第5話:両親の海外旅行、米国同時多発テロ

文字数 2,085文字

 8月中旬から三宅島から離れた関東地方でも刺激臭がするという報告が入るようになるが9月に入りさらに二酸化硫黄の放出が増加し東京都は住民の全島避難を決定した。火山ガスの放出は多い日で1日5万トンにも達した。この火山ガスの放出量は世界でも類を見ないきぼであった。7月12日、大手デパートのそごうが民事再生手続開始の申立てた。

樋口の両親は、世界旅行がしたいと7月初旬に豪州へ飛んだ。まず、シドニー、メルボルン、パース、タスマニア島を回った。次にブリスベン、ゴールドコースト、ケアンズを周遊した。その後、ニュージーランドに移動しのオークランド、ウエリントン、クライストチャーチ、クイーンズタウンを移動して回り周遊した。そして9月初旬に日本に戻ってきた。

 10月1日、第二電電、KDD、日本移動通信が合併しKDDIが、発足。合併当初の商号は株式会社DDIとした。10月20日、協栄生命保険が更生特例法適用を申請し経営破綻し負債総額は4兆5297億円で戦後最悪の倒産となった。やがて2001年を迎えた。2月に入ると樋口の両親は、1ケ月半、沖縄へ行くと出かけ、3月には、帰って来た。

 3月19日、政府は、量的金融緩和政策の開始した。これは、市中銀行が保有する国債を準備預金に交換する政策のこと。銀行から見れば政府への定期預金「国債」を日銀への普通預金「準備預金」に置き換えることになる。金利の引き下げではなく市中銀行が保有する中央銀行の当座預金残高量を拡大させることによって金融緩和を行う金融政策である。

 平時であれば金利を下げていけば、経済刺激効果が出て景気は回復するが、深刻なデフレーションになると、なかなか景気を刺激できない。当時、政策金利をゼロにまで持っていっても十分な景気刺激効果を発揮することができなかった。そこで政策目標を金利だけでなく資金供給量を増やすことで対応した金融政策が量的金融緩和政策である。

 この政策を日本銀行が2001年3月19日から2006年3月9日まで実施した。3月31日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン「USJ」が、大阪市に開業した。4月1日、さくら銀行と住友銀行が合併して三井住友銀行誕生した。前年5月に経営破綻した第一火災海上保険が、救済企業が現れなかったため、保険契約を損害保険契約者保護機構に移して解散した。

 6月8日、大阪教育大附属池田小学校で児童殺傷事件が発生し、児童8人が死亡し、児童および教職員を含む15人が負傷する惨事となった。9月4日、東京ディズニーシー開園し、東京ディズニーシー内のディズニーホテル「東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ」開業。9月11日、アメリカ同時多発テロ事件発生により、日本でも通常番組を取りやめ長時間の特別報道番組が放送される。

 2001年9月11日、アメリカの大型旅客機4機が、アルカイダのテロリストによってハイジャックされた。そして最初に「アメリカン航空11便」が、米ニューヨークの世界貿易センタービル北棟に8時46分に激突した。その後、「ユナイテッド航空175便」が、米ニューヨークの世界貿易センタービル南棟に9時3分に激突した。

 その時の犠牲者3千人以上を出す史上最悪のテロ事件となった。さらに、アメリカ国防総省「ペンタゴン」にもハイジャックされた飛行機「アメリカン航空77便」が9時38分に激突して大きな被害を出した。建物への激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録されていた。また付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって降下し激突する瞬間が目撃された。

 その防犯カメラなどの映像によると機体は水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突していたが、高速で建築物に激突、炎上したため機体の残骸はほとんど原形を留めていなかったと言う。もう1機「ユナイテッド航空93便」は、乗客が、ハイジャック犯に対抗して戦ったためペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに10時6分に墜落した。

 離着陸時の速度の倍以上の高速で地上に衝突したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。このハイジャックとハイジャックされた航空機が主要施設に突入、自爆するという異常な惨劇に世界中が衝撃を受けた。2001年9月16日、アルジャジーラ上でビン・ラーディンによるビデオ声明が放送された。

 その声明の中でビン・ラーディンは、「私は攻撃を実行していないと強調する。攻撃は別の個人的な動機に基づいて実行されたように見える」と述べた。2001年11月、アメリカ軍はアフガニスタン東部のジャラーラーバードで1本のビデオテープを回収。このテープにはビン・ラーディンと他のアルカイダ構成員との会話が記録された。

 その中で、ビン・ラーディンは同時多発テロを事前に知っていたことを認めた。9月4日の朝、証券会社の担当者から樋口兄弟に電話が入りヤフー株の気配値が182万円と安いから買いと言われ思った以上に安くなっていたため、2人共、それぞれ2株ずつ364万円で購入し残金が2507万円となった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み