第7話
文字数 8,313文字
ブライダルフェアとは、なんぞや。
……と訊かれれば、これから結婚や披露宴を検討している、もしくはすでに決まっているカップルへの宣伝および営業ですと答える。
営業内容は、じつに膨大。パーティー当日の料理の紹介や試食、テーブル装花や空間コーディネートのご案内、引出物のご紹介。映像や写真関係のアイテム説明とご予約。衣装や美容、セレモニーの演出などなど、挙げれば無限に湧いてくるから以下省略。
ではその中で、司会はなにを「営業」するのか。
話術、対応力、機転、度胸、状況解析および分析能力、反射神経などの実戦部分以外にも、清潔感や知的さなどなど、見た目の印象も重要な選択肢になる。
あえてひと言で表すなら、広義の「コミュニケーション力」。
多くの人にとっては、人生で一度きりの財産投資の晴れ舞台。準備に準備を重ねた最大のぶっつけ本番を、誰のマイクに委ねるのか────というわけだ。
「言い方は悪いですけど、賭けってことですか?」
「賭け? はっきり博打 って言えば?」
在原泉 先輩が、いつにも増してグイグイ切りこむ。松乃美咲 は思わずおヘソの上を押さえた。
「…………お腹が痛くなってきました」
「だったら、お手洗いへ行きなさい」
「……すみません。比喩です」
「比喩じゃなくて、弱音でしょ?」
プロ司会者・在原泉先輩は、ときに異様に手厳しい。美咲はしゅん……と項垂 れた。
「いま、心が折れたわね。ポキッと」
「いえ、折れていません」
「ウソ。聞こえたもの。ボキボキボキッて。背骨やあばらが豪快に折れる音が」
「それはきっと、期待で胸が高まる音です」
ほんと? と訊かれたから、ホントですと意地で返したら、在原さんがシャープな目元をふっと和らげ、美咲の背をポンと軽く叩いてくれた。
「いいレスポンスよ。その調子。嫌味を言われても笑顔でね」
はい、と頷いてから、美咲は右奥のコーナーに視線を投じた。
華厳 の間 に入って右手、壁に沿って長テーブルが四台と三台、L字型に並んでいる。手前三台が、司会派遣会社スピカのブース。奥の三台は、この夏からホテル・カリブルヌスの新司会事務所として入館を認められた「フローラル」が陣取っている。
両者の間の一台には、両手を広げたサイズの大きなモニターがデンッと置かれ、司会者たちのデモンストレーション映像が繰り返し上映されている。他にもアルバム紹介ブースと動画制作ブースなど、華厳の間という宴会場の名にふさわしく、音や視覚の演出関係で賑やかだ。
いまモニターに映し出されているのは、スピカ唯一の男性司会者だ。彼はスポーツ実況のレギュラーも持っているそうで、なにより言葉のキレがいい。続いて流れた映像は、打って変わって可愛い女性だ。ケーキセレモニーのシーンをピックアップした動画に、うっとりする。
「皆さん、とてもいい声ですね。言葉選びも素敵です」
なにげなく口にした直後、和らいでいた在原さんの目元がピッと吊りあがった。
「そういう言い方は、プロに対して失礼だから。松乃さんがいま言った二点は、基本中の基本だから。基本がなってますねー、じょうずにお箸が持てましたねーって、子供の頭を撫でているのと同じだから」
「…………大変失礼いたしました」
今日の在原さんは、切れ味が良すぎて困る。
さて、スピカの敏腕マネージャー・七実 チカさんはと言えば、馴染みのスタッフに付き添われ、フローラルのブースを訪れている。
華やかなレースのワンピースや、光沢の美しいツーピースを身にまとった司会者たちの中で、チカさんひとりだけが黒ジャケットに黒パンツ、髪は襟足でひとつにまとめている。
タンクトップにショートパンツのチカさんしか知らない美咲の目には、今日のチカさんは渋くてクールでかっこいい大人の女性だ。……などと言おうものなら、また在原さんに「大人に対して、大人って言うな」と叱られそうだから、ないしょ。
「チカさん、フローラルの方々となにを話しているんでしょうね」
押さなくてもいいスイッチを押してしまった。在原さんのこめかみに、もりもりっと太い血管が浮く。
「どうしてこっちが挨拶に行かなきゃならないのよ。向こうが来るべきでしょーが。いつぞやは大変失礼いたしました。合わせる顔もございませんって。合わせる顔がないなら来るなって言ってやるけどね」
司会紹介のフォトブックを各テーブルに並べながら、在原さんが呪詛 を吐く。今日の在原さんはいつもよりドレスアップしているため、悪の女王の貫禄だ。
「泉ちゃんの眉間のシワ、あと三十分で消えるといいなぁ」
その悪の女王を微塵も恐れることなく、のんびりした口調で場を和ませてくれるのは、在原さんの隣のテーブルでA5サイズのオーダーシートをお札のように数えている福田幸子さん。
数カ月前に五十歳になったという福田さんは、司会歴二十年のベテランながら、「チカちゃんと泉ちゃん、このふたりの社員さんたちのおかげで、おばちゃんでも仕事を回してもらえるの」と、じつに謙虚だ。
若い司会者にはあまり見られない少々ふっくらした体型も、五十歳のママさんならではの安心感を醸しだしていてホッとする。今日初めて会った美咲に対しても、「この仕事を続けていると、将来は芸術的な笑いジワのおばあちゃんになれるわよ」と、独特の感性で親しみを表現してくれた。
その福田さんに在原さんが、少し申し訳なさそうな視線を送る。
「消えますよ。というか、消します」
「あら、消えるの? 羨ましいわぁ。私なんて、朝ついたマスクのゴムのあとが、夜になってもそのまんまよ」
あっはっはと大きな口を開けて笑った福田さんが、在原さんの背をバンバン叩く。叩かれた在原さんは苦笑いだ。「もう言いませんー。すみませんでしたー」と、ちょっと甘えるような言い方が母子のようだ。髪をガッと勢いよく掻きあげ、ヒールをカツカツ鳴らしてズバズバものを言う在原さんが可愛く見える。在原さんが、いかに福田さんを信頼しているか、よくわかる。
だから美咲も、励ますつもりで在原さんに微笑みかけた。
「笑顔でいきましょう、在原さん」
「笑顔の硬い松乃さんに言われてもねぇ」
「うー……」
福田さんにはお腹を見せる在原さんも、美咲には容赦なくガブリと噛みつくワンコらしい。
そのとき、フローラルのブースからチカさんが戻ってきた。
そのうしろにいるのは……!
「あら」
いま始めて美咲に気づいたのか、もしくは、そういう演技なのか。
片方の肩で弾んでいるのは、いまどき珍しいお嬢様風の縦ロール……は、おそらくウィッグ。キラキラ素材のパフスリーヴ・セレモニージャケットに、チュールのロングスカート。パールのチョーカーにパールのブレスレット。細くて長い眉は、なにげに昆虫の触角を彷彿とさせる。
ボソリと「盛りすぎ」と呟いたのは、応戦する気満々の在原さんだ。福田さんは「お久しぶりね」と余裕の笑顔。美咲ひとりがオロオロしている。
ここで会うのは覚悟していた。それでもやっぱり強烈に意識してしまう。
美咲の元司会の先生。そして、スピカの元司会者。チカさんや在原さんを裏切って、若手を引き連れて独立した人。現在はMC派遣フローラルの社長・五十風 サオリ先生。
サオリ先生が触覚を……じゃなくて、眉を撥ねあげた。うんざりした顔のチカさんを押しのけるようにして美咲の前に立ち、ジロジロと失礼なほど顔を覗きこんでくる。
「あなた、確か松下 さんよね?」
「……松乃です」
堂々と挨拶しようと思っていたのに。今日は絶対に顔を合わせるから……避けられないから、司会目指して頑張っていますと笑顔で報告しようと決めていたのに。
名を間違われ、きゅっと心が固くなる。まるでフローラルでレッスンを受けていたときのようだ。「ダメ」「よくない」「いまひとつね」「んー、残念」……つかめたと思ったら振り払われ、できたと喜べば苦笑で肩を竦められ、どれが正しくてなにが違うのか、だんだんわからなくなっていったときのように萎縮する。
憧れの形も不確かになり、自分が司会を目指していた理由も曖昧になって、なにもかもが不安で、自信のない自分にどんどん心を侵食されて、でもあと少しでデビューだからと、無理して、焦って、必死でもがいて……気がついたら、プライベートもボロボロになっていた。
「ああ、そうそう。松乃美佐子 さん」
「……松乃、美咲です」
あの悲しい時期が、いやでもオーバーラップする。
「あー、そうだったそうだった。松乃さんね。思いだしたわ」
サオリ先生が頷くたび、縦ロールのウィッグがふわんふわんと大きく揺れる。ウィッグにまで笑われていると錯覚する、卑屈な自分が悲しくなる。
それでも懸命に笑みを保とうとしている美咲を嘲笑うかのように、サオリ先生が自慢の美声を響かせた。
「うちのオーディション、落ちちゃった子でしょ〜」
刹那、美咲は固まった。
周りのスタッフたちの視線が集中したのも見えた。在原さんの顔が強ばったのもわかった。
在原さんが割って入るより早く、スズメを威嚇するカラスのようにサオリ先生が追撃する。
「うちの基準に満たないあなたが、スピカさんではプロになれるの? あらー、よかったわね。オーディションの基準って、会社のレベルによって大きく異な……」
サオリ先生の二の腕を、チカさんがガシッとつかんだ。「痛い!」と大袈裟に目を剥くサオリ先生を強制的に回れ右をさせたかと思うと、その耳元で言い捨てた。「ピーチクパーチクうるせぇんだよ!」と。
サオリ先生がギョッとした目でチカさんを振り向いたときには、チカさんは完璧な営業スマイルを浮かべていた。でもその唇から発せられた言葉は、やはり我らがマネージャーだった。
「ひな鳥は、さっさと巣に帰れ」
小声だったから、直径一メートルの範囲内にしか聞こえていない。よって美咲は聞いてしまった。在原さんもと福田さんも。
我慢できず、美咲はブーッと噴きだしてしまった。福田さんも「ひな鳥かー。うまいこと言うわね−。ごはんちょうだい! ってピーピー鳴くのよねー」とコロコロ笑ったものだから、在原さんまで苦笑いして肩を竦め、チカさんだけが「なによ」と鼻の頭にシワを寄せているのが可笑しい。
「……七味 のくせに」
「七実 だっつーの」
フイッと顔を背けたサオリ先生が、「相変わらずチカさんって、口が悪いですよね」と吐き捨て、フローラルのブースへ戻ろうとする。その背に在原さんが「あなたの態度がそうさせるってこと、まだわからない?」と、意味深なひと言をねじこんだ。
サオリ先生が足を止め、怒りの形相で振り向いた。それにも負けない険しさで、在原さんが声を発する。
「このカリブルヌスでウエディングの仕事する以上、約束してほしいことがあるの」
は? とサオリ先生が顔を歪めた。在原さんが一歩前へ出た……のは、周囲に争いを聞かれないための防御ではない。周りをイヤなムードに巻きこまないための配慮だ。
「仮にも社長を名乗るなら、ゲストやチカのせいにするようなマイナス発言は、金輪際慎 しみなさい」
「は? それ、どういう意味ですか?」
「ゲストの態度は、司会の態度ひとつで変わる。チカがあなたを虐 めているわけじゃない。ゲストがワガママなわけでもない。あなたの態度がそうさせるの。そのことに、そろそろ気づきなさい」
「私もうスピカのメンバーじゃありませんので、命令口調はご遠慮くださーい」
失礼しまーすと、サオリ先生がフローラルのブースへ戻っていった。
不穏な会話の事情を訊きたかったけれど、いまはひたすら、この緊張感が恐ろしい。
和やかで華やかなはずのブライダルフェアが、戦々恐々のまま開幕した。
ゲストが次々に司会ブースを訪れる中、なにをどう手伝えばいいのかわからず突っ立っていると、「あなたはまだオーダーを受けられないから、まずは館内を見て回りなさい」と、チカさんから指令を受けた。
美咲は華厳の間を離れ、賑わいの中を縫うようにして二階の大宴会場へ到着した。真っ暗だ……と思ったら、突如プロジェクション・マッピングが始まって、歓声が上がった。模擬披露宴がスタートしたのだ。
並んだ円卓の数は十五卓。これからここで披露宴を挙げるであろうカップルたちが、光と音の演出に感嘆しながら司会のアナウンスに耳を傾けている。
余裕の笑顔で司会進行を務めているのは、スピカの看板司会者・東条 まどかさん。流ちょうすぎて感心するしかない進行に酔いしれたあとは、感動冷めやらぬまま同じフロアの館内教会へと移動し、模擬挙式に参列した。
ここでマイクを握るのは、「私、失敗しませんから」をキャッチフレーズにしている、スピカの看板司会者のひとり、千草姫子 さん。レースのスカートが華やかで、声にも気品が感じられる姫子さんは、教会という神聖な場所に緊張しているカップルたちにフラワーシャワーの協力を促し、ラストには笑い声がさざめくほどリラックスしたムードでまとめてみせた。きっちり的確に進める東条さんとは異なるタイプだ。
「みんな、すごいな……」
先輩司会者たちの仕事ぶりに、憧れよりも不安が先立つ。
こんなにも上手な人たちを見ると、さすがに心配になってくる。果たして自分は、あんなふうにできるのだろうか、と。
好きだから、やってみたいから。それだけでできる仕事じゃないような気がする。
サオリ先生から見れば、美咲はプロの域に達していない。美咲がいまここにいられるのは、スピカのおかげだ。とても優しくて面倒見のいい人たちが集う会社だから拾ってもらえただけで、本当は…………。
「……──────だめ」
ぶるんっと美咲は頭を振り、雑念を振り払った。マイナス方向に引きずられたら、最初から少なめにしか設定されていない自信が、もっと下方修正されてしまう。
「こういうときは、やっぱりチカさんや在原さんたちのエネルギーに触れて、元気を取り戻さなきゃ!」
よし、と頷いて、美咲は華厳の間の司会ブースへ引き返した。
ありがたいことに大盛況。三台ある長テーブルは、すべてカップルで埋まっている。
なにか手伝えることはないか……と美咲も自主的に仕事を探し、オーダーシートを整えたり、来場シートにスタンプラリーの判を押したり、司会者たちのスケジュールチェックを手伝いながら終了時刻まで働いた。おかげでフローラルのブースを気にせずに済んで助かった。
模擬披露宴と模擬挙式を仕切っていた看板司会者たちは、すでに次の現場へ向かったようで姿はない。いまテーブルについて接客しているメンバーも、「早番・遅番」の交代で入った司会者たちだ。福田さんの姿もない。できればいろいろ仕事の話を聞きたかったけれど、それはまた次回へ持ち越しだ。
一日フルでブースに入っていたのは、スピカの社員であるチカさんと在原さんの二人。そしてまだデビュー前で、オーダーとは無関係の美咲だけ。
そして閉幕の午後六時。お疲れ様でしたーと、ホテルスタッフが各部屋に終了を告げて回っている。
「お疲れ様、美咲ちゃん。どうだった?」
笑顔の戻った在原さんは、怖くない。しっかり見あげて、「はい」と美咲は微笑んだ。
「模擬披露宴も模擬挙式も、他にも司会の皆さんの接客を間近で拝見できて、とても勉強になりました!」
ありがとうございました頭を下げると、「半年後のブライダルフェアでは、接客の場に座れるといいわね。司会者として」と嬉しい予告で元気づけられ、大きく頷いた。本当に、そうありたい。そのための努力なら楽しいに違いないから。
オーダーシートの最終チェックをしているチカさんの背に、在原さんが声をかける。
「チカ。このあとオフィスへ戻って、書類の整理がてら一杯やらない?」
お酒好きなチカさんなら、一も二もなく乗るのだろうと思ったら。
チカさんは、固まっていた。どした? と在原さんがチカさんの顔を覗きこみ、オーダーシートをつかんだままの手元へ視線を落とし、「え」と短い驚きを漏らした。
「……このオーダー受けたの、誰?」
チカさんの問いかけが、戸惑いに揺れる。「なによ、これ……」と呟いた在原さんが、犯人でも捜すかのように周囲を見回す。
なにが起きたのかわからないまま、美咲は横からそのオーダーシートを覗きこみ、そして。
口を開けたまま絶句した。
心臓が爆発したかと思うほど────驚きすぎて、茫然とする。
受注の集計を早々に終わらせたサオリ先生が、チュールの裾を無駄にヒラヒラさせながら、薄笑いを浮かべてスピカのブースへやってきた。その顔には、「してやったり」と書いてある。
「彼女の名前、書いてあげたわよ」
「サオリ、これ、あんたがやったの……?」
オーダーシートを突きつけて睨みつけるチカさんに、「あら」とサオリ先生が声を弾ませた。
「七月七日。七夕でしょ? うちは全員、他の仕事が入ってるの。でもスピカさんの松井さんなら、ヒマでしょ?」
「……松乃です」
「うちのテーブルについたお客様に、あちらに立っている司会者なら空いてますよーって松田さんを勧めたら、じゃあそれでってことだったから、オーダーシートに名前書いてあげたのよ」
「松乃美咲って、サオリ社長がここに……このオーダーシートに書いたくせに、どうしていま、違う名前で私を呼ぶんですか……? どうして、そんな意地悪を……っ」
「なんてことしてくれたのよ!」
チカさんが声を荒らげた。チカさんは本気で怒っていた。
そして、悲しんでいた。
御両家にとって、とても大切な披露宴だからこそ、チカさんはすごく悲しんでいた。
────どんな披露宴をお望みですか? カジュアル?厳 か? お料理メイン? それともサプライズ盛りだくさんの、賑やかな宴会?
職場の関係者より、ご友人が多い? それでしたら楽しい雰囲気でいきましょう。司会はこの人がいいですよ。おふたりのイメージする披露宴に、もっとも近い司会者です────…。
今日は終日スピカのブースで、そんな会話が飛び交っていた。聞いているだけでワクワクして、イメージが膨らんで、いろんな個性をもった司会者が揃っているからこそできるプロデュースなのだと感動しきりの、楽しいブライダルフェアだった。
御両家にとって最高の披露宴を創りあげるという、ひとつの大きな目標に向かって力を合わせるのがウェディング業界に関わる人間の……私たちの仕事のはずだ。それなのに。
「サオリ。あんた、自分がなにをしたか、わかってる?」
「あら〜、せっかくスピカさんにお仕事を回してあげたのに。そんなふうに言われたら心外だわぁ」
「…………っ」
チカさんが歯を食いしばる。握った拳が震えている。元は仲間だったからこそ、言葉が通じないもどかしさと腹立たしさが尋常ではないと、痛いほどわかる。
「美咲ちゃんはね、あたしと泉が、これから大事に大切に育てる子なんだから! こんなとこで、あんたの身勝手で潰されて、ホテルを出禁にされるわけにはいかな……」
チカ! と在原さんが止めたのは、周りのスタッフたちがこちらを注目していたから。
周囲の視線を盾に取り、サオリ先生が……五十風サオリ四十一歳が、勝利を確信して笑う。
「良かれと思ってしてあげたことにケチをつけるなんて、ひどいわぁ。それとも御社の松下さんは司会じゃなくて、本当は雑用で雇われた人だったのかしら〜?」
ホホホホホホホホホ、とサオリが笑った。口元に手の甲を添えて。
マンガにしか出てこないような「ホ」の羅列のお嬢様笑いをナマで聞いたのは初めてだ。
「やだぁ、てっきりプロだと思ってたわぁ。勘違いしてごめんなさいね、松尾美奈子さん」
「私の名前は松乃美咲です────ッ!」
自己紹介で目を吊りあげて怒鳴ったのは、三十年の人生で初めてだ。
→→→第8話へ続く!
……と訊かれれば、これから結婚や披露宴を検討している、もしくはすでに決まっているカップルへの宣伝および営業ですと答える。
営業内容は、じつに膨大。パーティー当日の料理の紹介や試食、テーブル装花や空間コーディネートのご案内、引出物のご紹介。映像や写真関係のアイテム説明とご予約。衣装や美容、セレモニーの演出などなど、挙げれば無限に湧いてくるから以下省略。
ではその中で、司会はなにを「営業」するのか。
話術、対応力、機転、度胸、状況解析および分析能力、反射神経などの実戦部分以外にも、清潔感や知的さなどなど、見た目の印象も重要な選択肢になる。
あえてひと言で表すなら、広義の「コミュニケーション力」。
多くの人にとっては、人生で一度きりの財産投資の晴れ舞台。準備に準備を重ねた最大のぶっつけ本番を、誰のマイクに委ねるのか────というわけだ。
「言い方は悪いですけど、賭けってことですか?」
「賭け? はっきり
「…………お腹が痛くなってきました」
「だったら、お手洗いへ行きなさい」
「……すみません。比喩です」
「比喩じゃなくて、弱音でしょ?」
プロ司会者・在原泉先輩は、ときに異様に手厳しい。美咲はしゅん……と
「いま、心が折れたわね。ポキッと」
「いえ、折れていません」
「ウソ。聞こえたもの。ボキボキボキッて。背骨やあばらが豪快に折れる音が」
「それはきっと、期待で胸が高まる音です」
ほんと? と訊かれたから、ホントですと意地で返したら、在原さんがシャープな目元をふっと和らげ、美咲の背をポンと軽く叩いてくれた。
「いいレスポンスよ。その調子。嫌味を言われても笑顔でね」
はい、と頷いてから、美咲は右奥のコーナーに視線を投じた。
両者の間の一台には、両手を広げたサイズの大きなモニターがデンッと置かれ、司会者たちのデモンストレーション映像が繰り返し上映されている。他にもアルバム紹介ブースと動画制作ブースなど、華厳の間という宴会場の名にふさわしく、音や視覚の演出関係で賑やかだ。
いまモニターに映し出されているのは、スピカ唯一の男性司会者だ。彼はスポーツ実況のレギュラーも持っているそうで、なにより言葉のキレがいい。続いて流れた映像は、打って変わって可愛い女性だ。ケーキセレモニーのシーンをピックアップした動画に、うっとりする。
「皆さん、とてもいい声ですね。言葉選びも素敵です」
なにげなく口にした直後、和らいでいた在原さんの目元がピッと吊りあがった。
「そういう言い方は、プロに対して失礼だから。松乃さんがいま言った二点は、基本中の基本だから。基本がなってますねー、じょうずにお箸が持てましたねーって、子供の頭を撫でているのと同じだから」
「…………大変失礼いたしました」
今日の在原さんは、切れ味が良すぎて困る。
さて、スピカの敏腕マネージャー・
華やかなレースのワンピースや、光沢の美しいツーピースを身にまとった司会者たちの中で、チカさんひとりだけが黒ジャケットに黒パンツ、髪は襟足でひとつにまとめている。
タンクトップにショートパンツのチカさんしか知らない美咲の目には、今日のチカさんは渋くてクールでかっこいい大人の女性だ。……などと言おうものなら、また在原さんに「大人に対して、大人って言うな」と叱られそうだから、ないしょ。
「チカさん、フローラルの方々となにを話しているんでしょうね」
押さなくてもいいスイッチを押してしまった。在原さんのこめかみに、もりもりっと太い血管が浮く。
「どうしてこっちが挨拶に行かなきゃならないのよ。向こうが来るべきでしょーが。いつぞやは大変失礼いたしました。合わせる顔もございませんって。合わせる顔がないなら来るなって言ってやるけどね」
司会紹介のフォトブックを各テーブルに並べながら、在原さんが
「泉ちゃんの眉間のシワ、あと三十分で消えるといいなぁ」
その悪の女王を微塵も恐れることなく、のんびりした口調で場を和ませてくれるのは、在原さんの隣のテーブルでA5サイズのオーダーシートをお札のように数えている福田幸子さん。
数カ月前に五十歳になったという福田さんは、司会歴二十年のベテランながら、「チカちゃんと泉ちゃん、このふたりの社員さんたちのおかげで、おばちゃんでも仕事を回してもらえるの」と、じつに謙虚だ。
若い司会者にはあまり見られない少々ふっくらした体型も、五十歳のママさんならではの安心感を醸しだしていてホッとする。今日初めて会った美咲に対しても、「この仕事を続けていると、将来は芸術的な笑いジワのおばあちゃんになれるわよ」と、独特の感性で親しみを表現してくれた。
その福田さんに在原さんが、少し申し訳なさそうな視線を送る。
「消えますよ。というか、消します」
「あら、消えるの? 羨ましいわぁ。私なんて、朝ついたマスクのゴムのあとが、夜になってもそのまんまよ」
あっはっはと大きな口を開けて笑った福田さんが、在原さんの背をバンバン叩く。叩かれた在原さんは苦笑いだ。「もう言いませんー。すみませんでしたー」と、ちょっと甘えるような言い方が母子のようだ。髪をガッと勢いよく掻きあげ、ヒールをカツカツ鳴らしてズバズバものを言う在原さんが可愛く見える。在原さんが、いかに福田さんを信頼しているか、よくわかる。
だから美咲も、励ますつもりで在原さんに微笑みかけた。
「笑顔でいきましょう、在原さん」
「笑顔の硬い松乃さんに言われてもねぇ」
「うー……」
福田さんにはお腹を見せる在原さんも、美咲には容赦なくガブリと噛みつくワンコらしい。
そのとき、フローラルのブースからチカさんが戻ってきた。
そのうしろにいるのは……!
「あら」
いま始めて美咲に気づいたのか、もしくは、そういう演技なのか。
片方の肩で弾んでいるのは、いまどき珍しいお嬢様風の縦ロール……は、おそらくウィッグ。キラキラ素材のパフスリーヴ・セレモニージャケットに、チュールのロングスカート。パールのチョーカーにパールのブレスレット。細くて長い眉は、なにげに昆虫の触角を彷彿とさせる。
ボソリと「盛りすぎ」と呟いたのは、応戦する気満々の在原さんだ。福田さんは「お久しぶりね」と余裕の笑顔。美咲ひとりがオロオロしている。
ここで会うのは覚悟していた。それでもやっぱり強烈に意識してしまう。
美咲の元司会の先生。そして、スピカの元司会者。チカさんや在原さんを裏切って、若手を引き連れて独立した人。現在はMC派遣フローラルの社長・
サオリ先生が触覚を……じゃなくて、眉を撥ねあげた。うんざりした顔のチカさんを押しのけるようにして美咲の前に立ち、ジロジロと失礼なほど顔を覗きこんでくる。
「あなた、確か
「……松乃です」
堂々と挨拶しようと思っていたのに。今日は絶対に顔を合わせるから……避けられないから、司会目指して頑張っていますと笑顔で報告しようと決めていたのに。
名を間違われ、きゅっと心が固くなる。まるでフローラルでレッスンを受けていたときのようだ。「ダメ」「よくない」「いまひとつね」「んー、残念」……つかめたと思ったら振り払われ、できたと喜べば苦笑で肩を竦められ、どれが正しくてなにが違うのか、だんだんわからなくなっていったときのように萎縮する。
憧れの形も不確かになり、自分が司会を目指していた理由も曖昧になって、なにもかもが不安で、自信のない自分にどんどん心を侵食されて、でもあと少しでデビューだからと、無理して、焦って、必死でもがいて……気がついたら、プライベートもボロボロになっていた。
「ああ、そうそう。松乃
「……松乃、美咲です」
あの悲しい時期が、いやでもオーバーラップする。
「あー、そうだったそうだった。松乃さんね。思いだしたわ」
サオリ先生が頷くたび、縦ロールのウィッグがふわんふわんと大きく揺れる。ウィッグにまで笑われていると錯覚する、卑屈な自分が悲しくなる。
それでも懸命に笑みを保とうとしている美咲を嘲笑うかのように、サオリ先生が自慢の美声を響かせた。
「うちのオーディション、落ちちゃった子でしょ〜」
刹那、美咲は固まった。
周りのスタッフたちの視線が集中したのも見えた。在原さんの顔が強ばったのもわかった。
在原さんが割って入るより早く、スズメを威嚇するカラスのようにサオリ先生が追撃する。
「うちの基準に満たないあなたが、スピカさんではプロになれるの? あらー、よかったわね。オーディションの基準って、会社のレベルによって大きく異な……」
サオリ先生の二の腕を、チカさんがガシッとつかんだ。「痛い!」と大袈裟に目を剥くサオリ先生を強制的に回れ右をさせたかと思うと、その耳元で言い捨てた。「ピーチクパーチクうるせぇんだよ!」と。
サオリ先生がギョッとした目でチカさんを振り向いたときには、チカさんは完璧な営業スマイルを浮かべていた。でもその唇から発せられた言葉は、やはり我らがマネージャーだった。
「ひな鳥は、さっさと巣に帰れ」
小声だったから、直径一メートルの範囲内にしか聞こえていない。よって美咲は聞いてしまった。在原さんもと福田さんも。
我慢できず、美咲はブーッと噴きだしてしまった。福田さんも「ひな鳥かー。うまいこと言うわね−。ごはんちょうだい! ってピーピー鳴くのよねー」とコロコロ笑ったものだから、在原さんまで苦笑いして肩を竦め、チカさんだけが「なによ」と鼻の頭にシワを寄せているのが可笑しい。
「……
「
フイッと顔を背けたサオリ先生が、「相変わらずチカさんって、口が悪いですよね」と吐き捨て、フローラルのブースへ戻ろうとする。その背に在原さんが「あなたの態度がそうさせるってこと、まだわからない?」と、意味深なひと言をねじこんだ。
サオリ先生が足を止め、怒りの形相で振り向いた。それにも負けない険しさで、在原さんが声を発する。
「このカリブルヌスでウエディングの仕事する以上、約束してほしいことがあるの」
は? とサオリ先生が顔を歪めた。在原さんが一歩前へ出た……のは、周囲に争いを聞かれないための防御ではない。周りをイヤなムードに巻きこまないための配慮だ。
「仮にも社長を名乗るなら、ゲストやチカのせいにするようなマイナス発言は、金輪際
「は? それ、どういう意味ですか?」
「ゲストの態度は、司会の態度ひとつで変わる。チカがあなたを
「私もうスピカのメンバーじゃありませんので、命令口調はご遠慮くださーい」
失礼しまーすと、サオリ先生がフローラルのブースへ戻っていった。
不穏な会話の事情を訊きたかったけれど、いまはひたすら、この緊張感が恐ろしい。
和やかで華やかなはずのブライダルフェアが、戦々恐々のまま開幕した。
ゲストが次々に司会ブースを訪れる中、なにをどう手伝えばいいのかわからず突っ立っていると、「あなたはまだオーダーを受けられないから、まずは館内を見て回りなさい」と、チカさんから指令を受けた。
美咲は華厳の間を離れ、賑わいの中を縫うようにして二階の大宴会場へ到着した。真っ暗だ……と思ったら、突如プロジェクション・マッピングが始まって、歓声が上がった。模擬披露宴がスタートしたのだ。
並んだ円卓の数は十五卓。これからここで披露宴を挙げるであろうカップルたちが、光と音の演出に感嘆しながら司会のアナウンスに耳を傾けている。
余裕の笑顔で司会進行を務めているのは、スピカの看板司会者・
ここでマイクを握るのは、「私、失敗しませんから」をキャッチフレーズにしている、スピカの看板司会者のひとり、
「みんな、すごいな……」
先輩司会者たちの仕事ぶりに、憧れよりも不安が先立つ。
こんなにも上手な人たちを見ると、さすがに心配になってくる。果たして自分は、あんなふうにできるのだろうか、と。
好きだから、やってみたいから。それだけでできる仕事じゃないような気がする。
サオリ先生から見れば、美咲はプロの域に達していない。美咲がいまここにいられるのは、スピカのおかげだ。とても優しくて面倒見のいい人たちが集う会社だから拾ってもらえただけで、本当は…………。
「……──────だめ」
ぶるんっと美咲は頭を振り、雑念を振り払った。マイナス方向に引きずられたら、最初から少なめにしか設定されていない自信が、もっと下方修正されてしまう。
「こういうときは、やっぱりチカさんや在原さんたちのエネルギーに触れて、元気を取り戻さなきゃ!」
よし、と頷いて、美咲は華厳の間の司会ブースへ引き返した。
ありがたいことに大盛況。三台ある長テーブルは、すべてカップルで埋まっている。
なにか手伝えることはないか……と美咲も自主的に仕事を探し、オーダーシートを整えたり、来場シートにスタンプラリーの判を押したり、司会者たちのスケジュールチェックを手伝いながら終了時刻まで働いた。おかげでフローラルのブースを気にせずに済んで助かった。
模擬披露宴と模擬挙式を仕切っていた看板司会者たちは、すでに次の現場へ向かったようで姿はない。いまテーブルについて接客しているメンバーも、「早番・遅番」の交代で入った司会者たちだ。福田さんの姿もない。できればいろいろ仕事の話を聞きたかったけれど、それはまた次回へ持ち越しだ。
一日フルでブースに入っていたのは、スピカの社員であるチカさんと在原さんの二人。そしてまだデビュー前で、オーダーとは無関係の美咲だけ。
そして閉幕の午後六時。お疲れ様でしたーと、ホテルスタッフが各部屋に終了を告げて回っている。
「お疲れ様、美咲ちゃん。どうだった?」
笑顔の戻った在原さんは、怖くない。しっかり見あげて、「はい」と美咲は微笑んだ。
「模擬披露宴も模擬挙式も、他にも司会の皆さんの接客を間近で拝見できて、とても勉強になりました!」
ありがとうございました頭を下げると、「半年後のブライダルフェアでは、接客の場に座れるといいわね。司会者として」と嬉しい予告で元気づけられ、大きく頷いた。本当に、そうありたい。そのための努力なら楽しいに違いないから。
オーダーシートの最終チェックをしているチカさんの背に、在原さんが声をかける。
「チカ。このあとオフィスへ戻って、書類の整理がてら一杯やらない?」
お酒好きなチカさんなら、一も二もなく乗るのだろうと思ったら。
チカさんは、固まっていた。どした? と在原さんがチカさんの顔を覗きこみ、オーダーシートをつかんだままの手元へ視線を落とし、「え」と短い驚きを漏らした。
「……このオーダー受けたの、誰?」
チカさんの問いかけが、戸惑いに揺れる。「なによ、これ……」と呟いた在原さんが、犯人でも捜すかのように周囲を見回す。
なにが起きたのかわからないまま、美咲は横からそのオーダーシートを覗きこみ、そして。
口を開けたまま絶句した。
心臓が爆発したかと思うほど────驚きすぎて、茫然とする。
受注の集計を早々に終わらせたサオリ先生が、チュールの裾を無駄にヒラヒラさせながら、薄笑いを浮かべてスピカのブースへやってきた。その顔には、「してやったり」と書いてある。
「彼女の名前、書いてあげたわよ」
「サオリ、これ、あんたがやったの……?」
オーダーシートを突きつけて睨みつけるチカさんに、「あら」とサオリ先生が声を弾ませた。
「七月七日。七夕でしょ? うちは全員、他の仕事が入ってるの。でもスピカさんの松井さんなら、ヒマでしょ?」
「……松乃です」
「うちのテーブルについたお客様に、あちらに立っている司会者なら空いてますよーって松田さんを勧めたら、じゃあそれでってことだったから、オーダーシートに名前書いてあげたのよ」
「松乃美咲って、サオリ社長がここに……このオーダーシートに書いたくせに、どうしていま、違う名前で私を呼ぶんですか……? どうして、そんな意地悪を……っ」
「なんてことしてくれたのよ!」
チカさんが声を荒らげた。チカさんは本気で怒っていた。
そして、悲しんでいた。
御両家にとって、とても大切な披露宴だからこそ、チカさんはすごく悲しんでいた。
────どんな披露宴をお望みですか? カジュアル?
職場の関係者より、ご友人が多い? それでしたら楽しい雰囲気でいきましょう。司会はこの人がいいですよ。おふたりのイメージする披露宴に、もっとも近い司会者です────…。
今日は終日スピカのブースで、そんな会話が飛び交っていた。聞いているだけでワクワクして、イメージが膨らんで、いろんな個性をもった司会者が揃っているからこそできるプロデュースなのだと感動しきりの、楽しいブライダルフェアだった。
御両家にとって最高の披露宴を創りあげるという、ひとつの大きな目標に向かって力を合わせるのがウェディング業界に関わる人間の……私たちの仕事のはずだ。それなのに。
「サオリ。あんた、自分がなにをしたか、わかってる?」
「あら〜、せっかくスピカさんにお仕事を回してあげたのに。そんなふうに言われたら心外だわぁ」
「…………っ」
チカさんが歯を食いしばる。握った拳が震えている。元は仲間だったからこそ、言葉が通じないもどかしさと腹立たしさが尋常ではないと、痛いほどわかる。
「美咲ちゃんはね、あたしと泉が、これから大事に大切に育てる子なんだから! こんなとこで、あんたの身勝手で潰されて、ホテルを出禁にされるわけにはいかな……」
チカ! と在原さんが止めたのは、周りのスタッフたちがこちらを注目していたから。
周囲の視線を盾に取り、サオリ先生が……五十風サオリ四十一歳が、勝利を確信して笑う。
「良かれと思ってしてあげたことにケチをつけるなんて、ひどいわぁ。それとも御社の松下さんは司会じゃなくて、本当は雑用で雇われた人だったのかしら〜?」
ホホホホホホホホホ、とサオリが笑った。口元に手の甲を添えて。
マンガにしか出てこないような「ホ」の羅列のお嬢様笑いをナマで聞いたのは初めてだ。
「やだぁ、てっきりプロだと思ってたわぁ。勘違いしてごめんなさいね、松尾美奈子さん」
「私の名前は松乃美咲です────ッ!」
自己紹介で目を吊りあげて怒鳴ったのは、三十年の人生で初めてだ。
→→→第8話へ続く!