第6話

文字数 7,254文字

「好きだ」
 南の腕が僕を抱きしめる。
 背中に回された掌の形に、ひときわ高い南の体温が伝わってくる。
 こんな風に慈しむような抱擁を交わすことなど、求めてはいけないのだと思っていた。僕たちの関係は、恋愛のように見えてもそれとは真逆の方向にあるのだからと。
 それでもあきらめきれなくて、自分から離したはずの縁の糸のありかを探していた。それはほんのささやかな細くてもろい糸で、おそらくは遠からず朽ちてしまう定めだったはずだ。
 けれど南は手がかりを示してくれた。
 そして、南にきっかけを与えたのは遠山だ。
 あの日、あの夜、あとに続く数日を、遠山はどんな気持ちで過ごしたのだろうか。遠山が恋敵をけん制するためだけに、僕から話を聞いたなどと、南に話すとは思えなかった。
 遠山は僕を『大切な人』だと言った。僕には過ぎた言葉だと知っているけれど、それを信じるとすれば、遠山が二次的にでも僕を傷つけるとは思えない。
 都合のいい考えかもしれないけれど、遠山は僕の本心などとうにお見通しで、南の背中を押すためだけに、南の不興にはあえて目をつぶって話をしたのではないだろうか。
 さらに言うなら、僕でさえ見いだせなかった南の真意も、遠山には見えていたということなのだろう。
「かなわないな」
「なに?」
 僕のつぶやきを聞きつけた南が耳元で囁く。
「なんでもないよ」
 遠山とのことを南に隠そうとは思わない。けれど今はその時ではないはずだ。
 だから、閉じ込められたままだった両手で南の肩に縋りつく。
 南の首筋に顔をうずめると、日にさらされた肌の匂いがした。それは紛れもなく南の匂いで、意識したとたん身体の奥底に火が灯る。
 こみ上げてくるようなこの情動が『欲』なのだと今ならわかる。
 南に会いたくて、口実に選んでいた言い訳とは全く違う。南に触れたい。
「……キスしたい」
 顔が見えないのをいいことに、おそらくは初めて口にしてみた。
自分で発した言葉に煽られたように、途端に胸がどきどきしてくる。南の首元に重ねた頬が熱い。
この熱は南に伝わっているだろうか。
「いきなりだなぁ」
 笑いを含んだ声音が、耳のすぐそばで囁かれる。くすぐったさと気恥ずかしさで肩をすくめてみたけれど、反論するには余裕がなかった。
 伏せていた顔を上げると声のままに南が微笑んでいて、その表情の切なさに胸の中がかきむしられるような気がした。
 僕が思うほど、僕が求めるほどには南は大人なんかじゃない。そんな当たり前のことにも気づかずに、いびつな関係を強いていた。
 赦してほしい、言葉にはできない気持ちを込めて唇を重ねる。
 初めて交わす口づけのように何度もついばんでは離れるキスに、心の内を満たされていく。
 それは、気持ちを知らずに快感だけをむさぼっていた時とはまるで違っていて。気持ちを預けて相手に受け入れられることが、こんなにも感動的だなんて知らなかった。
「俺と会えなくて寂しかった?」
 南の問いかけに強くうなずく。
「俺も」
 南の答えを合図にして、キスが深くなる。
 ノックするように舌で探られて、退いたり答えたりを繰り返すうち、感情だけでなく、肉体的な欲求が高まるのは仕方のないことだった。 
 南に押されるままにソファーに寝転がったところで、ここがリビングだと気づいてはっとする。
「南、部屋……行かない?」
「あー……、その前にシャワー借りていい?」
 僕を組み敷いた姿勢のままで、南が照れくさそうに笑う。制服の襟元をゆるめて中を覗き込んだ南の首筋には、新たな汗の粒が浮かんでいた。
 それから僕たちはふざけあいながら風呂場に移動して、南はシャワーを使い、僕は南の制服その他を洗濯機に放り込んだ。
 こんな他愛もないことが、たまらなく嬉しくて愛おしい。南と過ごした時間の長さに比べて、あまりにも少ないエピソードだったから。
 着替えのなくなった南に自分の服を貸そうかとも思ったけれど、僕と南では体格が違いすぎて無理だった。
 だから腰にバスタオルを巻いただけの南を、後ろから追い立てるようにして階段を駆け上る。
僕たち以外に誰もいない家の中で年相応に騒ぎながら、新鮮なこの瞬間に胸が痛くなったりもした。いつも後ろめたくてばつが悪くて、僕の後ろについて階段を上る南のことを、振り返った記憶もない。
南がどんな思いでここに来ていたのか、考えるだけで苦しくなる。
「みなみ、すき」
 勢いのままに飛び込んだベッドの上で、思わずそう口にしていた。
 俺も、と間髪入れずに南が返してくる。
 僕の気持ちはそれ以上なんだと伝えるつもりで、力任せに南を抱きしめた。
 身体を重ねるとき、南の体温は僕よりもずっと高いと感じていたけれど、今は僕のほうが高い気がする。南を欲しがっている気が、する。
「どうした? なんか積極的?」
 からかうような南の声も気にならなかった。
 好きだから求める。
 好きだから触れ合いたい。
 ほかにどんな理由もいらない。
 さっきまでとは逆に南にのしかかりながら、奪うように口づける。触れあう肌のすべてから、想いが流れ込めばいい。
 服を脱ぐ一瞬さえ離れがたくて、乱暴に脱ぎ散らかした。そんな自分自身に驚きはするけれど、取り澄ました過去の自分よりも、ずっと生きている感じがする。
「内海さん?」
「だまってて」
 互いに一糸まとわぬ姿で抱きあうのは初めてだ。
 以前はただ慌ただしく行為を済ませるだけだった。
 会いたくて呼び出しても想いを告げることすらできなかったから、前戯も余韻も何もなかった。刹那の快感を得ることだけで精いっぱいだった。
 今はどうだろう、目の前の南の肢体を見下ろしているだけで、まだ何の戯れもしていないのに高揚してくる自分がいる。
 長い手足も、僕よりだいぶ広い胸も、引き締まった腹部が早い呼吸に上下するさまも、何もかもが僕を掻き立てる。
 腰をまたいで南に馬乗りになると、まだ半分ほどしか反応していない南の性器に、僕自身が触れた。
 期待に熱を持つ僕自身と南のそれとが直にこすれあって、ますます張りつめていく。
 年上なのに余裕がないことを、気にすることもできなかった。
「ん……っ」
 もどかしく腰を揺らすだけの行為なのに、じわりと滲んだ快感に思わず声が漏れてしまう。
 南は一瞬だけ目を見開いて、それからにやりと笑った。
 恵まれた才能の一つともいえる大きな手で二人分の欲をまとめて掴むと、やや乱暴に扱き上げる。
「やだ……」
 南に追い立てられたら我慢できない。
 まだ繋がってもいないのにいきたくないと、胸の上に突っ張った両手で南を制しつつ必死で首を横に振った。
「なんで?」
「まだ……最後までしてない」
 僕の訴えを聞いても、南は手を休めない。
「別に一回だけって決めなくてもいいだろ?」
 そう言うと南は、唆すように腰を突き上げた。
 一回いったら終わり。それは僕たちの暗黙の了解だった。
 代償という言い訳で行われるセックスの限界がそこにあるような気がしたから。
 でも今は、今日からは違うのだと、南が教えてくれる。
「何回でもイッて?」
 囁きと同時に南が手の動きを強くする。
 解放の予感に否と首を振ったけれど、赦されずに自身と南の腹を汚した。
 辛うじて保っていた姿勢も吐精後の脱力で崩れてしまい、そのまま南に折り重なる。ぬめりを纏った南の熱が、僕の下で脈打っていた。
「はは……ちょっぱや」
 揶揄するような言いように、思わず胸の上で南を睨みつける。
「やだって、言った……」
 恥ずかしさに泣きそうになりながら、子どものような言い訳をやっと口にする。
けれど、続けられた南の言葉は思いがけないものだった。
「男同士だからさ、『気持ちいいんだな』『イッたんだな』ってのはわかるじゃん? でも、内海さんが俺のことどう思ってるか、なんてわかんなくて、さ」
 そう言葉を濁して、南は僕から目をそらす。
「キスしてよ。内海さんから」
 そう請われ、南の腹の上をにじり寄って唇を重ねる。汚れたままの肌と性器が互いの間でこすれあうのさえ、ぞくぞくするような快感だった。
「今の、すげえキた」
 南の言葉通りにそこは熱く、硬く立ち上がっていた。
「内海さんは? 落ち着いた?」
 気遣いなのか誘惑なのか、判断に困るセリフを吐きながら、南が僕の下肢をまさぐろうとする。
「待って、まだ……」
 脇腹をなぞって僕と南の隙間をこじ開けようとする指先を、ぎゅっと掴んでやめさせる。一度高みを極めた身体には、些細な刺激も強すぎて苦しい。
「じゃあさ」
 そう言うよりも早く転がされ、南の腕枕で添い寝するような格好にされた。向き合って寝たことなどないから、本気で気恥ずかしい。
「しばらくこのままでいようか?」
「ん……」
 曖昧な返事になってしまうのは、このまま甘えていたい気持ちと逃げ出したいような衝動が、僕の中で拮抗しているからだ。
 それでも突き放すには南の腕の中は魅力的過ぎて、誘われるように瞼を閉じる。
 額、目許と口づけがおりてくるのを感じて、思わず肩をすくめた。
「くすぐったい」
 訴えた声がまるで自分のものではないように甘い。
 以前も今も、南に対する想いは変わっていないはずなのに、この温度差は何なのだろう。していることは同じなのに、肉体的にも精神的にも感じ方がまるで違う。
 お互いに気持ちを受け入れて、こんなにも満ち足りて抱き合える日が来るなんて、想像もできなかった。
 僕がふわふわとまどろんでいる間も南はいたずらをやめない。僕の頭の下に敷かれていたはずの腕はいつの間にか抜かれて、腰の後ろに回されていた。
 その手でぐっと引き寄せられて下半身が密着する。南の膝に太腿を割られて、そのままぐりぐりとこすりつけられた。
「もー、せっかち……」
「あんたはのんびりしすぎ」
 言い交わしながらも、自然と両腕で南を抱きしめていた。
 素肌に感じる体温が愛おしい。
「続き、いい?」
 南に問われて、答える代わりに耳元にキスをする。聞かれなくても僕が欲しがっていることは明白なのに、南は意地悪だと思いながら。
 腕の中でさりげなくあお向けに寝かされて、僕の負担にならない程度にかけられる重みに安堵する。
 そして、今さらのように南がどんなに僕のことを丁寧に扱っていたのか気づくのだ。
 健全な男子高校生の南にとって、自分を抑えて僕を抱くのがどんな努力の上に成り立つことなのか、考えも及ばないことが悔しくさえある。
 喉元から胸に南の顔が伏せられて、数え切れないほどの口づけが降ってくる。そっと胸の尖りを吸われて、ごまかしようのない悦楽に震えた。
 でも物足りないと感じてしまうのは、僕が前とは比較できないくらいに飢えているからなのだろう。
 片方を尖らせた舌先で転がされ、もう片方を指先で引っかかれて、くすぐったさの何倍もの強さで性感が腰にたまってくる。
 それでも足りずに背中をしならせて、南の口許に胸を押し付けるのを止められなかった。
「言いたいこと、あるんじゃない?」
 笑いながらの南の言葉は、気分が高まっているからか僅かに掠れていて、それが僕をあおる。
「もっと……ひどくして」
 告げた自分の声を、信じられない思いで聞いた。こんなこと、普段なら恥ずかしくてとても言えない。けれど羞恥と興奮は交錯しているらしくて、急激に上り詰めるのと同時にあられもなく懇願する。
「ひどくされたい」
 南が僕の上で息を詰めるのがわかった。
 止めた呼吸を無理に吐き出すのが息遣いでわかる。
「そう来るとは思わなかった」
 そう言いつつも、南は引っかくように愛撫していた乳首を緩くつねる。反対は強く吸い上げられて膨らんだ根元に歯を立てられた。
「このくらい?」
 聞かれて違うと首を振る。
 もっと、と言いかけた口を、大きな手のひらで塞がれた。
「だめ、これ以上はしない」
 その代わり、と言葉をつないで、南は僕の後ろを探った。
「こっちはしつこいかも」
 軽く指を沈められて、反射的に後孔を締めてしまう。それが南に穿たれるのを期待しているようで、自分でも顔が熱くなるのがわかった。
 南が慣れた手つきでサイドテーブルからワセリンの容器を取り出す。
 これも、専用のローションを買えない南が用意してくれた苦肉の策だった。
 南を初めて受け入れたとき、濡れる構造ではない男の身体でのセックスが苦痛を伴うのだと知って、無理に用意させたものだ。
 それでも繋がりたかった。
 僕だけが追い立てられるのでは、あまりにも満たされなかった。
 着衣のまま手で、時には口で奉仕させる行為では、瞬間の快楽を極めても虚しさだけが残った。
 それを少しでも埋めようとして、僕は南を求めたのだ。
「なに考えてる?」
 訊かれて一度はなんでもないと否定した。けれど南に言って、と促されておずおずと口を開く。
「南と……初めてこうした時のこと」
 最後までしたいと言ったのは僕だったけれど、痛みに喘ぐ僕の中で南は動くこともできなかった。
もちろん僕も快感を追う余裕もなく、南とやっと離れたときにはほっとしたくらいだ。
でも、それまでのどんな逢瀬よりも満ち足りていた。淡白なはずの僕が、南との性行為に溺れるくらいには。
「余裕だね、内海さん」
 囁かれ、耳朶を甘噛みされて肩をすくめる。その隙を縫うように、濡れた南の指が深く、入ってきた。
「ん……あ、あ……」
 侵入の衝撃を逃がすために開いた口から、抑えようのない声が漏れる。
 恵まれた体格の南の指は僕よりもずっと太くて長い。その指になかを探られて、それだけで身内の炎が燃え上がる気がする。
「痛くない?」
 訊ねてくる南に答える術もなく、僕は南に縋りつく。引き締まった南の腹に押されて、硬く起ち上がった僕自身の存在を知らされた。
 内部のひときわ感じる場所を折り曲げた指先で押されて、達してしまう恐怖にイヤイヤとかぶりを振る。それを見咎めたのか、南は挿入した指に添わせるようにもう一本指を増やした。
「ちょっと我慢、な」
 じっくりと走査され、ぎりぎりまで追い上げられる。呼吸をするたびに無意識に中の指を締め付けてしまい、これ以上の愉悦には耐えられそうにないと思った頃、やっと南が出て行った。
「も、早く……」
 直接触られてもいないのに、反り返った性器の先からは透明な液が溢れている。南に見られているのはわかっていて、視姦するようなその眼差しにさえ感じた。
 欲しい、と言葉にすることはためらわれて口を噤むと、南が意地悪な笑みを浮かべて先端を擦り付けてくる。
「これ?」
 何度も強くうなずくと、やっと求めていた熱が与えられた。
 欲求が強すぎて感覚がおかしくなったのか、自分が息を逃がす音だけが聞こえる。力任せにかき抱いているはずの南の背中さえ、手の内にあるのか怪しくなってきた。
 失神するのではないかと思った。
 それくらい南が欲しかった。
 気遣うように少しずつ僕を侵す南がじれったかった。
 腕だけではなく、南の腰を挟んだ太腿で離れないようにしがみつく。
「内海さん、動けないから……」
 南の声は聞こえていたけれど、どう力を緩めればいいのか忘れてしまったように、中にある南を喰い締めていた。
「ちょっとだけこっち見て」
 頬を軽くつねられて、自分がぎゅっと目を閉じていたことに気づく。ぼやけた視界の中で南が困ったように苦笑していた。
「力入れすぎ」
 歯列を割って南の指が口内に入ってくる。なだめるように舌を撫でられて、顎がだるくなるほど歯を食いしばっていたことを知った。
「俺のほう見て、そのままにしててな?」
 奥歯のあたりに、咥えさせた親指を残したままで、南が最初の一突きをくれる。
 じん……と湧き上がるような快感に、見ているはずの南の顔がゆがむ。そのまま何度も穿たれて、苦しくなるほどの歓びに身もだえた。
 みなみ、と名前を呼ぼうとして果たせず、代わりに腕をほどいて南の髪に差し入れる。
 掌に感じた熱感と汗に、南も高ぶっていることを感じて胸が熱くなる。もっと深く、もっと強くとはやる気持ちとは別に、恋情がこみあげてきて切なくなった。
「キス……したい」
 南の指が口枷になっているせいでろくに呂律も回っていなかったけれど、南にはちゃんと聞こえていたようだった。
「噛むなよ?」
 笑っていたけれど額にびっしりと浮かんだ汗の粒が、南も見た目ほどには余裕なわけではないと教えてくれる。
 高められた性感のせいであふれる唾液が、口の端を伝って滴り落ちるのにも感じて、すすり泣くように喘いでしまう。
 閉じることを許されない唇に南の口づけが重なって、いつもよりずっと熱い舌か侵入してきた。
 すり合わされるたびに口の中でも身体と同じように感じて呼吸すらままならず、自然と閉じていた瞼の裏で光が明滅し始める。
「だめ……」
 そう告げるのが精いっぱいだった。
 身体中に満ちた快感に攫われるように吐精する。絶頂を迎えた体内が引き締められるのに誘われたのか、南もまた内部で熱を放ったのを感じた。
 甘い倦怠感にすべての力が抜ける。
 それは南も同じようで、弛緩した大きな身体がずっしりと僕の上に覆いかぶさってきた。
「悪い……ちょっとだけこのまま」
 そう言って肩の上に伏せられた南の頭を、可愛がるように撫でてみた。あまりの脱力感に腕を上げるのも一苦労だったけれど、どうしてもそうしたかったから。
 もしかしたら南もこんな気持ちを感じてくれているのだろうかと、胸の中に広がる痛みを大切に抱きながら。
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