Dr.ニコルの検死FILE

エピソードの総文字数=2,548文字

 だが、その呟きは誰の耳にも届くことはなかった。
 なぜなら再びデイヴィッド警部の背後に隠れようと必死にもがいていたニコルを、マギーがちょいちょいと指差し、それに気づいたマリアと名乗ったシスターがついっと視線をやってから、けたたましいほどの大声で突然叫び出したからだった。
「あー! お兄ちゃん!!」
 そして、それにいち早く反応したのは、夢現から我に返ったデイヴィッド警部。自分の背後でコソコソ隠れるニコルをギッと見て、やはり素っ頓狂な声を上げていた。
「お兄ちゃん!?」
 と、逃げ場をなくしてようやく観念したのか、ニコルがくるうりと振り返って答えた。
「は、はぁ……、まあ、そんなところです」
 ただしその顔には、だーらだーらと冷や汗が垂れていた。
 だが、そんなことなどお構いなしに、マリアが勢いよろしく割り込んでくる。
「半年も顔を見せないでどこ行ってたの? 月に一回ぐらいは顔見せるって言ってたじゃない! 孤児院の子どもたちも楽しみにしていたんだからね!」
「あ、ああ……。そういう約束、だったね」
 つかみかからんばかりの勢いに押され、戸惑うばかりのニコル。
 その二人を見やって、マギーがクスクスと笑っていた。
「一番楽しみにしていたのは、マリアのくせに」
「そ、そんなことないわよっ!」
 真っ赤になって否定するマリア。
「そうかしらぁ?」
 しかし、マギーは相変わらずにたにたと笑ったまま。
 おかげで白い肌を紅潮させ、増してマリアが否定する。
「ほ、本当なんだからっ! お兄ちゃんもなんとか言ったらどうなの?」
「え、え~っと……、な、なんとか……」
 急に矛先を返され慌てたニコルは、思わずそのままオウム返しに言葉を発するしかなかった。
 だが、言葉を選ばなかったのが災いしたようだ。なんせその言葉がいらぬ怒りを膨張させてしまっていたからだ。
「お兄ちゃんもふざけないで!」
「ふ、ふざけてなんか……あ、そうだ!」
 逃げ場を見つけ出したように、突如ニコルはその声を大にした。
「そ、そういえば、ミネルバ修女長(しゅうじょちょう)の姿が見えないようだけど、どこかに出かけたのかな?」
「あ、修女長ならなにか研修があるとかで、隣の教区に一週間ほど出かけてるけど……」
 と、先ほどとは打って変わって、冷静に返答するマリア。
 なんとか矛先をかわすことができて、ニコルは内心安堵した。
「い、いや、最近ぶっそうな事件が多いから、ここにも注意を促しにね。ねっ、警部?」
 だからこそ、ここぞとばかりに、デイヴィッド警部に話を振る。
「あ、ああ……」
 話の展開の早さについてこられなかったのか、ただ相槌を打つだけのデイヴィッド警部。
 だが、また矛先が向けられてはかなわないと、ニコルが話の先を促してみせた。
「ほら。例の事件の聞き込みにきたんでしょ?」
「あ、ああ。そうだったな」
 と、ようやく本題を思い出し、デイヴィッド警部はキッと真面目な顔を、マギーとマリアの二人に向けた。
「例の連続殺人鬼がまた現れたんですよ。で、なにか知ってたら教えてほしいと思ってですね……」
「あらぁ、また事件ですか? 物騒ですこと」
 デイヴィッド警部の言葉に反応して、いち早く声を上げたのはマギーの方。だが、そのセリフに反して、顔は興味津々そのものだった。
「で、事件はいつ起きたんですか? 事件現場はどこなんですか? 最近は新聞の情報も、警察が抑えてるっていうじゃないですかぁ。だから、もうちょっと詳しいことも教えてくれないと、ねぇ……」
 マギーの矢継ぎ早な質問に圧倒され、いささか苦笑まじりのデイヴィッド警部。だが、それでもちゃんと返すところは返す。
「あ、ああ……、事件が起きたのは昨日。ここからほど近いホワイトチャペル地区だよ」
「またイースト・エンドで、ですかぁ? それじゃあ、また切り裂きジャックの再来なんて言われますわね?」
「警視たちはそう思ってるらしいがな……。だが、俺はそうじゃないと睨んでいるんだ!」
「はいはい。で、そのための情報がほしいんでしょ?」
「そうなんだが、なにか耳寄りな情報でもあるのか?」
 言って、食いつくように身を乗り出すデイヴィッド警部。
 しかし、マギーは何事も無かったように、さらりと返してきた。
「昨日の今日でそんないい情報なんて、そうそうある訳ないでしょ。でも、私も町の噂を聞き込んでおくんで、またいらしてくださいな」
「そっか。ま、よろしく頼まぁ」
 ちょっぴりガッカリしながらも、デイヴィッド警部は明るく言って返した。
 と、そんな二人のやり取りを聞いて、脇で一人色めき立たざるを得なくなったのが、マリアだった。
「ちょっと、マギー。こんなことが修女長に知られたら……」
 だが、かくも不安げなマリアを制するように、マギーはゆっくりと首を振った。
「いい? この町の治安を脅かす犯人を、一刻も早く捕まえること。それは迷える子羊を助けることにもつながるのですよ」
「でも……」
「でも、じゃないの。人々の不安を取り除くことは、主もお望みのことなのですよ。それに──」
 そこまで言って、マギーはちらりとニコルの方を見た。そして、マリアにだけ耳打ちするように、ボソリと一言付け加えておいた。
「それにこれは、お兄さんのお手伝いにもなるんじゃなくって?」
 途端に、ボッと顔を赤らめるマリア。
 むろんなにを言われているのかわからないニコルは、きょとんとしたままである。
 だが、その言葉をきっかけとして、ようやくマリアもこくりとうなずいた。
「そうですね。警察のお手伝いをすることで人々が救われるのであれば、きっと主もお喜びになりますわね」
「そう! その気持ちが大事なのですよ!」
 したり顔のマギー。くるりとニコルの方に向き直して、
「と、いう訳ですので、私たちもいろいろと布教のついでに聞き込んでおきますので、ニコルさんたちもしっかりやってくださいね」
 ドンッと、ニコルの背中を叩いた。
 あまりの勢いに、ニコルは噎せっ返るばかり。
「ゴホッゴホッ。と、とりあえず、がんばります」
 ただ、それだけを言うのが精一杯であった。

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