04_思い出

文字数 1,327文字

ひとりの老人がタイムマシンのレンタル業者のもとにやってきた。
「ビデオを見たくなりましてね。以前、家を引っ越した時に要らないと思って捨ててしまったのです。過去に戻ってそれを取りに行きたいなと。」
窓口の者は尋ねる。
「どのようなビデオですか。」
老人は照れながら答える。
「アイドルのビデオですよ。昔好きだったアイドルがいましてね。若いころにテレビに出るたびに毎回録画していたんですよ。田舎で働いていた私は都会のコンサートにはいけませんでしたから、ブラウン管の中のあの子を見るのに夢中で。もうずいぶんと歳ですし、そろそろ昔の思い出にじっと浸りたくなりまして。」
窓口の者は少し考え、さらに老人に尋ねた。
「失礼ですがお客様、スマートフォンはお持ちですか。」
「ありますよ。もっぱら、電話で話す以外に使ってませんが。最近の電話は難しくてね。」
そう言って老人がスマートフォンを取り出した。
「一度お借りしますね。」
窓口の者はスマートフォンを受け取ると社内のWi-Fiに接続した。そして動画サイトにアクセスし、老人に説明を始めた。
「画面内に検索窓があると思います。アイドルの名前を入れてみてください。」
老人がアイドルの名前を検索すると、画面内にアイドルのサムネイルが無数にヒットした。その中には、老人が見たかった映像が山ほどあった。
「ほう!スマートフォンはこんなことができるのですか。今どきの技術は恐ろしいですね。まさか、無料ですか?」
窓口の者はにこやかに答える。
「もちろん、無料です。おうちでも好きな動画を楽しんでください。」
大満足の老人は席を立ち、深くお辞儀をした。帰ろうとする老人を窓口の者が呼び止める。
「お客さま。ご提案なのですが、一緒に未来へ行ってみませんか?」
「え、未来ですか?」
疑問に思う老人。窓口は続ける。
「お見せしたいものがございまして。」
スマートフォンの件ですっかり窓口のことを信用した老人は、タイムマシンレンタルの申し込み書類にサインを書いた。
「はやく家に帰って動画を見たいですが、あなたがそんなに言うのなら。」
時空移動用のハッチにふたりが乗り込むと、その扉が閉じた。

数秒気絶したような感覚の後、ふたりは我に返った。
そこはアリーナホールだった。3万人ほどのざわざわ声が四方から響き渡る。
「な、なんですかここは。」
「楽しみましょう。」
戸惑う老人をにんまりとした表情で窓口がいなす。直後、会場が真っ暗になった。
舞台壇上にスポットライトが当たる。
舞台袖から出てきたのは、あの頃の若いアイドルだった。
「え、なんで。どうして彼女が!」
慌てふためく老人を尻目に、窓口は歓声とともに手を振って楽しんでいる。
「ここはとある未来のコンサート会場です。もちろん、彼女は本人ではありません。本物そっくりのアンドロイドです。しかし当時の彼女と全く同じ声帯を作ってありますし、踊りも昔のデータベースを学習して自発的に動いています。」
「なんだか、私はじめての感覚です。」
「せっかくですから、気にせず楽しんでください。」

老人が元の時代に帰ったのはコンサート本編が終わってずいぶんと経ってからだった。
グッズ販売、アイドルとの握手会に並ぶなど、未来の新しい思い出作りに忙しかったからである。
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登場人物紹介

作品内にはしばしばタイムマシンが出てきます。

このタイムマシンはTIME DELIVERY社という企業のものです。

企業は "時間で世の中の機会を平等にする" を目標に掲げており、アイコンの秤(はかり)が企業ロゴとなっています。

運営するサービスはタイムマシンのレンタルのほかに、過去・未来の食べ物や物品を現代にデリバリーする「タイムデリバリー」、昔写真に収め忘れた思い出を代行で撮影しに行く「ストロボ」などがあります。

そんな同社自体は特に作品内では語られません。

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