第28話 スナック・酒豪警察

文字数 1,638文字

上野駅近くの、仏具屋に囲まれた雑居ビルの2階に、酒豪警察と云う名のスナックがあって、常連客の庄五郎と自治会長は、久方ぶりにふたりきりで酒を酌み交わしておりました。
5席しかないカウンターの隅には、ラスベガスのカジノから贈呈されたスロットマシーンと、ピーターラビットのぬいぐるみが埃まみれで置かれてあって、それを酒の肴にしながら語らう時間は、至極有意義なものとなりました。
赤ら顔の自治会長は、芋焼酎をちびちびやりながら。

「いやみだねえ、こんなとこにまで手を回してやらあ」

「いいじゃないですか、それに」

「それに?」

「埃被ってますよ」

「千里眼ってやつかな。いいもんだねえ、こうして奴らの行く末を想像しながら、盃を傾けるって・・・醍醐味なんじゃないかなあ。人間としてのさ」

「うまいこと仰る・・・さすがは会長さんだ」

庄五郎は、ジントニックの中のライムを間接照明にかざしながら、変幻していくグラスの色合いを楽しんでいました。
それを見た自治会長は、瞬きを繰り返しながら言いました。

「なんだ、呑まんのかい。気取ったところで、この店にゃあママとわしと、お前さんしかおらんだろう」

「いえね、こうして状況によって姿を変えるって、酒と擬人のなれの果てというのは実に似ている・・・そう考えると、人生なんて滑稽でしょう・・・」

「人生って言ったか今!お前さん、今、確かに人生と言ったな!」

「人間ですからね、昔は昔ですよ」

「わしは違うぞ!人間なんぞにおさまってたまるか!!人間なんぞ・・・」

「・・・」

「しかしなあ・・・」

「しかし?」

「おさまっとるんだよ、わしはもう、毛繕いも、魚の盗み方も、爪を引っ込める感覚もなくした・・・人間なんだよ」

「仕方ないでしょう、今更戻りますか?」

「そんなもんなあ、死刑宣告みたいなもんだ、野生にゃ戻れんし、わしにだって名誉はある!」

「でしたら何故、あんな政治屋の・・・」

「そこから先は言うな!将来だ!柳ねこ町一帯をお上に捧げて、わしらは新しい土地で、新しい特区協調政策の恩恵の下、子孫を残し、歴史を創っていくんだよ、それの何が悪い!」

勢い任せに立ち上がった自治会長は、バランスを崩してふらつき、あろうことか庄五郎の頭頂部に手をついてしまいました。
千切れ雲の如く飛んで行くカツラは、まるで秘境に眠る新種のバタフライ。
ママのむらさきさんは、それを拾い上げると、何も言わずに庄五郎へ手渡しました。
庄五郎は、カツラを被りなおそうとしましたがやめました。
今夜だけは正直者でありたいと思ったのです。
それは自治会長のお陰でもありました。

「ん!?何故ズラを被らん!?」

「たまにはいいかなと思いましてね。どうです? パチンコ玉みたいでしょ」

「そうやってまた・・・」

「冗談ですよ、冗談」

「ママ、言ってやってよ、イヤミなんだこいつは」

むらさきさんは、意地悪な目で自治会長を見ました。

「会長さん、勝負ありですよ。私だってこの町が特区になるのは反対。まあ、私は根っからの人間だから、こんなこと言える立場でもないけど、猫って場所につくって言うじゃありませんか。よそへ行ってうまくやれるの?」

「敵わんなあママには・・・」

「もう1杯どうです。もぐら。この前たいそう気に入ってらっしゃったでしょう?」

「ああ、いいねいいね」

自治会長は、江戸切子のグラスに注がれた芋焼酎・もぐらを口に含むと。

「ママだってイヤミじゃないか。江戸切子で芋焼酎って、なかなかのやり口だよ」

「ずっと一人で生き抜く技ですよ」

「結婚しないのかい?」

「もう、男の人ってすぐそうやって結婚させたがる、その先は仕合わせ?それとも夢うつつなのかしら?」

店内に流れるボサノヴァ。
磨き上げられたカウンターと、窓に映るぼやけた信号機の灯り。
霧雨の似合う店だな。
庄五郎はそう思っていました。

「戻りたいよ。出来るものなら・・・」

自治会長の言葉に、触れる勇気はありませんでした。
庄五郎も、同じ考えだったのです。
カツラを外してみても、結局は正直者にはなれませんでした。
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