理論部

文字数 14,572文字

司会者:それでは早速、我がファンタジー研究会による最初の討論会を始めたいと思います。記念すべき第一回目の議題は、「ファンタジーと統合失調症の区別をどうつけるか」というものです。まず、問題設定に関して、諸条件を整理しておくために、発案者からの短い発表があります。

岡本:承ります。えー、みなさん御存知の通り、現代ファンタジー物においては、舞台設定は現代でありながら、そこに非日常的な存在を交えて物語が進行していくというものが多々見受けられます。そこでは主人公のもとにある日とつぜん非日常的な生物がやってきて、主人公はそれと出会うというパターンの導入が一般的なように思います。
 何気ない生活を送っている主人公のもとに、ある日突然、死神や、魔人や、天使や、妖精や、その他諸々の生物が訪れるわけですね。ここでまず、その生物が他人には見えない、主人公だけがその存在を認識することができるものと仮定してください。ありふれた設定です。姿形はなんでも構いませんが、例えば人間の見た目とはかけ離れて背中から羽が生えているとか、主人公からすれば明らかに普通の存在だとは思えないような証拠があると想定して構いません。
 私も文筆家のはしくれとして、そういう設定で物語を書きはじめようとしたんですが、考えてみると、もしその生物が主人公にしか見えないと言うならば、脳の異常による幻覚とどう区別をつければよいのでしょうか? そこで困ってしまいました。
 統合失調症という病気があります。日本でも現在では100人にひとりの割合で発症していると言われているこころの病です。その症状のひとつに幻覚症状を伴うことがあるというのは広く知られているわけです(陽性症状)。これを描いた作品として、映画「ビューティフル・マインド」では、数学者ジョン・ナッシュをモデルとした主人公が統合失調症の症状に苦しむという過程が、半ば演出的であるにせよ描かれています。そしてこのような病気がある以上、前述の物語の主人公もそれに罹患している可能性があるわけです。
 そこで、眼の前に天使や悪魔などのファンタジー的な存在が訪れたという設定で物語を展開するときに、それが本当にファンタジーの始まりなのか、それとも統合失調症による幻覚を見ているに過ぎないのか、この区別を付けるためのテスト方法が必要です。「ああ、自分は幻覚を見ているんじゃないんだ」と主人公が納得できるような、軽いそういう確認方法があればよいのです。
 さて、蛇足にはなりますが、現代では魔法や超常現象などのロマンに溢れる神秘的概念の占める割り合いは次第に小さくなり、科学によって説明されるべき領域がますます大きくなっていることから、「隙間の神」などと揶揄されます。科学技術の進歩によって、心療内科によって統合失調症をはじめとしたこころの病気が究明されていき、われわれのイメージの中で存在感がより鮮明になるという背景があるわけです。そうした趨勢のなかで、このような問題にどのように折り合いをつけていったらよいのでしょうか?
お集まりのみなさん、お知恵を貸して頂けますか?

藤本:信じられないような出来事が起こったときに、夢かどうかを確かめるためにほおをつねるという描写をよく見かけますね。

三木:それはおそらく「夢のなかでは痛みを感じない」という前提があるからでしょう。この場合、自分の頬をつねってみたところで、自分が幻覚を見ているかどうかがわかるものでしょうか?

油井:相手につねってもらえばいいのでは?

三木:こんな実験があるんです。高温に熱したアイロンを被験者に見せて、その後目隠しをしてもらう。それから被験者の腕にさっきのアイロンと同じ形の常温の鉄の板を当てる。すると被験者は「あつい」と感じ、腕を引っ込めてしまう。そして当てられた部分を見ていると、軽いやけどの後が実際に残っているというものです。
これを「プラシーボ効果」というのですが、ここでは何ら物理的根拠など無いのに、被験者は痛みを感じ、実際に痕跡まで残っているわけですよ。目の前に見えているのが実在のファンタジー的な現象ではなく、たんなる統合失調症による幻覚だったとしても、つまり何ら物理的根拠を持たない幻像であったとしても、主人公に痛みを与えることは可能だと推論されます。

山口:それでは頬をつねってもらうという方法では、眼の前のファンタジー生物が本当に実在しているのか、それとも単なる幻覚なのか、主人公は判別はできないわけですか。

岡本:どうやら、そうなるようです。

青山:目をこする、という方法もダメでしょうね。全ての幻覚が目をこすれば消えるくれるというわけでは無いでしょうから。

矢部:そうですね。

小柳:実際にそういうものを見た時に、主人公が「疲れてるのかな、……休息が必要かもしれない」なんて呟くのもよく目にしますね。疲れているから幻覚が見える、というのはこのテーマに絡めて言えば、いささか安易な感もありますが。

中原:実際に、何日も徹夜をするなど、極度の疲労によって幻覚が見えることもあるそうですよ。遭難事件などで…………。それはさておき、私はそのファンタジー的な生物に頼んで、眼の前の空き缶か何かを持ち上げてもらうというのがいいと思います。幻覚は、三木さんもおっしゃっておられたように、何ら物理的根拠を持たない。物理的に実体のない存在が、空き缶を物理的に動かせたりしたらこれはおかしいわけです。だからそこではじめて眼の前の相手は物理的存在だった、本物のファンタジー生物だったと判明するのではないでしょうか。

長谷部:中原さんのその意見に対して、少し異議があります。というのも、みなさんおそらく勘付いておられるように、その空き缶そのものが主人公の見ている幻覚の一部ということだって、十分考えられないことではないというか、むしろありえると言えるのではないでしょうか。空き缶がぴょんと跳びはねる幻覚だって、精神的に失調した主人公が見ていてもおかしくないのです。

栗原:しかしそこまで否定すると、きりがなくなるんじゃありませんか。空き缶を持ち上げられたら、幻覚ではないという考えには、一定の合理性があります。それに対立するものとして、程度はどうあれ懐疑主義があるわけですが、これに関して言えば、我々が今見ている世界もまた、脳の中で作り上げられたイメージに過ぎないわけで、あるいはこれだって全部幻覚とも言える。そうではありませんか?

長谷部:脳の器質の異常によって起こる幻覚として、道具を伴った幻像が見られても少しもおかしくない、ということを述べたまでです。

千田:じゃあ例えば、主人公のもとに天使がやってきたとしましょう。主人公はこれが自分の見ているまぼろしではないかと言い出し、怒った天使が主人公の頬をつねる。確かに痛いが、まだこれは夢ではなく幻覚かもしれないと言い出す。それならばと、天使は目の前にあった空き缶を持ち上げてみせるが、主人公はいやそれでも、この持ち上げられている缶が幻覚ではないとは限らないといって納得しない。さて、われわれがこの天使の立場に居るとして、今後どういった方策を打ち出していくべきでありましょうか? というわけですよね。

司会者:おまとめ、どうもありがとうございます。そこから考えていきましょう。誰か意見はありませんか?

佐久間:それならば、天使は次のテストをやってみるべきでしょう。ゼナー・カード(超能力を調べるために使う実験用カード)か、なければトランプでも用意しておく。主人公は、トランプを適当に切り混ぜ合わせる。一番上のカードが何か分からない状態にして、机の上に束を置く。天使はそれを主人公には見えないようにしてめくって、スートと数字を宣言し、元の場所に戻す。主人公がそのカードを確かめて先ほどいった数字があっているかどうかを調べる。その場に2人いるなら、当然この宣言は的中していることが当たり前なわけですが、もし自分のつくりだした幻覚によってこれと同じことができたなら、主人公は超能力者ということになります。

弓削:もし幻覚を見ているだけなら、主人公にはめくる前からトランプの裏側の数字が何かわかっていることになるわけですね!

清水:ひとりだけでこのテストをやっても、まだ主人公が自覚のないうちに自分でトランプの裏側を見てしまっているという可能性を否定できません。誰か実在していることに信頼の置ける人物、たとえば母親にでも立ち会ってもらって、母親がカードをめくる、その対面に居る主人公が、母親の背後からトランプを覗き見ている天使に、それが何のカードかを教えてもらって、カードを当てるということをすればいいのではないでしょうか?

丸尾:なるほど、判別には情報の持つエネルギーを使っているわけですか。はじめ幻想生物は物理的根拠を持ち、幻覚は物理的根拠を持たないことから、物理的な差異をもとにした手段が模索されたのですが、この情報を用いた判別方法なら目からうろこですね。

御堂:主人公も、母親が幻覚だなんて言い出さないでしょう、多分。いや、疑り深い主人公ならどうかな……。

内田:でもそれだと、統合失調症の症状を持つ主人公がある日突然超能力に目覚めただけかもしれませんよね。その可能性は残ります。

鈴木(英):なるほど。シックスセンスというやつですか。統合失調症の原因として脳に器質的な異常変化が起こっている可能性が高いわけですから、何かの拍子に、人類が潜在的に持っていると言われている第六感が目覚めても不思議ではないわけだ。

内田:さらに言えば、たとえ天使が物を宙に持ち上げてみせたとしても、念動力にめざめた主人公がそれと関連する幻覚を見ているとして何も差し支えないわけです。ファンタジーを認める文脈で、超能力を認めないという合理的な理由は何もありません。おっしゃられてるように、人間が潜在的に持つ第六感というものは「天使」といった概念と同じように神秘的概念なわけです。

鴻巣:そこまでくると何かこじつけのようにも感じてしまいますね。「スコットランドの羊は黒い」というジョークではありませんが、片側だけ黒いということは有り得そうもないことです。やはり統合失調症の幻覚症状の発現という観点でのみ見るならば、超能力に目覚めるというのは、それと排反事象だと思われます。つまり、確率は掛け算で求めなければならない。そうすると今指摘されたような、そのようなパターンが起こっている確率というのは、かなり稀有であり、無視できる程度に低くなるのではないでしょうか?

榊:独立事象の間違いでは?

瀧澤:「無視できる程度に低い」と仰られましたが、具体的にはどのくらいなんでしょうね。

市川:ええ、ええ。いまおっしゃられた、物事の蓋然性の問題と言うのは、科学哲学でも論じられております。ある仮説があって、それと対立する仮説があるときに、一方が棄却されて、もう一方が正しいとされるのが科学理論の信念でもありまた特徴でもあるわけですが、ともかくも、そのためには決定実験をしなければなりません。しかしデュエム-クワイン・テーゼというものがありまして、そこにはたえず決定不全性がつきまとうわけです。翻って、自分の見ているものの正体に関して色々な仮説が想起するという場合には、考えられていることの吟味というものが必要ですが、これを科学の範疇で捉えることは難しい。なぜなら外界で起こる現象というのは、ある程度科学の方法で捕らえられますが、幻覚までもその仮説に含めてしまうならば、答えは無限通りに拡散してしまうからです。たとえば、こんな例を考えてみてください。重いものと軽いものは同時に落ちると考えている科学者が、塔の上から重い球と軽い玉を一緒に落とすという決定実験をおこなう。当然、期待されていたような結果が得られるわけですが、その理論の反対者は「そのような場合には目の錯覚が起こるのだ」と反論する。通常なら荒唐無稽で片付けられてしまうにもかかわらず、いま論じられている文脈では、そのような反論まで許容されてしまい、真剣に論じなければならない。なぜなら、ファンタジーだから……

渡邉:科学理論の枠組みで捉えられないとしても、独自の基準によって、仮説を判断し切り捨てることはできるのでは。ファンタジーにはファンタジーの理論や方法論があるでしょう。現実的に考えて有り得そうもないという感覚(センス)は信じられると思います。

山田(恵):もっと他の仮説も考えられませんか? たとえば、実体を伴う幻覚というような

緑川:たしかに。

Kenosha:I think --

司会者:すみません! 日本語でお願いします!

Kenosha:失礼しました。私はもはや、さっき決定実験という言葉が出たが、通常の基準を満たすような実験はもう果たされていると思います。トランプを用いたアイデア、これはエレガントですね。だがしかし、とにかくなんでこれでオーケーなのかと、納得しておられない方も多いわけです。そこで私は、説得する必要があると感じました。えー、サイコキネシスというのは、主人公が念じた時に発動しなくてはなりません。しかし、ファンタジー生物は1個の生命体として、主人公の自由意志とは関係なく動くわけなので、そこに違いが現れるのではないでしょうか?

司会者:なるほど。自由意志というテーマが提出されました。みなさん、これに関しては何か意見はありますか?

木多:ファンタジー生物が幻覚ではなければ自由意志というものを持つ、これに対して幻覚が持つのは単なる付随意思というようなもの、主物の脳の活動に対応するような精神活動のあり方でしかないということから、ここに違いが現われるのではないかという意見とお見受けしました。非常に興味深い見解であり、卓見です。しかし、それでも自由意志をマーカーにするというのは難しいかと存じます。「普通の人間と全く同じであるが、意識を全く持っていない人間」のことを哲学的ゾンビと言うのですが、この哲学的ゾンビと普通の人間を見分ける方法は存在しないとされています。自由意志をもたない幻覚のようなものは、まさに哲学的ゾンビでは?

コシミズ:補足しますと、自分の思っていることとは関係なくまるで自由な意志を持っているかのように振る舞う幻覚というのはよく見受けられますね。

國川:そうですね。

奥沢:では困ってしまいます。いったい何をもって妥当とすればいいのか…。

司会者:ええー、議論が難しいところに入ってきているわけですが、ここで本日特別ゲストとしてお招きしております脳科学者ペギー教授のご意見を伺いたいと思います。お願いします。

ペギー:ええどうも、みなさん、はじめまして。ペギーと言います。○△○大学サイバネティクス学部で意識とコンピュータの関係について研究しております。本日は、みなさん方の議論を聞いているだけのつもりだったのですが、こうしてご紹介に預かりましたので、またこうして意見を述べさせて頂くという次第です。えー、ここに集まっている皆さんは、みなファンタジーが大好きだということで、えー、わたくしファンタジー小説をあまり読まないということで、大丈夫かな? なんて思っていたのですが、あまりにも高度な議論をしておられるので大変驚きました。ええ、特にその、クーン的なと言いますかね、ファンタジー的な理論におけるパラダイムを打ち立てなければならないのではないか? といった指摘は大変面白いものでした。
 さて、少しだけ前提に立ち返って見てみたいのですけれども、みなさんが設定している問題では、ファンタジー生物は人間が創りだしたのでない一個の実在なのだけれども、主人公にだけが見えて、他の人には見えないという設定でした。これは考えてみればかなり不思議な性質であるとわたくしは思いました。他人に対して物理的な干渉を及ぼす、しかしその存在は認識できない。それならばこういう場合はどうなるのでしょうか? えーおなじみのカルネアデスの板的な緊急避難の話なんですけども、たとえば目の前に人間の姿をした主人公にしか見えないファンタジー生物と、普通の人が並んで溺れている。そのうちどちらかひとりだけしか助けられない。常識的に考えれば、他の人には見えないような生物を助けるよりも、人間の方を助けるほうが社会福利的にいいのでしょうけれども、主人の実存にとっては、どちらも一個の尊い生命なわけです。
 さて、さらに次のような場合はどうするか。自分とファンタジー生物が船の事故で海へ投げ出されて、板切れに二人して掴まっていることで溺れないですんでいる。そうすると、目の前に溺れている知人がいた。このような場合、はたしてそのファンタジー生物を海に突き落としてまでも知人を助けるべきか? 社会福祉的にはそれが望ましいと言っても、抵抗があるでしょう。もちろん、人間でないから人権が適用されないという余地はあるわけですけれども、普段、実存的アンドロイドに関してこのような問題を提起しているわけです。ファンタジー生物に関しても全く同じことが言えると思います。存在を基礎づけている条件としての、他者に対する認識性というものを欠いている。さてこのような理由のみによって緊急避難は許されるのか? 許されるとしたらそれはどのように正当化されるのか? いま一度考えてみてください、ここで議論しておられるファンタジー生物というのは、果たして本当に一個の生命的契機と呼べるものなのか。そうでなければ不完全な生命であり、それこそ幻覚と同じような存在性しか確保されないのか、といった哲学的問題ですね。
 またこの「存在する」ということに関しまして、現象学的に見るならば自己の実存と他者の存在するということは決定的に違うものです。世界の講を取得することに本質直観というものに従うなら、たとえ統合失調症の幻覚であるとしても、現象学的に基礎付けるならばそれを他者として扱ってもよいということになります。では、なおさら両者を区別するということは重要なことになるのではないか? これを目標に頑張ってもらいたいですね。

司会者:どうもありがとうございました。

赤松:どうも話しが難しいなあ……。結局どういうことになるんですか?

林:先ほど気がついたのですが……。その……、幻覚だという仮説を、すぐに否定する必要など無いのではないでしょうか?

和泉(元):どういうことしょう?

林:例を借りるなら、目の前に天使が現れたとします、その時点で主人公には、これがファンタジーであるという仮説と、統合失調症による幻覚を見ているという仮説の両方が与えられることになります。ところで、その物語は主人公が統合失調症であるという前提で作られていないわけですから、長い間物語が続いていく内に、「統合失調症」仮説のほうはだんだんと不整合をきたしてきて、ついには採択される余地もないほどに蓋然性が低い仮説となるわけですよ。
 このファンタジー物語が一巻、十巻、数十巻と続いていけばいくほど、「統合失調症」仮説は取る余地が無くなるわけです。隅に追いやられていって……。つまりファンタジーというのは、一般に「統合失調症」仮説を棄却するための長い道のりであると言えるのではないでしょうか……?

長宗我部:そうすると第一話から統合失調症の可能性を否定し、排除しようとするほうがむしろ間違っているというか、おかしな力動と林さんは述べられるわけですか。

林:間違っては居ないかもしれませんが、少し早急なのでは? と言いたいのです。先ほども言ったように……、物語は主人公が統合失調症である前提をもとに作られていない訳ですから、落ち着いて、物語が続くほどに、それは自然と波のように退いていくわけで……

秋篠宮:なるほど。

佐藤(和):そうすると発案者さんの抱いていた危惧は、物語の中で自然と解消していくことになりますね。

鈴木(満):しかしこれは決定的な手続ではないですよ。具体的に、どういうときに否定されるのか?

箕作:仮説が棄却されるとか採択されるとかいうことは、個人によってその基準が違うと思われますから、ファンタジー生物がその「証明度」を満たしたとき、つまり質問者さんの言いたいことは主人公の心証いかんに尽くされると思いますね。読者にとってもこれはそうだ。

勝浦:じゃあ物語が10話で打ち切りになったら、「統合失調症」仮説は棄却できないまま終わるわけですか(笑)

林:そうですね……打ち切りがあるなら、悠長すぎるのも考えもので、やはり一話からはっきりしておきたいという心理は、正しいのかもしれません……。

御幸尾:眼の前の生物が統合失調症による幻覚でないということが分かればいいのですよね。それでしたら、主人公を殺してみるのはどうですか。主人公が死んだ後にも存続していたら、それは作り上げられた幻覚ではありません。主人公が殺されたとともにその存在が消えてしまうのなら、それは統合失調症の産物だったんでしょう。

田島(学):おおっと、過激な意見が出ましたね(笑)

五百旗頭:たしかにそれなら完全に明らかになるでしょうが、主人公が死んでしまうのでは。目的転倒と言われそうですね…。

御幸尾:私自身、この方法に難があるとするなら、死後の世界を認めるならば、主人公を殺してもなお意識が存続するという可能性が十分に考えられるということであると思っているんです。

薬袋:それなら問題ないのではありませんか。死んだら死後の世界に行くというのが普通です。そうすると幻覚も死後の世界に移動しなければおかしい。少なくとも幻覚がまったく動かないということはないはずだ。それに対して、実在ならば主人公が死んだところでその場から一歩も動かないでしょう。

小鳥遊:地縛霊とかを考えなければね、そういうことになる。

津:だがしかし、幻覚かどうかの確認は主人公のためにやっているわけでありますから、主人公を殺すというのは証明の宛て先がちがうのでは……。物語が1話で終わってしまうことになりそうですし。

糸川:いやいや私はこの意見には賛成です。ユニークで面白い。実に面白い。

水田:おや、やけに評判がいいですねえ

袴:どうだろうか。

(会場、どよめく)

王:あの、他の意見も考えてみませんか? 流石にこれで終わりというのでは、私は納得いきません。

司会者:そうですね。何か、ありませんか。

伊東:では、私がひとつ披露しましょう。私が考えているのは、ファンタジーということを認めるなら、何も舞台を現代ということにしなくてもいいじゃないか、ということです。少しだけ時計の針を進めてみましょう。つまり現代精神医学では、統合失調症の診断にDSM-IV-TRやICD-10といった診断法が使われますが、精神科医の林公一氏によれば、これらはすべて非固定指示子による病名診断法です。氏はうつ病で論じておられますが、統合失調症にも生物学的に特異的なマーカーはまだ見つかっていません。この生物学的マーカーのことを氏は「聖杯」と呼んでおられますが、将来的には統合失調症の生物学的マーカーも見つかり、したがって統合失調症であるかどうか、生物学的確実さを持って診断できる時が来るかもしれません。
 そしたら主人公は、まず医者に駆け込んで「自分は統合失調症ではない。幻覚を見るような脳疾患を何ら持っていない」という診断書を貰って帰ってくればそれだけでいいわけです。そうしてあらためて家に帰ってきてみて目の前にまだ天使が存在していたら、自分が幻覚を見ている可能性はないのだから、これは確実にファンタジー的展開が起こっているということになる。これでどうでしょう?

神威:質問です。さきほど生物学的マーカーが見つかるかもしれない、とのことでしたが、現時点ではまだ見つかっていないものですし、どれほどの時間をかければ見つかるというようなものでもないのですよね?

伊東:いやしかし、その物語の世界では見つかったと仮定して少しも構わないのですよ。

池野:舞台が現代でないのは少し残念ですが、なるほどその仮定を緩めれば、こんなにも簡単に実在性がはっきりするのですね。

藤戸:主人公が幻覚を見ていないということを医者が保証するなんて、言われてみればなんだか当たり前で逆に気づかないですね。生物学的マーカーの話も面白かったです。統合失調症以外の病気にも、これで対応できますね。未来の世界では脳の構造が明らかになっていて、幻覚を見ているかどうかは、電極の電位で確実に調べられるのですから……。

池野:主人公の脳が病院では判定しきれないほど特殊な体質を持っていた場合はどうでしょう?

伊東:それも、主人公が平凡な体質だったと仮定して構わないのですよ。判定しきれない特異体質かどうかだけは、そんなことは病院で調べればたちまち分かる事柄であるのですから。

山田(史):発案者が求めているものとは少し違うかもしれませんが、解決法であることには変わりません。きっと、未来の技術はそういうことを可能にするでしょう。してみれば、科学技術に押されて立場が危うくなっているファンタジーを救うのもまた科学技術だということでしょうか。非常に示唆的です、ファンタジーは科学技術によって保護されるという側面もまたあるのかもしれません。

瀬戸熊:ただ、そういうことが可能となるのは少なくとも西暦3000年とかそれ以降のことかとは思いますけどね。幻覚の可能性を完全に排除するとなると、脳のほとんど全構造を解明しなければならないことになる。意識のハードプロブレムを除いて、ほとんどの問題が解決するでしょう。イノベーションが起これば到来はこの予想よりもう少し早まるでしょうが。ファンタジーの中で導入するなら、生活の様子も大幅に変えなければならない。

栗栖:描写が大変になります。

司会者:なるほどそういう難点は孕みつつも、この方法は解決法の一つとしてとっておいたほうが良いかもしれないですね。では、他に何かありませんか?

櫻井:あのー、少しよろしいでしょうか。えっと、意見というほどでも無いのですけれども。最初に言われていたように、統合失調症のひとというのは、日本にも100人にひとりはいらっしゃるということですよね。えー、この会場にはいま、何人くらいの方がおられますか?

高田(一):およそ2000人くらいですね。

櫻井:そうであれば、この中にひとりくらい、そういう幻覚が見える方がおられても不思議ではないと思います。どうでしょうか、そのような体験をしておられる方がいらっしゃいましたら、この場でどうか、勇気を持って名乗り出てはいただけないでしょうか? 参考といいますか、私にはどうも想像力が欠如していて、そのような体験がどのようなものか分からないのです。

司会者:なるほど。仰ることももっともです。強制はしませんが、もしそういう体験をしたことのあられる方、まさに今しているという方がいらっしゃいましたら、是非とも発言のほうお願いいたします。壇上に上がっていただいても、またその場で発言してくださってもどちらもでも構いません。

田辺:ひとりくらいはいそうですが……名乗り出るかと言うと

御木本:統合失調症の方のすべてに幻覚が見えるということではないのですよね。でしたら、この場で論じられているくらいにはっきりした幻覚というものは、おそらくレアケースで難しそうだ。

木曽:まあどんな体験でも足がかりになるのならそれで構わないじゃありませんか。幻視体験とか、不思議なことが身近に起こった体験とか。

司会者:どなたかいらっしゃいませんか。

渡辺(日):あのー……実は私、まさにそうでして。小さい頃からそういうものがよく見えておりまして、私の体験が役に立つのであればお話するつもりです。統合失調症ではなく、お医者様からは解離性障害という診断を頂いております。

司会者:なるほど。是非、エピソードなどお聞かせください。どういったものが見えるのですか? いまもそれは見えているのですか?

渡辺(日):私の場合、ほとんど人の形をした小柄な妖精のようなものが見えます。色白で、子供くらいの背丈をしていて、机の上にじっと座ってるのです。見える時と見えない時がありますが、今ももちろん見えています。教室では他人の机に座っていることが多いです。実際にはその場に存在しないことはわかっているのですが、たしかに居るとはっきりと感じられるくらいにリアルです。この不思議な現象もあって、私はファンタジー研究会への入部を決意したかもしれません。

司会者:その妖精のようなものと会話できますか?

渡辺(日):会話はできません。したことがないのです。

振本:それは残念だ。もし会話ができたなら、さっきのトランプのテストをやってみてもよかったのに。

霜原:いや、この際ですからやってみましょう! 誰かトランプを持っては居りませんか!

滝川:2000人もいるんだからひとりくらい誰か持ってるでしょうね。

鉄輪:私のでよければ使ってください。実は、手品のバイトをしてるんです。バイシクル*です。

*…マジックによく使われるトランプ

司会者:では渡辺さん、よろしいですか?

渡辺(日):はい、構いません。ただ、成功する可能性は少ないと思いますが……。

司会者:あの、幻覚というものはあなたが移動すると共に移動するんですか?

渡辺(日):はい。消えてしまわない場合は、移動することが多いです。

司会者:それでは壇上に上がってきてください。

(準備時間)

司会者:さて、準備が整いました。いま妖精は私の真後ろにおります。もしも渡辺さんが見ておられるのが単なる幻覚であるなら、トランプの柄を当てることはできないはずです。もしも的中されたなら、この場にファンタジーの生物がいるということになります。これは画期的な実験ではありませんか? どうぞ、皆さんお静かにお願いします。では目の前にあるトランプの束から、私が一枚めくりますので、それを当ててください。

渡辺(日):はい、わかりました。

司会者:なお、この実験でトリックが使われていないということは、トランプの提供者、マジシャンの鉄輪さんが保証してくれます。さあめくりました。どうでしょう。妖精はいまこちらを見ていますか? その柄について何かわかりましたか?

渡辺(日):あっ、たしかに今見たと思います。でも、喋れないので、こちらには何も教えてくれません…。

司会者:そこをなんとかお願いいたしします!

渡辺(日):あの、よかったら、教えて…?(司会者の背後に向かって語りかける。)

頴娃:いや、これははずれて当たり前の実験なんだから、気軽にね

広瀬:そうそう、はずれて当たり前。

小宮山:鉄輪さんはどこにおられるんですか? あのトランプには仕掛けなどしてはありませんよね?

鉄輪:はい。全然、ごく普通のトランプです。ジュースカードということはありません。

渡辺(日):あの、やっぱり喋ってくれないようですね。そちらの方を見ていることは見ているのですが…

司会者:そうですか。いつまで続けましょうか?

渡辺(日):いつまでと言われても、こっちがききたいくらいですよ。あっでも、……

司会者:どうしたんですか?

渡辺(日):あの、さっき彼女の瞳に反射して、トランプの色が見えた気がします。赤……ですよね?

司会者:おお、これは素晴らしい。引き続き、数についてもお願いできますか?

渡辺(日):いや、それは無理です。さすがに……

広瀬:これはすごいな。

窪塚(洋):いや、赤か黒かだからルーレットの2分の1の確率でしょう。

頴娃:しかも妖精の瞳に反射したということは、司会者の瞳に反射したということも同様に有りえるわけだ。

海原:ファンタジー研究会なのに夢のない人たちだ。

渡辺(日):いや、やっぱりこれ以上はわかりません……

司会者:そうですか、どうも、ご協力ありがとうございました。皆さん拍手を! ……さて先ほどの実験で、もし渡辺さんが的中させていたら、この場にファンタジー生物が居るということを我々は信じたでしょうか。あるいはそれか超能力かのどちらかが少なくとも実在するということが信じられるようになったかも知れません。いや、トリックの可能性だってもちろんありましょうが。さてさて、私がめくったトランプは(高く掲げて)ハートの2でありました。赤い、というところまでは一致しましたね。さてハート、というのはこころ、人々の心を表象した図柄(アイコン)であります。なんとも象徴的ではありませんか? われわれの心のなかにしか存在しない生き物、という点では、こころの病気によって見える幻覚も、ファンタジー生物も、あるいは違いがないのかもしれない、といったことも言えるのかもしれません。
 こころというのは現代を生きるわれわれにとって神秘的概念です。もちろん、その中枢が脳にあるということはわかっています。それはアリストテレス以来の進歩でしょう。未来にはその仕組が完全に解明され、脳の仕組みがわかる時が来るかもしれません。遠い先の出来事かもしれないし、そう遠くないのかもしれない。本日お越しいただいたペギー教授も脳科学の理論研究に携わっておられます。ますますの科学の進歩と発展に期待して…いや、ファンタジー研究会副会長の立場と致しましては、あくまでもファンタジーの現代における立場の調和を目指して活動していきたいところではありますが、ともかくもこれからのわれわれの生活がより良くなることを期待しましょう。さて、それではお時間のほうが迫って参りましたので、発案者の岡本さんから一言お言葉を頂戴して締めさせていただきたいと思います。

岡本:岡本です。本日は皆様、私の考えた議題でここまで議論してくださって、感無量でございます、誠にありがとうございます。感謝の念はつきません。わたしが抱いておりました数々の疑問は、言葉によって表され、その幾つかは解消いたしました。それは本当にひとえに皆様のお陰であります。重ねてお礼を申し述べさせていただきます。さきほど、副会長からもありがたいお言葉をいただきましたように、人間の心というものは、まさに現代科学では解明できないところがあります。そうすればやはり、心というものは一種のファンタジーであって、私が提出した議題は、ファンタジーと科学の区別をどう付けるか、ということではなくて、ある種、ファンタジーとファンタジーを対置させてしまったのではないかと思うようなところがありました。その上で、わたしが当初抱いていた、こういう時にどうすればいいんだろう、という疑問はまた、様々な手段がとり得るということで安心のうちに完全に解消いたしました。本日のディスカッションの中で、理解を越えるようなところもあり、また激しく納得させられるようなところもあり、すごくロマンチックに展開していったと思います。いち出席者として述べさせてもらえば、本当に楽しかったです。皆様の頭脳が集結し、同じ問題について、共に考えていくということがよき成果を生むということは、まこと素晴らしい限りです。以上です。

司会者:そうですね。3人いれば文殊の知恵ということわざがありますが、この会場にはまさに2011名もの方々がお見えになったということで、生まれるアイデアには大変素晴らしいものがあります。お時間の都合上、きょう発言できなかったみなさまも、次回もまた討論に参加していただくということを望みます。今回は初回ということで、進行に至らない点などあったかもしれません。どうぞ、お手元にアンケートを用意しておりますので、年齢と性別だけは必須記入となっておりますが、氏名はべつに構いません。ご意見、ご要望等ございましたら、どうぞアンケートに自由にご記入ください。10分間の記入時間がございます。10分後にはアンケートを回収してその後、自由退場となります。円滑な回収作業にご協力ください。
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