四月の物語 桜守《さくらもり》

文字数 6,233文字

 今年もまた
桜の花咲く季節がやってきました。


 満開の桜は人々の心を魅了し、
時に安らぎを与え、励ましてもくれます。



 桜の花咲くこの時期は
私たち日本人にとっては何かの始まりの時。


 入学式、入社式。

 桜は人生の節目に
そっと寄り添ってくれる花でもあります。


 植物の中でも
桜は特に優しさと慈愛の心を持つ木です。


 数ある花々の中でも、
桜ほど私たち日本人にとって
≪心の花≫と言える花は
ほかにはないのではないでしょうか?



 桜咲くこの季節。


 実は桜にまつわる神々が
日本各地で深い眠りからお目覚めになる
非常に大切な時期でもあるのです。


 東京の桜は
もうすでに散ってしまいましたが、
東北の桜はまさに今が満開。


 そんな中、
南でのお役目を終え、
日本列島を北上している
一柱(ひとはしら)の神がいらっしゃいました。


 名を『桜守(さくらもり)』とおっしゃいます。


 桜はとても繊細で、
他の花と比べると
すぐに舞い落ちてしまう花。


 私たちは桜の可憐な姿に(いや)され、
幸せな気持ちになりますが、
美しい姿を見せてくれたかと思うと
すぐに別れを告げられてしまうので
哀しくなってしまう人々も多いと思います。


 そんな私たちの淋しくなる気持ちを
察していらっしゃるのか、


 この桜の神『桜守(さくらもり)』の使命は、
桜の花びらを強い雨風から守り、
なるべく長い間人々に見せること。


 人間として生きた時代から
ずっと優しき心の持ち主であった『桜守(さくらもり)』。


 神となった今でも、ずっと変わらず
清々(すがすが)しいそよ風を吹かせながら。。。

人々のために
桜を存分に鑑賞してもらうという
非常に重要な使命を背負っておられます。


 もうすぐ
秋田の角館(かくのだて)の上空にさしかかるところ。


 この地は『桜守(さくらもり)』にとっては
非常に思い入れのある場所なのです。


 毎年この時期。


 『桜守(さくらもり)』は、
この地でまた出会えるであろう
ある人との再会を
ずっと心待ちにしていました。





 一方、こちらは
秋田の角館の武家屋敷沿いの一角。


 観光客として
武家屋敷の美しいしだれ桜を
見に訪れていた一人の女性がおりました。


 その女性の名は春日さくら。


 『さくら』という名前は、
桜の花が大好きなお母様が
つけてくれた名前。


 ところが、さくらさんは
桜が大好きなお母様とは正反対で、
桜が好きではありませんでした。


 『さくら』という自分の名前も嫌で、
お母様と喧嘩(けんか)をしてしまうくらい。


 お母様の話では、
さくらさんが小さいころ、
桜の花を見せてあげようと
一緒に公園や桜並木の道を
歩いたりしましたが、

 桜を見るたびに
なぜか泣き出すさくらさんに
非常に困ったそうです。


 そんな桜嫌いのさくらさん。


 そのさくらさんが、
どうしてしだれ桜が美しく咲く
ここ、秋田の角館にやって来たのか。


 それには理由がありました。


 毎年必ず桜咲くこの時期に見る夢。



 それは。


 目の前に続く真っすぐな道。


 道の両側は昔風の家並みが続き、
各屋敷の庭にある桜の木の枝々が
屋敷を囲む木の(へい)を越えて
道の方へしだれている。


 枝々には
濃く鮮やかな紅紫(べにむらさき)乙女色(おとめいろ)
織りあげた絹のような桜の花々が咲き乱れ、

道の両側は
まるでその美しい桜の花衣(はなごろも)
(おお)われたよう。



 少し前に進むと
立派な門構えの屋敷があり、
その屋敷の前には若い武士の姿が。


 しかし、さくらさんが近づこうとすると
その武士は背を向けて、
そのまま去って行ってしまう。


 夢はその繰り返し。


 いつも
その武士が去ってしまうところで終わる。

 
 どうしてそんな夢を見るのか。

 その武士は一体誰なのか。


 その訳がまったくわからず。


 ポッカリと穴が空いてしまった
心に残るのは淋しさや悲しさだけ。


 だから桜の花は見たくなかったのです。



 ところがちょうど二週間ほど前。


 家のリビングルームのテーブルに
満開の桜巡りの観光パンフレットが
置いてあり、ふとそれに目を向けた時。


 パンフレットに載っていた
桜の名所の風景写真が、
あの夢に出てくる風景に
そっくりなのを見て
パンフレットを手に取った瞬間。



 真っ暗な部屋のカーテンを開けた時、
突然差し込む太陽の光のような閃光(せんこう)が、
今まで目の前にかかっていた(もや)
パッと晴らしてくれたように感じました。


 一瞬ですが、
今までおぼろげにしか見えなかった
武士の姿がはっきり見えたのです。



 ですが。


 さくらさんにはそれが誰なのか、
自分とどのような関係なのか、
そこまではわかりませんでした。


(とにかく、そこに行けば
きっと何かがわかるのかもしれない。

夢を見る理由も。
私が桜の花が好きではない理由も。)


 桜の花が美しいのは
さくらさんにも十分わかっていました。


 でもずっとずっと今まで桜を避けてきた。


 桜にも、
桜が好きではないというその理由にも
きちんと向き合ってこなかった。


 (今、ここでこの場所に行かなければ
一生後悔する。)


 さくらさんは決めました。


 このまま桜が嫌いなまま
生きていきたくない。


 こうしてさくらさんは
お母様とお母様の友人と一緒に
その場所へ桜を見に行くことにしたのです。


 そう、きっと何かがわかる。


 さくらさんにとって、
これから歩む人生に何か大きなきっかけを
与えてくれるであろう、かの地。



 秋田の角館。 武家屋敷通りへ。



 この日、
さくらさんはお母様達とは別行動。


 一人で武家屋敷通りを訪れていました。


 パンフレットに載っていた風景、
夢で何度も見たあの武家屋敷を
ゆっくりと探しながら歩いていたのです。


 有名な桜の名所だけあって、
多くの人々が訪れているため、
なかなか思うように見つかりません。


(この辺りかな?)


 そう思って
目の前の景色をじっと見つめると、


 あっ、ありました。


 すぐ近くに門構えの立派なお屋敷が。


 そしてそのお屋敷のしだれ桜が
目に留まったのです。


(あっ。ここ。そうよ。ここだわ。)




 こちらは
日本列島を北上している桜の神、『桜守(さくらもり)』。


 桜の咲き具合を見ながら、
ゆっくり、ゆっくりと北へ向かっていきます。
 

 さあ、いよいよ秋田の角館の上空です。


 上空から、
しだれ桜が咲き乱れた
武家屋敷が建ち並ぶ一帯を見下ろした時、


 ひとりの女性が目に留まったのです。



(やっと、 やっと会えた。。。)


 その途端、『桜守(さくらもり)』は
その女性が訪れている武家屋敷に向かって
急降下したのでした。





 ついに夢で何度も見る場所に
やってきたさくらさん。


 そのお屋敷のしだれ桜の方へ
近づこうとしたその時。


 急に強い風が吹き、
かぶっていた帽子が
飛ばされてしまいました。


 急いで拾おうと帽子に触れたその瞬間。


 一瞬、何か時間が止まったような
不思議な感覚を覚え、
さくらさんは周囲を見回してみたのです。



 するとどうでしょう。 


 今までたくさんの観光客で
(にぎ)わっていた通りは、
人々の姿はおろか、
行きかう車も店も
すべて消えてしまっていたのです。


 確かにここは武家屋敷通りのはず。


 でも、何かが違うのです。


 辺りに(ただよ)う香りに
なぜだかわかりませんが、
さくらさんは
急になつかしさを感じました。 






 ふと気がつくと、
目の前には一人の若き武士の姿が。


 この間、一瞬はっきりと見えた武士。
 

 夢で何度も見たその武士が今、
確かにさくらさんの目の前に
立っていたのです。


 年のころは二十五歳。 


 涼しげな瞳の凛々(りり)しいその武士は、
まるで愛しき人を見つめるかのように

 優しく微笑みながら、
さくらさんにこう語り始めたのです。


 「空から見下ろし、
あなたを見た瞬間、
私の心は喜びと感動で
満ちあふれました。

 長きに渡り、
どんなにこの日が来ることを
待ち望んだことでしょう。 



 もうかなり昔、
私が神になる前のこと。


 私には人間として生まれ、
生きた時代がございます。 


 その人生の中で、
心を寄せるひとりの女性が
いらっしゃいました。


 その方とは、今、
私たちが立っている
まさにこの場所で出会ったのです。


 あなたの魂を見てみても、
その方に瓜二(うりふた)つなのでございます。


 残念ながらその時には
すでにお相手がいらっしゃったそうで、

 私は身を引かざるを得ませんでしたが。」


 その武士がそう言った時、
なぜかさくらさんの瞳には
キラリ光るものがありました。


 そしてその瞳から
一筋の涙が(ほお)を伝って流れていったのです。



「どうか泣かないでください。 


 あなたには涙より笑顔が似合います。


 蘭学を学んでいた私は
医術にめざめ、蘭方医(らんぽうい)になるため、
日々、精進(しょうじん)しておりました。


 ところが思った以上に道は険しく、
その道をあきらめかけていたのです。

 

 そんな時。








 

はこう言って
私を励ましてくださいましたね。


「「けっしてあきらめないでください。 


 あきらめなければ道は必ず開けます。


 ご自身を信じて、
世の人々の命を救いたいという
あなたのその純粋なお気持ちを
大切に抱き続けてください。 


 わたくしも
あなたが蘭方医(らんぽうい)になられることを
心から祈っております。」」


「私は、あなたのそのお言葉と
優しい笑顔に救われ、
晴れて蘭方医になることができました。


 喜び勇んでそのご報告をいたしたく、
あなたのもとを訪れましたが。


 あなたはすでにお相手の方と
尾張の方へ旅立たれたあとでした。 


 夢を叶えることはできましたが、

一番大切な何かを失ってしまったまま
私は生涯を終えたのです。 


 神となった今、
ひとりの人間として
あなたを幸せにすることは叶いません。


 ならばせめて、
いつか再び出会えることを信じ、
あなたを幸せにするための力を創り上げ、
それを受け取ってもらうこと。 


 それだけを心の支えにして参りました。 


 やっとあなたに出会え、
私の想いを果たすことができます。 


 あなたがいつも笑顔でいられるよう
願いを込め、数百年かけて
あなたの幸せのために創り上げた
この【美しき力】。


 どうか、どうか受け取ってください。」



 (うそ)(いつわ)りも一切ない誠実な武士の言葉。 


 そこには、

 ただひたすら
愛しき人の幸せを
ずっと願い続けてきた武士の
並々ならぬ想いと、

今度こそ幸せにしたいという
強い決意が感じられたのです。


 武士のその言葉に、
さくらさんの瞳から流れた一筋の涙は、
止めどなくあふれる涙に
変わっていきました。



 ずっと見続けてきた夢。


 桜を見るたびに悲しくなり、
それは心が苦しくなるほど。


 その理由がやっとわかりました。


 さくらさんは、すべてを思い出したのです。



清之介(せいのすけ)さま。。。」


「ずっと、
ずっとあなたの夢ばかり見ていました。


 あなたのことが思い出せず、
それが誰なのかわからず。


 桜の花を見るたびに
苦しい想いをしていました。」





 数百年の時を超えて、
やっと再会できた二人。


 互いを思い続ける純粋な心が招いた奇跡。



「私を思い出して下さったのですね。」


 その武士は、
自分を思い出して泣いている
さくらさんを見て
あふれる涙をこらえるので
精一杯のようでした。


「私のためにありがとうございます。


心のこもったあなたのその想いとともに

喜んで受け取ります。」


 さくらさんは
真っすぐにその武士の目を見つめ、
はっきりと答えました。



「本当に、本当にこの私の想い、
受け取ってくださるのですね。

あっ、ありがとうございます。

うれしい。

本当にうれしい。」



 ずっと探し求めていた愛しき想い人。


 その人にやっと出会えた喜び。


 ただひたすら
想い人の幸せのために。


 そのためだけに創り上げた力。


 それを受け取ってもらいたい。


 その気持ちだけが
今まで唯一の支えだった。


 もはや泣くことすらも忘れ、
長い間、その想いを心に秘めてきた武士。


 その武士が、
さくらさんの「受け取る」という言葉に、

忘れてしまっていた
≪幸せの涙≫を流すということを、

今この瞬間にやっと思い出したようでした。


 ≪幸せの涙≫はその武士の目からあふれ、
目の前のさくらさんの顔が見えなくなるほど。


 もはや
その涙を止めることは
できませんでした。



 そんな武士を
ずっと見つめていたさくらさん。


 するとさくらさんは、
一歩、二歩と武士の近くに歩み寄り、
両手で優しく武士の涙をぬぐったのです。


「今度は、私があなたの涙をぬぐいます。

 しだれ桜が咲くこの場所で
私が(ひと)(なみだ)している時。

 あなたはその温かい手で
私の涙をぬぐってくださいました。


 尾張に旅立つ前に
もう一度お会いしたかった。」



 その武士は、涙をぬぐってくれた
さくらさんの両手をギュッと握り締め、


「ありがとうございます。

 本当にうれしい。

 これでもう
思い残すことは何もありません。


 ずっとお(した)いしておりました。」



 そう告げたのです。


 長い間、
告げたくても告げられなかったひと言。


 互いを愛おしく思えども、
けっして結ばれることが叶わなかった。


 時代に翻弄(ほんろう)され、
時代が許さなかった二人の切なる願い。


 美しき深紅(ふかきくれない)の二本の(えにし)の糸は、

はるか遠き時代から、
一度も途切れることなく(つむ)がれ続け、

今、この瞬間に、

今度こそひとつになろうと、

その糸先を互いの左手の小指同士に
強く、強く結ぼうとしていました。


 
 その武士はもう何も後悔はない、
そう決意したようでした。


 それから、さくらさんをじっと見つめ、


「この力は
あなたを幸せにするだけではありません。

 あなたが
幸せになってほしいと思う方々をも
幸せに導くことができるのです。


 そしてその幸せが
またあなたの元に帰ってくる、
すばらしき【幸せの力】です。


 どうか、今度こそ
この力で幸せになってください。」


 そう言ったのです。


 そして、
風で飛ばされたさくらさんの帽子を
そっと差し出しました。


 桜の花びらで
今にもあふれそうなその帽子。


 さくらさんが受け取った瞬間、

花びらがまるで
くるくると渦を巻くように

さくらさんの足元から
全身を包み込んだかと思うと

ふわりと舞い上がっていきました。 



 今まで(かたわ)らで見守っていた
桜にまつわる神々や
桜の木の精霊、
花々の神々など、

春を象徴とする
偉大なる素晴らしき存在すべてが

その武士の想いを
優しいそよ風に乗せてくださり、

舞い上がる花びらとともに
【美しき想いの花吹雪】を
お創りになりました。


 そして、
その【美しき想いの花吹雪】は、
やがて金色の美しい粒子となって
さくらさんの元に舞い降りてきたのです。


 その武士は、
あまりの美しさに
見とれているさくらさんを
しばらくじっと見つめていました。


 優しい微笑みで、うなずきながら。


 そして、すっと静かに消えて行ったのです。



琴音(ことね)さま、どうかお幸せに。」


 この言葉を残して。








 気がつくと、

武家屋敷通りは、

いつの間にか
大勢の観光客で(にぎ)わう通りに
戻っていました。


 さくらさんは、
辺りを見回し、武士を探しましたが、
すでにその姿はありませんでした。



 しばらく手渡された帽子を
じっと見つめていたさくらさん。


 そして、
その帽子をかぶろうと髪をかきあげた時。


 その手に、何かが触れたのです。



 驚いたことに、

さくらさんの髪には、

≪しだれ桜≫をあしらった
花かんざしが()してありました。



 そのかんざしは、

おそらくその武士が
渡すに渡せなかった手作りのかんざし。



 【幸せの力】と同じくらい
さくらさんに渡したかったものでした。



 きっと、不器用ながらも
ひたすら愛する人の幸せを願い、

花びら一枚一枚に
心を込めて作ったものなのでしょう。





 やっと想いをとげることができた武士。


 いいえ、『桜守(さくらもり)』。



 『桜守(さくらもり)』の愛の(あかし)である
美しいしだれ桜の花かんざし。



 そのかんざしは、

さくらさんの髪の中で、

春のそよ風に
ゆらゆらとやさしくゆれていました。





                                       終

   

                              
                             

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