最終話 somewhere,again (3)

文字数 1,254文字

 そろそろ練習が終わる時間になる。他の選手たちが来る前に、さっさと着替えてしまおう。そう思うと、すっとベンチから立ち上がりロッカーへ向かう。
 エナメルバッグから鍵を取り出し、ロッカーを開けると、光の明滅がスマホの通知を告げている。
 一颯はスマホを取ると、LINEのポップアップを表示する。
 差出人は『えな』とある。
 メッセージを見る前から、憂鬱な気分になる。
 またか。
 そう心に重りを感じ、メッセージを開く。しかし、それは一颯の予想はとは異なるものだった。

 『さよなら』

 ただの一言。
 だがその一言に清々したように、一颯の心は羽毛のように軽やかになった。
 彼女と別れた後、何人かの女性と付き合ったが、結局誰とも長続きはしなかった。
 この、『えな』とは、まだ長く続いた方だ。だがそれでも、一颯の心に開いた穴にはまる存在ではなかった。
 彼女達が悪いわけではない。それは一颯が一番よくわかっている。
 彼女達に彼女を求める自分が悪いのだ、とそう思っている。
 『えな』にはよく遊びに連れ出された。ショッピングにテーマパークやアミューズメント施設、どれも歓喜するほど楽しんではいなかったが、悪くはない、とそう思っていた。
 ある時、映画に誘われた。一颯としては久方ぶりに映画館の椅子に座った。しかし、なにかが違うと、ずっと違和感を抱いていた。
 結局、終始つきまとう違和感に耐えきれず、映画は最後まで観れず退席した。
 『えな』は一颯の尋常でない様子に驚いていた。そのあまりの苦しみを感じる様に、誘った自分に非があるようにも感じていた。
 その後は、映画を避け、他の場所に遊びに行こうと熱心に誘ってくれた。しかし、一颯は頑なに拒否を続け、今日に至った。
 一颯は『えな』に一言だけ、すまない、と返信した。これで二人の関係は終わりだ。
 映画館の違和感の理由はわかっている。隣にいた人が彼女ではなかったからだ。それに気づいてしまった時に、もう一颯には『えな』と関係を続けることが限界と感じていた。
 これも結局、彼女を求めたせいだ。
 もう10年の前の、中学生の頃の元カノにいつまで未練を持つのか。
 彼女だって、自分のことなどとうに忘れている。ひょっとしたら結婚もして、子供だっているかもしれない。
 純愛と言えば聞こえはいいが、結局は大人になりきれないのだ。
 いつまでも未練を持ち、想い出の国から出て来ようとしない。
 ピーターパン症候群、そういう名前の病気があったな、と一颯は自嘲気味に笑う。
 大人になれない大人。そして、そんな成長しない子供が、また一人の女性を傷つけてしまった。
 だからこそ、一颯は「すまない」なのだ。
 陽光が届かない薄暗いロッカーの前で、一颯のスマホだけが寂しい光を放っていた。
 画面の電源を落とそうとすると、ニュースアプリの通知が飛び込んで来た。
 意に介さず、そのまま消そうとするが、一颯ははっとしてしまう。
 蓋をした想い出に存在する名前が、そのニュースの見出しにあった。
 『福岡の老舗映画館"恋坂"の閉店が決まる』
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