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文字数 1,591文字

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 どうやら本当に、登校するまでの時間の猶予はあまりなかったらしい。辰哉の母親に半ば急かされながら朝食を摂り、歯を磨いたらすぐに慌ただしく家を出なくてはならない羽目になった。普段から厳しい生活を強いられてきた俺からすると、初っ端から調子を狂わされる生活だ。まず理解しようとするだけで精一杯。果たしてこんな調子で一週間ももつのか?と、先行きがかなり不安になった。
 少し速足で、家から徒歩二十分程の中学校まで向かう。歩いていると風が服のわずかな隙間に入り込んできて、思わず身震いしてしまうくらいには肌寒い。歩きながらふと上を見上げると、青と白の割合が丁度半々くらいの空が辺り一面に広がっている。こんな色は、あっちの世界にはどこを探したって存在していなかった。
 自分には身近でない母親がいる家庭、全く異なる生活リズム、見慣れないものがたくさんある環境。それに加えてそもそもが人間に興味を持っていないため、生活しにくいことこの上ない。何だか、始まったばかりの今から早速疲れてきて、はぁ、と溜息をついた。
「安積、はよー」
「あっ、おはよう」
 校舎に着いて靴を履き替え、教室に入ると、辰哉が普段から交流を持っているらしい男子生徒の一人が挨拶してきた。心構えもなしに突然声をかけられたので驚いたものの、なんとか「それっぽい」風に挨拶を返す。すると彼は特に違和感等も抱かなかったらしく、そのまま廊下の方へ出ていった。心の中で安堵の溜息を吐きながら、自分の席を見つけて座った。設定を理解するのと実際の状況との間には、若干タイムラグが生じるようだ。
 机の中に何かが入っているのが見え、取り出してみるとそれはテストの解答用紙だった。恐らく現段階で最新の結果だろう。折り線が多々ついた紙を開くと、そこに書かれていた点数は六十五点。本当に「平均」という言葉がぴったりな人物であることが改めてよく分かり、うんざりしてしまった。
 こんな平凡な人間やっていけるかよ、俺は絶対にこんな人間にはならねぇ。神崎玲を何が何でも殺して、一人前の死神になる資格を得て戻ってやる。自分の拳を強く握り締め、そう思った。その時だった。
「玲ちゃーん」
 ふと聞こえたその言葉に反応し、思わず声が聞こえてきた方向を見る。そこでは、クラスメートであろう一人の女子生徒が、席に着いているもう一人の女子生徒に声をかけていた。その席に座っていた顔は、父に見せられた写真と同じ。神崎玲だった。
「ん? 美晴(みはる)ちゃん、何?」
「あのさ、この問題分かる? 今日さ――あ、」
 美晴と呼ばれた彼女が数学の教科書を見せようとした時、その表紙が誤って机上のペンに当たってしまい、ペンはそのまま床へ落下して前方へ転がった。彼女の席は辰哉の席より少しだけ斜め後ろの所にあるので、ペンを拾おうとすれば高確率で俺と目が合うことになる。瞬時にそのことを理解し、様子を見ていたことを悟られたくなかったので慌てて目を逸らそうとしたが、もう遅かった。
 ペンを拾おうとした彼女と、後ろを振り向いていた俺の目線は、ばっちり重なってしまった。
 これが特に何でもない人だったらすぐに目線を外すことはできただろう。しかし、この先どうやって彼女と接触して試験をパスするかを考えていた俺は、まるでロックされたかのように彼女から目を逸らすことができなかった。相手はまさか安積辰哉の中身が入れ替わっているなど思うはずがないので、これじゃあただの変な人に思われかねない。どうしよう、頼む、そっちから逸らしてくれ、と思ったその時。
 写真からも今の短い間でも受けていた、大人しそうなイメージを覆すかのように、こちらを見ながら一瞬だけ口元を歪めたのだ。それがニヤリとした笑みだったと分かるのに、そこから数秒を要した。背面に悪寒が一直線に素早く走った。何だあの表情は。こっちの思惑が見透かされている感覚がした。
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