画竜点睛【張僧繇・粱武帝】

文字数 2,363文字

 なあなあ、馬鹿馬鹿しい噂を聞いたんだ。
 なんだかよ、安楽寺の壁にすげぇ絵かきが目のない竜を書いたらしいんだよ。それで目を書いたら竜が本物になって飛んでいくとかなんとか。そんな馬鹿馬鹿しいことがあってたまるか。
 それで今日はその竜に目を書くんだってさ。だからみんなで示し合わせて見に行こうって言ってんの。



 吾輩は張僧繇(ちょうそうよう)である。
 これから壁に書いた竜を空に飛ばさねばならぬ。はーあ。吾輩は絵師であるのに何故このような茶番を繰り広げねばならぬのか? 我輩は呉郡張氏(ごぐんちょうし)の由緒正しき出で、このような大道芸を行う謂れはないのであるが。
 だがこれがお上の意向であれば従おう。我輩はしがない宮廷画家であるゆえ。

 我輩の得意は道釈画(どうしゃくが)というやつだ。古来より我が国にある道教と天竺よりもたらされた仏教の融合が期待された時代。
 我輩も西域流の画法を学び、墨をぼかしながら立体的な絵を描く、暈染という新しい技法で多くの絵を描いていた。他にも没骨(もっこつ)とちってこれまで輪郭線を墨で入れていたところをそのまま彩色したりだな。ほら、実際の風景に輪郭線などないだろ。
 それでわしが建康(けんこう)一条寺(いちじょうじ)で書いた花の壁画では「朱色と青緑で陰影をつけて描くものだから、遠くから見れば目くらまされて立体に見え、くっついてみてようやく平に見える」といわれたものよ。

 よし、そろそろ予定の頃合いか。
 寺内から見れば大勢の人が所狭しとひしめいている。サクラを撒いたと聞いたがこんなに集めなくても良いように思うのだが。うむ、きちんと兵隊が壁に近寄りすぎないように距離をとっている。近すぎるとネタがバレてしまうからな。さてと。

「我輩が張僧繇である。これよりこの竜に目を入れる。そうすると竜は飛び立つであろう」

 観客がどよめく。やけに大きな声をあげているのがサクラか。10人ばかりはおるな。

「しかし四匹とも飛んでいってしまうと困るゆえ、二匹のみ目を描く」

 今度はくすくすと笑い声が広がった。なんだか馬鹿にされておる気がするが、我輩も乗ってしまったのだからしかたがない。目立つように妙にテロテロとした袖をブワと広げて筆を掲げると、なんだかかえって楽しくなってきた。童心に帰ったというやつかもしれぬ。

 素早く目を描く。
 境内に控えた芸人がどろどろと太鼓を打つ。
 壁の周囲に控えた芸人が黒煙を焚く。
 寺裏に控えた芸人がシュパッと花火を2本打ち上げる。
 黒煙が我輩と絵を隠し、それら全てが人目を奪った瞬間、我輩は懐から取り出した墨袋を竜二匹の上にぶちまける。勿体無いのう。一匹あたり三日ほど描くのにかかるのだが。
 そうして後ろを振り返り呵々大笑。

「ああー。やはり言った通り竜は飛んでいってしもうた。壁の竜がおったところが黒々と闇に包まれておる。全部飛んで行ってはかなわぬから残り二匹はこのままとする」

 我輩の声に改めて壁を見て目を丸くする。

 ……画竜点睛だ。
 画竜点睛?
 画竜点睛!

 画竜点睛と唱和する叫ぶ衆目。ふん。この壁は後で白く塗り直させるのだ。
 ……なんでこんな茶番を繰り広げているかというとだな。
 吾輩の主君である(りょう)武帝(ぶてい)が仏教グルイであられるからだ。
 武帝は筋金入りである。知命(50歳)を超えてますます仏教にどハマりし、後に杜牧(とぼく)が『南朝四百八十寺,多少楼台煙雨中』と称するほどの多くの仏寺と楼台が建てられた。仏寺だらけである。
 それからこれまで生贄を捧げていた祖先霊への祭祀を仏教の不殺の教えに従い生贄から果物にかえ、国費から莫大な財物を寺社に喜捨してその治世の中後半は民を圧迫するほどの仏教グルイを見せた。まさにガチ勢。ご自身の生活も皇帝なのに菜食主義に徹したり仏典の注釈書を作ったり。それでつけられたあだなは『皇帝大菩薩』。
 吾輩も仏寺で権威付けに様々な絵を描いてきたが、今回の茶番も仏寺に耳目を集めるためと言うことであった。本当に意味があるのかはわからぬが。

 思えば武帝も珍妙な生涯を送られていた。
 若い頃から文武両道、王室の縁戚。きらめかしい人生を送られていた。このころから仏教を学ばれてはいたと聞いている。ところが突然兄の蕭懿(しょうい)が主君の南朝(せい)皇帝蕭宝巻(しょうほうかん)に殺された。

 この蕭宝巻はもとより頭がおかしい。
 前帝の葬儀の際に配下が激しく慟哭し帽子が脱げたのを見てゲラゲラと大笑いしたり、臣下をぱかぱか殺したり、通行人、特に妊婦や子どもを狙って馬で踏みつけるのがマイブームになったりと、とにかく頭がおかしく結局放蕩三昧で国家財政を枯渇させ、起こされた反乱をせっかく鎮圧した蕭懿もあっさり殺した。

 耐えきれなくなった武帝は兵を起こしてあっという間に蕭宝巻を追い落として建国したのが粱である。
 それで武帝は蕭宝巻のせいで疲弊した国を立て直すために減税し科挙の全身となる登用制度を整備して大学を設立して復興に努め、戦争でも外敵北魏を弾き返した。
 それで国政が落ち着いてきたら今度は仏教にのめり込みだした。一旦のめり込んだら脇目も振らず、治安も乱れて賄賂が横行し、白昼でも強盗が発生するようになった。そのうち北魏から亡命していた宇宙大将軍を自認する侯景(こうけい)に囚われ獄死した。
 遺言は『蜂蜜が飲みたい』である。

 結局その氾濫は鎮圧あされたけれども粱自体は疲弊して、建国してから60年もたたずに滅亡した。けれどもこの武帝が整えた学問奨励は南北朝時代を代表するような文化を排出し、武帝が纏めて振興した仏教は百済を通じて日本に伝わっていったのである。



ー付言
出典、というほどでもないけど『歴代名画記』。
最後の方、地の文の主格がこっそり天の声にかわってますがスルーください。
粱を建てた武帝の蕭家は前漢の蕭何(しょうか)の子孫です。高祖劉邦を助けた三傑の一人です。蕭家の人はなんだかよくわからないポジションでちょくちょく出てきます。
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