第1話

文字数 2,579文字

プロローグ
民族とは一体何なのか。中でも少数民族の存在意義とは? これがわたしの大きな取材テーマであった。
一九七三年(昭和四十八年)春、大学を卒業し、大阪の民間放送局に勤め始めた。社のトップと新入社員が意見を交わす機会があったが、放送局でどんなことがしたいのかという問いに、「社会の偏見と差別をなくすような番組を作りたいです」と答えた。
その後実際に関わったことを振り返ってみれば、アメリカ・ニューヨークに一九九二年(平成四年)五月から三年余り駐在した時に、米国内の先住民居留地を回り、取材をしたアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の抱える問題がある。
もうひとつは報道特別番組「木槿(むくげ)の花咲く頃~指紋押捺拒否~」の取材・制作で問うた在日外国人を取り巻く問題である。
一九八五年(昭和六十年)、在日外国人が常時携帯を義務付けられていた外国人登録証の指紋押捺問題が、登録証の大量更新を契機にクローズアップされ、在日韓国人の青年に密着し、番組にした。
アメリカ先住民問題も、在日問題も、煎じ詰めれば法治国家を標榜する国家権力、あるいは多数を占める民族・種族による偏見と差別に対する少数民族の生存を賭けた戦いの歴史である。
各民族は異なる民族の文化的・歴史的背景と民族的個性を尊重し、お互いの立場を理解して共存すべきところを、ある時は多数を頼み、またある時は偏見から生じる差別的な行為に及び、さらには少数民族の歴史や文化を破壊し、生命さえ奪い去るという暴挙を繰り返して来た。
また少数民族の存在自体を否定あるいは無視しようとする国家権力も存在した。卑近な実例を挙げれば、総理大臣として「日本列島を不沈空母に」と発言し、物議をかもした中曽根康弘氏がわたしには直ぐ浮ぶ。
彼は一九八六年、国会で「日本は単一民族国家だ」と発言し、先住民族のアイヌや在日コリアンから「われわれの存在を認めないのか」と、猛反発を受けた。
 一方、アメリカ合衆国では、時に政府と多数派の白人が結託し、金鉱の採掘や増加する人口を収容する目的で先住民の先祖伝来の土地や聖山を、法律を楯(たて)に強制的に収奪し、先住民を路頭に迷わせるなど、非情な歴史を重ねて来た。
また政府の同化政策により、先住民はその存在を消し去られようとする運命に置かれた。騎兵隊による無抵抗の先住民虐殺も何度も起きている。
ネイティブ・アメリカンのアイデンティティを確立しようとする運動体は、コロンブスによる「新大陸到達」からちょうど五百周年となった一九九二年、「部族の歴史がなくなれば、部族の存在自体が消えてしまう」という危機感を持って、「歴史を取り戻す運動」を本格的に開始した。
これに対して日本では一九八五年(昭和六十年)の外国人登録法・指紋押捺の廃止を求める運動に先んじて、一九八二年(昭和五十七年)在日韓国人の青年組織が、日本で最初に定住し、差別と偏見による辛酸をなめ尽くして来た在日一世の父親(アボジ)と母親(オモニ)を面談調査して、「在日韓国人一世」の歩みを永遠に記録しようという「歴史を取り戻す運動」が展開された。
その成果は一九八八年(昭和六十三年)、ソウル・オリンピックが開催された年の二月に、「アボジ聞かせて あの日のことを」という報告書にまとめられ、発行された。
「歴史を取り戻す運動」には朝鮮通信史の研究で知られた故辛基秀(シン・ギス)氏の在日朝鮮人たちの証言を集めた長編記録映画による貢献も特筆に値する。
 このように、時をほぼ同じくして、太平洋を挟む日本とアメリカ合衆国で、少数民族が「自らの歴史を取り戻し、その存在を歴史に留めようとする運動」を展開したことにわたしは注目した。
 その事実を重く受け止めて、第一章では、先住少数民族ネイティブ・アメリカンの主要部族をアメリカ合衆国で取材したものを中心にまとめ、第二章では在日コリアンの闘いとその歴史を通して、太平洋の両側で繰り広げられた民族運動に迫る試みをしてみたいと思う。
 なお日本政府が国際人権規約に基づいて国際連合に対し、同規約第二十七条に該当する少数民族として挙げているのは先住民族のアイヌのみだが、国民国家を限定的に捉えず、ここでは在日コリアンも少数民族とした。
彼らを少数民族と位置付ける理由としては、五世が誕生している現状で、生まれ育ちが日本という世代が大半を占め、言語こそ日本語になっているが、絶対多数の日本人とは異なる法事などの慣習や文化を、在日の団体や家庭が中心となり、世代を継いで伝えて来たか、あるいは伝えようと努めていること。さらに、他国民と言っても、本国には生活基盤がなく、外国籍のまま定住し、納税義務を果たしながら地域社会の構成員として暮らしている事実などを勘案した。
国際法上の通説では、韓国民であり、日本国籍を持っていない場合は、少数民族とはみなされないとされる。
二○一四年(平成二十六年)三月四日、わたしは大阪市北区にある在日本大韓民国民団大阪府地方本部を訪れ、朴鍾寛生活部部長にこの点を質した。在日三世の朴部長からは次のような答えが返って来た。
「われわれはマイノリティです。少数民族ですね。言葉、文化、風習は世代が新しくなるにつれて日本と同化し、確かに風化する傾向が顕著ですが、それでは最後に残る韓国人のアイデンティティは何かと問えば、国籍すなわち韓国籍です。これがなくなれば、存在自体が消えてしまいます。特に若い世代は進学、就職、結婚という人生の節目ごとに必ず「国籍問題」にぶち当たります。その結果、国籍を変える人が多いんです。一世の時代は、殆どが韓国籍でしたが、今や五世が誕生しています。その間、帰化や国際結婚で日本国籍の同胞が増えており、在日の中身が大きく変わって来ました。問題は色々ありますが、マイノリティ、すなわち少数民族という立場から、国民国家の多数派社会に対して声を出してゆく所存です」
なお、在日コリアンを少数民族とする代表的な資料には「平凡社世界大百科事典」があり、アイヌ民族、在日華僑などもその例として挙げられている。
 また、二○一二年(平成二十四年)の在留外国人統計によれば、同年十二月現在の在日コリアンの人口は五十三万四十六人である。
 それでは、日本列島から太平洋を跨いで、アメリカ合衆国に旅立つことにしよう。
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