第22話 一九四五年四月三十日(ベルリン)
文字数 3,567文字
待つ以外、史生にはする事が無かった。飲んで食い、党幹部や将軍達の与太話を聞き流し、眠気が限界を越えたら椅子に座ったままうつらうつらする。
ただ、戦況に関する話だけはタブーだった。敗戦が目の前に迫っている事も、自分達が捕らえられたら無事では済まない事も、誰もがわかり切っている。そしてだからこそ、酒でも飲んで馬鹿話に興じるしかなかった。
突然、何の予告も無しにヒトラーが地下一階の大食堂に姿を現した。副官のギュンシェSS大佐を従え、杖をつきながら入って来た総統は、口の中で何事か呟きながら、その場に居た全ての者に握手を求めた。
ヒトラーは史生にも手を差し伸べると、ごく軽く握り、すぐに離した。ヒトラーはその時も何事か呟いたが、何を言ったのか史生には聞き取れなかった。
ヒトラーが立ち去ると、残された人々はまた食卓の酒に飛びついた。酒を飲み、食い、そしてワルツのレコードがかけられダンスまで始まった。総統防空壕の大食堂は突如パーティー会場となり、史生も調理室のあの太った中年婦人に踊りの輪の中に強引に引っ張り出された。
「どうしたんです、何があったんです?」
踊るというより殆ど振り回されながら、史生は息を切らして尋ねた。
「終わったのよ、何もかも」
婦人は目に涙を浮かべていた。
「総統は、私達にお別れを言いにいらっしゃったのよ」
総統官邸の西に広がるティーアガルテンの森の中に、小さな城に似た巨大な高射砲塔が聳えていた。
二メートルもの分厚いコンクリートで固められた高射砲塔は、同時に巨大な防空壕としての役割も果たしていた。そこには数千を越す民間人や落伍兵が逃げ込んでいて、塔の内部は汗と汚物の臭いが充満していた。
塔の中はロシア兵から逃れて来た避難民で一杯で、階段まで隙間無く占拠されていた。その階段の隅に隠れるようにして、シュペートはライフルを抱えてうずくまっていた。
第九降下猟兵師団のマックス・シュペート伍長は、部隊の中では古参兵として扱われていた。しかし実は、彼は戦うのが怖くてならなかった。
降下猟兵部隊と言えばグリーン・デビルの名で敵に恐れられ、武装親衛隊や陸軍の戦車隊と並ぶ精鋭部隊と思われている。クレタやアフリカで活躍したラムッケ旅団、モンテ・カッシーノの激戦を戦い抜いた第一降下猟兵師団などは、確かに精鋭部隊と呼ぶに値するだろう。
だがシュペートの第九降下猟兵師団は違う。後方の空港の整備員、それに少年と老人を掻き集めて作られた、にわか仕立ての二線級の師団でしかなかった。
ヒトラーが政権を取った年に成人したシュペートは、第二次世界大戦が始まるとすぐに国防軍に招集された。彼は空軍に配属されたものの、残念ながらパイロットには選ばれなかった。だからドイツ空軍がヨーロッパ各地で華々しい戦果を挙げている時も、シュペートは整備兵として後方の空港でスパナを握り、油まみれになって働いていた。
多くの戦友が誇らしげに大空に飛び立って行き、その彼らが羨ましくてならなかった時期もあった。しかし戦況が厳しくなるにつれ、シュペートの気持ちは変わっていった。
空港の整備兵だからわかる、飛び立ったまま還って来ないパイロットの何と多いことか。
たまの休暇で故郷に帰っても、幼い頃に共に遊んだ誰それが戦死したという知らせが、いやになるほど待ち受けていた。とりわけ陸軍に配属されロシア戦線に送られた者達は、パイロット以上に大勢死んでいた。
家も近く最も仲の良かったリヒャルトは、一九四一年の暮れにロストフ付近の塹壕で凍え死んだ。その翌年には、アルベールもスターリングラートで消息を絶った。小学校の時にクラスで一番頭が良かったシューマッハは、憧れのメッサーシュミットのパイロットになれたと喜んでいたが、ロシア軍の高射砲に食われて乗機ごと木っ端微塵にされた。
クライスト、グルーバー、フィーグラー、メルツァー……。シュペートの周りだけでも、数え切れないほど大勢の友や知り合いがこの戦争で死んでいった。
しかしシュペートは五体満足で傷一つ無いまま生きていた。ロシアの吹雪に凍える事も、アフリカの太陽に焼かれる事も無く、安全な後方の基地でたらふく食い、清潔なベッドで暖かい毛布にくるまって寝ていられた。
それもすべて、彼が空軍の一整備兵でしかなかったおかげだ。もしもシュペートが飛行機乗りや陸軍の歩兵だったら、こうはいかない。
英雄なんかにゃなりたかないね。勲章なんぞと引き換えに、命を取られちゃ引き合わねえよ……。
ところがシュペートが我が身の幸運を実感できるようになった頃、運命が彼を戦火の真っ只中に放り込んだ。
連合軍の激しい空襲を受けてドイツ空軍機は激減し、シュペートらは整備すべき飛行機を失った。一方、恐ろしいほどの損害を出しながら後退を続ける陸軍は、補充の兵を渇望していた。
そこで軍の総司令部は空軍の整備兵を掻き集め、陸戦部隊を編成して前線に投入しようと考えた。おかげてシュペートは、いきなりライフルと重い装備を持たされ、前線に放り出される羽目になった。
だが実戦経験もまるで無ければ、兵士としての訓練すらろくに受けていない彼らを戦場に放り出したら、どうなるか。
しかもシュペートらが対峙したのは、勝ち誇り復讐に燃える歴戦のロシア軍だった。
一九四四年の六月に始まったロシア軍の大反撃、パグラチオン作戦はドイツ中央軍集団を壊滅させ、ドイツ軍の戦線に大きな穴を開けた。シュペートの部隊はその穴を埋める為に投入されたのだが、文字通り一撃で粉砕されてしまった。
シュペートらはロシア軍の砲撃だけで竦み上がった。雨のように降り注ぐ無数の砲弾は地を揺るがし塹壕を掘り返し、一瞬前まで隣にいた筈の戦友を粉々の肉片に変えた。それは演習や軍の教育映画とはまるで違い、睾丸が縮み上がり腹の中にまでめり込んでしまうほど恐ろしかった。
塹壕の底に伏せ土に顔を押し付けたまま、シュペートらは何も出来なかった。すると歩兵を鈴なりに乗せたロシア軍の戦車の大群が陣地に迫って来て、シュペート達はろくに抵抗もせずに武器を捨てて両手を上げた。
その時、シュペートは震えつつ安堵していた。
俺の戦争はこれで終わったのだ、と。
ロシア兵は情け知らずで残酷だという噂は、シュペートも耳にはしていた。だからロシア兵に殴られ蹴られするくらいは、彼も覚悟していた。
だがロシア兵も同じ人間なのだし、理性だってある筈だ。噂に聞かされているほど酷い事はされまい。シュペートはそう思っていた。
しかしシュペートらを捕らえたロシア兵は、ただ残酷という言葉では表現できないほど荒れ狂った。投降した無抵抗のドイツ兵を、ロシア兵は文字通りに殺しまくった。
シュペートの目の前でベルガーは額の真ん中を銃で撃ち抜かれ、ツィンマーマンは銃剣でめった刺しにされ、ムーラーは頭が石榴のように割れるまでスコップで殴り続けられた。ロシア語がわかる兵が必死に何か話しかけたが、その兵士はたちまち銃床で殴り倒された。
気が済むまで殺すと、ロシア兵は捕虜の中から将校を選び出し、その両手を針金で縛った。容赦なくきつく縛り上げられた彼らの両手は、充血してたちまち紫色に膨れ上がった。ロシア兵は将校らを小突きながら追い立てて行き、戦車の前に一列に並べて横たわらせた。
T34のエンジンが始動し、太く重いキャタピラがゆっくりと動き出す。
何が起こるかがわかった途端、シュペートは目を固く閉じ耳を塞いだ。しかし戦車に押し潰されて行く将校達の絶叫は、彼の手の平を貫いて聞こえた。
しかしシュペートは殺されなかった。その日のうちにティーガー重戦車大隊を中核としたドイツ軍の反撃が始まり、シュペートらを捕らえていたロシア軍は追い散らされ、まだ殺されていなかった少数の生き残りの捕虜達は助け出された。
「良かったな、お前は本当についてたよ」
ドイツ軍の基地に帰った後で、シュペートは皆にそう言われた。
しかし果たして、自分は本当に幸運だったのかどうか。
虐殺される戦友達の姿と絶叫が、目と耳にこびりついて離れない。シュペートは神経を病んで眠れなくなり、アルコールの力を借りてようやく寝てもあの場面を夢に見た。
戦況はますます厳しくなり、シュペートは二度と元の整備兵に戻れなかった。彼は以後も空軍の陸戦部隊の一員として何度も前線に駆り出された。そしてその度に、ロシア兵の残虐行為を目の当たりした。
死にたくないし、死ぬのはとても怖い。だが、ロシア軍の捕虜になるのだけは死んでも嫌だ!
その思いは、シュペートの胸の中でますます強くなっていった。