第五話 魔法

エピソード文字数 7,171文字

黒い髪に黒い瞳。
確かに、目の前でグリンデと名乗るその女性は、言い伝えにある特徴を満たしていた。
しかし若すぎる見た目は、あまりにも説得力がなかった。百六十年前に生きていた伝説の魔女がこんなにも若く、美しいはずがない。その容姿のせいもあってか、オリビアはこの女性がグリンデであるという考えを無意識に頭の中から消し去っていたのだった。人知れず森の奥にひっそりと住んでいた、風変わりな人間に助けられたのだとしか思えなかったのだ。
しかし考えてみると、あの凶暴な植物が生息するような森の奥に、女性が一人で住める訳がない。今、目の前で見せた炎が魔法だとでもいうのだろうか。この炎を自在に操って、獣達から身を守って暮らしていたとでもいうのだろうか。
やたらと古めかしい言葉と余裕のある表情、そして目の前に浮かんでいるあの奇妙な赤い球は、相変わらず不気味な説得力を放っている。
「どうした、面を食らったか?安心しろ。害をなす気はない」
オリビアが子供の頃から聞いていたグリンデに対する伝承は、ほとんどが人に悪さをするような話ばかりだった。もしかしたら森に入る前から、無意識に頭のどこかで“グリンデはこの森にいない”と決めつけていたのかもしれない。このチェルネツの森にグリンデがいたとして、どうやって死者を生き返らせる薬を得られるか、それをまるで考えておらず、ここにきて自分の浅はかさに気付かされた。まだ本人だと決まったわけではないが、いざグリンデと名乗る者と対峙すると、冷や汗は止まらず、せっかく乾いてきた背中が再び湿りを見せた。“害をなすつもりはない”その言葉の真意がわからず、警戒心は振り出しに、いやそれ以上に後退していた。
オリビアのその異様な警戒を見たグリンデは、何か思う事があったのか、少し強い口調で言葉を放った。
「やはり小娘よ、帝国の馬鹿どもから我がこの国を悲劇に追いやったと聞いておるのか?」
オリビアは静かにこくりと頷くと、グリンデは、はぁと深いため息と共に、呆れた表情を浮かべた。
「くだらぬ。都合のいいように我を悪とさせて民を欺きおって。城の中で良いようにぬくぬくと暮らしたいだけではないか!馬鹿馬鹿しい」
茫然とするオリビアに対し、グリンデの言葉はさらに続く。今度は少し大げさな手振りを交えている。
「意味がわからぬか小娘。おんしらはこの国の王族どもに都合の良いように真実を捻じ曲げられておるのだ」
「え?」
「もとより我は帝国の連中などどうでも良かった。別なところに目的があった」
「別なところ……」
「……あぁ。背中に妙な黒い羽根のようなものをつけた化け物が、この世界を乗っ取ろうとしておっての。我はそやつらに用があっただけだ」
「な…」
突然何を言い出すのだろう。やはりこの人はグリンデではなくて、自分の創った創作に酔っているだけ。そう思えるくらい突拍子のない話だった。きっとあの赤い球は何か仕掛けがあるだけで、自分を騙そうとしているだけなのかもしれない。
疑いを隠せないオリビアの表情は、グリンデの鼻を大きく笑わせた。
「……信じられんだろう。まぁそれが至極当然だわな。小娘よ、もう一度我の手のひらを良く見るがいい」
そういうとグリンデはオリビアに手のひらを向けた。手の甲と平を交互にちらつかせ、特別に何か握っている訳でもない事を示している。
そして再び天井へ手のひらを向けると、炎が舞い上がった。その炎は先ほどより少し小さく、目を開いていても、しっかりと見つめる事ができた。その輝きは、かざしている手のひらを蝋燭に思わせるがごとく、ちろちろと静かに火を灯している。オリビアはよく目を凝らしてその炎を見つめたが、やはり手のひらの上で何かが燃えている訳でもない。本当に手の中心から炎が発せられているのだった。
「種も仕掛けもない。おんしにも我の話は伝わっておるだろう。これが魔法だ」
グリンデは拳を強く握ると、その拍子で手のひらから出ていた小さな炎は消えた。指の隙間から小さな煙が姿を見せ、宙に溶ける。
「この魔法も、もとよりその黒羽族の連中の力。我も古くよりこのような力を持っておらず、ただの人間と同じだった。大昔、奴らの手によって、この力を得る事になっての。それから歳をゆっくりとしか取らなくなった」
オリビアの喉はごくりと大きな音を立てた。
「魔法は星の力を具現化したようなものでの。“黒羽族”の連中はこの星の自然がなす豊かな力を狙いにやってきおった。我はそれを止めるため動いていただけだ」
聞き覚えのない単語も意ともしない。オリビアの問いは速かった。
「その……黒羽族……はどうなったのですか?」
気がつくと、オリビアはすっかり彼女の話に虜になっていたのだった。目の前で発せられた炎は、好奇心を強く刺激し、耳を傾ける事に対しての大きな入口を開いた。この人はやはり本当にグリンデなのだと思わざるを得なかったのだ。自分の知らない歴史の裏側。オリビアの年齢でも、それは興味の対象でしかない。
数秒の沈黙のあと、グリンデは再び口を開いた。
「……殲滅した。そうせざるを得なかった」
「せ、殲滅……」
「話が通じる相手ではなかった。世の中の争いごとなど、我も専ら興味がないが、生きる地……星ごと奪われてはたまったもんではないのでな。この魔法の力を得た我がなんとかせねばならんと思ったのだ」
「……仲間とかいなかったのですか?その……貴方を慕う人間達と帝国側が争っていたと聞いたのですが」
「そんな話もあったな。だが我はその崇拝している連中とは行動を共にしておらんかった。おそらく帝国を気に入らん奴らが、難癖付けて我の力に便乗して戦おうとしていただけやろうな。そやつらはただの人間で、魔法のような奇妙な力など元からなかろうに……きっとそれこそ仕掛けをして、いかにも魔法を使えるよう見せて組織を大きくしたのやろう。我はこの星の生き物で、魔法を宿した奴など一度も見た事がないのにの」
そこからグリンデは一呼吸置いた。この後に続く話が、大きな本質を捉えているからである。
「……そう。そこが問題なのだ」
「え?」
「おんし。そのコインから手を離しておるが、森で見た我の魔法の残滓はもう見えておらんだろう」
女性がグリンデだと名乗った時、驚きが身を包み、思わずそのコインから手を離してしまったのだが、話に夢中になっていたせいか、あの赤い球体が見えなくなっている事に気がつかなかったのだった。
「あれは我の魔法……炎の残滓のようなものでの。圧縮した炎を出すと、強い光を見た後のように、その場に赤い残光が残るのだ。念のため森で迷わないように、その残光を目印に置いておいたのだが……あの残光は本来魔法を持つ者にしか見えないのだ」
「え?」
オリビアは肌が冷たくこわばるのを感じた。
「おんしも魔法の力が宿っていた、と言う事だな」
(星を乗っ取ろうとしていた物達の力……)
自分にもその脅威が宿っている。自分は人間ではなく、別の生き物にでもなってしまったのか。その言葉は恐怖でしかない。息を吸ったまま吐くのを忘れ、肩は大きく上を向いた。
しかしすぐに飛んできた言葉は、蒼白するオリビアを諭した。
「安心せい、小娘。おんしに何も害はなかろう。それに正しく言うと、おんしにではなく、あのコインに魔力がこもっておるだけだ」
そう言うとグリンデは、無言で手を差し出してきた。訳が分からず黙っていると「ほれ」といって軽くその腕を動かした。掴めと言っているらしい。オリビアはそっとその手に触れた。その瞬間、再び頭上にあの赤い球体が現れた。
「魔法の力……魔力を宿した者に触れると、ほんの少しだけ触れている者にも魔力が得られるのだ。まぁ……宿るとはいっても炎は出せんがの」
そういうとグリンデは頭上の赤い球から、あのコインが置かれているテーブルに視線を移した。オリビアもそれにつられ、視線をテーブルに向ける。
(え!?)
あのコインにまとわりつくように、白い靄が覆っていたのだった。その白い靄は呼吸をするように、ゆっくりと上下に波打っていうように見える。
「我に触れていると、よう見えるやろう。おんしもおそらく、大慌てでこの森に来たろうに、あの花の光もあった。自分の身体に気付けんやっただろう。我からはおんしもこのように見えていたのだ」
魔法を持つ者が、魔法を宿しているものを見るとき、ろうそくを水に落としたように薄く靄がまとって見えるのだが、グリンデはあの時、森の中でいつものように、食料を調達しようとしていた際に、その靄の存在に気付き、遠くから様子を伺っていたのだった。
まさか黒羽族か。実に久しく魔法の気配に驚き、草地に身をかがめて様子を探っていたところ、ディールイーター (悪魔の目)が現れ、その靄はぱったりと倒されてしまったのだった。痕跡が消えては困る。慌てて悪魔の目を蹴散らし、その靄に近づいてみると、なんと、か弱そうな少女が倒れているではないか。その姿を見て、慌てて救出したのであった。
普段は伝承にあるように、もし森に踏み入れた者がいた際、懲らしめるとは違うが、ある方法で森の入口に帰していたのだが、オリビアは魔法を宿している事から、こうして家に連れて看病していたのであった。
手を繋いだまま、グリンデは話を続けた。
「先ほど我が言った話を覚えておるか?この星の生き物に魔法を宿した者はいなかった、という話だが……」
静かにオリビア頷いた。
「そして我は160年前に魔法を宿した黒羽族を殲滅しておるはずだ」
その言葉を聞いた時、オリビアははっとしてグリンデの目を見つめた。
「……少しは賢いようだな、小娘。そう。何故再び魔法が世に現れおったのだ。本来、我と黒羽族にしか得ておらん力ぞ?その白き娘は何者ぞ?」
「も……もしかして黒羽族の仲間!?」
「我にも全くわからぬ。だが黒羽族との関わりは強いやもしれん」
グリンデはオリビアから手を離すと、部屋の隅にある木の棚に向かった。棚に置いてあった椀を手に取ると、そのまま鍋が浸かっていない方の水がめへ向かい、一杯水を救うとごくりと呑んだ。オリビアからは背中しか見えてなかったが、そこからは強い緊張感しか伝わらない。
「小娘よ、不躾に聞くが、おんしの母が病の時、全身にあざのようなものが出たと言ったな」
「は、はい」
「奴ら黒羽族は、まずその病を使って人々を弱らせたのち、姿を現したのだ。もしやこの魔法の再来と関係があるやもしれん」
母を亡くして自分を訪ねてきた事を考えると酷過ぎる。ここまでの話も魔女の手の上で転がされ、オリビアが知らぬ間に導かれていたのだが、正直この話を切り出すことにグリンデは大きな抵抗があった。しかし後の事を思うと、今この話をした方が事は進む。躊躇いが強く心を覆ったが、それは振り払うしかないようだった。
「そ、そんな!お母さんは黒羽族のせいで死んだのですか!」
オリビアはコインの魔力を見て、目の前にいる人物がグリンデだと確信してから、やはりある事で頭が一杯だった。いつこの話を切り出そうか悩んでいたが、母の話が出た以上、沈黙は貫けない。
「そうです、グリンデさん!グリンデさんは死者を蘇らせる力があると聞いたのですが、母は生き返らせれないのですか!?」
(……やはりそう来るよな。すまんな小娘)
「……我が死者を生き返らせる力があるという噂は大昔から流れていた。しかしそれは人々の生み出した幻だ。我にもそんな芸当はできん」
「そ、そんな!あれだけの炎を出せるのだから本当は出来ますよね!」
グリンデは振り返り、少女の瞳を見つめた。眉間には深い皺が出来ている。
「……すまない。先ほど話したが、魔法とは星の力。星の生み出す自然の力で、生き物を生き返らせる事は出来ない」
グリンデの瞳は一瞬、花のシャンデリアが作る灯りで、じわりと揺らめき陰った。この感覚は何年ぶりか。長年生きてきた魔女でも、もう二度と経験したくない物の一つだった。
(う、嘘だ)
命を蘇らせる。普段ならそんな事は無理だと言い切れる。しかし、魔法の存在を知った以上、どうしてもそれを信じたかった。母を生き返らせる術があるのならば、どんなに希望に満ちた明日が来ていただろう。しかし、その魔法の存在を教える者がその可能性を否定している。見つめるこの黒い瞳から冗談は伝わらない。
オリビアは、思わず膝から力が抜けて、床に崩れ込んでしまった。涙も出ず、頭に何も浮かばない。もはや何処を見つめているのか。視点が捉えているはずの床の木の板は、ぼんやりと濁るだけだった。

どれくらいそうしていたのかわからない。
気がつくと、オリビアのぼやけた視界に何かが差し出された。グリンデがそっと玄関の扉を開け、外へと出て行った事すら気が付かなかったのだった。黄色い何かが目の前で揺れている。
「これはここから西にある森の奥の泉のほとりに咲く、【乙女の涙】という薔薇だ。母の墓に植えるが良い。妖精が好むとされている花だ。おんしの母の魂を守ってくれるだろう」
グリンデはそっとその花をオリビアに手渡した。三輪束ねられたバラは、切られた茎の部分を丁寧に水で湿った綿でくるまれている。
その薔薇の花弁はとても綺麗だった。角度を変えるたびに、様々な黄色を見せつける。それは昔、帝国の城下町に行った際に見た、王族たちが使う天鵞絨のようにきらきらと輝いている。その薔薇が生み出す表情を見つめるうちに、心は少しの安らぎを得ていた。
薔薇を見つめていると、ふと、ことり、と音がした。見上げると、グリンデがテーブルの上に小さな小瓶を置いている。
「……ありがとうございます」
オリビアは立ち上がり、お礼を言うと、薔薇の束をその瓶に挿した。
「……死者は蘇らせれんが、人々は救う事ができるやもな」
そういうとグリンデは部屋の隅に立てかけられていた、筒状に丸められた紙をテーブルの上へ広げた。
それは古ぼけた地図だったようで、ところどころに水滴が落ちたように染みが出来ており、良く把握できない部分が多くあったが、どうやらこのチェルネツの森周辺から帝国の中心ぐらいまで示されているようだった。
「ここに大きな川があるのがわかるか?この川はエルビス山脈から、帝国中心の都市の間を流れて海へ出ておって、多くの人々が今でも生活用水として使っておる」
指で示されている個所には大きな太い線が描かれている。グリンデの言うように、川が南から北へ、この国を縦断して流れているのが伺えた。
「ここに我が薬草を使って調合した薬を流す。その薬を多くの人々が呑めば、その病だけでなく、あらゆる病を治す事ができるだろう」
グリンデは首を左右に大きく動かし、骨を鳴らしながら言った。
「しかし、その薬草たちは珍しいものでの。やはり直接その場所へ行って摘んでこねばならん。我はすぐにでも探しに行くつもりだ」
そして一言付け足した。
「明後日にはおんしの体調も完全に良くなるやろう。この森を一緒に出て家まで届けた後、探しに行くことにするやな。おんしはそのまま家で今まで通り好きに生きればよかろう」
グリンデはこの言葉に少し懸けていた。
(我の思惑通りならこの小娘は……)
「そんな!私も付いて行きます!」
オリビアの言葉は威勢よく、続く言葉も力強い。
「少しでも病に苦しむ人……そしてその病で大切なものを亡くす人々を少しでも減らせるなら、私は挑戦したい!」
(やはりな)
これは魔女の仕掛けた大きな針に、堂々と未熟な少女がかかったことを意味していた。伊達に百年以上、のうのうとは生きてはいない。グリンデはこの短い間に、オリビアの性格を見抜いていたのであった。
白き女性に出会った瞬間、恐怖のあまり逃げ出す者も多いだろうに、なんだかんだ言ってコインを拾い、この森に足を踏み入れてきた。まして夜中の出来事であり、ある種、子供らしく馬鹿と言えるかもしれないが、その行動からも、他の者より大胆かつ、挑戦的な心を持っている事が伺えた。煽ったら、素直に乗ってくるだろうな、と。
(この小娘、一度心に決めたら中々しぶといだろうな)
半ば魔女は楽しんでいた。それは長年生きてきた者の自身故か。煽りは怯みを見せず、更に追い打ちをかける。
「ほお。薬草は気味の悪い洞窟だの、雪山、海の向こうの孤島だのに生えておるのだぞ?おんしに摘む事は無理だわい」
(無理……)
オリビアはその言葉を聞いた際、とっさに夢で見たあの骸の声を思い出した。夢の癖にやけに生々しく、反響した響きは強く耳に残っており、鼓膜の中で再びこだまを繰り返す。しかし、誰の血の影響を受けたのか、既に少女の意志はそれより強かった。
(いや……もう私は決めたの。負けない)
魔女の仕掛けた針は大きく、しっかりと返しを作っており、少女の心に深く突き刺さると、そう簡単には抜けそうな気配を見せなかった。
「無理じゃないです!グリンデさんが一緒に行ってくれないなら、場所と薬草の特徴、調合方法を教えて下さい!私一人でも行きます!」
これは面白い魚がかかったものだ。その言葉を聞いてグリンデは高らかに笑った。
「ははは!決意は固いということだな」
そういうとグリンデはテーブルにあった地図を丸めた。
「よかろう。では我も一緒に向かうとしようかの」
その言葉を聞いたオリビアの目には強い光が灯された。その眼差しは強く、黒い瞳を確実に捉えている。
しかし幼さとは実に愚かである。この時オリビアはまだ、グリンデの言葉の奥に潜んだ思惑に気付いてはいないのであった。
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