ローズ・ドラクル殺害事件

文字数 2,000文字

 一八〇〇年代、フランスはパリ。モンマルトルを管轄する警察署。
 視察に来た警察長官ウージェーヌ・ヴォートランは、取調室に入った。ある難事件の容疑者レイモンド・ニーマンとその知人オーギュスト・ルパンの話を急遽聞くために。
 ニーマンは名に反して肌は東洋人のそれ。仏語は解さぬようだ。
 ルパンは彼の雇い主で保証人、自らは著述業と自己紹介した。握手の際、細見の割に力強いと分かった。
「被害者が付けていたのと似た頭巾を、ニーマン氏が所持。身体検査で針の仕込まれた扇子まで出て来た故、本格的聴取に。ルパンさんはそんな彼を弁護に来たと」
「ここ二日で独自に調べ、推理により真相に辿り着けたと信じる。聞いていただければ幸いだ」
「真犯人を名指しでも?」
「ともかく聞いてくれ。時間の無駄を省くためにも」
「ふん。ローズ・ドラクル事件は難物だぞ」
 相手を促したヴォートランは手近の椅子にどっかと腰掛け、お手並み拝見の姿勢になる。
 ローズ・ドラクル殺害事件。
 現場は四階建てアパート最上階の一室、被害者ローズ・ドラクルはそこに独り住まい。
 部屋はドアも窓も内側から施錠され、ドアの鍵も室内にあった。唯一、暖炉の煙突が屋根へと通じるも、その直径は蛇ですら通るのに難儀する細さ。
 要は出入り不可能な状況なのに、被害者は寝台の上で死んでいた。凶器は、その場に放置されていたパン切り包丁と見られ、刃渡りは四十センチ。部屋のキッチンにあった被害者の物らしい。他にもっと鋭利な包丁があるのに何故、パン切り包丁を犯人は使ったのか。結果的には部屋のあちこちに血が飛び散るほどの傷を負わせられたものの、いまいち理解しがたい。
 被害者の格好も奇妙だ。下着に中華風の襦袢を重ね着、紐で腰のぐるりをきつく留め、群青色の布を頭部に巻いていた。その上、細い竹を五十センチほどの長さに切って、筒状にした物に紐を通し、肩に掛けて背負っていた。犯人と乱闘になったのか元々なのかは不明だが、竹筒はひび割れしていた。加えて、肘と膝の辺りにはねっとりとした粘着剤らしき物が多く塗られていた。
 殺害動機の持ち主は見当たらない。他の部屋はあいにく留守にしていた者が多く、三階の角部屋にいた一家が、大きな物音を一度聞いたのが夜九時過ぎ。事件発生時刻と思われる。別の目撃者により、ドラクルの帰宅は同日午後七時前と確定しており、これは普段通りだった。
「被害者の妙な格好、不自然な凶器、そして密室――こんな言葉があるのか知らないが――の謎が立ちはだかる。確かに難物だ。しかし私はあれこれ調査し、想像を膨らませた」
 ルパンが駆使する仏語は流暢だ。流暢すぎかつ丁寧すぎる程。
「まず、ドラクル嬢は死の約二週間前から、東洋の島国ヤポンに並々ならぬ興味を抱いたようだ。図書館の貸出記録から分かる」
「それは弁護にならん。逆に疑いを強めた。ニーマン氏がヤポンと関係しているかもしれない」
「面倒だな。では先に彼の正体をお話ししよう。他言無用に願いますよ」
 ヴォートランの返事を待たず、ルパンは続けた。
「レイモンド・ニーマンの本名は零衛門(れいえもん)、ヤポン出身だ」
「何だと? ヤポンは鎖国中だ。一般人がおいそれと渡航できまい。ますます怪しい」
「ええ、密航者だ。彼は戦士かつ隠密、つまり忍者として生きてきたが、天下太平が続いて目的を見失った。外へ活路を求めた結果、今は我が国の人間だ。身分は保障され、現在、スパイ活動のための語学訓練を受けている」
「むむ……」
「いかん、話が逸れた。彼が忍者であるおかげで、私は知識を得、真相に行き着いたと言える」
「忍者なる物に詳しくないのだが」
「詳細は後回し。重要なのはローズの格好は忍者の真似をしたものだという点」
「何?」
「伝聞では忍者は刀を背負い、頭巾で顔を隠し着物風衣装を身にまとう。被害者の姿を連想しないか?」
「まあ、だいぶ遠いがな」
「ローズは情報がない中、精一杯、忍者を真似た。それから彼女は壁から天井に張り付来ながら移動しようとした。忍者の動きだ」
「待て。粘着剤は壁や天井には見当たらなかった」
「室内は血塗れだった。警察は血だけ調べて満足したが、その下に粘着剤が隠れているのを見落としたのでは?」
 ヴォートランは再調査を命じた。
「忍者の真似をしたとして、何故、死んだ?」
「よほど強力な粘着剤だったんだろう、天井まで達した被害者だが、そこで竹筒に差した包丁が落ちた。運悪く包丁は寝台の毛布で垂直に立った、刃を上向きにしてね。そこへ彼女自身も落下。刺さった包丁をすぐ抜いたため大量出血を起こし、絶命した」
「何という……だが辻褄は合う。密室も奇妙な格好も凶器も。証言にある物音もだ」
「だろう? この線で調べ直し、早く彼を解放して欲しい」
 その後、零衛門は無罪放免。だが彼の存在を隠したい国の思惑により、ローズ・ドラクル殺害事件は表向きは未解決のまま語り継がれることになる。
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