第16話

文字数 2,599文字

 夜は地元の大きな居酒屋へ食事に出た。ホテルに車を置いてきたので、少しくらい酒を飲んでもいい。
 翔太はメニューを見て声を上げた。
「『Pro'sキッチン』使われてますね!」
 周囲を見回すと、「Pro'sキッチン」のラインナップをあちこちの卓に見つけられた。
「注文も結構入ってるみたいですね」
「そのようだね」
 隣の卓では、「豚肉とレンズ豆の煮込み」を注文した客が、「おいしい!」と声を上げるのが聞こえた。
 翔太は、現場でお客さんが自社商品を喜んでくれているのを初めて見たのだった。これはちょっとした感動だ。
「……何か、いい仕事ですね、俺らって」
「そう思えたら、それはいいことだ」
 上司ぶって行人は答えた。
 頼んだ飲みものと料理が来て、空腹が少し和らいだ頃。
 珍しく行人が仕事について語り出した。
「こういう地方都市ではさ、定年を過ぎた元サラリーマンは自宅近くの、住宅街の呑み屋とかに移っちゃって。街中までわざわざ来るのは、そのヘンの勤め人と乗り換えの若者なのさ。どっちも昔ほど人数はいないけどね」
 それは商売を維持するのが大変だ。だから看板を下ろす店が後を絶たないのだ。
「勤め人や若者を集めるなら、洋食メニューに力を入れたいけど、長年勤めてくれてる板さんには作れない。新しいコックを雇い入れる体力もない。そこで『Pro'sキッチン』を導入してくれたんだよ」
「そんな経緯があったんですね」
 行人はほっけの開きを「食べなよ」と言って翔太の方へ押しやった。
「は、いただきます」
 ついつい話に釣り込まれて、食べるのがおろそかになっていた。翔太が食べないと、行人が心配する。翔太は箸を動かした。翔太のその動きに行人はふっと優しく笑って、続けた。
「ウチは直接の付き合いはなかったけど、『モリノー』さんが紹介してくれて」
「西川さん!」
 行人は声のした方を振り返った。厨房から作務衣の男がやってきた。行人は立ち上がった。
「お忙しそうですね、花井さん。ごぶさたしてます」
 行人が頭を下げると、花井というその男が恐縮してもっと深く頭を下げた。
「西川さん、おかげさまで。その節はお世話になりました」
 行人に続いて、翔太もそっと席を立った。行人は花井に言った。
「お忙しそうなので、失礼ながら、ご挨拶しないで帰ろうと思ってました。これ、ウチの若手です」
 行人は翔太の背中を押した。翔太は慌てて名刺入れを取り出した。
 花井は感心した。
「さすが西川さんと部下さんだ。連休に勉強して歩いてるんですね」
 翔太はいやあと頭をかいた。単に遊びに来ているだけなのだ。花井はふたりを席に座らせて、感謝の言葉を続けた。
「西川さんのおかげで、寂れたこの街でも、こんなに若いお客さんにお入りいただいて。ここらの居酒屋で、若いひとがこんなに入ってるのウチだけなんですよ。観光のお客さんも来てくださって……」
 花井は本当に嬉しそうだった。自分の扱っている商品が、こんなに誰かに感謝されることがあるなんて。翔太はもう一度感動した。
「『Pro'sキッチン』の成功で、社長もOK出してくれて。西川さんには、二課さんにつないでいただいて」
「二課……」
 翔太は目をパチクリさせた。「OEM生産だよ」と行人は耳打ちした。大規模なレストランチェーンなら、自社でセントラルキッチンを持ち、そこで各店で供するメニューを製造し、コストダウンを図る。小規模店は自前でセントラルキッチンを持てないため、アサヅカフーズのような食品製造会社に外注するしかない。これが食品業界のOEM製産だ。人件費が利益を圧迫する現代では、厨房業務の効率化は黒字経営に欠かせない。ここを粘り強く経営者に提案していくのが、アサヅカフーズでは営業二課の仕事だった。
 厨房から、花井を呼ぶ声がした。行人は、自分たちは適当にやっていくので仕事に戻ってくれるよう花井に言った。最後に行人は特上の笑顔でこう締めた。
「よいメニューができたら、『Pro'sキッチン』にもフィードバックさせてくださいね」
 花井は「はい、ぜひ!」と笑顔で戻っていった。
(やっぱすごいな、このひと)
 翔太は尊敬の念を新たにした。

「ていうか、あのひと、花井さん? よくプライベートのユキさん見て分かりましたね!」
 翔太は風呂上がりの身体を包んだバスローブのままポンと弾んで、ベッドのスプリングを試しながら言った。
「そりゃ、ひとを見る商売のプロだもん」
 行人は当然だという顔をした。
「まあ、俺もあの店には何度も通ったしな」
「ふーん、遠いのに大変ですね」
「人ごとかよ」
 バスローブからはみ出した翔太の脚をつかんで、行人はギュッとマッサージした。
「隣の二係なんていつもいないだろ」
「道東担当ですもんね」
 行人は翔太の足の裏をギューッと押した。翔太は痛がりながらも気持ちよくってバタバタした。
「待って、ユキさん、ちょっと待って」
 予め何も決めずに来たふたりは、予約で埋まっている普通のホテルではなく、市街地のラブホテルにチェックインした。翔太は初めちょっと緊張したが、ベッドも風呂場も広くて悪くなかった。風呂上がりの身体に、ルーズにバスローブを引っかけて、広いベッドに転がるのも快適だ。
 行人はペットボトルの水をゴクッと飲んで、「いるか?」と翔太にそれを手渡した。翔太はコクコクと数口飲んで行人に返した。
「名刺、ユキさんに言われなかったら、持ってこなかったです」
 行人はペットボトルの腹で翔太の頬をポテポテと数回叩いた。
「ショウちゃんも営業なんだから、名刺くらいいつも持ち歩きなさい」
「はーい」
 翔太は素直にうなずいた。
 行人は腕を伸ばし、ボトルをサイドテーブルに置いた。
「さあ。もう、仕事の話は終わり!」
 行人は翔太の方に向き直った。
 広いベッドにバスローブ姿のまま向かい合うと、翔太の意識はポーッとなる。
 行人はそっと翔太の頬を両手でくるんだ。その感触に翔太はぷるっと震えた。キスされると思ってまぶたを閉じると、行人が言った。
「今日もショウちゃん、メチャクチャ可愛かったぁ」
 翔太は目を開けた。行人が笑っていた。翔太は自分の頬がボッと熱くなるのを感じた。
「ユ、ユキさん……」
 行人は今度こそ顔を近付けてきて、翔太の頬の数ミリ先でささやいた。
「でも今からが、今日で一番ショウちゃんが可愛い時間だよ」

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