第22話
文字数 1,531文字
田切だけが呆気に取られていた。銀の盆が若月の前にそっと置かれると、探偵は「お」と店の奥に視線を移した。
テレビではまだニュースが流れていたが、若月がなかなか目を離さないので、田切もつられてそれを眺めた。
「次のニュースです」いかにも知的なキャスターが淡々と告げる。「警視庁は連続誘拐事件に関わったと見られる人物の逮捕状を取り、全国に指名手配しました。
指名手配されたのは都内飲食店BarPoele の従業員、野神 京子容疑者58歳です」
画面に当該女性の顔写真が大写しになった。それを見て田切ははっとした。
この女性、どこかで……
今日見たわけではない。しかし、最近会ったはずだ……
そして思い出したときには、脳に電極を当てがわれるように感じた。
「そうだ!この女性、前回ここに来たとき、若月さんと楽しそうに話していた女性だ」
田切のかなりの大声だったが、それは若月を少しも動じさせなかった。テレビではキャスターが変わらない調子で続ける。
「警視庁に匿名の通報が入り、野神容疑者の自宅を捜索したところ、これまでの事件で現場に残されたメモと同一のものが大量に発見されたということです。
メモには『世の蒙昧 を知らしむは人損によりて』と、意味不明な文言が墨汁で記されていることが、これまでの捜査で明らかにされていました。
昨年12月、新人歌手の園枝 ミキさん24歳が行方不明となり、山林で頭部が一部欠損した状態で発見された事件。
そして先月、T大生の渡瀬純一さん19歳が深夜、何者かに連れ去られた事件。
どちらにおいても同様の書き置きが見つかっており、これらに似た誘拐事件は過去数十年に渡り頻発していました。警視庁は野神容疑者が、少なくとも今上げた二つの事件に関わっているとみて、行方を追っています」
田切は、次々と溢れ出す情報を処理できず、ただ黙ってそこに座っていた。若月は助手に補足する素振りも見せず、ただ目の前の銀の蓋をにやにやしながら見つめていた。
ウェイトレスの手が伸び、音もなく蓋が開けられた。
盆の上は完全な空だった。
それを見た途端、マスターの両目がかっと見開いた。そこにいる人物の中で、彼だけが困惑と苦悶の表情を浮かべていた。ウェイターはどちらかというと状況を飲み込めず、田切と同じような様子でいる。
探偵とウェイトレスのかん高い笑い声が起きた。それは天井を突き抜け、あるはずの星空へさらなる彩りを加えそうであった。
「やはり、貴様の話はこの店のことだったか」
マスターが苦々しく言うのと同時に、ウェイトレスによってカウンターの上に包丁が突き立てられた。
若い女性は通る声で言った。「もう警察を呼んでいるから、下手な真似はしないことね」
田切が耳をそばだてると、確かにいかにもイライラしたようなサイレンが、遠くから響いた。
「田切くん、行こう」
探偵に言われ、どこへ行くのかわからないまま、田切は立ち上がった。そして探偵は椅子を直しながら、ウェイトレスへウィンクでもしそうに言った。
「ドロシー、警察が来るまでここは頼んだ」
「今日はそんな呼び名なんですね。かしこまりました。鍵は全部開けてありますからね」
若月は「ありがとう」と言うと、出口とは逆に歩き、まず客席に近づいた。そしてまだ残っている親子連れの前でささやくように言った。
「奥さん、T大生の脳を食べさせても、お子さんの頭は良くなりませんよ」
田切にとって、そこで起きる何から何までが不合理であった。探偵はそんなことになどまるで構わず、今度は厨房に入っていった。田切はついて行きながら、一度店内を振り返った。まだ笑みをたたえるウェイトレスの横で、マスターとウェイターが腐った木のように肩を落として佇んでいた。
テレビではまだニュースが流れていたが、若月がなかなか目を離さないので、田切もつられてそれを眺めた。
「次のニュースです」いかにも知的なキャスターが淡々と告げる。「警視庁は連続誘拐事件に関わったと見られる人物の逮捕状を取り、全国に指名手配しました。
指名手配されたのは都内飲食店Bar
画面に当該女性の顔写真が大写しになった。それを見て田切ははっとした。
この女性、どこかで……
今日見たわけではない。しかし、最近会ったはずだ……
そして思い出したときには、脳に電極を当てがわれるように感じた。
「そうだ!この女性、前回ここに来たとき、若月さんと楽しそうに話していた女性だ」
田切のかなりの大声だったが、それは若月を少しも動じさせなかった。テレビではキャスターが変わらない調子で続ける。
「警視庁に匿名の通報が入り、野神容疑者の自宅を捜索したところ、これまでの事件で現場に残されたメモと同一のものが大量に発見されたということです。
メモには『世の
昨年12月、新人歌手の
そして先月、T大生の渡瀬純一さん19歳が深夜、何者かに連れ去られた事件。
どちらにおいても同様の書き置きが見つかっており、これらに似た誘拐事件は過去数十年に渡り頻発していました。警視庁は野神容疑者が、少なくとも今上げた二つの事件に関わっているとみて、行方を追っています」
田切は、次々と溢れ出す情報を処理できず、ただ黙ってそこに座っていた。若月は助手に補足する素振りも見せず、ただ目の前の銀の蓋をにやにやしながら見つめていた。
ウェイトレスの手が伸び、音もなく蓋が開けられた。
盆の上は完全な空だった。
それを見た途端、マスターの両目がかっと見開いた。そこにいる人物の中で、彼だけが困惑と苦悶の表情を浮かべていた。ウェイターはどちらかというと状況を飲み込めず、田切と同じような様子でいる。
探偵とウェイトレスのかん高い笑い声が起きた。それは天井を突き抜け、あるはずの星空へさらなる彩りを加えそうであった。
「やはり、貴様の話はこの店のことだったか」
マスターが苦々しく言うのと同時に、ウェイトレスによってカウンターの上に包丁が突き立てられた。
若い女性は通る声で言った。「もう警察を呼んでいるから、下手な真似はしないことね」
田切が耳をそばだてると、確かにいかにもイライラしたようなサイレンが、遠くから響いた。
「田切くん、行こう」
探偵に言われ、どこへ行くのかわからないまま、田切は立ち上がった。そして探偵は椅子を直しながら、ウェイトレスへウィンクでもしそうに言った。
「ドロシー、警察が来るまでここは頼んだ」
「今日はそんな呼び名なんですね。かしこまりました。鍵は全部開けてありますからね」
若月は「ありがとう」と言うと、出口とは逆に歩き、まず客席に近づいた。そしてまだ残っている親子連れの前でささやくように言った。
「奥さん、T大生の脳を食べさせても、お子さんの頭は良くなりませんよ」
田切にとって、そこで起きる何から何までが不合理であった。探偵はそんなことになどまるで構わず、今度は厨房に入っていった。田切はついて行きながら、一度店内を振り返った。まだ笑みをたたえるウェイトレスの横で、マスターとウェイターが腐った木のように肩を落として佇んでいた。