第1話

文字数 1,996文字

 広い空に、翼のはえた猫が飛んでいる。
道路にはナマケモノのようにゆっくりと、真っ白なイエティが這っていた。

信号は赤、青、黄色ではなく、リンゴ、青リンゴ、バナナ。
バナナはイエティの大好物で、リンゴと青リンゴしかない信号がぽつぽつとあった。
進むか止まるかだ。

この世界はおかしかった。

イエティばかりで、車もバイクも走っていない。

空は透明に近いオレンジで、薄いグレーの雲が浮いていた。

いつからこんな世界になったのか。これまでのことを思い出そうとしたが、夢の中のようにぼんやりとしてうまくいかない。気がついたらこの世界に立っていた。

嫌な気分だ。

わけがわからない俺は、いつの間にか隣にいた幼馴染みの友人に、平静を装いつつ尋ねてみる。

しかし、友人から返ってきた答えは、「猫は空を飛ぶし、信号はリンゴ青リンゴバナナだ。お前だけに秘密を教えてやろうか?    実は、あの青リンゴはすごくおいしい」だった。

しかもよく見ると、友人はイエティだった。
全身をもさもさと白い毛に覆われてあたたかそうな友人。

混乱した俺は、足元がぐらぐらと崩れるような気がして、友人を置いて、板チョコで舗装された道をひた走った。足元の板チョコはどんどん崩れ、ついさっきまでいた場所が次々に陥没していく。俺はがむしゃらに走り続けた。
道のあちこちには工事中をしらせる三角コーンが置かれ、気を抜くとぶつかりそうになる。そこら中で新しい板チョコに張り替える工事が行われているようだ。年度末なのかもしれない。無理やり現実的なことを考えて、なんとか冷静な思考を取り戻そうとしたが、俺は今日が何年の何月何日なのかもわからないことに気がついた。

 走り続けて息も絶え絶えになったころ、置き去りにしてしまった友人が急に心配になって、後ろを振り向くと、建物の影から赤い目をしたなにかが飛びかかってきた。これは……チュパカブラだ。人間の血を吸うという未確認生物。俺は首筋に噛みつこうとするチュパカブラを必死に振り払い、近くの建物へ逃げ込んだ。白く無機質で、平行四辺形のような角度に傾いた大きな建物だった。

悪夢としか思えない。ここらで目覚まし時計でも鳴ってくれないものか。
しかし耳に響くのは、自分の荒い息遣いだけだった。

 俺は、壁に手をつきながら暗い通路を進んだ。窓もなく、外の光はほとんど入ってこない。友人のところへ戻った方がいいかもしれない。先の見えない通路に、引き返そうかと考えたとき、足元から不気味な地響きが近づいてくるのを感じた。
嫌な予感にまた走り出すと、レンガ敷きの地面を突き破ってモンゴリアン・デス・ワームが現れた。巨大ミミズのような未確認生物だ。モンゴリアン・デス・ワームは牙の生えた口を大きく開き、すごい速さで迫ってきた。

天井から降ってくる瓦礫を必死によけながら、崩れそうな通路を奥へと走る。もつれる足をなんとか動かし進み続けると、やがて通路の先に真っ黒に錆びた鉄の扉が見えた。重そうな扉に勢いのまま体当たりする。ギ、ギ、ギと開いた扉の先には、がらんとした大広間があった。キラキラ輝く照明がいくつもぶら下がり、壁には大きなパイプオルガンが並んでいた。

 急に明るい場所へ出て、眩しさと混乱に呆然と立ち尽くす俺の前に、白い髭をはやした初老の男が近づいてきた。金色の王冠をかぶり、背中には赤いマントがはためいている。
「よくぞここまで辿り着いた。合格だ。褒美をやろう。これを使えば、お前の真実の世界が見えるであろう。」
俺はその謎の男からピンク色のメガネをもらった。百円ショップで売っていそうな安っぽさ。フレームが星型になったプラスチックのメガネだった。妙に軽いと思ったらレンズも入っていない。見るからに怪しい代物だったが、こんな世界はもうこりごりだ。真実の世界が他にあるというのなら大歓迎。
そう思った俺は、すぐさまメガネをかけようとした。
しかし、なにかが引っ掛かってうまくいかない。そういえばなんとなく頭が重いような。
俺はいつの間にか、後頭部から目を覆うように、ごつごつとしたゴーグルをつけていた。
なんだこれは。さっさとメガネをかけて真実の世界へ行きたい俺は、邪魔なゴーグルを両手で引っ剥がし、放り投げた。するとそこには、見慣れた部屋と友人の顔があった。

そうだった。
俺がつけていたゴーグルは、最新の完全没入型ゲーム「エイドリアン」のヘッドセットだった。

「どう? 俺の作ったゲームステージ。楽しかった?」
友人が嬉しそうに聞いてくる。

「つまらん。UMAバカ」
何日も走り続けたような疲労感が全身を包む。
俺は吐き捨てるようにいって、このステージを削除してやった。

「あー! 俺のモンゴリアン・デス・ワーム~!」
開け放した部屋の窓から、友人の断末魔が住宅街に響き渡る。

「次はお前の番だからな」
俺はゴーグルを友人にかぶせると、右脇についている潜行ボタンをすぐさま押した。

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