第32話 再会の長崎

文字数 11,909文字

 大坂の寅之助の宿舎に突然お政がやって来たのは九月下旬のことだった。
 もちろんお政とは、横浜でモンブランの愛人となり、そして寅之助とも関係を持ったことがある、あの「フランスお政」のことである。

 その日の夜、寅之助がそろそろ寝入ろうかと思っていると戸を叩く音がした。呼びかけの声は女性だった。
 戸を開けてみると、そこにお政が立っていた。以前横浜で見た洋服姿ではなくて和服姿だった。
「こんばんは、寅ちゃん!お久しぶりねえ。元気だった?」
「お政さん!なぜ、あなたがここに!?」
「上がらせてもらっても良いかしら?」
「えっ?ええ、まあ、どうぞ……」
 寅之助がお政に会うのは五年ぶりである。
 年齢的には、寅之助はこの年二十六歳で、お政は三十(なか)ばになっている。それでもお政の美貌は相変わらずで、まさにお色気ムンムンの美熟女(びじゅくじょ)といったところだ。

 部屋に上がるとお政はいきなり言った。
「私と一緒に長崎へ行きましょ」
「また藪から棒に。まったくお政さんは昔とちっとも変わっていませんね。訳を言ってください、訳を」
「モンブランと健ちゃんが長崎に帰ってくるのよ、フランスから」
「えっ、健次郎が!本当ですか!?」
「本当よ。健ちゃんがフランスから便りを寄こしてきたの。予定通りなら今頃長崎に着いてるはずよ」
「だけど……、俺は大坂でのお役目があるから、勝手に長崎へは行けませんよ」
「大丈夫よ。幕府のお偉いさんから寅ちゃんを長崎へ連れて行く許可をもらってきてるから。ホラ」
 そう言ってお政は寅之助に、辞令が書かれた書状を見せた。
 そこには確かに、寅之助の長崎行きのことが書いてあった。「十月いっぱい、長崎駐在のフランス領事レオン・デュリーの護衛をせよ」との命令が書かれていた。

「どうしてお政さんがこれを?いや、それより、どうして俺がここに住んでて、しかも別手組(べつてぐみ)に勤めていると分かったんですか?」
「ふふふっ、私は『フランスお政』よ。横浜にいるフランス人のお(めかけ)さんはみんな私が手配してるからフランス人には何でも頼めるのよね。それでフランスの役人を通じて幕府にそれを書かせたわけ。幕府はフランスの役人の言うことなら大体言うこと聞くからね。それから寅ちゃんが別手組にいるって話は、健ちゃんの便りに書いてあったの。あとは幕府の役人に聞いてすぐに居場所も分かったわ」
 寅之助は、この得体の知れない、幕府に隠然とした影響力を持つお政という女に目を丸くした。

「……しかし俺が別手組にいることをなんで健次郎が知ってたんだろう……?それで、健次郎からの便りに、俺に長崎へ来い、と書いてあったんですか?」
「いいえ、そこまでは書いてなかったわ。でも、せっかくだから一緒に長崎へ行きましょ。実はその長崎のフランス領事は今、出張中で長崎にいないのよ。まあ、一月(ひとつき)休暇を取ったと思って、長崎でのんびり過ごせば良いじゃないの」
「へえー、そうなんですか。それではありがたくお供させていただきます。それにしても、とうとう健次郎が帰ってくるか……。五年ぶりだな」
「そうなのよ!モンブランったら、五年も私のことをほっぽってたのよ!まったくもう!長崎へ行ったら散々文句を言ってやるつもりよ!」
 これは寅之助にも耳の痛いセリフだった。なにしろ寅之助もお多恵をほっぽっておいたせいで、お多恵と別れることになったのだから。

「それで、明日兵庫へ行ってフランスの軍艦に乗り込むんだけど、今晩はここに泊めてくれる?」
「また何を言い出すんですか。人妻をここへ泊めるわけにはいきませんよ。俺のような一人暮らしの家に人妻が泊まっちゃマズいでしょ」
「人妻?人妻って誰の人妻なのよ、私は?」
「そりゃ、モンブランの……」
「五年も妻に音沙汰なしの夫がどこにいるのよ!私だって元は(ムスメ)ラシャメンよ。もちろん五年も貞操なんか守っちゃいないわよ!」
「はあ……、そうなんですか……」
「ところで、寅ちゃんはもうお嫁さんがいるんでしょ?」
「いや、それがその、まことに不調法(ぶちょうほう)で、まだ……」
「じゃあ、ちょうど良いじゃない。泊めてくれるでしょ?」
「いや、でも、何か間違いがあっては……」
「良いわよ別に。間違っても」
 そんな訳でこの晩、お政は寅之助の宿舎に泊まった。もちろん二人は“間違い”をした。寅之助はお政と久しぶりに「いたして」しまった。もう、さんざっぱら「いたして」しまったのだった。

 翌朝、二人は駕籠(かご)で兵庫へ向かい、フランスの軍艦に乗り込んだ。そしてそれから長崎へ向かった。
 お政は軍艦の中で洋服に着替えた。横浜と長崎では外国人居留地が形成されており、日本人女性が洋服を着ても平気だったが大坂にはそんな女性は一人もおらず、目立つのでお政は和服を着ていたのだった。



 モンブランや健次郎を乗せた船が長崎に到着したのは九月二十二日のことだった。
 その船にはパリ万博から帰国した岩下たち薩摩使節も乗っていた。そして五代も乗っていた。

 五代はその少し前に、わざわざ上海まで出向いて行ってモンブランたちを出迎えたのである。
 けれども五代は、モンブランの訪日を歓迎しているわけではなかった。

 以前書いたように、この当時、薩摩藩内ではモンブランとの関係を絶とうとする意見が強かった。
 モンブランの役目は、パリ万博では思いのほか役に立ったものの、今後は、それほど役に立つとは思えない。
 それに駐日イギリス公使館が、フランス人のモンブランと関係を持っていることで薩摩藩を疑い、さらに欧州の薩摩留学生たちもモンブランとの関係を絶つように言ってきていた。

 五代としては、つらい立場だった。
 そもそも薩摩藩とモンブランが関係を持つようになったのは、二年前に五代たち「薩摩スチューデント」が欧州へ渡った際に、五代とモンブランが結びついて様々な物産契約を交わし、あまつさえ「薩摩・ベルギー商社」計画などという雲をつかむような契約を交わしたことによって始まったのである。
 しかしその「薩摩・ベルギー商社」計画は結局お蔵入りとなり、そのうえ薩摩藩はモンブランとの関係も絶とうとし始めた。

 薩摩藩にもモンブランにも顔が立たず、五代はまったく板挟みの状態だった。
 が、そんなことでへこたれるほど五代はヤワではない。

 この苦境を乗り越えるには「もっと大きな仕事をして失敗を取り戻せば良い」と頭を切り替えたのだ。そうすることで「局面を一変させてやろう」と五代は考えたのである。

 このころ薩摩藩は武力倒幕へ向けて着々と準備を進めていた。
 薩摩は京都から遠い。ゆえに、兵を京都へ運ぶためには蒸気船が不可欠である。
 たまたまこの時、長崎でキャンスー号というイギリス製の高速船が売りに出されていた。
 価格は二十万両(約15万5千ドル)とやや高めだが、かなり高性能な船で、これが入手できれば倒幕戦争の際に薩摩藩の主力艦として使うことができる。

 薩摩藩がこの当時資金繰りに苦しんでいた、というのは以前書いた通りである。
 しかしどのみち「倒幕戦争という大バクチ」をするつもりなのだから、今さら金のことを気にしても無意味である。
 どうせこの大バクチが失敗すれば死あるのみ、なのだ。
 よって、この局面では背伸びできるだけ背伸びをするしかない。

 そこで五代はこのキャンスー号をうまく入手するために、モンブランを利用しようと考えたのだった。




 寅之助とお政を乗せたフランス軍艦は下関海峡を抜けて玄界灘(げんかいなだ)へ出て、それから長崎港へ入った。
 緑豊かな山々に囲まれた長崎港は、日本人である寅之助やお政からすれば別段珍しい風景とも感じないが、この当時、香港や上海を経て日本へやって来る西洋人は最初に長崎へ入ることが多く、日本の第一印象として、彼らの著作や日記では皆一様に、この緑豊かで美しい長崎港を絶賛している。
 長崎は「鎖国」の時代から唯一西洋に開かれていた貿易の窓口だった。「鎖国」の時代、オランダ人は出島に押し込められていた。しかし「開国」、すなわち通商条約の締結にともない、その制度は廃止され、外国人も自由に長崎の町を歩くことができるようになった。
 長崎も横浜同様、幕府の直轄地(ちょっかつち)である。横浜が開港して以来、貿易量では横浜に大きく抜かれたものの、西日本唯一の貿易港として、特に西南諸藩にとって長崎は貴重な存在であった。

 寅之助とお政はフランス人乗組員と一緒にはしけ船に乗り移り、長崎に上陸した。
 港にはフランス人を出迎えるために多くの人がやって来ていた。
 その中にモンブランと健次郎もいた。

 モンブランと健次郎は、予期していなかったお政の出現に驚いた。
 が、健次郎は、そこに寅之助が一緒にいることに、さらに驚いた。

 寅之助と健次郎は、お互い五年前とはガラリと姿が変わっていた。
 寅之助は幕臣としての二本差し姿に変わり、健次郎は西洋人と見間違うかのような洋服(スーツ)姿に変わっていた。
「寅、どうしてここに?」
「お政さんのおかげだよ。それにしても健次。十年、二十年先だと言っていたのに、ずいぶん早く戻ってきたな」
「寅こそ、尊王攘夷だと叫んでいたのに、そんな幕府の役人姿になってしまってるじゃないか。話には聞いていたけど、やっぱり不思議な感じだよ」
「そのことなんだが、健次。一体どうやって俺の話を耳にして……」
 と二人が話していると、すぐ隣りでお政がモンブランに飛びついて、ギャーギャー激しく文句を言い始めた。
 モンブランは困り果てながらも、お政に会えて嬉しくもあり、苦笑いした表情でお政に弁解をくり返していた。
 しかし路上で痴話げんかをするわけにもいかず、四人は場所を変えるため料亭へ向かった。
 元々モンブランはその料亭で人と会う予定だったのだが、思わぬハプニングで帯同者が二人増えてしまった。ちなみに寅之助は五年前に一度モンブランと会っており、一応顔見知りではあった。


 料亭に移ってからも、お政はモンブランに文句を言い続けた。なぜ連絡をしてくれなかったのか?もう日本人の海外渡航も解禁されたのだから今度こそ私をフランスへ連れてって、などと激しくモンブランに弁じ立てた。
 その隣りの席で、寅之助と健次郎は久しぶりに旧交を温めた。

「……そうか、パリの博覧会で篤太夫(とくだゆう)さんと卯三郎さんに会ったのか……」
「二人とも日本への帰国はとうぶん先になると言っていた。渋沢さんは醤油の味を恋しがってたよ」
「ハハハ、早くも日本の醤油が恋しくなったのか、篤太夫さんは」
「ながらくパリで暮らしていれば誰でも醤油が恋しくなるよ。俺だってそうだ」
「それで健次、パリでの暮らしはどうだ?何かパリで良い仕事は見つかったのか?」
「いや。結局パリではずっとモンブランさんの従者をやってたから仕事らしい仕事はしなかったんだ。それにパリは物の値段が高くて、日本人が一人立ちして生活するのは難しいと分かった。だから俺は薩摩藩に雇ってもらうことにしたんだ。フランス語の通訳なら、藩士として雇ってもらえるからな」
「ふうん、薩摩藩の通訳か……」
「貧乏な薬屋の(せがれ)が薩摩藩士になれれば、大出世だと思わないか?」
「そりゃあ、そうだ。薩摩は大藩だし、今、京でも一番勢いがある。ただ、時々悪い噂も耳にするがな……」

 この時ちょうど、五代が部屋へやって来た。
「いやいやモンブラン殿、遅くなってしまって申し訳ない。おや?これはこれは。今日は芸者に洋服を着させているのですか。なかなか面白い趣向ですな」
 この五代の発言に健次郎が脇から応えた。
「いえ、五代さん。その女性(ひと)は芸者ではありません。私の親戚です」
「お、斎藤君、そこにいたのか。おや……?」
 と、ここで寅之助と五代の目が合った。
「五代さん!」
「君は、吉田寅之助君か!なぜ、君がそこにいる!?」
「あれっ?五代さんは寅とお知り合いだったんですか……?ああ、そうか!五代さんが以前おっしゃってた『下奈良(しもなら)村の吉田家で世話になった』というのは、やはり寅之助も関わってたんですね。寅は私の幼なじみで、今日お政姉さんと一緒に長崎へやって来たんです」
「ああ……、確か斎藤君は熊谷の生まれだったな……。しかし吉田君、その格好はひょっとして……」
「あれからいろいろありまして、私は現在、幕臣となって別手組に勤めております」

 すると五代はすかさず健次郎を廊下に連れ出した。そして小さな声で訓告した。
「分かっていると思うが、藩内のことを吉田君にペラペラとしゃべってはならんぞ。彼は幕臣なんだからな。そうでなくても、すでに藩内では君の言動に疑念を抱いている者がいる。言動にはくれぐれも気をつけたまえ。それから、今日ここでモンブランとキャンスー号の取得について相談をする予定だったが、明日に延期する、とモンブランに言っておいてくれ」
「はい。かしこまりました」

 それから五代は再び寅之助のところへやって来た。
「やあやあ、お久しぶりだ、寅之助君。まったく、横浜を焼き討ちすると言っていた君が幕臣になっているとはね。そんな奴は君以外、絶対にいないだろうよ。ところで、お多恵さんとはもう夫婦(めおと)になったんだろ?」
「ハハ……。松木……いや寺島さんにも同じことを聞かれましたけど、いろいろあって彼女は商家へ嫁に行きました」
「バカだな、君は。まったくもったいないことをしたもんだ」
「えっ?そうなのか、寅?」
 寅之助は苦笑いするだけだった。
 そして五代は料亭から去って行った。

 このあとモンブランとお政はホテルへしけこむことになり、寅之助と健次郎は連れ立って丸山の遊郭へと向かった。



 二人が丸山に着くと、遊郭の入口近くで変な男が健次郎に声をかけてきた。
 その男は、山のように盛り上がった白い奇妙な帽子をかぶり、ジャケットというよりはコートに近いぐらい丈の長い上衣を着て、その中にベストを着込み、だぶだぶのスーツパンツをはいていた。しかも着ている本人自身が風采(ふうさい)の上がらない、いかにも日本人的な外見の持ち主だったので、おそらく外国人が見たらコメディー芸人か何かと勘違いしたに違いない。それほど珍妙な外見だった。
 男は口にくわえていた葉巻を指に持ち変え
「斎藤さん、本日も丸山にご登楼とはお盛んですな。同じ薩摩藩士として、拙者もお供させていただきたいものですな」
 と、薩摩藩士といいながらまったく薩摩(なま)りのない話し方で健次郎に声をかけてきた。
「ああ、これはこれは吉村さん。本日は旧友と一緒なのですが、それでもよろしかったら一緒に参りましょう」
 と健次郎が答えると、その吉村という男は、健次郎の横にいる寅之助に目を向けた。そして寅之助と目が合った。

 そのとたん吉村の表情は一変して、驚愕の表情になった。
 そして帽子のつばで顔を隠しながら言った。
「……い、いや、斎藤さん、拙者は急用を思い出したので本日はこれで失礼する。どうか旧友と水入らずで楽しみなされ」
 そういって吉村がその場を去ろうとした時に、寅之助が声をかけた。
「……ひょっとすると、あなたは伊藤俊輔さんじゃありませんか?」
「いや、人違いです。拙者は吉村荘蔵と申す者です」
 しかし寅之助が吉村の目の前までつめよって来て、顔を覗き込んで言った。
「いいえ、あなたは間違いなく伊藤俊輔さんです!一体どうしたんですか?そんな変な格好をして」
「変な格好とはなんですか、変な格好とは。西洋ではこれが普通なんです。それに、その名前を大声で言わないでもらいたい」
「いやあ、西洋でも普通ではないと思いますよ。少なくともパリではそんな格好、見たことがないですねえ」
 と健次郎がツッコミを入れた。
「まあ伊藤さんでも吉村さんでも結構ですけど、遊郭を目の前にして帰るなんてあなたらしくないですよ。積もる話もあることですし、せっかくですから我々に付き合ってください」
 ということで、三人で登楼することになった。

 長州藩の伊藤俊輔は、薩摩藩の吉村荘蔵と称してこの長崎の薩摩藩邸に出入りしていた。伊藤は幕長戦争が始まる前に長崎でミニエー銃数千(ちょう)を入手したことがあり、その頃から薩摩藩士と称してたびたび長崎で活動していたのだった。むろん、長州人名義では武器の入手は不可能で、しかも大幅に活動を制限されるため薩摩藩士と詐称(さしょう)しているのである。
 ちなみに伊藤はちょうどこの頃長崎で写真を撮っており、それが現在も残っている。上記で描いた伊藤の姿は、それをそのまま描写したものなのだが「洋服が似合わないにも程がある」といった珍妙な()()ちである。


 三人は美妓(びぎ)たちを(はべ)らせて酒を飲んだ。そしてひどく酔っ払った。
「我々は三人とも武士の生まれではないが、今では一応三人とも武士である。これはまったく時世のおかげといったところですかな」
 と寅之助が感慨深げに言った。
「ですが吉田さん。あれほど尊王攘夷を唱えていたあなたが幕臣になっていたとは、驚くというか、呆れるというか、ひどい変節ではないですか?」
 と伊藤が寅之助に文句を言った。
「何をおっしゃる!あなたこそ、あれほど『一緒にイギリスをやっつけましょう!』とか言って攘夷を叫んでいたくせに、何ですか、その変な格好は!ひどい西洋かぶれじゃないですか!」
「だから変な格好って言わんでください。せっかく新しい洋服を買ったのに……。でも、確かに私は変節しました。仕方がないでしょう?この目でロンドンを見てきたんですから。パリへ行った斎藤さんなら分かるでしょうが、西洋を実際に見てくれば誰だって攘夷が無意味なことが分かる。大体、吉田さんも今では攘夷を唱えてないでしょう?」
「そりゃそうです。なんせ別手組に入って外国人を警護しているぐらいですから。とにかく、幕府は開国で、薩摩も当然開国、そしてあなたの長州ですら開国なんですから、もう幕府と薩長がいがみ合う意味がないじゃないですか。となれば、お互い協力するしかないんですから、これからは長州も上様の開国政策を支持なさるのでしょう?」
「え?ええ……。そうですね……。きっと、これからはお互い協力して、開国政策を目指すことになりますとも!ハッハッハ……」
 ここで健次郎が口を挟んだ。
「でも、どうかなあ……?パリの博覧会では薩摩と幕府が相当険悪な状態だったし、幕府もモンブランさんのことを憎んでいるだろうし……」
「ああ、それは大坂でも聞いた。パリの博覧会では薩摩とモンブランが、かわら版を使って幕府の悪口を散々言いふらしたらしいな。幕臣でも怒ってる奴が大勢いるよ」
「それに薩摩の中にいると分かるけど、もとより薩摩人は幕府が嫌いだし『幕府なんて、もう長くない』と思ってる人も多いし……」
「あー、えへん!おほん!斎藤さん!ちょっと飲み過ぎのようですな!不穏当な物言いはお控えになったほうがよろしいですぞ」

 そこで寅之助が健次郎に質問した。
「それにしても不思議なのは、お政さんの知り合いのフランス人は皆幕府びいきなのに、同じフランス人でもモンブランは幕府と仲が悪くて、薩摩の五代さんと仲が良い。まったく訳が分からない。お政さんとモンブランは一緒にいても、まったく真逆の立場なんだろうか?」
「いや。二人とも、日本やフランスがどうなろうと別に気にしないんじゃないかな。自分が好きなようにやってるだけだから」
「イギリスは薩摩と仲が良いというのがもっぱらの噂だ。特にサトウという奴は『英国策論』などと幕府を批判する本を書いて、我々幕臣の評判はすこぶる悪い。まあ実際サトウに会ってみると、ただの女好きのお調子者だったが……」
「おっ、吉田さんもサトウに会ったのか。あれは面白い男だっただろう?」
「へえ、伊藤……、いや吉村さんもサトウを知ってたのか。しかしまあ、皆サトウを買いかぶり過ぎだと思う。あいつはくだらない冗談ばかり言って、ただのバカなんじゃないか?と思ったよ」
「イギリス人は冗談が好きなのだ。多分、あれはイギリス人の癖だ」
「しかし実際のところ、フランス人のモンブランが薩摩と仲が良くて、イギリスは薩摩に文句を言わないのかね?薩摩はフランスにも手を出してるのか?って」
「さあ、どうだろう。別にイギリスは気にしないんじゃないかな。薩摩ばかりを応援しているわけでもないだろうし」
 ここで再び健次郎が口を挟んだ。
「それはやっぱり、薩摩がモンブランさんと付き合っているのを見て、イギリスは文句を言ってるらしいよ。でも、五代さんとモンブランさんは新しく蒸気船を買うために……」
 と言いかけたところで、伊藤が強引に割って入った。
「あー、斎藤さん!相当飲み過ぎのようですな!とりあえず、今日のところは時間も遅いことですし、これでお開きにしましょう!」
 そう言って伊藤は、健次郎を引っ張っていくようにしてそそくさと帰っていった。そしてこの日の宴会はお開きとなった。



 翌日、寅之助はとりあえず長崎奉行所に復命して、フランス領事を警護する任務につくことにはなったのだが、そのフランス領事が出張中で不在につき、やることもないので初めて訪れた長崎をぶらぶらと歩き回ったり、時々健次郎と一緒に遊びに出かけたりして数日、ゴロゴロと過ごしていた。

 ところが、どうも周囲の様子がおかしい、と寅之助は感じていた。
 寅之助は別手組という仕事柄「怪しい人間に注意する」という特別な感覚を備えている。
 その寅之助の感覚によると、最近どうも自分の周囲に怪しい人間が見え隠れしているように感じるのだ。

 それと関係があるのかどうか、寅之助にはさっぱり見当もつかなかったが、このころ長崎では
「大金持ちのモンブラン伯爵が薩摩藩と協力して高速船キャンスー号を買った。彼はその船を個人的に使用して京都へ行き『日本の内乱を平和的に解決したい』と言っているそうだ」
 という風聞がしきりと流れていた。とにかくモンブランはこの長崎で、一挙手一投足が注目される有名人となっていた。

 そしてそれからすぐに、もっと衝撃的な情報が長崎に流れた。
 幕府が朝廷に大政を奉還した、という情報である。
 十月十四日に将軍慶喜が「大政奉還」を上奏し、翌十五日に朝廷から勅許された、とのことだった。

 幕臣である寅之助は、むろんこの情報に衝撃を受けた。
 そして寅之助は詳しい事情を確認するために長崎奉行所へ行ってみたが、奉行所のほうでも情報が錯綜(さくそう)していて何をどうしていいのか分からない、という状態だった。

 ともかくも、この大政奉還の情報を受けて寅之助は、急いで大坂へ戻ることに決めた。
 護衛する相手もいない長崎でぶらぶらしている場合じゃない。十月いっぱい滞在する予定だったのを切り上げて、大坂行きの船に乗って帰ることにした。



 寅之助は別れのあいさつをするために、フランス商人の家で健次郎とお政に会った。
 この頃、健次郎は薩摩藩邸におり、お政も、薩摩藩の庇護下(ひごか)にあるモンブランのところにいた。それゆえ幕臣である寅之助は、薩摩藩の管理下にある健次郎とお政のところへ出向いて行くわけにはいかなかった。なにしろ(ちまた)で広がっている噂では「幕府と薩摩は交戦寸前で一触即発の状態にある」と、まことしやかに語られているのである。
 それで三人はフランス商人の家に場所を借りて集まったのだった。健次郎とお政はフランス語を話すのでフランス人と仲が良いし、幕府とフランスの関係から幕臣である寅之助はフランス商人にとってお得意様のようなものだったからだ。

 寅之助は二人に、大坂へ帰ると告げた。
「お政さんのおかげで長崎までやって来たけど、こうなってしまってはすぐに大坂へ帰るしかない。落ち着いたら、またきっと、どこかで会いましょう」
「せっかく久しぶりに会えたのに、かえって迷惑をかけることになっちゃったわね、寅ちゃん。ごめんなさいね」
「いや、こういうご時世です。会える時に会っておかないと、次にいつ会えるか分かりません。お政さんには感謝しています。本当にかたじけない」
「本当に、このさき幕府はどうなっちゃうのかしらねえ……。それで実は、私もモンブランから『しばらく上海へ避難してくれ』と言われて、このあと上海へ行く予定なの。まあ、しばらく上海で遊んでくるわ」
「そうなんですか。確かに上海なら万一日本で何かあっても安全でしょうからね。でも、上海の水は危ないと聞いてますので、ぜひお体に気をつけてください。で、健次は長崎に残るのか?」
「実は俺もこのあと、鹿児島へ向かうことになってるんだ。それから奄美大島へ行って、フランスの鉱山職人の通訳をするよう言われてるんだ」
「じゃあ、三人とも長崎を離れてバラバラになっちゃうのね。健ちゃん、せっかく薩摩の通訳になれたんだから、クビにならないようにしっかりと仕事してらっしゃいよ」
「大丈夫だよ、お政姉さん。俺だってもう、子どもじゃないんだから。立派な薩摩藩士になってみせる、でごわす」
「まあ、健ちゃんったら、相変わらず下手くそな薩摩弁ねえ。ふふふ」
 三人の別れの(うたげ)はこうして終わり、お政はモンブランの元へと帰っていった。そして寅之助と健次郎は、寅之助の宿まで一緒に歩くことにした。


「それにしてもおかしな事になっちゃったなあ、健次。もし噂通り、幕府と薩摩が(いくさ)をやることになってしまったら、俺とお前は敵同士になるという訳だ。だけど、俺はもともと幕臣になることをそれほど望んでいたわけでもなかったし、成り行き上、こうなってしまっただけなんだ。お前が薩摩に仕えることになったのだって、そうだろう。我々は生粋(きっすい)の幕臣でも薩摩藩士でもない。だから、このさき何があっても、我々が憎しみ合うのはよそうじゃないか」
「ああ、そうだな。確かに薩摩人は幕府を倒したがっている。でも俺は(いくさ)とは関わらないだろうし、別に幕府を倒したいとも思ってない。というか、むしろ昔の寅こそ、今の薩摩人のように幕府を倒したがっていたじゃないか。本当は俺なんかよりも寅が薩摩藩に入ったほうが良かったんじゃないか?」
「違いない、ハハハ」

 そのとき寅之助は、すぐ先の建物の陰からこっそりとこちらをうかがっている気配を感じた。
 先日から自分の周囲で感じている気配と同じだった。
(誰かが俺を監視しているのか?)
 と寅之助は思った。

 寅之助は歩みを止め、健次郎を後ろにさがらせた。そして刀の(つか)に手をかけて抜く構えをした。
 すると建物の陰に隠れていた男たちは刀を抜いた。それが分かったので寅之助も刀を抜いて、すかさず男たちのところへ詰め寄った。
 男は二人いた。寅之助は剣を構えて二人に言った。
「なぜ俺を狙う?誰の差し金だ?」
 すると、二人のうち前にいた男が言い返した。
「どけ!わいに用は無か!」
(薩摩弁?)
 と寅之助が思ったとたんに、その男は寅之助に斬りかかろうとし、後ろにいた男は健次郎に向かって走り出そうとした。

 が、次の瞬間、「ズキューン!」と銃声が鳴り響いた。
 刺客を威嚇するために、健次郎が空に向けてピストルを発射したのだった。
 そして健次郎は、今度は刺客に向けてピストルを構えた。

 これで刺客の二人は襲撃をあきらめ、そのまま脇道を引き返して逃げて行った。

「危なかったな、寅」
「ああ。だけど……、あいつらはお前を狙ったのかも知れんぞ。薩摩弁を話して、俺にどけと言ったぞ」
「聞き間違いだろう?方言は聞こえづらいからな。大体あいつらが薩摩人だとしたら、当然、幕臣の寅を狙うに決まってるじゃないか。同じ薩摩藩士の俺を狙うわけがないだろう?」
「そりゃあ、確かにそうだが……」
「それにしても、まったく物騒な世の中になったもんだ。護身用のピストルを持っていて良かったよ。俺はこれを持ってるから、それほど自分の身は心配してないよ」
「でも、一応、身辺には気をつけたほうが良いぞ」
「大丈夫だよ、寅。そんなに心配するな」



 薩摩藩はモンブランと協力して、この長崎で最新鋭の高速船キャンスー号を入手した。
 けれども薩摩藩は「この船を倒幕戦争で使用する」ということを幕府に気づかせたくなかった。
 武力蜂起やクーデターというものはこっそりと準備を進めて、相手に気づかせることなく突然やってこそ成果を得られるものだ。
 だからこそ薩摩藩はモンブランと結託して、モンブランを表舞台で派手に活動させて「これはモンブラン伯爵が個人的に使うために買ったものですよ」という情報を流し、薩摩藩の印象が薄くなるように宣伝工作を行なったのである。

 しかしもちろん、薩摩藩はこのキャンスー号を倒幕戦争で最大限、利用するつもりなのである。
 このあと船名を春日(かすが)丸と改め、京都への兵員輸送、および幕府海軍との海戦で主力艦として使う戦略を練っていた。そして実際、そのように使われることになるのである。

 とにかく薩摩藩としては、武力クーデターおよび倒幕戦争という乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負をかけるにあたって、情報管理の徹底、すなわち「情報漏洩(ろうえい)を防ぐ」ということは何よりも優先すべきことだった。
 例えば、この少し前の九月三日には、上田藩士で薩摩藩でも仕事をしていた赤松(あかまつ)小三郎(こさぶろう)が、幕府の密偵と疑われて上田に帰国する直前、京都で中村半次郎(のちの桐野利秋(としあき))らに暗殺されていた。
 以前も書いたが薩摩に侵入した幕府の忍びはそのまま死亡することが多いため「薩摩飛脚」と呼ばれており、元々薩摩藩は情報漏洩(ろうえい)には厳格に対処する藩風であった。そのうえ今は時期が時期だけに、より一層厳しく情報を管理せねばならず、それを破る者には死をもって対処することを躊躇(ちゅうちょ)しなかった。



 このあと寅之助、健次郎、お政の三人は、それぞれ長崎を発っていった。
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