第2話 私は極悪人、吉村正だ!

文字数 5,542文字

 
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 私の名前は吉村正だ。最近はこの正という名前が嫌いだ。なんなら、吉村悪、否、吉村極悪でもかまわないと思う時がある。その理由はこの世の中に正義は行なわれていないからだ。なのに正という名前だけが、空虚な世界に虚しく響き渡る感じがする。それが腹立つ。
 それにもっと腹が立つのは最近の爺・婆の品性のまったくない振る舞いだ。上品さのかけらもない。臭いに気を使う事もないので臭い。ションベンと線香の臭いがする。頭がおかしくなっているのも一部にはいて、突然キレだしたりする。キレる老人ってやつだ。軽犯罪者にも老人が多くなってきている、特に万引きだ。最近は老人という良い大人がスリルを楽しむという事だけで万引きしている。散歩していると、スーパーの近くをよく通るが、老人が補導員に店長室へ連れて行かれるのを良く見る。
 又、動きが遅い。遅くて非常に腹が立つ。人が自転車で急いでいる時にもノロノロと歩いてやがる。自転車のベルを「チリン、チリン」と鳴らしても完全に無視する奴も多い。耳が遠いのか、それとも感度が鈍いのかわからないが、どかない。道を占領して、ノロノロ歩く、最後にはこっちが気を遣いながら、自転車でそっと追い抜くのだ。おまけに何度も同じ事を質問する。私は結婚していないのだが、それを一時間の会話で五回くらい質問された事がある。まあ、文句を言えばきりがないのだが、とにかく私は老人が嫌いだ。
 「じゃあ自分もいつか老人になるじゃないか? その時はどうするんだよ」と皆さんは思うかもしれないが、私が目指すのは今あげたような老人ではない。少なくとも、汚く、品性のない老人にはなるつもりはない。上品で小綺麗でボケていなくて、お洒落な老人になろうと思っている。それにしても老人が嫌いだ。嫌いだ。大嫌いだ。
 しかし、現実は政治家の殆どが八十歳以上の老人で彼らが国家権力の中枢にいる。事務次官や局長おまけに本省の課長程度までの官僚も六十五歳以上の老人ときていやがる。そして、五十歳より、下の人間なんかに役職はない。ほぼ平公務員だ。これは官公庁だけではなく、民間企業にもいくらか当てはまる。老人がポストを占領してどかないのだ。ただ、民間企業は少数だが、課長までは五十歳程度でつけるようになっている。民間はさすがに市場競争が働くのであまりの老齢は許されないのだ。
 定年制も事実上廃止された。昔は六十歳、六十五歳、七十歳ときちっとした数字で定年の年齢が決められていた。しかし、今、それはない。それはなぜか? 年金の支給年齢が六十歳、六十五歳、七十歳と伸ばされていき、更には支給額も続々と減額されてきたからだ。だから、会社や官庁にしがみつく、その結果、若者には職も社会的地位や収入が約束されたポスト(課長・部長等)もまわってこない。
 この時代の三十五歳までの若年者失業率は最悪だ。三十五歳までの若者の内、四十パーセントは失業しているような状態だ。ただ、仕事がないわけではない。老人介護や老人ができない力仕事の需要はいくらでもある。ぜんぜん足りていない。しかし、そのような仕事を若者がするだろうか? 否、そんな仕事をするわけがない。この時代の若者はそんな事をするのならブラブラ遊んでいる方がましと考えるような人種なのだ。さらに昔はニートという差別的な言葉があって、そんな若者を軽蔑し、働かせようとする圧力もあった。ニートは働かない未熟者を意味し、皆に軽蔑される風潮もあった。しかし、今はニートの代わりに吟遊詩人とか若年貴族とか旗本の次男だとかの肯定的な隠語が使われるようになり、ニートという軽蔑的な意味合いの語は使用されなくなった。
 このような状況の中で、老人介護や力仕事を支えているのは改良された新型の作業ロボットと外国人労働者である。この時代は昔の技能実習制度が名前を少し変えて、技術研修制度となり、日本人より遥かに低いが、なんとか我慢すれば最低の中の最低限度の生活が送れるよう設計された制度となった。奴隷と言わないまでも、苦力(イギリスの植民地における低賃金で重労働させられた人々)と同じようなものとなった。
 ここで、奴隷ではないという事がポイントである。奴隷であれば、国際社会からの強烈な非難はまぬがれない。しかし、その中間体である苦力で、技能を研修中とあれば国際社会からは叩きにくい。実際に外国人は奴隷と違って仕事を辞める事もできるし、日本人より遥かに低いが最低賃金制度もある。更には母国よりもはるかに高賃金で、日本で一年働けば、母国で三年は働いた賃金がもらえる。ただ、労働期間は三年から五年で日本には定住できないようになっている。この制度を利用して、狡猾な老人政治家、老人官僚共は世界から外国人の若者を必死に集めようとした。将来の自分達のオシメを変えて、糞と尿の世話をしてくれる労働力がどうしても必要だからである。
しかし、吟遊詩人や若年貴族や旗本の次男等は暇でプラプラしている。社会への不満だけを溜めながら、親のスネをかじりつつ、介護や力仕事につく事は絶対にない。ただ、強烈な不満だけが溜まってくるのだ。外国人は日本国において低賃金で死ぬほど働かされても、節約と勤労に励めば、最後には母国に大金を持って、故郷に錦を飾る事ができる。その夢がある。しかし、吟遊詩人どもには夢も何もない。ただ、年寄りと運やコネ等によって年寄りの後を継いだきちっとした職のある若者を激しく憎むだけだ。
 又、きちっとした職のある若者(従業員百人以上のブラックではないホワイトカラーの正社員職)も更に上昇したいという意識から年寄りに激しく敵意を抱く者も沢山いた。年寄りから職を受け継いだ若者も平公務員、平社員で生涯終わる者が九割近くになる事が政府の統計情報等で明確になってきたからだ。なんの面白みもない人生、年寄りの言う事だけを聴いて、下っ端の単純な仕事を行なう人生。賃金も、もちろん、平公務員、平社員で終わる。そして、この吟遊詩人達ときちっとした職のある若者の若さゆえの行き所のない力がいずれは社会を動かすという大きな原動力になるのだ。しかし、今の私はまだそれを知ってはいない。
 私は今、概ねこういった社会状況の中に生きているのだ。ちなみに今の私の立場はジャガイモを毎日食べるような仕事からドロップアウトした吟遊詩人だ。昔は毎日、毎日、ジャガイモを食べていた。年寄り上司から毎日与えられる意味もないようなジャガイモばかり食べていた。それでもきちっとした職(つまりはさっき言ったホワイトカラーの正社員)は皆から羨ましがれていた。でも、周りからは羨ましがられていたが、自分的にはウザかった。
 まずは上司の爺がボケていたからだ。指示を出す、そして、きちっと指示を出したのに出した指示と逆の事を言いやがる。そして、ぶちギレる。おまけに、自分の言っていた事が間違っていると明確にわかると、とぼけたふり。そして、焦りながら自分の方が本当は正しいと強く主張するようになる。
 おまけに、私の事を常識がない、名刺の出し方も知らないとかありとあらゆるアゲアシを取り出す。まさに政党政治の野党のような存在だ。自分の意見を無理矢理正しいと言い出し、それを否定した人間のアゲアシを取り出す。どうしようもない屑だ。
 この屑のもとで毎日、ジャガイモを食べるような仕事をして人生が終わるのはムカつくものだ。ところが、破局が来たのだ。破局が。私と仲の良い先輩にあの私の大嫌いな体育会系の薄ら馬鹿の爺上司の事を影でこう言っていた。
 「なんであのアホが部長なんですか? あいつ馬鹿だ。もっと本を読め」
 私としては信頼して、その仲の良い先輩に秘密の言葉として言ったつもりなのに、その先輩とさらに仲の良い同僚はその爺上司と仲が良かった。そして、爺にチクられたのだ。爺は私を呼び出してはことさら嫌がらせをするようになり、四ヵ月後、私が退職意思を表した時に最後にこう言った。
 「お前、もっと本を読め」
 ここで、私が影で文句を言っていた事がすべて露見していたのが、ようやく理解できた。すべてが筒抜けだったのだ。会社で信頼している人とは言っても、そのしゃべった事は絶対ではないが、非常に周りに伝わりやすい。その事を理解していなかった。
 その時は安定志向の感情が強かった私はもう、ジャガイモを毎日食べるような仕事でもかまわないと思っていたのだが、こんな事情もあってアウトコースしてしまった。そして、ここでふくれているのだ。親のスネをかじりながら、ふくれているのだ。しかし、今でもあの爺はむかつく、革命が起こったら、真っ先に殺してやりたい。七十歳にして既得権益に噛り付いている社会のゴミの癖に、偉そうにだけしやがって! 
 ところで話は変わるが、私は四人家族だ。私、妹、父、母だ。家族四人で住んでいる。ここでその四人を紹介しようと思う。
 まずは妹からだ。妹は自慢ではないが、私と同じく、明らかに美しい。私好みの美人。すらりとした高い身長。非常に痩せた体。上品で幼い空気を持っている。もちろん、Fランクではないそれなりの大卒で教養も高い。そして、冗談も通じ、小悪魔的でSの空気を漂わせている所も兄からすれば嬉しい。捕まえてニャンニャンしたくもなるが、それは血が繋がっているので我慢している(私って変態かも。笑)。
 そして、母は明らかに昔、ヤンキーだったとわかるような人だ。タバコはスカスカに人前で吸う、家族がベランダで吸ってくれといっても言う事をきかない。おまけに若い頃の残滓だが、肩に刺青がある。理屈っぽい私とは全く違う人種である。しかも、服装はいつもTシャツにラッパのジーンズときている。若い頃、つまり七十年代に流行したファッションそのままだ。いい加減に私としては二十一世紀のおばさんらしいファッションをして欲しいのだが、聴く耳をもたない。体形は昔、妹並みのスリムで蟷螂というあだ名だったが、今はドラム缶、私達家族にとっては愛すべきドラム缶、もしくはワインを入れる樽という別名もある。しかし、これでも今は、家事の達人で、あらゆる美味しい料理を素早く作り、掃除も完璧にこなし、おまけに重労働のパートまでしているスーパー兼業主婦なのだ。つまり、俗に言う、動ける女デブなのだ。デブの中には運動がまったくできないデブと、普通のスリムよりもはるかに素早く動けるデブの二種類がいる。私の母は後者なのだ。
 次に父の話をしよう。父は元自衛官、それも防衛大学を卒業したばりばりの元エリート将校なのだ。最終階級は陸将補までいったのだ。自慢の父である。もちろん、運動神経は抜群、齢七十五歳にしても、未だ体力は現役時代の八割を維持していた。それは引退した今でも腕立て伏せや腹筋をかかす事はなく、毎日、十キロは走っている筋トレマニアなのだ。父自身も筋トレが楽しくて、楽しくてたまらないと言っており、三度の飯より筋トレが好きだとも言っている。そして、最近は暗殺拳習得に余念がない。若い頃に空手と柔道をならっており、すでに達人レベルなのだ。おまけに趣味で東洋医学も学んでおり、東洋医学と空手、柔道を組み合わせて、相手を暗殺する方法を研究中なのである(まあ、私から見たら、そんな暗殺拳ができるわけはないと思っているのだが、本人はできると思っている)。
 もちろん、勉強もできる。英検は準一級を取得しており、外国人とも相手がゆっくり、考慮して話してくれれば、普通にコミュニケーションを取る事もできる。又、世界史、日本史にも詳しく、兵書について東洋は孫武の「孫子」から西洋はクラウゼビッツの「戦争論」、おまけにジョミニの「戦争概論」まで精通している。更には薬草作りの趣味もあり、中国の薬学書である「本草綱目」にも詳しい。
 このような家庭で育てられた私はもちろん子供の頃から武道を叩き込まれた。父に匹敵するとは言わないでも、かなりのレベルにまで達しているのは確かだ。小学生の時に柔道を、中学生の時に空手を父から叩き込まれた。その時に何回、父にしばかれた事か! それでも今は怨んではいない。今は強くなれた事に感謝している。ただ、父のように勉強が好きかというとそういうわけではない。しかし、授業を聞いているだけで、公立中学校の実力テストで上位五%にはなんとなく入るのである。
 私は家族とは深い繋がりはあるが、親戚とはあんまりない。幼馴染の従兄弟も疎遠になってしまった。家族も同様だ。僅かに母親が自分の姉妹と連絡をよく取っているくらいだ。父親はもう家族以外の親族とは殆ど繋がりを持っていない。親族から連絡があるのは葬式の時くらいだ。それ以外に繋がりはない。妹はよくわからんが、たぶんないだろう。もしかして、年寄りが無責任の自己本位に行動するのはこういった家族以外との親類との関係が現代は更に疎遠になってきているからかもしれない。特に最近は親戚が集まる法事等の伝統的行事を大切にしなくなってきている風潮が強くなり、親戚間が顔を合わせる事が非常に少なくなってきた。家族のみと繋がりがある人が多くなってきた(特に親戚の中心になる祖母、祖父が亡くなるとそういう傾向が強くなる)。私も自分と同年代の従兄弟の名前は知っているが、自分とは同世代ではない従兄弟の名前、ましてや従兄弟の子供の名前等は殆どしらない。こういった祖先を祭るという行事が軽視された結果、特に独身の年寄りは自分の事しか考えなくなったのだろう。昔は従兄弟の子供にも愛情を感じたはずなのだが・・・・。

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