銀翅と玄鋼

文字数 7,347文字

-起-

 この頃の都では「陰陽師」なるものが儲かるらしい。
 物事の吉兆を占うことが大流行し、猫も杓子も陰陽師。やれ家の中に鹿が紛れ込んだとかで、これは何やら不吉な知らせではあるまいか。そのような心配事が後を絶たず、何はともあれ陰陽師に調べてもらおうというのであった。
 とは言え、誰もが陰陽師になれるわけでもない。そもそも陰陽師とは陰陽寮という国家機関で働く者を言う。当然貴族であり、数がそれほど多くはない。そうすると一つ問題が生じる。数である。大流行によってもたらされた陰陽師への需要に対し、供給が圧倒的に足りないのだ。供給が不足すれば優先順位をつけるのは当然のこと。自然、摂政関白を筆頭とした上位階級のみに恩恵がもたらされるようになる。
 そうすると陰陽師を必要としていながら、待ちきれない者たちが増える。特に引っ越しの際などは陰陽師がいなければ話にならないほどであった。そのような需要過多、供給不足に応えるように現れたのが法師陰陽師たちであった。陰陽寮に勤めておらぬのだから「陰陽師」と呼ぶのもおかしな話だが、人々がその力を求めたので仕方ない。
 陰陽師の力は持って生まれた不思議な力、というわけではない。学べば誰でも会得可能な技術である。例えばかの有名な藤原道長などは陰陽師の誤りを指摘するほどであったと言う。とは言え、それは上流階級のごく少数。ほとんどの者が陰陽道などよく分からんが、なんとかしてくれと願うばかりである。
 このような社会情勢に目を付ける者は少なからず。京の大通り、隅っこをとぼとぼと歩く日麻呂もそのような小物たちのお仲間であった。彼のいで立ちは僧侶のそれである。もちろん仏法などからきしだが、法師陰陽師らしき姿をしておれば良いわけだ。
 日麻呂は今、ある企みを持って通りを歩いていた。それはもうじきこの近くを通る牛車、それに乗る貴族に取り入ろうという算段である。
 都にはすでに偽物陰陽師がはびこっていた。日麻呂も当然その中の一人である。そんな時勢であるから、貴族たちの陰陽師を見る目も厳しくなっていた。中には嘘がバレて処刑になった者もいたとか。
 門前に立って「陰陽師です、雇ってください」では話にならぬ。ゆえに日麻呂は策を講じた。
 牛のいななく声。牛車の車輪が地にめり込み、身動きが取れなくなっていた。日麻呂はすかさずその場に赴き、地に伏して言った。
「それがしは月山。修行中の僧にて、陰陽道の心得がございます。こたびの災難、まことに難儀。偶然の縁を持ちまして、ご助力いたしとう存じます」
 牛車の事故は偶然ではなく、日麻呂の罠であった。彼は幾日もその牛車が通る道を確認し、驚くべきことにその道筋が寸分たがわぬことに気が付いた。そうと知れれば話は早く、罠を仕掛けて牛車を止まらせ、これは何かしか不幸の前触れに相違ないと吹聴すれば良い。さすれば相手の不安を募らせ、そこから得られる金銀も期待できるというもの。
 などと考えを巡らせていたが、どうにも雰囲気がおかしいことに日麻呂は気づいた。誰も何も言ってこないのだ。おそるおそる顔を上げて見た。供の者は屈強な侍が二人だが、まるで心ここにあらずの様子である。
 日麻呂はどうしたものかと周囲を見たが、これも同様に不思議な光景が広がっていた。なんと道を歩く者の誰一人とて、日麻呂たちを見てはいないのだ。多少の騒ぎがあれば野次馬が見物に来るのが当たり前。しかし全くの無関心を示されるとはいったいどういうことなのか。
 日麻呂が茫然としていると、するするという音がした。牛車の物見が開く音である。そしてそこから響く声に日麻呂は一瞬で心を奪われた。
「よい。付いて参れ」
 声一つに全てを差し出したくなる。そのような心地があることを彼は初めて知った。そしてそう感じてしまうと、今の自分がいかに情けないかまで露わになってしまう気さえした。しかし罪を認めたいという気持ちを、この声の主に付いていきたいという気持ちが勝った。
 牛車は何事も無かったかのように進み始めた。いつの間に窪みから抜け出したのか。日麻呂はそれすらも気にならなかった。
 たどり着いた場所は通りから少し離れた屋敷であった。帝の住まう御所よりはずいぶんと離れていると言うのに、それに劣らぬかのような荘厳なつくりである。もちろん日麻呂は御所の内側など目にしたこともないのだが。
 牛車が止まり、従者たちが静かに離れていく。前簾が押し上げられ、中から現れたのは十半ばほど、そろそろ縁談の一つでもという年ごろの娘であった。韓紅を基調とした独特な呉服は、どこか神社の巫女にも見えた。
 その娘が何も気にせず日麻呂の前に立つので、彼は慌てて跪いた。
「どうした。顔が見えんと話しにくい。立つがよかろう」
「そのようなお戯れを。やんごとなき姫君とそれがしのような下賤の者が直接対話するなど、めっそうもないことです」
「おかしなことを言う。そなたは仏僧であろう? 下賤の身はむしろわらわの方じゃて」
 言われて日麻呂は冷や汗をかいた。陰陽師の仕事ばかりを気にして、仏門に関することは蔑ろにしてしまっていた。なんたら経を読みはしたが、さっぱり分からんので売り飛ばしてしまったのだ。
「まあ良い、あがれ。ちと疲れたでな。立つよりは座って話がしたい」
 日麻呂は急ぎ裏手の井戸に行き、足を洗って付き従った。娘には塵ひとつ付いていなかった。
 だだっ広い屋敷に、人の気配は一切感じられなかった。先ほどの従者さえ、どこかに姿を消してしまったのではないかと思うほどに。日麻呂は困惑しつつも、冷静さを取り戻しつつあった。事情は知らぬがこれほどの屋敷に住む姫君であれば大層な金持ちであることに違いない。であれば予定通り、あれやこれやと不吉を吹き込み金銀を。
「で? そなたは真の名を何と申すのじゃ」
「真、でございますか。それがしは仏門に身をささげてより月山としか名乗っておりませぬゆえ。それに、名などというものは等しく無にございます」
 日麻呂がそう言うと娘はくすりと笑って言った。
「もうよい。そなたの付け焼刃はいささか滑稽過ぎるでな。見ているこちらが笑いをこらえ切れんわ。仏僧どころか陰陽師というのも嘘であろう」
 日麻呂は観念した。
「おそれいりまする。それがしは日麻呂と申す商人にて、月山という名は方便にございました」
「方便と言うか。あつかましい奴よ。どうせ商人というのも嘘で、こそ泥のような生活でもしておるのであろう」
 すべて娘の言う通りであった。ここに至り、日麻呂は若干の恐怖を覚えていた。相手は十半ばの少女に過ぎないというのに、さきほどから受けるこの威圧感が何なのか。自分の意志でここに来たつもりであったが、ひょっとして自分は吸い寄せられてしまったのではないか。
「だがそれは別に良い。そなたが商人であろうが盗賊であろうが、そのような世俗の事情には興味ない。日麻呂よ、そなたに一つ仕事を頼みたい。成功すれば金銀は思いのままと思うてくれて構わぬ」

-承-

 都よりの使いにより、国中の陰陽師がかき集められることとなった。玄鋼と銀翅の兄弟もそうした陰陽師たちの仲間と言える。ただし、両名がここに来るまでの経緯には相違があった。
 兄玄鋼は帝より正式な命を受けて参内した。すなわち、公式に認められた陰陽師であるということだ。それに対し弟銀翅がここに来たのはほとんど偶然に近い。戦力になるのであればなんでもと騒いだ検非違使の連中が、各地より法師陰陽師を招き入れたのだ。銀翅自身はこの世にあってないような扱いであるゆえ、法師陰陽師らに紛れて都へとやって来たということになる。
 さてこれほどに人を集めてどのような騒ぎか。参内できぬ銀翅は玄鋼から事の次第を聞くより他なかった。彼らは都にあてがわれた小さな屋敷で落ち合った。
「帝への呪詛。それがこの都の中で行われている」
 聞いた銀翅は涼しげに。
「そこまで分かっているのであれば、返せば済むでしょう」
 京の都は陰陽師の総本山でもある。銀翅の意見はもっともなことだった。呪詛返しの法は多々あり、一級の陰陽師が集まっているのであればいくらでもやりようはある。わざわざ各地より陰陽師をかき集める必要など無いではないか。
「私もそのように言った。しかしどうも相手は只者ではないらしい。呪詛返しが効かず、今はどうにか呪詛を遅らせるだけで手いっぱいなのだ。それも賀茂氏、安倍氏といった名門をひっさげてのことだと言う。このままではじり貧となるゆえ、呪詛の元を突き止め、これを絶つというわけだ」
「名門、ですか……」
 銀翅が含みを持たせた言葉を投げると玄鋼は渋い顔を見せた。いわゆる名門の中には、さして技能もなく、自分を売り込むのに長けた連中も多い。そのような者たちがいくら集まったところで、本物の呪詛に抵抗できないのは当然ではないか。そのような感想を銀翅が抱いたことを玄鋼はよく理解していた。
「どこに耳がついているか分からん。軽率な言動は慎み、今日よりは帝のためにしかと働くのだ」
「もとより、帝のために働こうなどとは思っておりませぬよ」
「なんだと」
 玄鋼の目がギラリと光る。並の人間であればその眼光のみで身動きが取れなくなるであろう。しかし銀翅は平然と受け流し、事も無げに言った。
「私という人間は、ほとほと狐に縁が深いらしい」

-転-

 屋敷の中。奥座敷の中央に一人の男が座っていた。それがまがりなりにも人に見えるのは、服を羽織っていたからだろう。もし裸にでもなれば、遠目には奇妙な枝ぶりの枯れ木程度にしか見えなかったかもしれない。ただ、そんな有様であっても男は生きていた。
「人を呪わば穴二つ。その相手が帝ともなれば三つ四つはお手の物、ということであろうかの。さすがの我も依り代無しでは太刀打ち出来んかったか。後は持久戦あるのみ。こちらの依り代が朽ち果てるか、そちらの拠り所が枯れ落ちるか、じゃな」
 中央の男は日麻呂であった。彼にはいくつかの不運が重なった。まず陰陽師としての才を多少なりとも持ってしまっていたこと。それはかつて彼が経験した些細な出来事に由来する。そして最大の不運は、その力を邪そのものに見初められてしまったことである。
 凛
 鈴のような音が鳴り、娘は顔を上げた。侵入者の知らせであった。娘にとってこれは意外であった。都にいる名うての陰陽師たちは呪詛返しにかかりきり。あとは寄せ集め程度のもので、この身を探し当てるほどの技を持つ者がいるなどと考えていなかったのだ。
 ただ、帝が死ぬ前に見つかるであろう程度の可能性は考慮してある。驚きはしたが、慌てるほどのこともない状況であった。
「兵主部どもが、どうにかするであろう」
 兵主部は「ひょうすべ」と読む。河童のようなもので、その姿を見た者は病に倒れる。さすがに腕利きの陰陽師が見ただけでやられるとは思わない。だが、容易に倒せる相手でもない……はずだった。
 娘はひとつ、またひとつ、己の眷属たちが断ち切られていく音を耳にした。その音から、侵入者は二人であること、共に優れた術者であることが聞き取れた。
 そしてその二人が娘の前に姿を現すまでにさほどの時もかからなかった。
「まったく不躾な連中であるな。そなたらを招待した覚えは無いのだが」
「娘の姿をしているが本来のものではあるまい。気を取られるなよ」
「兄上、それはいらぬ心配というものですよ」
 娘の言葉は気に介さず二人が語った。娘は二人の無礼に苛立ちを隠さず立ち上がって言った。
「名乗るがよい」
「あいにくと、敵に弱点をさらすほどの間抜けではない」
「ほうか。そなたらは名が知られれば呪いに怯える弱小であるからな。ではこちらから名乗ってしんぜよう」
 兄と呼ばれた男が部屋に入り北斗七星の剣を振りかざした。怪異が名乗るのを防ぐためである。名を知ることで相手を支配することが出来る。しかし、ある種の強力な怪異にとっては名を知らしめることこそが力の源ともなる。つまりこの場で名乗るということは、二人の陰陽師の支配などものともしない力の誇示。勝利宣言に他ならない。
 男の剣は娘を貫いたかに見えた。しかしそれはただ幻を斬ったのみであり、娘はいつの間にか外に立っていた。
「我は天満大自在天神の娘、紅姫天王。我にまみえたことこそ誉れとせよ」

-結-

 戦いは防戦一方であった。玄鋼と銀翅は互いを補いつつ、反撃の機会をうかがうが、全く見えないでいた。紅姫天王を名乗ったそれは娘から白い大きな狐の姿へと変じていた。炎のようなものが二人を襲うが、屋敷には一切燃え移らず、熱も無い。ただし、触れればただでは済まないことだけが感じ取れた。
「中にいては不利だ。外に出るぞ!」
 玄鋼はそう言い、紅姫とは逆の方向へと走った。銀翅もそれに続き、途中で枝分かれした。紅姫は当然先回りしており、外に出た玄鋼に頭上から襲い掛かる。そして玄鋼自身も先刻承知とばかりに防御の式を散りばめた。
「これほど早く我を見つけた力量は褒めてやらんでもないがな。相手の力量まで見抜けぬところはまだまだよの」
 紅姫は防御を軽く払いのけ、玄鋼を組み敷いた。
 紅姫がその大きな口を開き、玄鋼の頭を飲み込もうとする。その隙を狙い、回り込んだ銀翅が屋根から矢を射かけんとした。しかし巨大な尻尾が銀翅を横殴りにして遮った。そして紅姫は玄鋼の頭を食いちぎった。
 地に叩きつけられた直後に銀翅はその光景を見た。あまりに一瞬の出来事で、何が起こっているのか脳が理解を拒んだ。嗚呼、と叫びかけたその瞬間、紅姫がむせた。
「げほっ、ごほっ」
 狐の口から出てきたのは玄鋼の頭ではなく、白い紙の束であった。落ち着いて見れば組み敷かれていると思えた玄鋼の体もいつの間にやら土の塊へと化していた。
「まさに狐と狸の化かしあいだな。そうなるとこちらが狸というのがいささか不服ではあるが」
「ああぁ……兄、うえ」
「どうした。まさか私が無様にやられたとでも思ったか。であれば貴様も騙せるほどにうまくやれたということだな。重畳重畳」
 玄鋼はそう言うと即座に銀翅の首根っこを掴み、抱き寄せた。何事かと驚く間も無く、銀翅の居た空を一本の矢が射抜いた。玄鋼は地に突き立った矢を引き抜き、すぐさま「返し矢」の呪詛を込めて投げ返した。すると兵主部の生き残りが木の上からさかさまに落ちてきた。
「貴方にしては慎重でしたね」
「貴様にしては軽率だったな」
 二人は切り替えて紅姫に対峙した。ここまでうまくやっているかのように見えるが、力そのものの差は強く感じていた。十六夜がいてくれれば、などといった思いすらも銀翅の脳裏をかすめる始末。
「兄上。あれはおそらく、これ以上どう戦っても勝てる相手ではありません」
「それは分かっている。しかし何も得られず退散ではちと寂しい気もする」
「ですので、奥座敷にいたあの男を先に始末しましょう」
 そう言い放つ銀翅に玄鋼は目を細めた。そして寸刻のためらいの後。
「懸命な判断だ。ではここは私が食い止めておく。貴様はさっさと目的を果たせ」
 銀翅は奥座敷へと戻った。そこには呪いを一身に浴びた哀れな男がいた。干からびた枯れ木のような男のことを銀翅は知っていた。
 元々、銀翅は帝をお守りするため、という立派な役目のために都に来たのではない。ただ、かつて狐探しを手伝わせたことのある男、日麻呂の様子を見に来たに過ぎなかった。特に必要に迫られてそうしたわけではない。山で山賊まがいのことをしていた日麻呂をこらしめ、ちょうどよいとばかりに陰陽師の手ほどきをした。その時、たまたま霊狐の類が近隣を脅かすというので、かき集める手数として使ったのだ。おかげで日麻呂は陰陽師としてはさほどではなくとも、狐を見つける嗅覚だけはそれなりに上達していた。そして、それゆえに紅姫天王を見つけてしまったのだ。
「これも私の罪か。半端な力を与えてしまうことの不幸を、もっと考えるべきだった。すまない」
 銀翅は刀子を抜き、男の今にも折れそうな首にあてる。何故か視界がぼやけた。「あんた、泣いてんのか」などという幻聴まで聞こえる始末。銀翅は頭を振り深呼吸して言った。
「ああ、そうだな。私は泣いている」
「さよか。ほんならどないしてほしい?」
「すこし、肩を貸してくれないか」
「はよ言えや。そんなん、お安い御用やで」
 十六夜がいてくれれば、との願いは叶った。紅姫天王は妖狐の中では上位の存在である。しかし帝への呪いを維持したままの三対一は多勢に無勢。さすがに割に合わないとなり、都から離れていった。
 日麻呂は生きてはいたが、いつ死んでもおかしくない状況と言えた。施薬院に連れ込み、やんごとなき方への呪詛の身代わりとなってこのような姿になったとだけ伝えた。悪いようにはならないだろう。
 玄鋼は朝廷に報告するや、一人さっさと帰っていった。律儀に見えて面倒事が嫌いらしい。
 と言うわけで銀翅は人の姿に化けた十六夜と二人仲良く歩いているところであった。
「今回、何があかんかったと思う?」
「あかんかった、か。私の軽率さが招いたことだ」
「ちゃうやろ。軽率とか慎重とか、そんなことはどうでもええねん。なんで一つも相談無しに自力でなんとかしよ思うてんねん」
「それは、私自身の責任でもあるから……」
「アホか。そない言うて、結局うまいこといかんのやったら、次はどないして責任取るつもりやってん。せいぜい墓立ててすまんすまん言うだけやろ。自力でなんとかしよ思うんは責任の取り方ちゃう。単なる我儘や」
「我儘か……」
 銀翅が表情を曇らせると十六夜は慌てて「いや、すまん言い過ぎた」と優しくしてくる。それが銀翅にはどうにもくすぐったくて仕方なかった。
「確かに、私は我儘だった。だから次は、もっとうまくやろう」
「……せやな。次はもっとうまいことやりや」

-完-
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