第二十四話 時計じかけの花吹雪

文字数 3,569文字

家族での最後の晩餐は、僕の好物のオムライスに刺身、たまねぎの味噌汁だった。めちゃくちゃなラインアップだったが、お腹いっぱいになった。
母親は終始、がんばれと言っていた。
父親は、お前はやればなんでもできるやつだ、精一杯やれと言ってくれた。
僕は両親に「未咲に残ってもらいたいと思っている」とは言わなかった。

明日が最後の日になる―その実感はわかなかった。

僕は自室のベッドにごろりと横になって考える。
ティルナノーグの人間には、クルセード・ロワイヤルの神性みたいなものが無意識にすりこまれている。その尊さを疑わないし、抗わない。
僕も、今まではそうだった。だから、こんなにも理不尽な運命でも、心のどこかで受け入れる準備ができていたのだ。それに、「戦わねば」という本能みたいなものも、ある。

だがそれでも。どうしても。未咲がいなくなるということだけは耐えられない。
よくとおる声。空手について語る真剣なまなざし。
正義感の強さ。力強く突き出される白い拳と、蹴りだされるきゃしゃな足。
長い黒い髪。それをひとつにまとめたときのつやっとしたおでこ。
ふだんは真面目キャラなのに、ふと笑ったとき。周囲に灯りが点いたような、花が咲いたような笑顔。
…きりがない。未咲を構成するものすべてが、尊いと僕は思う。それらがこの世から無くなることだけは、あって欲しくない。

こつん。

窓に何かがあたった?僕はカーテンを脇に寄せ、窓を開ける。ウチの前で、未咲がこっちを見ている。

「夜はけっこう、ひやっとするね」白いパーカーに簡素な紺のスカートをはいた未咲が言う。
「いろいろ考えることがあるのに、呼びだしてごめんね。どうしても、話したくて」
考えてたのはきみのことばかりだ、とは言わなかった。「いや」僕は思わず下を向く。

「前に言ってくれたこと、うれしかった。『おれは未咲を助ける』って」
「うん」
「あれ、後から何度も思い返して、そのたびにうれしかった。ひょっとすると、今まで生きてきた中で一番うれしかったかも。わたしのことを大切に思ってもらえてる。それだけで幸せだな、って」
「うん」
未咲には未咲の葛藤があったはずだ。これまで自分なりに真剣に生きてきただろう。なのに、これからの人生が消えてしまうかもしれない。この運命と、どうおりあうべきなのか。その答えを、今話しているのだ。
軽はずみに『おれも未咲と一緒に過ごして来られて幸せだ』などとは言わなかった。それを喪う苦しみのほうが、大きい気がして。
「その気持ちがあるから、大丈夫だなって思った。アキが言ってくれた言葉があるから、わたしは運命に後悔しない。わたしは明日、全力で戦うよ」
「うん」そうだ。それこそが僕の、僕とナルオの本懐だ。ありがとう、未咲。
「だからねアキ、ううん、瑛悠(あきはる)」
未咲は僕の正面で姿勢を正し、僕の頬を両手ではさんだ。風呂上がりの未咲の、シャンプーのにおいがした。未咲の手は柔らかく、そしてちょっと冷たかった。
「きみも・全力で・戦って。そして、勝って。」
未咲はかんで含めるように、言った。
「もしもわたしに何かあっても、きみは、前に進んで。その時こそ、きみはわたしの―わたしたちの“瑛悠(えいゆう)”になるよ」
未咲がゆっくりと手を離した。
「約束。」
僕は顔を上げる。街灯に照らされて、未咲の頬が白くきらきらと輝く。
「じゃ、ね」

「待って!」
きびすを返した未咲の背中に、僕はとっさに声をかける。
「未咲に見せたいものがあるんだ」
明日、さまざまな思いが、消える。大したものじゃあないけれど、未咲の記憶に、残したいものがある。
今を逃したら、もう機会は訪れない。

僕は3メートルほど後ずさると、擬体化した。そして(擬体からみるととても)小さくて華奢な未咲をやさしく抱き上げると、鉄製のフェンスの上にジャンプする。
「その窓から、僕の部屋に入って」
未咲は困り顔で言う。
「靴はどうすればいいの?」
僕は思わず笑ってしまう。
「靴のままでいいって」

未咲が僕の部屋に入るのは、何年ぶりだろう。
「ちょっと座って待ってて」

僕は駅前のカスタムショップで構築したゲーミングPCを起動する。そして、創作空間ゲーム用のヘッドセットディスプレイを接続。同時に、いつもスタンバイ状態になっているゲーム専用機も起動する。
「これをかぶって、しばらく待ってて」

未咲は長い髪を後ろに寄せて、ヘッドセットを装着する。学校でたまに扱うから、操作には迷いがない。しかし今、彼女の目前には不思議な光景が広がっているはずだ。

教室。未咲や瑛悠、そしてナルオが通っていた教室の完全再現。しかし、窓の外は違う。それは空中に浮いた教室だった。

「お待たせ」僕は別のマシンから、未咲が待つ教室にスポーンする。ちょこんと席に座っているアバターを見て驚く。姿がナルオだったからだ。そう、僕はデフォルトのアバターを、ナルオに似せて作っていたのだ。我ながら、ナルオにどれだけ寄りかかって生きていたのかを思い知る。

「未咲、メニューを開いてアバターを変更してみて」
ナルオの姿をした未咲は、メニューをいじってあっと声を上げる。
「これ、このアバター、わたし?」
目の前で、ナルオが未咲に変化する。
「すごい。なんか、そっくり」
未咲は教室の後ろに設置された鏡を見ながら言う。
作った自分でもなかなかの傑作だと思う。とはいえ、(造形に時間をかけすぎて)スカートや髪が物理演算で動くところまでは手が回っていない、未完成アバターだが。

「未咲、こっちに」教室の窓から外に出られるように作ってある。
未咲は窓から出てくると「あっ」と声をあげた。

眼下には、創作空間ゲームらしいワールドが広がっている。が、大事なのは今自分たちが立っているところだった。
巨大な桜の木。
実はそれが、空中の教室を支える柱だった。教室は、巨大な桜の木に設置された、大きなツリーハウスだったのだ。

桜は4月1日になると開花し、ちょうど10日で散るものだ。今は三月下旬だから、どこの地区でも桜は咲いていない。が、この創作空間では年がら年中咲いている。
「しばらく待ってて」
教室から地面に向かって、巨木の周りをめぐるようにらせん階段が設置されている。未咲と僕は、階段の途中に座って待つ。
ほどなく、一陣の風が吹く。アバターでは風は感じられないが、様々なオブジェクトが遠くから揺らされてくる。風が近づいてくるのが見える。そして巨大な桜の木から、大量の花びらが舞い散った。
「わあ」
未咲が声をあげる。

6年前。小さな小さな未咲とナルオと僕が、親に連れられて小学校に入学したとき。静止を振りほどいて走り出したナルオが、ジャングルジムに飛びついた。みるみるてっぺんまで上ったナルオは、切っ先に手放しで立ち、慌てる両親にアピールした。その瞬間、春の突風が吹き、桜吹雪がナルオをとりまいた。驚いたナルオがジャングルジムから落下した。その時、僕はなぜか真下にいて、ナルオをぼけっと見ていた。ぶつかる瞬間のナルオのびっくりした顔を今でも覚えている。
ナルオと、その落下先の僕は、無事だった。今だからわかるが、ジャングルジムはその時感じたほど、大きくはなかったのだ。驚いた未咲がわんわん泣きながら走って来るのを、なんだか微笑ましく見ていた。

あの日から、もうすぐ6年が経つ。あの眩しかった春の日から、僕たちはかけがえのない日々を過ごしてきた。悔いはない…か。

「なんだか、思い出すね」未咲が言う。同じことを思い出してくれたのだろうか。「運動神経いい男子ほど、無茶してケガしたりするよね」
「小学生あるあるだな」
「まだギリギリ小学生だけどね、わたしたち」

創られた空間の中で、未咲のアバターと僕のアバターが笑いあう。ふと、未咲のにおいを感じた。創作空間なのになんで…と不思議に思ったが、現実の未咲が目の前にいることに気づいて、疑問を取り下げた。

「この場所は残ってるから」
『僕が消えても』とはあえて言わなかった。
「桜吹雪は、10分に一度舞うようになってる」

「ねえ」未咲が思いついたように言った。「三人のアバターのデータって、インポートできる?」
オブジェクトとしてならば、もちろんデータはある。
僕は、三人のアバターのモデリングデータを呼び出した。
「これでいい?」
「笑顔のやつにして」
「はいはい」

僕たちのモデリング。まるで擬体に入っているときの本来の身体のようだな、と僕は思う。
未咲は空中のらせん階段に、三体をそれぞれ配置した。みんなニコニコ笑っている。ナルオは逆立ちしている。僕は寝そべっている。怠け者の僕を揶揄しているのだろうか…。

「これでよし」
未咲は三人の物言わぬ姿を満足そうに眺めた。
「これで、わたしたち三人はずっと残るね」

創作空間に、4回目の花吹雪が舞った。
ナルオのアバターが、おっとっと、と揺れた気がした。
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登場人物紹介

真嶋瑛悠(マジマ アキハル) 通称:アキ 12歳

本作の主人公。内向的でゲーム好き。

水元 未咲(ミズモト ミサキ) 12歳。

空手道に通じる。流派は伝統派、松濤館流。全土の小学生大会で、組手優勝の経験を持つ。


宮坂成男(ミヤサカ ナルオ) 通称:ナルオ 12歳

アキと未咲の幼なじみ。サッカーの地区選抜、スタメン。FW。シュートコントロールに定評がある。

A.O.I. (アオイ) 12歳

絶大な人気を誇るアイドル。「ハートにルージュ!?」が大ヒット中。

杉野なつ (スギノ ナツ) 12歳。

???

川西つばめ (カワニシ ツバメ)12歳。

???

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