僕は家に帰れない

文字数 3,057文字

受験生の頃、地元から出て一念発起しようなんて気がさらさらなかったことを、只今とても後悔している。

今通っている高校は、偏差値なんてあってないようなもので、ほとんどの生徒が地元企業に就職するか家業を継ぐかの二択だ。一般家庭で家業もなく、就職できるスキルもなければ大学に行ける学力も学費もない。そんな無い無い尽くしの僕だが、特に無いのはコミュニケーション能力だ。案の定、地元が大好きなマイルドヤンキー達から小馬鹿にされ続ける日々を浪費していて、今日もまたそれとなく貼り付けた苦笑いでやり過ごせたかと思っていたら、そんなことは全くもってなかった。

平々凡々で少し貧乏な僕には最悪の事態だった、絶対にあのヤンキー達の仕業だろう、自転車が無くなっている。正確に言うと、サドルは残っていたあたり悪質なイタズラだ、本当に何が面白いのか全くわからない。
こんな無い無い尽くしの僕からこれ以上奪い取ってどうする気なんだ。何も持ってないのに、ゼロから引いてもマイナスにしかならないことを、きっと算数のできない人たちにはわからないのだろう。

自転車で40分かかる家までの道のりを、徒歩で行くには到底無理な話だ、できなくは無いギリギリのラインかもしれないが、わざわざそんなことをするよりは、数時間に一本あるかないかの電車を待ったほうが幾分マシに思えたので、とりあえず歩いて駅に向かうことにした。

駅までも20分程かかってやっと着く程度だが、まあ、たまにはいいかもな、なんて、思いつつも、やはり永遠と続く田畑は小さい頃から田舎暮らしの僕にはなんの面白みもなく、都会に出ておけばよかったとか、そもそも都会に生まれたかったとか、高層ビルやらコンクリートに想いを馳せているうちに駅までついてしまった。
切符を買って、改札を抜けたら丁度電車が来たので、あまりのタイミングの良さに少し小走りで電車に飛び乗った。不幸中の幸い、ではなかった。
安堵したのも束の間、車内アナウンスを聞いて鳥肌が立った。これは反対方面へ向かう電車だ。
このど田舎の夜に反対方面へ向かってしまったら戻るのにはとんでもなく時間がかかる、この時点で最悪だ。加えて僕はお金を持っていない。片道分の切符代金がギリギリだった財布の中身は今はもう空っぽで、缶ジュースすら買えやしない。なんで週間発売の漫画紙を今日買ってしまったんだろう。なんで昨日アイスを買ってしまったんだろう。言い出したらキリがない。

とりあえず、次で降りなければ、そして恥ずかしながら親に連絡を入れなくては、さすがに車で迎えに来てもらおう。そう思って開いた携帯電話の画面を見て絶望する。圏外だ。
よく考えればわかる話だ。こんな山奥の無人駅で電波が通るわけがない。どうしようもない状況で、怒りに不安にごちゃ混ぜになった脳と、疲れのたまった体は、もう限界だと瞼を強制的に閉じようとするので、近場にあったベンチで少しだけ落ち着こうと、座ったその時。目の前に、居るはずのない少女が立っていた。

思わず息を飲んでしまう。言葉なんて出なかった。変な汗が止まらない。
だって彼女は、もう、死んでいるはずだ。

「片桐くん、だよね…?あぁ、あんまり、話したことなかった、ね… 見えてるんだ、私のこと。」

「あ、う、うん…………」

驚きと、あまりに落ち着いた彼女の態度に対する畏怖と、時が止まったかのように静かな無人の駅の空気が冷たい。

「ごめん、えっと、驚かそうとか、呪ってやる…とか、そういうタイプじゃないから、私…うまく言えないけど。」

幽霊、なんだろうか。彼女は死んだ、という自覚がしっかりあるらしい。普通に話している姿を見ると、まだ、生きているような気すらする。
それでも、僕は知っている。彼女はやっぱり死んでいるのだ。
教室の花瓶と、ホームルームのざわつきと、地元新聞紙に載った彼女の名前。「如月冥子《きさらぎ めいこ》」は死んでいる。
彼女の死の詳細について僕はよく知らない、自殺だった、ということだけは担任教師から説明があった。
憶測と疑心暗鬼が蔓延って、どろどろとした空気で満ちた教室の生々しさを思い出してまた冷や汗が出る。

僕は彼女と殆ど話したことはなく、どこか他人事だったからか、今こうやって彼女と対峙していると、罪悪感のような何かがみぞおちで蠢いて、言葉も、何も出てこない。

彼女も、僕が落ち着くのを待ってくれているみたいで、遠くを見つめて佇んでいる。
長い睫毛と、ショートカットのさらさらとした髪が街灯の灯りに照らされて透き通っていた、半透明な彼女の向こう側には、あと1時間以上来ない電車を待つ錆びた線路が見える。

「あ、あの、さ、こんな時間にここにいて平気?なの?電車、来ないよ。」

申し訳なさそうに彼女はそう言った。

「だ、大丈夫、じゃない、かな…」
「そうだよね…」

奇妙な沈黙と距離感、生と死の壁は意外と薄かったのかもしれない。
死後の世界とやらに彼女は行けなかったのだろうか、どうして、自殺なんかしたんだろうか、疑問符は絶えないがそれを彼女にずけずけと聞けるような図太さは無く、彼女が口を開くのを待った。
それを察したのか、彼女は僕の方を見ずに話しはじめた。

「私ね、死にたくて死んだんじゃないの、でもね、死ななくちゃいけなかった。なのに、ちゃんと死ななかった。だから、ここに居るの。」

どういうことだ?死ななくちゃいけなかった?
状況すら曖昧なのに、理解が追いつかない。

「そう、だよね、ごめん。なんて言ったらいいか、わかんないよね。こんな事言われても」

「そんなこと…。いや、ごめん、わかんない。ちょっと色々起こり過ぎてる。そもそも僕は霊感とかないし…なんで如月さんのことが見えるのかもわかんないし、こうやって話してるのも、夢の中にいるのかってくらいだ。」

「夢の中…!」

彼女は突然絶妙な距離感の枠からはみ出してきて、僕の目をじっと見つめた。

「片桐くん、お願い、協力してください。」
「えっ、な、何に?」
「片桐くんしかいないの、今日ここに来たのも私が見えるのも、何もかも偶然じゃない。あなたは特別だった、夢の中に入れるのは私だけじゃなかった。」

「夢の中に、入れる?」
「そう、ここも夢の中。片桐くんと私は今夢の中で話してる。」
「如月さん何言ってるのか全然わかんないよ、僕は、僕は駅で、電車を…」

そう言って周りを見て気づく、見覚えのある筈の田舎の景色に色がついていないのだ。古いモノクロ写真のように所々かすれていて立体感もない。実態があるように見えるのは僕らがいる駅のホームと無限に続く錆びた線路だけだった。ホームにある古い時計の針はチクタク音を立てて往復を繰り返し、無闇に浪費したはずの時間は全く進んでいなかった。

「ここは………。」

ここが現実の世界じゃないことは分かる、むしろこれが現実だとしたら今迄の世界すべてが疑わしくなってくる。

「ここは夢の中、誰の夢の中かはわからない。でも、片桐くんはここに呼ばれたみたい。いや、もしかしたら…。」

考え込む如月さんを眺めることしかできなかった。突拍子も無い出来事の連続で頭の中はもうとっくにパンクしていた。まだ、夢の中とやらも、生きているかのような如月さんも、完全に受け入れる事が出来ていなかった。

そして僕はふと思う、ここが本当に夢の中だとしたら、僕は家に帰れない。


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