錦糸小学校「百寿を祝う会」

文字数 1,534文字

 たっぷりと伏線をお届けしたところで、いよいよ物語の主役となる我が母校、墨田区立錦糸小学校に登場して頂きましょう。
 それでは錦糸小学校さん、どうぞっ!

「えー、只今ご紹介いただきました墨田区立錦糸小学校です。みなさんが見ての通り、もう老いぼれでして今年で百歳になりました。(拍手)ありがとうございます。
 生まれたころは太平(たいへい)尋常小学校と呼ばれており、やる気が漲っていた時に関東大震災で校舎が全焼。やっと鉄筋コンクリートの校舎になり、今の名前に変わってこれから、という時に今度は東京大空襲でまたもや全焼。どうも私はツイてないんかと思いまして、いつ焼けるか分からんのなら、いっそこのままいったれ、とずっと木造校舎にしておったんです。
 そしたら、こんどは待てど暮らせど火事さえ起こらん。(笑い)
 そろそろ勘弁してやるかと、校舎を建て替えたのが五十五歳の時でした。当時、屋上にプールを作る学校なんてなかったので、仲間内からも『さすが、都会モンはやることが違う』と、やっかみ半分でお褒めの言葉を頂きましたけれど、何の事はない、敷地が狭かったからああするしかなかったんですわ。
 年々児童数も減ってしまい少し寂しい思いもしてきました。しかし、十数年ほど前からは再び少しずつ増え始め、小人数のクラス編成ならではの良さを生かした学校を目指しております。
 ウチの前の通りも、何ですか急に名前を変えまして『タワービュー通り』などと洒落た呼び名になりました。外国の観光客の方が、こちらを見て何か話しながら通る姿も見かけます。そんな方たちにも、子供たちの笑顔が伝わるように、これからも老体にムチ打ち頑張っていきますので、みなさんのご支援・ご協力を引き続きよろしくお願いいたします」

 錦糸小学校さん、ありがとうございました。
 それでは、ここで卒業生を代表し、私からお祝いの言葉を送らせて頂きます。

 先程、木造校舎からの建て替えのお話がありました。私が入学したときはまだ旧校舎で、夏休みまでの数か月間をそこで過ごし、二学期が始まる時にはプレハブ校舎へ移ったので、ほとんど旧校舎の思い出がありません。それよりも一年生の冬に初めて見た石炭ストーブのことを、今でもよく覚えています。ブリキ板で出来た煙突が教室の中を通っているのがとても不思議な感じで、日直当番は学校に来てから石炭を取りに行ってバケツに入れて持ってくるのが仕事でした。
 二年生の冬は新校舎で迎えたので、ひと冬だけの経験でしたが、あのストーブはとても印象に残っています。
 屋上プールだけでなく、新校舎が出来た結果、東京で一番と言われた話も紹介させて頂きます。東京で一番なら、全国でも一番ではないかと思っているのは、「校庭の狭さ」です。
 たしか校庭のトラック一周が七十メートル。直線ではなく、トラックで、です。
「そんなに狭かったら、運動会だって出来ないじゃないか」そう思った方、正解です。この校庭では運動会が出来ません。錦糸小学校の運動会は、錦糸公園のグランドを借りてやるのです。
 長い直線が確保できないので、五十メートル走のタイムを計るには屋上Aへ行きます。屋上はA、B、Cとあり、その他にローラースケート場もありました。
 昼休みは学年によって遊ぶ場所がローテーションで決められていて、今日は校庭、明日は屋上A、といった具合です。この話をすると、「狭くてかわいそう」とよく言われますが、狭いなりにいろいろ工夫して遊んでいたので、これも楽しい思い出です。
 思い出話は尽きませんが、これからも錦糸小学校さんが元気で子どもたちの学び舎として続いていくことを願って、お祝いの言葉とさせていただきます。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み