げる。
そう言うと脇に置いている刀を手に取る。日本軍では刀がブームにでもなっているのだろうか。だがナイフに刀とはなかなか相性のよくないものだ。
そう言いながら取り出した刀に右手を添え横に持つ。
だが透明であったため、刃か峰か判断できなかった。
ひどく嫌味のある微笑みをしながら、薄暗い光の反射でしか捉えられない刀を見せつける。その自慢げな表情に対し、正直な感想を述べる。
満足だというようにうんうん頷いた。気味悪げな笑みを浮かべる。思わず俺は顔をしかめた。その表情をみとめてもなお、笑みを崩さなかった。
刀でくるのなら仕方ないなと持っていたライフルを畳んで腰のポケットにしまう。そして癖でいつものナイフに手を伸ばした。
皮肉やら直接的な誹謗をすべてクッションに吸収された。正直苦手なタイプだと思った。武器の相性も良くないし性格の相性も良くないか。
そこで自分の武器を確認してはじめて人質用ナイフを持ってしまっていたことに気が付いた。また何か言われるかなと心中苦笑しつつも今更かとナイフの柄を持ち直す。
[そういえば佐竹…
入り口のあの子に刀術を教えたのは僕なんだ。]
そう言いながら手足首を回した。
彼は軽く目を見開いて首を傾げる。
ああ、殺したね。すごく手強かった。
…そう考えりゃあたり前に、
拳銃に触れてすぐに相手に向けて発砲する。
やはり金属音での返事だった。ひとつため息をついて拳銃をしまう。
そう言うと彼は刀で防御体勢をとっていた状態から、構えの体勢へ変化させる。
念の為装備の最終確認をしておいた。ナイフの数も問題なし。だが足りるかどうかといわれれば心細いだろうか。
…まあやってみないとわからないというものだ。
[待ちに待ってたんだから……どれだけ僕がこの時を待っていたと思っているよ…]
俯きがちに言ったその瞳はまさに狂気、だった。身震いがした。