第2話 ナトリウム盗難事件

文字数 1,758文字

 電話は三回のコールでつながった。無愛想な声がした。
 「はい」
 「二年F組で一緒の佐藤です。相談があるんだけど、時間ある?」
 「電話に出るってことは、あると解釈して良い」
 「外で会える?」
 「三十分後に『寿限無』でどう?」
 「いいけど……あそこ、うどん屋さんじゃなかった?」
 「うどん屋兼喫茶店だ。あそこのコーヒーは美味いよ」
 ツーツーツー。

 電話の相手は、弓原巧。千冬のクラスメートだ。すごく変わっている。大人になろうと背伸びしている男の子はいっぱいいるけど弓原君はナチュラルに

みたい、というのが千冬の意見だった。「あると解釈して良い」なんて言う中学生を千冬はほかに知らない。
 千冬は一学期に一度だけ、英語のテストで百点をとった。もちろん嬉しかったけど、クラスメイトたちの反応はイマイチで、中には「百点なんてとってもムダだよ」「自慢はやめて」という子もいた。そんななか弓原くんだけは「すごい!」とこっちが照れるくらいほめてくれたのを千冬は覚えていたのだ。
 千冬が学校近くのうどん屋(兼喫茶店)「寿限無」に着くと、弓原はもう来ていて、白いマグから湯気が立っていた。
 「本当にコーヒー置いてるんだ」
 「いいだろう。エチオピア産はコクがある」
 「好みまで渋いね……」
 気分は軽いが、一杯300円のカプチーノを頼んだせいで千冬の財布は軽くなった。それを考えると気分は重くなったが、財布は重くならない。
 弓原がめがねをクイッと右手で直した。
 「よほどの事件か」
 「うん、まぁ」
 暇つぶしとは言えないよね。すまぬ、弓原くん!
 千冬が鳰たちがいなくなったことを話すと、
 「偶然かな。僕も昨日、本を読んで居残っていたら、別の事件の噂を聞いたんだ。理科室からナトリウムが盗まれたらしい」
 「ナトリウム?」
 「元素記号Na。原子番号は11。全生物に必須の元素で、水に反応して発火する」
 「えへへ」
 千冬は笑った。彼女の理科の成績はあまり芳しくない。
 「理科の大貝先生が夕方の見回りをした時に気付いたらしい。窓もドアも割られていなかった。学校関係者の線が濃いという話だ」
 「そんなこと言いきれるの?」
 「理科室は職員室のすぐ横だろう。人目があるのに気付かれなかったのは、犯人が怪しまれない人物――学校に関係ある人間だから。筋は通る」
 千冬の頭に、記憶が蘇ってきた。
 「わたしもその事件、知ってる。昨日の帰り道、谷屋先生と大貝先生を見たの」
 「何だって?」

 谷屋は千冬たちの数学教師だ。大学を出てまだ二年目、熱心だが生徒が口答えをすると頭ごなしに叱りつける時がある。
 部活帰りの千冬は、家の前まで来ていた。池が見える。
 ばたばた足音がして、息を切らした谷屋が後ろにいた。
 「先生は泥棒を追っているって言っていたよ。わたしは何も見なかったけど。すぐ後に同じ道を大貝先生が走ってきた」
 「谷屋先生と大貝先生が、一緒に泥棒を追いかけていたってことか?」
 「そうなるのかな。変?」
 「変だろう。あのふたりは犬猿の仲じゃないか」
 理科の大貝先生は野球部顧問で、猫派で、もう五十歳近い寡黙な先生だ。
 数学の谷屋先生はサッカー部顧問で、犬派で、某熱血教師ドラマに憧れて先生になったと聞く。
 ふたりの馬が合わないという噂はたしかに千冬も聞いた事があった。
 弓原はコーヒーをあおると「こういう順序だな」とノートに書いた。

 <謎> 池から鳰がいなくなった
     ナトリウムが盗まれた
 <証言>金曜夜六時頃 佐藤、家の近くで泥棒の追跡をしている谷屋先生と会う
     直後     同じく大貝先生に会う

 「すごいね、弓原くん」
 まだ消えた鳰たちを覚えてくれていたのが、千冬は嬉しかった。
 弓原の頬が赤くなる。咳払いした。
 「池に鳰は何羽ぐらいいたんだ?」
 「二十羽ぐらいかな。そのうち一匹がお気に入りだったの」
 「お気に入り?」
 スノーの話を聞かせると、弓原は千冬の目を見た。
 「佐藤は情が深いんだな」
 「そう?」
 「明日には帰って来るといいな」
 弓原くんは変だけどやっぱり悪い人じゃない、と千冬は思った。


(続)
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