第28話 赤野の告白。

文字数 6,109文字

 看護師が飛び込んできた。

 誰かに似てる…。

 「先生、美香先生、夢分析が反応してます!」

 「赤野さん、そんなはずはない。美香にはプログラムはかけてない。」

 赤野?赤野さん…。そうか、あの診療所の看護師だ。

 奈美は、看護師の赤野の険しい顔を注視しながら、その緊急性のあるやりとりを聞いていた。

 「美香先生は自己の夢を高度にコントロールできるようになってます。被験者にも指導するために、自己の明晰夢のトレーニングしてたんです。明晰夢を自己コントロールが出来るようになれば、プログラムに中で、よりクリアな映像と夢の中の行動の下、正確な評価ができるって。だから、今、美香先生は、明晰夢の中にいます。画像出します。」

 赤野が、慣れた動作で機器を操作していると、今にも途切れそうな細い声が入ってきた。

 隣の部屋で聞いていた久住が、ゆっくりと車いすを自走して戻って来ていたのだった。

 「そうか…私にも…明晰夢のコントロールの方法を教えてくれたよ。夢の中を自覚できるように、睡眠導入時、微量の電流を掛けられながら、人の声で『灯しや診療所』と耳元でささやかれながら、眠りに入る。灯しや診療所での役割は、しつこいほど叩き込まれてたからね。聴覚と体感で、夢の中でも思い出すことが出来るようになる。」

 「先生、休んでないと。」

 久住は賢の声を遮った。

 「いや、やっぱり、話さなければならないんだ。おそらく自分はもう長くはない。思った以上に、この研究の被験は負荷がかかっている。自分の意思とは関係なく思考を左右される事もそうだが、眠りながらも脳は休息なく仕事を継続している状態だ。もちろん、こんなことで自分の贖罪になるとは思っていない。せめて、あなた方が聴きたい事は包み隠さずに話さなければならないと思っている。」

 「分かりました。でも横になっててください。赤野さんお願いします。」

 赤野は、モニターに画像を映し出すと、隣の部屋からベッドを運びこんだ。

 「赤野さん、一人で大丈夫ですか?」

 高野が、声を掛けた。

 「ありがとうございます。大丈夫ですよ。ほとんど自動ですから。」

 赤野は、久住の車いすを操作しベッドへ接着すると、タイヤから分離するように車いすの座面が挙がり、久住の姿勢を維持したまま、ベッド上へ移乗した。

 「あとは、簡単な操作で、車いすが外れるんです。シートを敷いて座ってたので、シートごと身体がベッド上に残ります。」

 「まるで、映画で観たロボットが次々と変形するやつみたいだな。」

 高野と加藤は、緊張感も忘れて、目の前の未来的なロボットに感心していた。

 「久住先生、顔色良くないですね。」

 赤野は、計測データーを確認した。

 「何かあっても、何も処置はしないでくれよ。このままがいいんだ。」

 「でも、私はあなたを助けますよ。看護師ですから。」

 「そうよ、あなたには、そんな勝手なこと言わせないわよ。まだ話してもらう事があるんだから。」

 奈美は、色を失いつつある久住の顔を見下ろすように、そう言った。

 この人、夢の中に顔とずいぶん印象が違う。もう、生きてないみたい…。

 「映像が出ては来たけど、今一つだな。赤野さん、もっとクリアには出来ないのか?」

 浮かび上がった映像には、森の中の白い建物に入り、建物の中を彷徨っているらしき映像が映し出されていた。かろうじてその輪郭が分かる程度である。

 「美香先生、自分の創った世界ではありますが、ハッキリと自分の中で強く映像化ができないんだと思います。久住先生を探してるようにも見えます。」

 「でもプログラムが無いのにどうやって、久住先生を探すんだ。」

 「たぶん、私たちが、この映像を見ることを想定して、プログラムを掛けてくれることを期待しての行動だと思います。」

 「意味が分からない。どうして、そう思う。」

 モニターを観ていた賢は、視線を赤野に移し、そう聞いた。

 「美香先生は、自分で、自分にプログラムをかけることは出来ないから、被験者のデーターでしか評価が出来ない。出来る事なら、自ら被験者になる事を望んでました。今の状況を察して、チャンスだと思ったのだと思います。」

 「夢の中で、そんな意識を持つことが出来るのか。」

 「明晰夢の訓練の成果ですね。でも、プログラムをかけるには、設定が必要です。浜本先生でも、誰でも、どんな内容かを言っていただければ、機器の操作は私が出来ます。」

 「君はすごいな。そこまでできるのか。美香も、それを知っているという事か。」

 「そうだと思います。かなりの部分補助してきましたから。でも、美香先生は自分にかけるプログラムまで準備はしてません。これも、私たちが考えたプログラムを、自分にかけることは、想定内なんだと思います。」

 「なんだ…この覚悟はなんなんだ。どんなプログラムをかけれるか分からないのに。自分には、何も言ってなかった。では、それなら、どうでしょうか、思い切って、奈美さんが美香の処方箋を考えてみては。本当なら、事前に経歴や、人間関係などを下調べをして、それをもとに、今の悩みを解決できそうな場面を考えるのですが。それに、久住先生は、神代先生役はもう無理でしょう。奈美さん、あなたは、美香と対峙することを望んでいる。このプログラムの中で美香と話すことが可能です。ただ、今のままでは、お互いに感情的になってしまう。久住先生の代わりに、処方箋を切ってみますか?美香が、これまでの行動を自ら思い出し、美香が忘れていた記憶から自分を見つめ直した本当の姿で、奈美さんと対峙する設定にしましょう。」

 奈美は、思い切り首を横に振った。

 「ダメよ。ダメ!私…それじゃ困るわ。すぐにでも美香に言ってやりたい事がたくさんあるのよ。鬼の美香でないと困るのよ。改心した美香に言ったって、この大きな鉛を抱えて吐き出せないままじゃない。感情的になって何が悪いの?どうしていけないの?美香にいい子になってほしいとか、どうなってほしいかなんて無い。美香の中の鬼の正体を知って、思い切りぶつけたいのよ!いい子の美香なんて私には意味がない!」

 奈美の激しい訴えに、赤野は、美香の枕元で見下ろすように言った。

 「奈美さん、私も、美香先生とあなたは、しっかり対峙したほうが良いと思います。私だって言いたいもの。」

 「えっ、赤野さんが?なんで?美香は確かに厳しかったが、そこまで…。」

 「いいえ、浜本先生、違うんです。そうじゃなくて。」

 赤野は、深く息を吸い、長く吐いたあと、美香をゆっくりと指さし、言った。

 「この人に、私の母は…母の綾子は、記憶をすり替えられたんです。」

 「えっ君のお母さんが?」

 賢の声と同時に、奈美、高野、加藤たちも、思いもよらない赤野の告白に、驚きを隠せず、赤野を見た。

 「もう…10年前になるでしょうか。私が高校生の頃でした。私の母は認知症で、突然、暴れたり、家から出て行ったりして大変だったんです。それで、友人から美香先生を紹介してもらって、何度か心理療法を受けました。治療中は、家族は待合室での待機でしたので、どんなことをしているかは分かりませんでしたが、攻撃的な精神症状は、確かに落ち着いていきました。でも、母は全く違う事を話すようになったんです。家族の名前も、本人の経歴も、自分の名前でさえも。自分は美智子だって言うんです。私の母は、私しか子供がいません。父にも確認しましたが、亡くなった子供もいませんでした。でも、自分には息子がいるって聞かなくて。美香先生は、攻撃性を抑制したから、元々、進行していた認知症の症状が浮き彫りになったんだと。私は、納得がいきませんでした。母は、暴れることは無くなったのですが、泣いたり、落ち込んだりするようになってました。そして、ある時、裸足のまま出て行ったっきり帰ってきませんでした…。そして…隣町の商業施設の駐車場から飛び降りて自ら命を絶ってたんです。私は、ずっと母の変わり様が気になっていて、何かわかるかもと、漠然とした期待でしかなかったんですが、看護師になって美香先生のいる病院に就職したんです。たくさんの患者の娘の名前なんて覚えてないでしょうけど、美香先生は、私の顔を見ても全く何の反応も無かったですね。今でも、分かってませんよ。」

 赤野は淡々と、母親の悲劇を語った。

 「そんなことが…あったんだ。そうか、辛かったね。もしかして、久住先生の救急搬送時の同乗も計画?」

 「いえ、あれは偶然でした。久住先生が、救急車内で美香先生を指定したのには驚きましたね。だいぶ脱水と低栄養状態でしたので、入院後は内科医の身体的なコントロールと並行して、美香先生は、心理療法と称して犯罪者の心理研究を始めたんです。久住先生に同乗してた私は、その流れのまま、指示の処置など業務をしてたところ、助手としてついていた看護師から、もう無理だから変わってほしいと懇願されたんです。美香先生は感情の起伏が激しくて、音を上げて辞める人が多かったようでが、私はチャンスだと思ったんです。母に何があったのかが分かるかもしれない。それ以来、美香先生の助手として研究に携わっています。私なりに研究について猛勉強しました。久住先生のお父さんの白一郎先生の著書も読み漁りました。美香先生の研究を、補助しているうちに、確信しました。母がされたことを。それで、私の漠然とした目的もハッキリしてきました。いつか、この先生がしてきたことを突き付けてやろうと思ってた。覚えてないって言われればそれまでだから、美香先生の記憶の中に、私の母親を出せば、いやでも美香の心が読める。だから、自分でも、いつかは実行できるようにとプログラムの作成を密かに考えてたんです。」

 「それが、今ってことなんだ…。」

 「そうなるわね。私は灯しや診療所に入れないから、私の想いを入力した赤野をセッティングする。そのために頑張ってきたんですもの。」

 「赤野さん、私たちの思いをぶつけてやるわ。処方箋の番号ってあったけど、あれははどうやって決めるの?」

 「奈美さん、神代先生の時は、好きな番号を前もって充てていたわ。番号自体に意味はないの。一つの演出ね。人は、曖昧なものより、数字の方が、説得力があって信用することってあるでしょ。カセット式にしたのもね。ワンアクションより、何回か過程を経た方が真実味があるのよ。一つ一つ自分の中で消化しながら進むでしょ。疑問が、徐々に消されてく。不安が改善された時って、同じ事象でも、何もなかった時よりは安心感が増すのよ。故意に不安にさせて大丈夫と思わせる。詐欺の手口ね。高野さんも、灯しや診療所だって、疑問だらけで、どうなるんだろうって不安感から始まって、あり得ない体験した後なのに、最後は、納得して終わっているでしょ。」

 「なるほどね。確かに、騙されたかもと思いながらも、効果は確かにあったし、不思議と気持ち良く帰れたからね。奈美さんを除いてはね。」

 「そうね、私の場合は疑問が深まったからね。でも、何故、私の記憶は美香のプログラム通りにいかなかったの?」

 「あれね、私よ。母の記憶が操作されて、母は自分が誰か分からなくなって、混乱して狂ったように亡くなったの。こんな最期ってある?記憶を変えることは、やってはいけない事なのよ。だから、奈美さんに準備されたプログラムは実行しなかったの。本来の記憶に基づいたプログラムにすり替えたのよ。」

 「そうだったんだ。赤野さんが救ってくれたってことなのね。ありがとう。」


 「私は美香先生が許せなかったの。医学を悪用したのよ。先生自身も分かってるはずなのに。」

 「なんか結婚してても、自分は美香のことを知らないことが多いと感じたよ。監視しなくてはいけないと思いながらも、結局、分かってなかったんだな。それにしても、これまで自分の事はあまり話さなかったのに、自分にプログラムを掛けられてもいいってことか?本人の記憶の中を見られることになるけど。」

 「それなんですけど、浜本先生、ちょっといいですか?」

 赤野は、隣の作業部屋に浜本らを誘導し、皆に伝えた。

 「美香先生の検査データーを見てしまったんです。なんだか、珍しく溜め息ついてたことがあって。ご自分のカルテを見てたようでした。私、そのカルテを他の部署からの端末で見たんです。閲覧履歴残ってしまうから、止めておこうとは思ったんですが、どうしても気になって。おそらく肝臓がんかと。それも末期です。これを言うと、変な情をかけそうで嫌だったんですが。たぶん、ヘッドホンの穴気が付いたのに、そのまま部屋にいたのではと。すべて、美香先生の計画通りなのではないかと思います。」

 「覚悟って、そういう事か?わざと?なんで?もう長くないから、懺悔する為か?美香がそんなことするとは思えないが。」

 「私もそう思います。あの美香先生が、そんな気を遣うなんて思えない。」

 「よし、わかった。赤野君のほうが、美香の事をよく分かっているようだな。夢のバスに乗る前に、灯しや診療所で、奈美さんと赤野君は、好きなようにやってくれ。美香が、この行動をとった理由もわかるだろう。その上で、処方箋を切る。これでいいか。」


 「そうですね。私の母の情報と奈美さん、いえ、花香さんのお母さんの里香さんと美香先生が育った景色とか、あとは奈美さんと相談しながら、プログラム入力作業に入ります。そのまま奈美さんに、プログラム実施業務に移行しますので、美香先生の心拍数、血圧、高めで経過しています。発汗も気になります。in,outバランスはOKです。それと、久住先生は、急変する可能性があります。かなりシビアな状況です。浜本先生、あとお願いします。」

 「そいえば、久住先生、眠った?」

 「いや、兄貴、意識が落ちてるんだよ。もう、無理な事はしないでおこう。奈美さん、赤野さん、いいか?」

 「何やっても、回復は望めないんでしょ。それくらいわかるわ。」

 奈美は、そう言って、口を真一文字に結んだ。

 奈美は、そんな奈美の様子を心配そうに見つめる高野に駆け寄り、抱きついた。

 「な、奈美さん…?」

 「高野さん、行ってきます。博美さんに指輪渡してね。」

 奈美は、高野の耳元で、そう囁いた。

 高野も、奈美を抱きしめながら約束をした。

 「分かったよ。待ってるからね。自分は見守る事しかできないけど。祈ってる。博美さんと祈ってる。」

 目を潤ませた高野とは反対に、何かを見据えたかのような奈美の目は、凛とした強い光を放っていた。

 皆は、奈美と赤野を残して、作業部屋から出た。

 そしてドアは閉められた。
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