第3話 公園にて(1~4節まで、完)

文字数 4,428文字

1 円環構造
 私がここを訪ねたのは、日付をまたぐ一時間ほど前であった。公園は街の繁華街を抜けて、古着屋などが立ち並ぶ小道を抜けたところにあった。暗闇の中で園内の景色は全然見渡せず、入り口前の階段で一人しばらく佇んでいる。この公園は、昼間は大勢の人で混み合う割と名の知れた場所なのだが、ひとたび夜になると奇妙なほど静まり返り、人気はなく、実際初冬の園内には人もまばらにしか見られない。
 決心をした私は、案内板を目指して歩いていった。公園は大きな遊歩道を有しており、右に行けば池や橋のあるエリアに、左にいけばトイレや駐輪所、大道芸人がショーを行う広場などが位置しているようだ。ジージー唸る自動販売機の密集地帯に一瞥をくれながら道なりに見つけた管理人の宿舎にはまだ明かりが灯っていて、特に用もなく横目に建物を過ぎただけではあったが、今思えばよくもあのようなな侘しい場所で寝泊まりしているものだとも思う。それでも、窓から見えるオレンジの光が吐息の中で輝いて暖かく、私の眠気を少し誘った。
 それから間も無く、しかし、眠気も消え去ることになる。季節はずれの半袖半パンを着た爬虫類の様な顔の、目が横に鋭く白髪の男が私の方を凝視して立っていたのだ。その円環構造により、ランニング愛好家が群れそうな場所柄であるため、その類の人かもなどと考えるが、特別走っていた様子も走り始める様子もなく、じいっとこちらに注意をめぐらしている。円環構造の中には広い池が据えられているため、私を超えて水の方を睨んでいるのかとも一瞬思って背後を振り返る。だが、男は全く動くことさえしない。突然微かな緊張を破る様に、男は、私を驚かせたことを不愉快なくらい丁重に詫びながら言うのだった。
「この公園は、所有者のものですよ。勝手に歩き回るなど許されるはずもありません。」
池から聞こえる鯉や外来種の魚の、呼吸音だけが闇の中で轟いている。白鳥の乗り物が、風邪でギィギィ揺れる。男は続けて言う。
「許可をお持ちでしょうか?少なくともまだ私は見ておりませんが」
私は目をしかめ、その男の全身を、体の角度を斜めに構え直しながら舐める様に見上げて、言った。
「誰ですか?何を言ってるのかさっぱりわかりません」
男の背後には、黒々と濁った蓮の浮かぶ池と木の橋が見える。

2 右へ
 こういう表情の変化に乏しい全く笑わない顔に直面すると、私はある種の異常性を感じずにはいられないのだが、とにかく目の前の男の無表情は虫酸の走る不快感を催させるものだった。
「では行きましょうか」
おもむろに男は呟くと私の左腕を掴んで歩き始めた。
「お、おいおい!なんなんだって!お前、ねぇ、なんだ?何ですかっ!?」
過去時折、「この男の華奢な体のどこにそんな力が秘められているのだろう?」と言いたくなる種類の人間というのがいたのだが、この男もそれに似た異様な握力を誇っていた。それと同時に押し寄せてくるのは、言葉が全然通じず何をされるか予想のつかない絶望感。あの感覚は、幼少時代にはからずも紋白蝶の無機質な目と自分の目が合ってしまった時に生じた静寂に似ていた。とにかく私は下手な抵抗はしないように注意を払いつつ説得を試みたが、何も聞こえないという面持ちの男は遊歩道を右回りに歩き始める。これはつまり、私が来た道を戻る形になるのだが、ざわざわと葉末がこすれ合う中木立を引きずられていく。ナラの木かブナの木だろうか。
と、その時唐突に「かぁ、かぁ」と、一羽のカラスが鳴いた。男は腕を掴んだまま、カラスの鳴き声に気づいて立ち止まったかと思うと、心すでにここにあらずといった様子でせわしげにあたりを見回し始めた。
「そこかっ!」
と言ったあと、驚くべきことに男は急激なダッシュの末に一本の木によじ登り始めたのだ。当然の成り行きとして、男の叫びの時点でカラスは飛び去った。男はさぞかし悔しそうに自分の頭を繰り返し繰り返し木にぶつけ、血だらけのまま真顔で言った。
「最近のカラスは結構都会でいいもの食べてますでしょ?味もちょっとしょっぱくなってて、なんというか、砂肝みたいな食感がちょっと失われてる気はするんですが。コリコリ感です、コリコリ感。最近食べてなかったんです。近くに美味しい焼き鳥屋があるんですけどね、あそこに行ってもカラスは焼かれてないんですよ。カラスといえば、つい先日、カツオの刺身に見向きもしないのがいて・・・・・・」
 その後かれこれ10分ほど歩いた頃だろうか。木立が開け、池にかかった木造の橋を渡るとそこには日本家屋風の建物があるのが見えてくるではないか。この公園の歴史は存外古く、大正時代初期の開園にまで遡ることができるのだが、その頃ですらすでに古くて使われていないようなデザインの建築であることから、記念館のような何か特別な用途に使用される建造物としか思なかった。だが内部に入ると一点、洋風感が漂い、いかにも館といった風情であることに驚きを隠せない。外部は単なるハリボテ的な見せ掛けで、表面的な雑さで装っているという空気が感じられたのだった。

3 地下通路
 瀟洒な家屋の中にあって、このエレベーターは一目見ただけでも明らかに新しい機種で、今も定期的に点検が実施されている様子が機内上部に貼られた点検用紙から伺えた。内部に特別変わったところがないようだったが、唯一気懸りだったのは設えられたボタンの数字だった。地上階分は1~4階とある一方で、地下階分は1~3階分をとばしていきなり4階となっていたからである。男に導かれて地下に降りると、目前には無闇に縦長の倉庫があった。その脇に通路があるというのでもなく、地下4階の全フロアを倉庫が占拠しているのだった。倉庫と言っても四方を金網で覆われており中には何も入っていないことが丸わかりだが、向こう側に行くのには中を突っ切らなければならなかった。鉄扉には取手も鍵穴もなく、私が不審気に目配せすると、男はエレベーターの脇にある下行きのボタンを生々しく小指で撫で、鉄の扉をがちゃりと開いた。ボタンには赤黒い血がねっとりと付着していた。異常な寒さに身が竦んだ。
 地下空間には特有の圧迫感があった。わずかに気圧が増えたことで耳鼻器官への不快感も生じ、「ヴーヴー」という形容しがたい重低音が耳について離れないようだ。倉庫を抜け扉を開けた先には暗いのだが壁だけがやけに明るく見える長い通路が続いていて、壁は白い漆喰で塗られているのだが、地下特有の淀んだ空気が視神経や網膜になんらかの作用をもたらしたかどうかは分からないが、全体的に黄色がかった色彩を帯びている。私は左の道を指差しながら、
「あっちの道はどこに続いてるん・・・?」
「当直専用の家だよ」と、男がニヤついているのは暗い中でもわかった。
道が凸状となって三方向に分岐しており、正面の道を進むよう促された直後、前もって用意されていたかのような滑らかさで話し出す。
「この公園も昔からあるのはなんとなく気づいてるよね?地上にある公園はあとづけで、実際はこっちの通路とかの方が先にあったわけ。ああ、この通路を含んだこの建物自体ってことね。入ることもないし、あんまり知ってる人もいないと思うけど。ちなみに、右の方の通路には行かない方がいいよ。というより、いけないと思う」
「あっちには何があるんです?」
「宿舎行きの道も、こっち側から眺めるのはあんまりないことではあるな」
「そっちじゃなくて、こっち右のです」
「行きたいなら行ってきて確かめてみればいいよ。でも・・」
「でも、なんなんです?」先を出し惜しみする言い方にいらいらして、声をわずかに荒げる。
「あいつの方がうまく説明できる気はするんだよ。あいつって、あいつね、宿舎に一人男がいなかったかなぁ、ま、関係ないことだよ、君には」
 ふいに。ぴちゃぴちゃ、と音がしたので地面を靴で触ると、水溜りが通路の左脇にできているようだった。なんとなく感じではいたのだが、この地下通路は全体的に左側を下にして傾いているようなのだ。黴臭いコンクリートにシトシトと滲んだ泥水は、独特の臭み、学校の家庭科室のような臭み、をたたえて嗅覚を刺激してくる。
・・・そういえば、この通路は池の真下にあるんだよな・・・
私は、思い出したような閉塞感に息苦しくて耐えられなくなり、さっさと先に進みたくなって、男との会話も続ける気が失せた。
「ぷうっー」と、気持ちを持ち直し、先を急ぐ。

4 混声3部
 公園の構造上、円周状に囲まれた池の真下を直線で突っ切った形になっているとでもいうのだろうか。それとも池の中にトンネルのような要領で通路が掘られているのだろうか。残念だがわからない。しかし、壁を弄りながら一歩進むたびに足場を確認するという無為な作業が繰り返されるたびに、非現実感が募っていく。
そうこうしていると、電灯の明かり確認でき出口が近づいてきたのに気づく。さらに道を進みアルミ製の階段を登っていくと、どうやらそこは反対側の出口付近であるようだった。
「登れ、開けろ」
ふと声の方を見やると、男の服装が変わっている。
「お、お前は、え!!?」
私が何も言えないのでいるのにつけこむように、男は黒革のジャケットの裾をたくし上げると、微笑んで私を突き飛ばしながら思い切り扉を閉めた。扉の向こうで誰かと無線で話しているようであったが、そんなことは気にもならなかった。あまりの出来事と扉の閉まる音の大きさにびっくりしてしまい、しばらく私はその場を動けず、前にも進めず後ろにも退けないどうしようもない状況を味わっていた。
 とその時、大音量で笑い声が聞こえたと思った直後、園内放送がかかり始めた。あれは、あの曲は・・・私もよく知る曲。イヴ・モンタンの歌う"Page d'écriture"。知っていたのは、単なる全くの偶然だった。金縛り的状態に陥った私は、嫌でも耳に入ってくる音楽に耳を済ます。しかもそれは、先ほどの男の(3人の男たちの?)混成合唱が録音されたものなのだった。ほんの出だし30秒ほどの音声で、近くに民家らしき影もないため、私のほかに聞いていた者などきっといなかったに違いない。想像だにしていなかった恐怖の場面に吐きそうになりながら、なんとか歩行能力を回復した私は、とにかく走った。走りに走って近くのコンビニが見えた時の安堵感は、言葉で言い表すことのできないほどのものであった。
 冬が過ぎ桜が花弁を撒き散らす季節になると、毎年おきまりのように流れる花見のニュース。そして私は思わずにはいられない。花見客の中にあの地下施設の存在を知る人が一人でもいるのだろうかと。今日もじりじりとちらつく太陽の日差しの中、あの公園も人の賑わいに溢れていることだろう。だが夜は!
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