『世界最悪の旅』

文字数 2,515文字

『世界最悪の旅』

 /アプスリー・チェリー・ギャラード (著)/中田修(訳)

なんとも極悪なタイトルが気になり、ふと手に取ってみると、タイトルの印象とは大きく違う白い表紙には、薄い白虹のような淡い光輪と、中心に光点のある十字架っぽい絵。美しくも不思議な風景が描かれています。

絵の下には「月のまわりの暈」とあります。暈(かさ)というのは、ものすごく寒くて風のない日、大気中の水分が凍ってプリズムのようになり、極地の太陽の周りなどに現れる光学現象ですね。

太陽の周りにできた輪の写真は見たことがありますが、なんとこれは「月」の暈なのだそう。そして幻日(げんじつ)という光学現象の月版(つまり『幻月』、というのでしょうか)も見て取れます。

ぼんやりと見とれていると、つづいて

「スコットの第二次南極探検(1910-1913)の物語」

という文字も目に入ってきます。


そうです、これは南極探検のお話。それも約100年前の。

そのころ、このイギリス・スコット隊と、ノルウェーのアムンゼン隊が南極点の到達を目指し、熾烈な競争を繰り広げていました。

『人力のソリで極点を目指したスコット隊を、犬ぞりのアムンゼン隊が追い抜き、極点に最初に到達したのはアムンゼン隊。両者の健闘をたたえ、南極点にある基地の名はアムンゼン・スコット基地となった。』という程度のことは地理の教科書に書いてあったので覚えていたのですが……。


そのアムンゼンとの競争に敗北した失意のスコット隊の極点行チームは、南極点からの帰路、最後の食糧デポ地までたどり着けずに全滅してしまったのだそうです。


この本は、そのスコット隊に参加して生還した著者による、極寒で極悪で、『世界最悪の旅』のレポートなのです。


読み始めて数ページ、序章のうちに上で書いた教科書の記述はだいぶピントが外れていたことがわかります。


スコット隊は第二次というだけあって、10前年に行った第一次の南極探検(その時は極点まで残り733kmの地点まで迫る!)で得た経験を元に、機械式の雪上車や寒さに強い馬でそりを引くという新技術を南極に持ち込み、極点を目指していたのだそうです。

それに対し、もともとは北極の極点を目指していたアムンゼンは、その前年の1909年にアメリカのロバート・ピアリーが北極点へ人類初到達をしたとの報せを受け、隊員にすら内緒で急遽南極に目標を変更。

まだ誰も調査したことのない未知のロス棚氷のクジラ湾から、まっすぐ南極点を目指し、スコット隊に先立つこと5週間前の1911年12月14日に南極点に人類として初めて到達したのでした。

スコット隊はアムンゼン隊の先行を知りつつ、自隊に託された数々の科学的研究観測を行いながら極点を目指します。その過程で新技術だったはずの機械的な雪上車はわずか数日でエンジンが低温のために壊れ、寒さに強いはずの馬ですら南極の気候に耐え切れずすべて脱落。最終的には行程のほぼすべてを人力によるソリ引きで行うという結果となりました。


結果的に、ただ極点だけを目指すという単一目的のアムンゼン・犬ゾリ隊が勝利したという事実は変わりません(実際、極点行きの前にアムンゼン隊から犬ゾリの提供を提案されたけれどスコット隊は断ったそうです)し、無茶な行軍をし全滅してしまったスコット隊長は責められるべきかもしれません。

けれど、あらゆる過酷な条件を課せられ、さらに数々の不運や悪天候などにもめげずに探検を続けたスコット隊の勇気と根性と使命感はものすごいものがあります。

考えらうる限り最も過酷で厳しい最悪の環境で旅をする。その冒険は肉体的にも精神的にも限りなく気高いもので、究極で過酷な環境だからこそ、人間を究極的に純粋にさせるのだなあと感じました。


過酷すぎる環境の数々と貧弱な装備のギャップ、人類を寄せつけない苛烈で極寒で、それでもひたすら美しい世界の真実が本書にはたっぷり詰まっています。


やはりというか、圧巻は最後を迎える隊員たちの気高い行動です。詳細はぜひ読んでほしいのですが、最後の最後、もう動けなくなって眠りにおちる直前、スコット隊長は遺書をしたためます。そこには、自分の感情などよりも、国に残された隊員たちの奥さんら家族へ、貴女達の夫が最後まで本当に気高く立派だったこと、いかに人間として素晴らしかったかがならび、そうした男たちを家に帰すことができなかった自分の無力さと無念を真摯に詫びています。


力尽き、息絶えたスコット隊極点行きチームのテントが発見されたのは、最後の貯蔵デポポイントまであとたった20kmほどだったそうです……。


人類初の極点到達は逃したものの、今日まで残る多くの科学的観測(皇帝ペンギンの繁殖地を調査とか!)を行ったスコット隊。

探検ではありますが科学的な調査でもあるので、表紙の美しい絵や記録用の写真、イラスト等が豊富に残されていて、本の中にたっぷりと入っています。

100年前の彼らが命がけ、いや、命を失ってまで調査した、人類が到達できる最も過酷な、「宇宙よりも遠い場所」のすべてが、本書には記されているのです。

(スコット隊は最後まで資料やら鉱物やらを捨てずに持参していたとのこと・・・それが無かったら生きて帰ってこれたかもなのに……涙)


(おまけのひとこと)

某アニメのおかげで、私の中でここしばらく南極がマイブームなのです。

いままで雪山登山系の冒険ものや、蟹工船のような過酷な冬海のお話なども読んだりしていましたが、やっぱり究極の冒険は南極! そしてこの本が南極に関しては最高! と聞いたものでがんばって読んでみましたのでした。(現場を想像するとめっちゃ寒くてつらかった! これ夏に読むと最高に涼しいかも!w)


なお、加納一郎訳の旧版が2バージョンあるようで、写真右側の青い表紙がダイジェスト版、白い表紙がフル版とのことです。でも、訳が少々古いのと、フル版でも原書からみるとけっこう抜けているところがあるとのことで、完全版でそして読みやすいのが最近(2017年1月)出版された中田修訳だと思います。今から読むなら中田修の新訳版がおすすめです。

Original Post:2019/06/18
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