FIVE

文字数 9,138文字

「この蓋の上が、ちょうど沙門街新聞社の敷地だよ」
「本当に更羅も来てくれるの?」
 私は前を歩く彼女に尋ねた。確かに「気」の力を持つ彼女が一緒に戦ってくれるのは心強い。でも、彼女は宝石がないから、いつ命を狙われてもおかしくない。それに、私達を助けてくれる義理もない。
 私の考えを見透かしたのか、平然と答えを返された。
「どうせ何もしなくたって命は尽きる。鬼の力を持ってる限りね。それならあんた達の役に立った方がいい」
 彼女が行くよ、と合図して、マンホールの蓋を開けて外に出る。相変わらず空は土色だ。
「どうする? 今村がどこにいるかわからない」
 更羅が言うと、入間くんが少し考えてから自らの案を打ち出した。
「弥生さんの取材は確か十階の会議室で受けた。その後、彼女はその奥の部屋に行って稲垣さんを見つけている。そこに彼女のデスクがあるんじゃないでしょうか」
「でも、入り口には守衛がいんだぜ? どうやって上まで行く?」
 近くの花壇に身を潜め、小声でお兄ちゃんが入間くんに突っ込む。それにも冷静な判断を下す。
「更羅さん、守衛さんと、警備員をおびき寄せてくれますか?」
「いいよ」
「先輩、受付の女性を軽く気絶させてください。入館証を奪ったら、非常階段で十階まで走る。フロアに着いたら、見学者のように振舞えば大丈夫でしょう。俺達は若いですけど、新聞社だったら色々な人が訪れますから。今村のリングを奪ったら、その混乱に乗じて脱出。更羅さんと合流」
 全員が頷くと、一斉に入り口へと走った。
 私達の後ろから、更羅が来る。自然と宝石を持っていない彼女に人が襲い掛かる。入間くんの企みは少し外れ、受付嬢も更羅に突進していった。おかげで入館証はたやすく手に入れることができた。
 非常階段は厚手の扉の向こう側と相場が決まっているので、わりとすぐに見つけることができた。一段飛ばしで駆け上がる。踊り場は全力疾走だ。体育会系でない私にはきつい運動だが、これも元の世界に戻るため。横っ腹が痛いのに気がつかない振りをして、十階まで昇りきった。
 怪しまれないように少し息を整えてから、フロアに入る。けたたましい電話の音や、怒鳴り声が左右のオフィスから聞こえる。
 廊下の突き当たりにつくと、横のオフィスをのぞいた。一番奥の、窓際のデスクに今村はいた。手には紙束を持ち、左耳には受話器をつけている。
 喧騒に包まれたオフィス内を、躊躇せずにずんずんと進む。何人かの社員が怪訝な顔で私達を見た。その中の一人が声をかけてきたが、構わずお兄ちゃんが突き飛ばす。
 騒がしかったオフィスがシン、とした。電話のベルだけが鳴っている。今村もこちらに気がついたらしく、イスを立って歩み寄ってきた。
「あら、何か用? それともSSFに捕まる前にインタビューされに来てくれたのかしら?」
 意地悪そうな笑みを浮かべ、お兄ちゃんに近寄る。お兄ちゃんは彼女の腕を強く引き、後ろ手にする。
「陸! 早くリングを取れ!」
 お兄ちゃんの声に促され、急いで今村の手を取る。やはり、リングについていたのは黒真珠だった。リングを奪おうと小指に手を伸ばしたところで躊躇った。これを取ったら、私も鬼になる。弥生さんを殺した先輩と同罪だ。
 手が止まった隙に、男の鋭い声がこだました。
「そこまでだ!」
 今村のデスクの下から、銃を持った男が飛び出してきた。オフィスの外にも何十人かSSFの部隊が集まってきている。
「ごめんね、手を離してくれない? でないと妹さん、撃っちゃうよ?」
「くそっ……」
 お兄ちゃんが仕方なく手を離し、今村を蹴り飛ばす。よろけながらも銃を持った男達の元へ戻る。私達は唇を噛んで彼女を睨みつけることしかできなかった。
「先輩、何で放したんですか! リングを取ってしまえば、標的は彼女に移ったのに!」
 入間くんがお兄ちゃんを責める。それに対して、一言「ごめん」というお兄ちゃん。お兄ちゃんが悪いのではない。本当はリングを外せなかった私が悪いのだ。
「そりゃあ躊躇するわよね? 人殺しと同じなんですから」
 私の思いをあざ笑うように、今村の楽しそうな声が聞こえる。
「今村さん。あなたも昔、同じことをしましたよね?」
 私は今まで発したことがないくらい冷たい声で、今村さんに訊ねた。その問いに対しても、彼女はしらばっくれる。
「知らないわ。何のこと?」
「異世界から来た人間は、身を守るために真珠をつける。そして、仲間の真珠を食べたものは、黒に変化する。あなたも昔、鬼の力を手に入れた。だから、仲間を犠牲にして、自分の保身に走ったんだ!」
 大声で責め立てても、彼女のふてぶてしい態度はいっこうに改まらない。
「自己保身に走って何が悪いの? 大体、私の仲間はこの世界を怖がってたの。だから楽にしてあげた。それだけのことよ?」
「……違う」
「は?」
 耳に手を当てて、今村が聞き返す。私は自分に言い聞かすようにゆっくりと続けた。
「私もこの世界に来たときは恐かった。人が人を襲って、何事もないように暮らしてる。この世界の人だって、誰も信用できなかった! でも、それは、本当に生きて帰るって自信が自分の中になかっただけなんだ!」
「何バカなこと言ってるの? それはあんたに鬼の力が宿ってないから言えることでしょ? こっちの気持ちなんか、解らないくせに」
「バカなのはそっちだろ?」
 お兄ちゃんが私より一歩、今村に近寄った。
「鬼の力があったってな、強い意思があれば、大事な仲間一人、元の世界に戻すくらいはできるんだ。もし元の世界に戻れなくても、仲間が助けを呼びに行ってくれる。そう信じることもできねぇなんてな」
 今村の表情が鬼の形相に変わった。喉から低く、グルグルという気味の悪い音が聞こえる。
「ガキ共が! SSF、早くこいつらを捕まえなさい! いえ、殺して構わないわ!」
 合図と共に、部隊が動き出す。それと同時にお兄ちゃんが高くジャンプした。一人、二人と蹴り倒していく。だが、撃たれてくる銃弾もかわさなくてはならないので、動きは鈍い。
 近くのデスクの下に潜り込んだ私と入間くんの前に、部隊の一人が倒れこんだ。
「これ……使うしかないみたいだな」
 呟くと、入間くんは落ちていた拳銃を手にした。まじまじと観察した後、引き金を引いた。一発天井に弾を撃ち込むと、要領を得たらしく、お兄ちゃんを標的にしている隊員の腕を的確に打ち抜いた。
 お兄ちゃんも入間くんの援護を受けて、どんどん向ってくる敵をなぎ倒していく。何十人もいた部隊も、あっという間に壊滅状態になった。
 今村は援護を呼ぼうとしていたが、入間くんの銃弾で携帯は破壊された。
 オフィスに沈黙が訪れた。SSFの部隊は気絶しているが、痛みに呻いているか。社員は全員デスクの下や会議室に避難していた。
 お兄ちゃんが今村の手を取る。私はそれを止めた。
「私がやる」
「妹を殺人鬼にしてたまるかよ」
 お兄ちゃんは躊躇うことなく、小指からリングを抜き取った。
 会議室やデスク下に隠れていた社員が、一斉に今村に襲い掛かる。
「お前の傲慢な手腕、許せなかったんだよ!」
「このクソ上司! 仕事無茶振りしやがって!」
 理性をなくしているはずだったのに、私の耳には今村に対する強い恨み節が聞こえた。
 私達はその惨状を抜け出し、一階の更羅がいる場所へと急いだ。


「更羅?」
 一階フロアは私達が花壇からのぞいた時と変わらず、通常運営されていた。ただ一箇所、フロアマップの下に血がついた白い布が落ちているのを除いては。
 私は思わずそれを手に取った。死体はないが、水溜りのようになっている大量の血と、破かれた白い布で何が起こったのか想像がついた。
「くそっ!」
 お兄ちゃんが壁を殴る。コンクリートがへこんだ。
 私は恐る恐る受付嬢に尋ねた。
「すいません、ここで事件はありませんでしたか? それか、白いワンピースの、私と同じくらいの子を見ませんでしたか?」
「いえ、何も事件は起こっていません。ただ、誰か侵入者はいたようですね。少し汚れてますから」
 そう言って、血溜まりができている方を見て、しかめ面をした。
「入館証、返却ですか?」
 私はいたたまれなくなって、その場を離れた。
 下水道を歩いているときも無言だった。あの受付嬢も、更羅を襲った張本人だ。それなのに、人を襲った記憶すらないなんて。それに更羅の血を汚れ扱いするなんて……。私達のために戦ってくれた彼女に、なんて詫びればいいのだろう。大体、彼女が戦う理由なんてなかった。なのに、ついてきてくれた。悔しくて、私は血に染まった更羅のワンピースの切れ端を握り締めた。
 休憩室に戻ると、アランさんが身を起こしていた。それを見た入間さんは、即座に彼に謝った。
「アランさん、すみません。あなたの最後の仲間だった更羅さんを……俺が犠牲にしました」
 お兄ちゃんも一緒に頭を下げる。
「俺もすみません!……いや、すみません、なんて安い言葉で償えることじゃないのは解ってる。だけどっ……」
 アランさんの青い目が、私の手の中の白い布を映した。泣くのを堪えて、彼に彼女の遺
品となったそれを渡す。
「言葉は通じないかもしれないけど……これが彼女の遺品です」
「サラ……死んだの?」
 カタコトだけど、はっきりと聞き取れる日本語で、彼は私達に尋ねた。頷くと、寂しそ
うな表情を作った。
「ボク、日本に来てからサラにいっぱいお世話になった。いきなりこんな世界にきても、彼女はボクを守ってくれた」
 悲しみで言葉を紡ぐアランさんを見て、我慢していたはずの涙が溢れた。お兄ちゃんが優しく頭を撫でてくれても、傷ついた心は癒えない。それに私以上に、アランさんの方が苦しいはずだ。
 アランさんが咳こんだ。血を吐く程ではないが、大分しんどそうだ。
「アランさん、大丈夫ですか?」
 私が声をかけると、彼は床に座って真剣な目つきをした。
「体が悪いのは本当だけど、日本語が全くできないわけじゃなかった。それでも解らないフリをしていたのは……タツヤに騙されたからだった」
 竜也さんの話は入間くんから聞いていた。歓迎会の帰りに異世界にトリップしたという話。本当は、歓迎会の後、アランさんを驚かすために牛頭トンネルで肝試しをすることを竜也さんが提案したのだ。日本のお化けが苦手なアランさんだったが、「こっちのトンネルの方が近道だ」と唆されたのだった。
「でも、アランさんは竜也兄さんを助けてくれたじゃないですか!」
「タツヤに助けてもらいたかった。けれど、ボクはまだこの世界にいる」
 アランさんは血に染まった布を見て、呟いた。
「サラは、血を流しても君たちを助けたかったんだね」
 垂れ下がっていた目じりが、キッとつり上がった。
「助けを待っているだけじゃダメなんだ。ボク自身が『助けて欲しい』って、ちゃんと元の世界の人に伝えなくちゃ……」
 そう言うと、私と入間くんをまじまじと見た。
「キミ達二人のどちらかが元の世界に戻れる。だけど、どちらかが『封』の能力者だ」
「どっちがそれか、わかる方法はないんですか?」
 私が聞くと、アランさんは残念そうに首を振った。
「それは最後の最後までわからない。ボクとタツヤも馬頭トンネルで同時に呪文を唱えた。結果、ボクは戻れず、タツヤが戻った」
「ということは、俺は、お前達二人を敵からどうにかして守っていかないといけないってことだな」
 お兄ちゃんは少し困った顔をした。一人で二人を同時に守るのは、骨が折れる。そんなお兄ちゃんを見て、入間くんが少し笑った。
「これ、何かわかります?」
 そういって、ジーパンのウエストから取り出したのは、さっき新聞社でSFFが使っていた拳銃だった。
「一丁ちょろまかしてきたんです。俺、これならさっき使えたから、自分の身は自分で守れますよ。だから修先輩は陸さんを守ってください」
 新聞社での彼の腕前はすごかった。初めて触ったと言っていたが、弾もほとんど命中していて初心者とは思えない銃裁きだった。
「入間……」
 お兄ちゃんは黙って頭を下げた。
「それよりも、あと一つ黒真珠を手に入れないとですね」
 入間くんが照れくさそうに話題を振ると、お兄ちゃんはにやりと笑った。
「それなら『仲間』に頼んで譲ってもらうしかないだろう?」
「佐々木先輩……ですか?」
「でも、どうやって探すの? 先輩はもうきっと逃げてるよ?」
「だけど、一応あいつも指名手配されたんじゃないか? 解らないけど、弥生が婚約したのは馬車でパレードするようなヤツだったし、SSFも護衛についてたじゃないか」
「馬車……沙門街の長の息子が婚姻パレードするってニュースで見た。結局流れなかったけど」
 アランさんが思い出したように呟く。
「もし長を敵に回してるとしたら、いくら『天』の能力を持っていたとしても街にはいられないはずだ。SSFなんて目じゃない、私設軍隊を率いて攻撃するはずだから」
 お兄ちゃんが唸る。考えが煮詰まっている証拠だ。入間くんはしばらく考えた後、何か思い出したように目を見開いた。
「そうだ。隠れるなら、ちょうどいい場所があるじゃないですか」
「マンホールは俺達がいるだろ?」
「それ以外で、です。加古田さんから逃げて、辿り着いたところがあるじゃないですか!」
 私はポンと手を叩いた。そうか。あの林だ。あそこは確か、街の人もめったにこないと
言っていた。それに、身を隠すための洞窟もちょうどある。
「よし、佐々木から黒真珠を奪って、そのまま加古田さんのところまで行く。ダッシュで街を抜けたら、馬頭トンネルを目指す。いいな?」
 私と入間くんは大きく頷いた。


「ボクはここにいるよ」
 更羅と同じく宝石を持たないアランさんは、私か入間くんが元の世界に戻って、誰か助けを呼んでくることを信じて、この下水道の中で待っていると言った。
 彼が持っている力は「封」の力。一度元の世界に人を帰すと、もう何の力も持たなくなってしまうのだ。
 戦うことも、逃げることもできない力だ、とお兄ちゃんは言ったが、「人を一人救うことはできるよ」とアランさんは寂しそうに言った。
「それまでに生きていればの話だけど」
「縁起でもないこと、言わないで下さい」
 お兄ちゃんが突っ込むと、アランさんは少しだけ微笑んだ。
「それと……イルマくん」
「なんですか?」
「タツヤは……どうしてる?」
 その質問に入間くんは戸惑いを見せたが、青い目をきちんと見つめ、正直に話した。
「元の世界には戻ってきてますが、まだ心身喪失状態です」
「そうか……」
 がっくりと肩を落とすアランさんに、入間くんは手を添えた。
「それでも、必死に皆さんのこと『助けたい』って俺は言ってるように見えます。竜也兄さんの代わりに、俺か陸さんが皆さんを助けますから」
「うん、アランさん。待っててください」
 私も一緒に声を上げた。
「じゃ、そろそろ行くぞ! 元の世界に戻るために!」
 お兄ちゃんが気合を入れて、私達は休憩室を後にした。


 アランさんのくれた地図―正確には更羅が作ったものらしいが、それによると、下水の大きい流れをまっすぐ行き、二番目の角を曲がった先のマンホールから出ると、ちょうど診療所付近の路地に着くようだった。
 明かりのない暗い下水道は、何度歩いても慣れるものではなかった。時折水に落ちそうになり、前を行くお兄ちゃんの服を引っ張った。足元をすね擦りのように鼠が走ることもあり、その都度入間くんに助けてもらった。
 どうにか目的のマンホール下につき、梯子を上る。お兄ちゃんが蓋をガリガリと開けると、順に地上に出た。
 三人が出揃うと、何やら嫌な空気が辺りを覆っていた。生暖かい風が、体にまとわりつく。
 林の方から足音がした。―来る。入間くんはウエストにしまっていた銃を取り出した。お兄ちゃんも構えを取る。
「なんだか勘が冴えてるなぁ、俺」
 低く、少し間の抜けた声が聞こえた。先輩だ。
「佐々木! その黒真珠、大人しく渡せ!」
 お兄ちゃんが叫んでも、先輩は余裕の表情で口笛を吹く。
「渡すわけないだろ? これがないと命、狙われるんだぜ? そもそも弥生を殺った後、次から次へと狙われてるってのに」
 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、こちらに近づく。
「あれぇ? 陸ちゃん、黒真珠も持ってるのー?」
 歩きながら、私の小指をなめ回すように見る。今村を倒した後、お兄ちゃんと入間くん
がお守り代わりに身につけさせたのだ。
 私は小指を庇った。お兄ちゃんが、先輩の前に立ち塞がる。
「てめぇの相手は陸じゃない。俺だ!」
「あー、ちっちゃいやつが何言っても聞こえないなぁ」
 先輩はわざとらしく辺りを見回した。お兄ちゃんがバスケ部のレギュラーになれなかったのには二つ理由がある。一つは熱くなりやすい性格で、喧嘩っ早いこと。もう一つは一六五センチというバスケットプレイヤーとしては低い身長のせいだ。お兄ちゃんは特に身長のことを気にしていて、言われるたびにキレて家の中で暴れていた。
「修先輩! 安い挑発にはのないで下さい!」
 銃を構えた入間くんが、お兄ちゃんをいさめる。
「ばぁか、のるかよ! こんなウドの大木ヒョロメガネの戯言なんかによ!」
「そのウドの大木に一度も試合で勝てたことがない小猿は誰かなぁ?」
 お兄ちゃんの額に血管が浮き出た。お兄ちゃんはいつもキレる寸前に血管が浮き出る。文字通り、頭に血が上っている証拠で、小さい頃からの特長だ。
 プツン、と音がしたような気がした。その瞬間、目にも留まらぬスピードで、先輩の腹に一撃を食らわす。
「……ぐっ」
 見事ヒット。先輩が身をかがめようとする前に、今度は右フック。だが、寸でのところでかわされる。
 お兄ちゃんが左腕を伸ばした時、それは起こった。首につけていた蜘蛛のペンダントが引きちぎられたのだ。
「お兄ちゃん!」 
私が叫ぶのと同時に、周りから大勢のSSF隊員がお兄ちゃんに向ってくる。完全に理性は失われているようだ。ある者は盾で殴りかかろうとし、ある者はヘルメットを投げつける。
「修先輩!」
 入間くんが何発か銃弾を打ち込み仕留めるが、それでも手が足りない。
「言っただろ? 勘が冴えてるって。さっきSSFのやつらが徘徊してるのを見て、こっちに来るようおびき寄せておいたんだ」
「この野郎!」
 お兄ちゃんが隊員を相手にしているうちに、先輩は私と入間くんの方に向ってきた。
「じゃ、陸ちゃん、入間。真珠くれる?」
 返事の代わりに入間くんが一発銃弾を食らわせる。左足を一歩後ろにずらして、余裕で
避ける。
 銃がきかない入間くんだが、その手を下ろそうとはしない。隙をうかがっては引き金を引く。だが、見事に全部かわされ、弾切れになった。
「無駄な抵抗はしない方がいいって。入間も先輩に素直に従えって」
 入間くんは前を向いたまま溜息をつくと、フッと、軽い笑い声を上げた。
「言うことを聞きたくなるような先輩とそうでない先輩がいます。先輩は……後者だ!」
 叫ぶと、お兄ちゃんが人垣から飛び出してきた。そのまま思いっきり頭突きをかます。入間くんに気をとられていた先輩は、突然の攻撃に驚いて体勢を崩す。
「修っ……お前、どうして!」
「先輩と同じ戦術を使わせてもらったまでだ」
 そういうと、先輩に二つの宝石を投げつけた。SSFの隊員達は、お互い殴りあったり
噛みつきあったりと仲間割れを起こしている。
 そのままお兄ちゃんは先輩の懐に飛び込み、投げ飛ばす。その時、腕に付けていたレザ
ーバンドが外れてこちらに飛んできた。入間くんがすかさずキャッチする。
「このっ……入間ぁ……返せぇ……」
 背中を大きく打ちつけた先輩が、屈みながらこちらに近づいてくる。
「入間! 陸! いいから行け! ここは俺に任せろ!」
 お兄ちゃんが私達と先輩の間に入る。
「でも、お兄ちゃん……やっぱり私……」
 足が動かない。ここでお兄ちゃんと別れるなんて、嫌だ。皆で残っていれば、もしかしたら助かる方法が見つかるかもしれない。そんな私を入間くんが抱きかかえた。
「入間! 陸を頼んだぞ!」
「先輩、貸し2、ですからね!」
「お兄ちゃん、嫌! 私も……」
「陸、ちゃんと入間の言うこと聞けよ!」
 お兄ちゃんはそう叫ぶと、大勢の人々にのまれていった。私は何度もお兄ちゃん、お兄ちゃんと叫び続けた。でも、もうその声は届かない。
「陸さん、ごめんね……」
 私は入間くんの胸の中で泣いた。


 加古田医師は私達を待っていたようだった。優しそうな表情は変わりなかったが、少しやつれた感じがした。
「来たのは二人だけか」
 うつむいている私に代わり、入間くんが返事をした。入間くんの持っているレザーバンドと、私のつけているピンキーリング。それに、先生の持つ黒真珠があれば、馬頭トンネ
ルは開く。
「加古田さん……こんなことを聞くのはおかしいかもしれませんが、本当にいいんですか」
 入間くんは声のトーンを落として質問した。
 「宝石を持たないものは新天地にいる権利がなくなる」。最初に知った、この世界のルー
ルだ。私達に黒真珠を渡すということは、加古田医師も今まで見てきた人々のように、街
中の人間に襲われることになる。更羅は真珠を失っても、「気」の能力があったからまだ生
きて行けた。だけど医師は、すでに鬼の力を失っている。黒真珠を私達に渡すということ
はまさに自殺行為でしかないのだ。
 医師は大きく息を吐いた。
「さすがにもう疲れた。ここの街に来た時の初めの印象はなんだい? 映画みたいなネオン街の美しさ? 気さくなおばさんの優しさ? 違うだろ? 『気味が悪い・恐い・いかれてる』じゃなかったか?」
 医師の口調は明らかに今までと違った。それに、彼の吐いた言葉は、全て私が当初この
街に来て感じたことだ。
「陸さん、私も君と同じように感じたよ。私は過去のことがわかる。鬼の力を封じて、神の力を手に入れたからね」
 私は医師の追いつめられたような話し方に怯え、入間くんの後ろに下がった。それを見た加古田医師は、少し寂しそうな表情をした。
「……鬼の力だろうが、神の力だろうと関係ない。この街の住民になってしまった私は、その時点で『人ならざるもの』になってしまったんだよ。君の怯えた目。それが証拠だ」
 声をかけることはできなかった。何を言っても慰めにはならない。
 医師は黙ってつけていた黒真珠を外すと、入間くんに渡した。
「行きなさい。裏にバイクが止まってる。デスクにキーがあるから、乗っていくといい」
「……加古田さん、助けられなくて、ごめんなさい」
 入間くんは一言だけ残すと、私の手を取って診療所を出た。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み