ダンスコンテスト  その九

文字数 6,150文字

 予選を経験したせいか、決勝の朝はそれほど緊張はしていない。正直なところ予選を通過しただけでも奇跡的な事だっただけに、四人とも決勝に出られるだけで満足しているようだった。
 今回も、花咲美容室で女装のメークをしてもらっている。これで三回目のメークなので、花咲も手際が良い。しかし花咲はプロだけあって、慣れてきても丁寧さは最初と変わっていなかった。むしろ回数を重ねるたび、質が上がっている。「初心忘れるべからず」とよく言うが、忘れてはいけないのは慎重さと丁寧さだろう。この二つが質を良くする要素なのかもしれない。
 花咲は四人の穏やかな表情を見て順位にこだわっていないことを感じ、
「思いっきり楽しんできてね」
 そう言って四人を送り出した。
 車に乗り、徹がシートベルトをつけながら、
「トイレは大丈夫か?」
 と言ったので、沙友里の動きが止まった。『もしかして夏樹が話したんじゃ……』そう思い、問いただすような眼で夏樹を見みると、『何も言っていないよ』と言うように手を小刻みに振りながら、目を丸くしている。
「ト、トイレ?」
 沙友里は少し身を乗り出し訊いた。
「いやいや、俊介に言っているんだよ。さっき美容室で言ってただろ」
 徹は俊介に確認しただけのようだ。後部座席では二人が声を殺して笑っている。
「あっ、行くの忘れたな。まっ、いいか」
「なんで俺がお前のトイレを気にしないと行けないんだ」
「そういうなよ。マネージャーさん」
 俊介は(ひじ)で徹を突きながらじゃれた。
「その顔でじゃれないでくれ」
 徹は俊介の肘を振り払い、顔をしかめてエンジンをかけた。
「何か後ろから見るとカップルに見えるよ」
 夏樹がからかうと、
「ないない。それは無い……」
 俊介と徹は窓の外を向いて黙り込んだ。沙友里が沈黙に耐えかねて、
「変な空気になっちゃったよ……」
 そう呟くと、
「なに本気で意識してるのよ。冗談に決まってるでしょ」
 夏樹は後ろから運転席と助手席を軽く叩いた。
 今日も道は渋滞していてなかなか前に進まない。後部座席がやけに静かなので俊介が身をよじらせて見てみると、夏樹と沙友里はシートに身をゆだね、目を閉じて寝ているようだ。
「マネージャー、全く緊張感が無いんですけど」
 俊介は前を向き座りなおした。
「そうだな。もう順位より楽しもう」
「他のチームは気合入れてくるのかな」
「多分な。特に女子チームは気合入ってそうだな」
「確かに」
 予選突破を目指していた四人にとっては、たった二週間で緊張感を取り戻し、気持ちを立て直すのは難しかったようだ。

 決勝が行われるスタジオの待合室には、会議用テーブルを二つくっつけた状態の島が四つあり、各島にパイプ椅子が適当な数おいてある。既に大阪から来た男子チームと大学のダンスサークルのメンバーがテーブルの上に荷物を置き、椅子に座って談笑している。予選の時のように、踊りの最終確認をするような緊張感は感じられなかった。笑顔で挨拶を済まし彼らと楽しそうに話し始めたところに、口数少なく挨拶をしながら女子チームのメンバーが入って来た。室内はさっきの賑わいから一転した。彼女たちの緊張感が皆に伝わってきたのだ。きっと彼女たちは最初から優勝を目指していたのだろう。この待合室にいるチームは彼女たちにとってはライバルだ。
『勝負をする前に、完全に負けている』
 俊介は今になって気持ちを立て直せないまま、ここに来てしまった事を後悔した。薄紅色に塗られた唇を軽く噛むように女子チームを見ている俊介の横顔を冷めた眼付きで見ていた夏樹は俊介と目が合うと、(とが)った口調で責めてきた。
「車の中で、緊張感が無いとか、順位より楽しもうとか言ってたでしょう」
 思わず夏樹を避けるように身を引いてしまった。
 更に沙友里も加担(かたん)してきた。
「言ってた、言ってた」
「おっ、起きてたのかよ……」
 俊介はわずかに後ずさりしながら、キュロットスカートの(すそ)を握った。徹も首を引っ込めるように下を向いている。
「私達はそんな半端な気持ちじゃないからね。気合が入っていないのは、あなた達よ!」
「そんなことないよ……」
 冷たく尖った夏樹の言葉に比べ、俊介の言葉は弱々しい。
「ちゃんと気合入れてよね」
 夏樹に説教じみた言い方をされ俊介も言い返そうとしたが、予選の時のように喧嘩になると思い短く答えた。
「わかってるよ」
「本当にわかってるのかな~?」
「わかってる」
 くどく聞かれ、少しムキになって言い返すと、更に無表情のまま夏樹が続けた。
「じゃあ、カランと言えば?」
「コロン」
「そうそう」
 夏樹は面倒(めんどう)くさがりながらも俊介が答えてくれて、ニッコリと笑い満足そうだ。
『緊張感が切れていたのは俺だったな』
 自分の緊張感が切れていたから、勝手に夏樹と沙友里も緊張感が切れていると思い込んでしまっていたようだ。
『よし今日もしっかりと踊れる』
 ようやく予選の時の気持ちが戻ってきた。

 待合室で三十分ほど待っただろうか、ノックの音と同時にドアが開き一人のスタッフが入ってきた。
「いまから出場順を決めます。決め方はクジ引きです。リーダーの方はこちらに来てください」
 公平を期すために、クジで順番を決めるようだ。夏樹はスタッフの方を見ながら立ち上がり、パイプ椅子をテーブルにしまうとクジが入っている箱の近くに歩み寄った。箱の前で誰が先にくじを引くかお互い様子をみていたが、
「予選の順で引けばいいんちゃう」
 大阪から来た男子チームのリーダーの言葉にみんな同意するように顔を見合わせ、女子チームからくじを引き始めた。
 くじ引きの結果、出場順は
  大学ダンスサークルの大所帯(おおじょたい)チーム
  大阪から来た男子チーム
  夏樹のチーム
  保育士を目指している女子チーム
 となった。
 席に戻ってきた夏樹は、
「三番目だって。良かったのかな?」
 皆の様子をうかがっている。
「何番目が良いのか、よくわかんないよ」
 沙友里はそう言いながら俊介に眼を向けると、
「まっ、良かったんじゃない」
 俊介は目を合わせず不愛想に答えた。どうやら緊張感が戻って来たらしい。夏樹と沙友里は緊張すると不愛想になる俊介の性格はもうわかっている。そんな俊介を見て、二人の緊張感も高まってきた。
 参加者たちはスタジオに移動した。ステージ部分だけが周りから浮かび上がるぐらいに明るく鮮やかな色をしている。ステージの前には五十人ほどの観客が座っていた。ちょうどスタッフの指示に合わせて拍手をする練習をしているようで、観客が園児のような素直さで手を叩いている。参加者は客席から見えないステージの裏側に待機した。数人のスタッフに頭を下げながら入って来た四人の審査員が隙間から見える。テレビでよく見る有名なダンスユニットのメンバーやプロデューサー、バラエティーでおなじみの女性タレント、そして予選の時に真ん中に座っていた審査員も来ている。
「わー、芸能人だ」
 ダンスサークルチームからかすかな声がすると他の参加者も隙間から一目見ようと背伸びをしたり、頭を動かしたりしている。ひとり違う方を向いていた沙友里は観客席の隅で目立たないように立っている徹を見つけた。沙友里が隙間から芸能人を見ようとしている夏樹と俊介の肩を叩いて徹の方を指さすと、徹もこっちに気付き、
『頑張れよ』
 そう口を動かしながら、小さく手を振った。

 司会者の登場と共にステージが一気に賑やかになり、ついに決勝が始まった。審査員の紹介の後、最初にダンスをする大学ダンスサークルチームがステージに押し寄せるように出て行く。この大人数のチームはオープニングにはピッタリだ。三つほどのグループに分かれそれぞれが違うダンスをしたり、時に全員が同じ動きをすることで、強弱をつけている。そして大人数を生かしたフォーメーションが迫力を作り出し、観客を楽しませている。そのアップテンポのビートに合わせるように、心臓の鼓動が早くなっていく。
「口から心臓が出ちゃいそう」
 沙友里が胸元を両手で抑えながら次に出番を控えた大阪男子チームを見ている。
「大丈夫よ、きっと」
 夏樹が寄り添うように励ました。
「いつも通りにやればいいんだ。テレビだからと言って気合を入れすぎると、クールさが無くなってしまう。いつものように余裕を持って、クールな笑顔で踊ればいい。決して余計な動作はしちゃいけない」
 俊介はステージの方を向いたまま最終確認をするように二人に伝えた。
 大学ダンスサークルチームの踊が終わり司会者のインタビューを受けている間、大阪男子チームが手足をほぐすようにせわしなく動かし始めた。そして司会者に呼ばれると、
「よっしゃー、やるで!」
 勢いよく飛び出していった。身体能力を活かしたスピード感のあるダンスで、時折見せるコミカルな動きに、観客から笑い声が上がっている。
「ねっ、円陣組もう、円陣」
 夏樹は緊張で震えている。沙友里が徹に小さく手を振ると徹がこっちに気付き、三人は手を中心に合わせ、円陣を取る仕草を徹に見せた。徹も右手を前に突き出した。夏樹が口の動きだけで、
『せーの』
 と合図をし、
『カランコロン』
 全員合わせて静かに気合を入れた時、俊介達が呼ばれ、夏樹を先頭にステージに向かって駆け出した。ステージ裏とは全く違う、キラキラしとした眩しい世界だ。いくつものライトが自分たちを照らし、何台ものカメラがこちらを向いている。観客の表情を見ている余裕はない。
「これまた、可愛らしい衣装だな~」
 司会者はマイクを持っていない方の手を大きく広げ身体(からだ)を反らせてから、意気込みを聞き始めた。司会者は俊介が男だということを事前に知らされているのか、演出するように夏樹、沙友里という順で聞き、俊介が少し話すと、
「ちょっと待って、もしかして君は男か?」
 観客の方に顔だけを向け、驚いてみせた。
 俊介が、
「はい」
 と答えると、観客からも驚きの声が上がった。
「綺麗すぎるわ」
 観客の声を代弁するような司会者を隅で見ていた徹はいつもながら鼻が高かい。

 可愛らしくテンポのいいココットの曲が流れ始め、三人は息を吐いて力を抜くと、いつも通りの動きを心掛けながら踊り始めた。
『いいぞ。いつも通り滑らかでクールな感じだ』
 徹は踊り出しを確認してから観客の様子をうかがっている。
 観客もその心地よさに浸っている感じだ。手を膝に置いて三人の踊りをみている。さっきまでは自分達も一緒にダンスのテンポに合わせ楽しんでいたが、いまはクラッシックのコンサートを聞き入っているかのように、ダンスに集中している。予選の時にいたあの審査員も手に持ったボールペンでリズムを取りながら三人の動きを目で追っていた。
 最後は三人が横一列に並び斜めに向いた状態で軽く膝を曲げる振り付けで終わる。その姿勢を維持したまま手を振った。
 夏樹と沙友里は十分やり切ったという爽やかな笑顔で客席を見つめていた。
『よく頑張ったな』
 徹は目頭が熱くなりながら彼女たちを見ていたが俊介に目線を向けると、何というか宝塚のスターのような貫禄(かんろく)のある美しさを放っている。
『なんなんだ、あの美しさは。本当に俊介なのか』
 その優雅(ゆうが)な微笑みから、俊介の面影を感じることは出来ない。
 観客の拍手も心なしか大きく長いような気がする。
『これはもしかしたら優勝かもしれない……』
 そんな期待が徹の中に湧いてきた。
 しかし女子チームのダンスを見た瞬間、その期待は消え去ってしまった。
 素人目にも次元の違いがハッキリとわかる。きっと相当練習を重ねてきたのだろう。それは待合室での彼女たちの表情からも想像がついた。四人の動きが完全に合っている。まるでシンクロナイズド・スイミングを見ているようだ。ダンス自体は今となっては懐かしさを感じるオールドスタイルで、ちょうど八十年代のマイケル・ジャクソンのような感じであろうか。それがかえって若い観客には新鮮に感じたに違いない。
 ダンスが終わるとやっと緊張から解放されたのか、ステージの中央に集まり無邪気な笑顔で互いの健闘を称えあっていた。
『凄かったな……』
 徹は無意識に大きな拍手をしていた。
 結果を審議するため少しの休憩が入り、女子チームのメンバーも今はとても話しかけやすい雰囲気だ。
「凄かったね。どんな練習をしているの?」
 夏樹がメンバーの一人に話しかけた。
「最初は体幹(たいかん)を鍛えるトレーニングをずっとやっていたのよ」
 夏樹の後ろで話を聞いていた俊介は、
『体幹トレーニングからやっていたのか……』
 まさかそんな基礎作りからしていたとは思わなかった。きっとかなり前から準備をしていたに違いない。
 審査員と司会者、アシスタントがステージに戻ってくると、参加したメンバー全員もステージに上がり、結果発表が行われた。
 司会者が勿体(もったい)ぶるように優勝者を発表したが、それは誰もが予想していた通り保育士を目指している女子チームだ。
『人一倍頑張った人が優勝するのは当然なことだな』
 俊介は結果に納得していた。そして、嬉しさと感動のあまり人目も気にせずに大泣きしている女子チームのメンバーを見て、
『努力が報われて、本当に良かった』
 と、よりいっそう大きな拍手を贈った。

 花咲美容室の鐘は今日も彼等を優しく迎えてくれた。
『ただいま』
 皆、心の中でそう呟いたに違いない。
「お帰り。頑張ってきた?」
 花咲の声に、心が癒された。
「頑張ってきました。でも優勝は出来なかった」
 夏樹はちょっと残念そうだ。
「あのチームは凄かったからな」
 俊介が付け加え、夏樹も納得したように頷いた。
「へー、そんなに凄いチームがいたの。上には上がいるのね」
 花咲もどんなチームなのだろうかと興味深そうだ。
「三日後にテレビで放映されるので、それを観るとわかると思います」
 そう言う沙友里に花咲は放送時間を詳しく聞いている。
「でも皆もすっごく良かったよ。観客も引き込まれていたよ」
 徹は三人の健闘を(たた)えるように、観客席の様子を手ぶり身振りを添えて話した。

 美容室を出た後はいつものように口数少なく徹の車まで歩いた。一番後ろを歩いていた夏樹は少し疲れが出ている皆の背中を見て、寂しさを感じた。
「終わっちゃったね。一ヶ月ちょっとの出来事なのに、とても長く感じた……」
 みんな歩調を変えることなく黙って歩いている。夏樹の斜め前を歩いていた俊介が、
「ありがとな、ダンスコンテストに誘ってくれて。嬉しかったよ」
 前を向き白い息を吐きながら、そう語りかけた。
 素直な言葉に夏樹は俊介の背中を見つめ、戸惑った。
「な、なによ、改まって……」
「今しか言うタイミングが無かった」
 夏樹の眼から涙がこぼれた。後ろから微かに鼻をすする音がする。みんな夏樹が泣いていることに気付かないふりをして、街灯の静かな明かりに照らされ、歩いた。
 徹は車に乗ると皆に訊いた。
「今度はちょっとした打ち上げでもしようか?」
「しよう、しよう」
 沙友里も夏樹を元気づけるように小さく手を叩いている。打ち上げは次の土曜日に決まり、夏樹も元気を取り戻したようだ。
「お姉ちゃんの写真、持ってきてね」
「なんでそうなるんだよ」
 今夜も車の中は笑い声で溢れていた。

   ダンスコンテスト その十 に続く
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