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文字数 2,893文字


「周囲に注意を払わずに歩き回るなんて……無用心だぜ? 我等がK2中の探偵さん?」

「そっ、それを教えるためにこんな真似したのか?」
 闇の中で志儀(しぎ)は体に巻きついた手を必死に振り解いた。
「乱暴すぎるよ!」
「そう怒るなよ」
 マッチを摺る音。
 アルコールランプのぼんやりとした灯りが灯る。
「?」
 
 どうやらここは理科実験室のようだ。

「どうしても君と話がしたかった。でも、君は見張られているから――こうでもしなきゃ無理だったのさ」
「見張られてるって? 僕が?」
「それさえ気づいていなかったのか? 本当に君は何も知らないんだねえ、 我等が探偵君!」
 揺れる火影の中でけたたましい笑い声が響く。
「やれやれ! 大した人材を抜擢したもんだぜ、生徒会も。いや、だからこそ、選ばれたのかな?」
 皮肉に笑いながら男は握手の手を差し伸べた。
 カーキ色の制服。K2中の生徒だ。とはいえ、体中すっぽりと黒い布を纏っているので、ランプの明かりがなければ完全に闇に溶け込んでいたろう。
「その様子なら僕の名も知らないんだろ、海府志儀(かいふしぎ)君?」
 目を(しばたた)く志儀を可笑しそうに見て男は自己紹介した。
「僕は黒石鑑(くろいしかがみ)。5年V組。所属は演劇部だ」
「演劇部?」
 なるほど、冴え渡る美貌の持ち主である。そして――
 またしても(・・・・・)文化部(・・・)

「で? 黒石さんとやら、こんなやり方をしてまで僕に話したいことって、何だよ?」
 探偵としての自尊心(プライド)を傷つけられた志儀はボソボソと質した。
「僕はね、のんきな君に重大な秘密……隠された陰の部分を教えに来たのさ。君の目を覚まさせる――それこそが、今回のこの僕の役割なのだ!」
 薬品の匂いの篭る真っ暗な理科実験室。黒石鑑の瞳は金色に底光りしている。志儀はゾッとした。
 この凄みは何処から来るんだろう? 彼を突き動かしているものは何だ?
「僕以外の誰が君にこの重要な、呪われた真実を教えるというのだ? 皆、揃いも揃って生徒会長に追従しやがって。犬のように尻尾を振って顔色を伺っている意気地無しばかりだ。でも、僕は違うぞ!」
 床を鳴らして黒石は咆哮した。
「生徒会長が大天使(ミカエル)だというなら――いいとも、僕は喜んで墮天使(ルシファー)となってやる!」
「……」
 あまりの迫力に志儀は言葉を挟むことも忘れて、唯唯見入ってしまっていた。
 一旦足を止め、虚空を睥睨(へいげい)した後で、黒石は振り返った。
「いいか、海部君、決して片一方だけの意見を聞くな。シェイクスピアも言っているではないか。『綺麗は汚い、汚いは綺麗』と……」
「シェ、シェーイクスピア?」
 裏返った声を上げる志儀。
「全然言ってる意味がわかんないよ。僕の愛読書は探偵小説だからっ」
「チッ」
 黒石は舌打ちした。
「言い方を変えよう。襲撃者を捕らえようと思うなら、逆に襲撃者の立場に立って考えてみるべきだ、と僕は言いたいのさ」
「はあ?」
「君、気づかないのか? 今回の暴挙は明らかに学校行事(つぶ)しだ。学校行事の妨害を狙っているのだ」
「!」
 確かに。
 僕を探偵に任命した、その初日に、生徒会長はハッキリと言った。
 
 ―― このままではK2中の重大行事〈学園祭〉と〈修学旅行〉が中止になってしまう。
 
 そして? つまり? 
 そのことを生徒会長は何よりも恐れている……?

「わかったようだな?」
 黒石は涼しい切れ長の目を細める。
「そう、襲撃者は学校行事の中止を目論んでいる。突き詰めればその真の目的は、生徒会長を苦しめること。三宅貴士(みやけたかし)への恨みにあるとは考えられないか?」
 志儀は唾を飲み込んだ。
「で、でも、生徒会長を恨んでる人間などいそうにないけどな? 何と言うか……彼、素晴らしい人物だもの!」
「浅墓だな、君は」
 氷のように冷ややかな微笑。
「綺麗は汚い……彼を恨む人間は多い。彼はたくさんの敵を有しているよ」
「たとえば誰だよ?」
 先刻からの、嘲笑を含んだ言い方に我慢も限界に来た志儀。思わず叫んだ。
「それほど自信を持っているなら、具体的な名を挙げて見せろよ!」
「ふん?」
 黒石は笑った。見よ、〝鼻で笑う〟とは、正にこの表情を言う!
「たとえば……そうだな、最も身近なところでは、毛利天優(もうりてんゆう)もその一人だ」
毛利天優(・・・・)? それって、第1犠牲者じゃないか!」
「そうさ」
 再びの笑い。今度は〝せせら笑う〟の方。
「だから君は浅墓で、何も知らないと言っているのだ!」
「僕――」
「その様子では、現在の生徒会役員の(いびつ)な配置にすら全く気づいてないな?」
 志儀は何も言い返せなかった。実際、そんなもの全然気づいていなかったから。
「生徒会役員の配置だって? 何、それ?」
「図星か?」
「だ、だって、中学校のアレコレを知らなくったって、そりゃ仕方ないさ! 僕の本業は〈中学生〉じゃなくて――〈探偵助手〉なんだから!」
 あまりに破天荒な志儀の言い訳に流石の演劇部員も一瞬、目を剥いた。
「中々面白いことを言うね、海部君? 今度脚本を書いてもらおうかな。それはともかく――」
 咳払いをすると、
「笑わせてくれた御礼に――では、僕が改めて教えてやるよ。いいか? 我等がK2中では、代々生徒会長は1名で補佐すべき副会長は2名と決まっているんだ。選挙で選ばれた上位3名が歴任する」
「?」
「だが、今年は違う。生徒会長は三宅貴士。これはいい。次なる副会長は錦織敬輔(にしごりけいすけ)一人だけ。何故だと思う? 生徒会選挙で三宅に次いで2位だった生徒が副会長になるのを拒否したからさ! その生徒こそ」
「……まさか、毛利天優?」
「大当たり!」
 演劇部員は肩に羽織っていた布を打ち振るった。宛ら、怪鳥が羽ばたくごとく。或いは、堕天使が浮上するごとく?
「与えられたものばかりでなく、もっと視点を変えて、自分で情報を集め、調べたまえ、海府君! そうしたら世界は丸きり違って見えるから。白が黒に。美しいものが醜くかったり、悪人が実は聖人だったりする。猟師が狐で、狐が猟師、襲う者が襲われた者の中にいたり、さ?」
「君は何を言いたいんだ?」
「おっと、僕の出番はここまでだ。シナリオのページが尽きた。台詞はもうない。後は君自身で考えろ。君のその目と脳みそで!」
「――」
「アーハハハハ……ハハハ……ハハハハ……」


 
 気づくと志儀は一人、アルコールランプの灯る理科実験室にいた。
 蝙蝠のように飛び去った黒石鑑と名乗る生徒。その冷笑だけが志儀の頭の中でいつまでも木霊している。
 だが――
 確かに彼の言うとおりだ! 
「クソッ!」
 志儀は歯を食いしばった。
 よく考えたら第1犠牲者である毛利天優の〈顔〉さえ自分は知らないのだ。
 これでは嘲笑されたって仕方がない。


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