なるかみ山のカミナリ様

文字数 4,506文字

 こうたは、学校から帰ると、部屋にランドセルを放り出し、貯金箱から小銭を取り出した。
 そして、それをぎゅっと握りしめて、玄関にカギを掛けると、一目散に通りを駈け出した。

—— なるかみ山のてっぺんには、神様がおるんじゃよ。私のひいじい様は、願いをかなえてもらったことがあるそうじゃ ——

 ひいばあちゃんの言葉が頭の中で響いている。

 今日のこうたは、学校で全く上の空だった。
 なぜなら、昨日の夜中、父さんと母さんがあわてて病院に行ったからだ。

 母さんのお腹の中には赤ちゃんがいる。
 でも、カレンダーに印の付いた予定の日までは、まだ半月もあった。

 こうたの心に苦い思い出がよみがえる。
 あの時もそうだった。

 嵐が来たあの夜、ひと月も早く母さんは病院へ行き……
 母さん一人が帰ってきた。

 それからしばらくの間、母さんは本当に元気がなかった。

「こうちゃんがいるから、お母さんは大丈夫よ」
「こうちゃん大好き」

 そう言ってしばしばこうたを抱きしめてきた。
 こうたは、それが母さんの心からの言葉だと分かってはいたけれど、どうしようもない痛みが、こうたの心にも伝わってきて、辛くて、何もできない自分が悔しかった。

 あの嵐は、赤ちゃんを連れ去り、大きな悲しみだけを残していった。

 そして今日、手伝いに来てくれているおばさんと見た朝のニュースは……

『台風○○号が日本列島に接近し……』
 
 嵐が来ることを伝えていた。

「こうちゃん、大丈夫よ。そんなに心配しなくても」

 おばさんはそう言って笑っていたけれど、こうたは心配でいてもたってもいられなかった。

 そして、ふと、ひいばあちゃんから聞いていた話を思い出したのだ。

(そうだ、山の神様にお願いしに行こう)


 なるかみ山は、村はずれの小高い山だ。
 集落を抜けて、リンゴ畑やモモ畑のわきを過ぎ、ひたすら田んぼの広がる細道をかけていくと、古ぼけた赤い鳥居のある山の登り口が見えてきた。

 荒い息を整えてから、こうたは鳥居をくぐり、草のにおいがむんとする細い砂利道をのぼりはじめた。
 めったに人の通らないその道は、両脇の草が伸び放題になっていて、それをかき分けながら進まなくてはならない。

 額から、背中から汗が噴き出してくる。
 目に入ると痛いので、何度もタオルで拭いた。
 そのタオルもびしょびしょになった。

 それでも必死に登り続けると、ようやく頂上を示す出口の赤い鳥居にたどり着いた。

 そこには、小さい神社がぽつんとあった。

 こうたは、あたたかくなった5円玉をさいせん箱に投げいれ、くたびれた布のひもが垂れ下がっている鐘をカラカラ鳴らした。
 そして、ぎゅっと手を合わせて祈った。

 辺りが、ふうっと静かになった。
 ついさっきまで騒がしく鳴いていたセミの声が消えた。

 ゆっくり目をあけると、こうたの隣に、奇妙な鬼が腕組みをして立っていた。

「それで、ぼうず。どうしてほしいんだ」

 鬼はニコニコ顔で話しかけてきた。

 こうたは、一瞬大声で悲鳴をあげそうになったけれど、ぐっとこらえた。
 ここで出てきたということは、この鬼のような生き物は神様かもしれないのだ。

「あ、あのっ、かみさまですきゃ」
 礼儀正しく聞いたつもりだったが、こうたの声は変に裏返ってしまった。

「おう。なるかみ山のカミナリ様、イナビカリ・ライジンノスケ様たぁ、おれ様のことよ」

 空色のがっしりした体で、頭には鹿のような角を生やし、雨雲のような色の髪の毛とひげをふさふささせた大男は、首をぐるりと回して、金色の目をかっと開いて、大見えを切った。
 どう反応してよいか分からずに、こうたは固まった。

「よく来たぼうず。本当によく来た。あと一人だったんだ、ずうっと待ってたぞ」
 
 カミナリ様は少し眉を寄せたが、すぐにまた笑顔になってそんなことを言った。

「あと一人って…?」

 何のことか分からず、首をかしげるこうたに、カミナリ様は話し始めた。

 それによると、何百年も前のこと、ライジンノスケは天にいたのだが、えらい神様の家にいたずらで雷を落とし、家一つを燃やしてしまった。
 そして、かんかんに怒られたうえ『百人分の願いを叶えるまでここには帰ってくるな』と言われて地上に落っことされたんだそうだ。

「……しかし、願いを聞き入れるには、真剣な願いじゃねぇといけねぇ、心がきれいじゃないといけねぇ……とかいろいろ条件が厳しくってな、なかなか百人にならなかったわけよ。しかも、最近じゃここも流行らなくなって、前のやつが来てから何十年もたっちまった。それで、待って、まってようやく百人目のおめぇが来たってわけよ。くぅ、やっとたぜ。それで、どうしてほしいんだ」

 カミナリ様は、よほど長い間話し相手がいなかったのだろう、一気にしゃべりきった。

「ええと。お母さんの赤ちゃんが元気に生まれますようにって、お願いします」

 こうたが願い事を言って頭を下げると、カミナリ様は目をぱちくりさせた。
 
「おい、カミナリ様っていったら、天気の神様に決まってんだろう。何だその願いは」

 といったのだった。

 今度はこうたが目を丸くする番だった。

「え、それじゃあ、僕の願いは。どうなるの」

「無理にきまってるだろう。おれは天気専門だ。それに生き死にってのは神でも変えられねぇ決まり事なんだ。おれでなくてもどうにもならねぇ」

 カミナリ様はあっさりそう言った。

(神様でもどうにもできない決まり事……)

 こうたの目には涙が込み上げてきた。
 それは、こらえきれずにポロリとこぼれた。
 止めようとしても、あとからあとから湧いてくる。

「おいおい、俺が悪いみたいじゃねぇか。ぼうず心配すんなよ。赤ん坊なんてのは大抵ちゃんと生まれてくるもんなんだよ。大丈夫だって」

 カミナリ様は慌てた。

「でも……」

 あふれる涙を手でぬぐいながら、こうたはこれまでのこと、どうしようもない不安な気持ちをカミナリ様に訴えた。
 カミナリ様は、大きな手で背中をさすってくれる。
 優しい手に慰められながら、こうたはしばらく泣いていた。
 
「まあ、ぼうずそんなに心配するなって、お前がそんだけ想ってんだ。きっと、絶対上手くいくさ」

 ひとしきり泣いてしゃくりあげているとカミナリ様は優しく断言した。
 
「ありがとう、カミナリ様」

 気持ちが静まってきたこうたは、鼻をすすると、カミナリ様に別れを告げようとした。
 ふと、カミナリ様が何だかしょんぼりしているように見えた。

(そうか、これでまたしばらく天に帰るチャンスがなくなっちゃうんだものな)

 こうたは申し訳ない気持ちになった。
 そしてその時、こうたの目に真っ黒な雲が空を覆い、むくむくを大きく広がっていくのが映った。

「ねぇ、カミナリ様『晴れ』で。今夜の天気は絶対『晴れ』で、とびきりの『晴れ』でお願いします」

 こうたはカミナリ様に向かって手を合わせた。
 カミナリ様はこうたの目を見ると、それがいい加減な願いでないことを読み取った。
 
「それって、俺への願い事でいいんだよな」
「そうだよ。僕、今夜は必ず晴れにしてほしいんだ」

 カミナリ様は深くうなずくと二カッと笑って言った。

「お前の願い事確かに受け取ったぜ。誰が何と言おうと今夜は快晴、間違いなしだ!」
 
 そして、目をつむって口の中でなにやらゴニョゴニョ唱えた。
 こうたが空を見ると、さっきまで立ち込めていた黒雲がすうっと消えていった。

「こんなに簡単に、す、すごいね」

 こうたは思わず手をたたいた。

「へへへっ、ちょろいもんだ。さてと、そろそろ時間だな。ぼうず、手を出せ。いいか、今回は百回達成記念特別出血大サービスだ」

 カミナリ様は肩を回すと、にっこり笑いながらこうたの手を握った。

 すると、体が宙に浮きあがり、風になって舞い上がったかと思うと、いつのまにか病院の中にいて、目の前には、真っ赤な顔で歯を食いしばる母さんの姿があった。

「いいか、おれたちの姿は見えない。声も聞こえない。でも、ここで励ませばお前の心は母ちゃんに強く届くだろう」
 
 こうたはカミナリ様の言葉にうなずいた。

「母さん、がんばってー」
 
 こうたは声を張り上げた。

「頑張れ頑張れ、こうたの母ちゃん!」

 カミナリ様も自慢の太鼓を手に一緒に応援してくれた。

 二人の声がかすれ出したころ……

「ふんぎゃーっ」

 元気な産声が聞こえた。

「やったー」

 カミナリ様とこうたは抱き合って喜んだ。

「おい、こうた妹みたいだぞ。かわいいなぁ、よかったなぁ」
「うん」

 こうたは、涙ぐみながらうなずいた。

 二人は、母さんがほほ笑んで赤ちゃんを抱っこしたのを見届けると、神社に戻ってきた。

「ありがとう、カミナリ様。天気以外のこともできるんだね」
「まあ、転移術くらいはな、でもまたおえらいさんにどやされっかな。免許があんのは天気だけだからよ」

 こうたの弾む声に、カミナリ様は頭かきかき答えた。

「でも、本当にありがとう」

 こうたはもう一度言うと、カミナリ様を抱きしめた。

「おう、喜んでもらえてよかったぜっと。あ、おれもそろそろ迎えが来たみたいだな。じゃ元気でな」
 
 辺りが輝き始めた。
 こうたが離れると、カミナリ様の体も光りだした。
 ニカニカしながら手を振るカミナリ様に、こうたも笑顔で手を振り返した。
 やがて、目を開けていられないほど眩しくなって、こうたはは、目をつむった。


 カナカナカナカナ……カナヵ…

 セミの声が聞こえてくる。
 目を開くと、もうカミナリ様の姿はなかった。
 こうたは最後に、もう一度神社に手を合わせてから山を降りた。


 山を下り終えるとすっかり日が暮れていた。
(これはまずい、おばさんに怒られる)
 こうたは帰り道を急いだ。

 コロコロ…コロコロ…   
 ズィーッチョ ズィーッチョ…

 コオロギやウマオイの歌を聴きながら田んぼ道を抜け、果樹園を通り過ぎると、向こうから懐中電灯を持った人影がやってくる。
 その人物は、こうたに気がつくや否やぱっとかけ寄ってきた。

「ばかっ。いったい何時だと思ってるんだ」

  怒鳴り声が降ってきた。

「父さん、ごめんなさい。ちょっとお参りに行ってて……」
「帰るぞ」

 こうたが言うと、父さんは仕方がないなという表情を浮かべながらしっかりと手を握って歩き出した。


「赤ちゃん元気に生まれたよ。明日会いに行こうな」

 しばらく歩いてから父さんが言った。

「うん。妹でしょ。早く会いたいな」

 こうたは思わずそう答えてしまった。

「内緒にしていたのに、知ってたのか女の子だって。それとも、……まさかな」

 父さんは驚いた声をあげた後、なにかをつぶやいている。

「え、なに」
「あのな、母さん、産んでる最中に、こうたが見えたんだって、しかもへんてこな鬼と一緒だったってさ」
「お母さん、おもしろいね。」

 こうたは、ふふふと笑った。

 空を見上げると満天の星が輝いていた。

 「台風、どっかにいちゃったな。それにしても、こんな見事な、綺麗な星空見たことないよ。……最高の夜だ」
「うん」


『百回達成記念特別出血大サービスだぞぅ!』
 
 宝石をちりばめたような夜空を見上げるこうたの耳に、カミナリ様の声が届いた気がした。

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