飽食紀

文字数 6,351文字

 
 なぁ
 

 白亜紀の空は明るい。仮に花曇りの日であっても、空気を構成する原子の透過度は高く、成層圏から大地へと真に平等な太陽光を通している。視界を遮るものは、もはや蜃気楼のような微塵のみ。

 

 なぁ
 

 刺すほどに白い陽光を全身に浴びながら、2頭の(つの)竜はいつものように、澄んだオアシスの畔でシダやイチョウやソテツやキカデオイデアの葉を食んでいる。しかし、全長5mを超える巨躯(きょく)がいくら食もうが、いくら飲もうが、緑は無限のような連なり。草いきれの匂いがそこかしこを支配し、ありとあらゆる生き物の細胞に静寂(しじま)の庶務を課している。


 そんな中、

 

 なぁ
 

 種族の誇りである2本の巨大な角を眉間に掲げたトリケラトプスは、先ほどから、食事を中断したまま難しそうなまなざしを彼方へと馳せさせている。森や丘としか表現しようのない普遍的な遠景を、殊更に()らすわけでもなく、ただ漫然と。

 

 なぁ
 

 そうして、かたわらで一心不乱に草を食んでいるスティラコサウルスへと呼びかけている。この、まるで()の羽根を思わせる見事なフリル(襞飾り)の持ち主は、トリケラトプスにとって兄貴のような存在だった。

 

 なぁて
 なんや?
 ちょっと食うのやめぇや
 食わな死んでまうやろ
 ちょっとやぁゆうてるやん
 

 わずかに顎を仰がせ、トリケラは呆れたような仕種。それから、いまだ視線を大地に埋もれさせたまま食事に没頭しているスティラコを見た。

 

 ちょっとでええねん
 ほな、ちょっとだけやぞ?
 

 気怠そうに言うと、咀嚼(そしゃく)音を立てながらもスティラコは食事を中断。ゆっくりと、座りのある視線をトリケラに向ける。

 

 で、ちょっとってどんだけや?
 オレの話が終わるまでや
 死んでまうやろ
 そこまで(なが)ないわ
 もう食ってもええか?
 まだしゃべってへんやん
 いつしゃべんねん
 これからや
 死んでまうて
 おまえの腹はどないなっとんねん
 

 すると、トリケラの言い終わりを待たず、スティラコは顎を大地に落とした。

 

 ゆってるそばから食うなや
 惰性や
 辛抱(しんぼう)せぇや
 惰性をナメんな!
 なんで怒っとんねん……
 はよしゃべれや
 今からしゃべるで聞けや
 

 すると、トリケラの言い終わりを待たず、スティラコは尖った口を開いた。

 

 食うなぁゆうてるやん!
 習性や
 どっちやねん
 習性を
 ナメてないわ!
 はよゆえや!
 怒んなや
 我慢さすなや
 してへんやん
 これでも我慢しとんねん
 (こら)え性がなさすぎるやろ
 おまえもないやんけ
 水かけ論を持ちだすなや
 我慢できひんワシを我慢せぇ
 水かけ論を貫けや
 で、話ってなんや?
 貫いてから話を戻せや
 死んでまうやろ
 どんだけ壮大な話や(おも)とんねん
 

 すると、トリケラの言い終わりを待たず、スティラコはシダを頬張った。

 

 ()……ええわもう食えや!
 ずっと食っとるわ
 同類のために残しとく気ぃ0やな
 ワシはおまえの空腹が心配やわ
 オレはおまえの肥満が心配やわ
 ほんだらプラマイゼロや
 そのゼロはどこに掛かっとんねん
 ちゅうか、なんでそんなデカいねや?
 オレか?
 おまいじゃ
 血ぃや
 ずっと食っとるワシをさし置いてか?
 知らんがな
 血ってなんやねん
 オレの先祖に聞いてくれや
 先祖はみんな一緒や
 そこまで(さかのぼ)んなや
 ワシらの先祖は三葉虫やど?
 もっと遡ったれや
 本題はなんやねん
 今からしゃべるわ
 

 そう言ってトリケラ、う、うん──喉の調子を整え、内緒話の抑揚を絞り出した。

 

 なぁ、レックスってな?
 誰や?
 レックスゆうたやんけ
 レックスにも色いろおるやろ
 すべてのレックスや
 青いヤツか?
 そらラプトルや
 

 全長1mの肉食竜、ヴェロキラプトル。とてもイタズラ好き、なおかつ身軽なため、トリケラやスティラコなどの鈍重な恐竜からは大いに嫌われている。

 

 レックスやぁゆうとるやろがい
 青いのんちゃうんか?
 サイズがちゃうわ
 何色のレックスや?
 レックスはぜんぶ黄色や
 青とちゃうんか
 それはラプトルゆうたやんけ
 

 ちなみに「レックス」とは、言わずと知れた「Tレックス」のこと。ラプトルなど足もとにもおよばない。

 

 さっきからなにをイメージしとんねん
 なにって青いのんやんけ!
 怒んなや!
 怒るやろ!
 ミュタ湿原の旦那を食ったヤツや
 カスモサウルスの旦那か?
 

 カスモサウルス──角の性能こそトリケラやスティラコに劣るが、彼らもまた気高いフリルを持つ角竜。

 

 あれは気の毒やったな
 なんもでけへんかった
 で、旦那がどうしたんや?
 その旦那を食ったヤツの話や
 あの黄色いのんか?
 さっきからゆうてるやん
 めっちゃデカいやん
 デカかったらアカンのんかい
 

 呆れながらトリケラは言う。

 

 なにをイメージしとんねん
 なにって青いのんやんけ!
 それはラプトルやんけ怒んなや!
 ラプトルってなんやねん
 水の泡すぎるやろ
 固有名詞、使んなや
 なんでやねん
 ややこしいやんカタカナばっかし
 そのためのカタカナちゃうんかい
 もっと砕いたれや
 なにでゆったらええねん
 色でゆえや
 黄色やぁゆうてるやん
 黄色はあのデカいヤツやんけ
 ソレでええねん
 ええんか?
 ええゆうてるやん
 ホンマかぁ?
 なんの確認作業やねんコレ
 

 Tレックスといえば全長15mにもおよぶ暴君竜。太刀打ちできる相手ではなく、ゆえに、トリケラもスティラコもオアシス選びには慎重である。


 このオアシスはわりと安全地帯にある。しかし、植物がなくなれば必然的に別のオアシスを探さなくてはならない。暴飲暴食のかぎりをつくすこの兄貴をちらと睨むと、首を傾げ、ぼごッと関節を鳴らしてからトリケラは言う。

 

 その黄色いデカいレックスの話や
 レックスってなんやねん
 ソレってゆうてるやん!
 ソレってドレや
 今の確認作業はなんやってん
 あぁ、アレか
 もうアレでええわアレや
 で、ソレがどうしてん
 忘れるわ話
 はよしゃべらんからやろがい!
 やったらしゃべらせぇや!
 しゃべったらええやん!
 おお、しゃべったるわ!
 

 2頭の足の裏にかすかな震動があった。どこかで火山が噴いたようだが、特に音らしい音は聞こえず、どうせ日常茶飯事でもあるので2頭とも気にしなかった。


 う、うん──ふたたび喉を整えるトリケラ。

 

 そのレックスってのがな?
 レックスって
 旦那を食った黄色いデカいヤツ!
 アレか。アレがなんや?
 アレ、痛風らしいで?
 ツウフウってなんや?
 風が吹いても(いた)なるヤツや
 それは痛風やろ
 だから痛風やぁゆうてるやん
 なんでアレが痛風やねん
 肉ばっか食いよるからや
 肉を食うのやめたぁええやん
 肉食竜やんけ
 誰がぁ?
 レックスがぁや
 なんでレックスが肉食竜やねん
 誰をイメージしとんねん
 誰ってレックスやんけ!
 カタカナは苦手ちゃうんかい!
 レックスはレックスやろがいッ!!
 怒んなやッ!!
 怒るやろッ!!
 なんでオレが怒られとんねん……!
 

 トリケラ、大きな溜め息を吐くと、今度は子供に教え諭すような抑揚。

 

 あのな、レックスはな、肉食竜やねん
 なんでわかんねん
 見とったらわかるやんけ
 見たんか?
 おまえも見たやんけ
 どこでぇ?
 旦那、食われたやんけ
 

 喉笛をひと噛みにされて無惨に散った。だからと言って弔い合戦に(かな)う相手ではない。ただただ傍観(ぼうかん)しているしか術がなかった。

 

 旦那がなにでできとる思とんねん
 おおむね水分やろがい
 成分表が杜撰(ずさん)すぎるわ!
 やったら、肉か?
 肉のない生き物がおんのかい
 葉っぱは葉緑素やろがい!
 範疇(キャパ)が広すぎるわ!
 

 はるか上空をテラノドンの群れが旋回している。向かいの丘に獲物がいるとわかる飛び方。


 いつの間にか、わずかに太陽が黄色い。


 が、どちらを気にすることもなくトリケラ、

 

 動物って意味でゆうたんや
 で、旦那が肉を食うたんか?
 なんの話をしとんねん
 なにって旦那の話やんけ!
 レックスの話やんけ!
 レックスって……アレか?
 ドレか心配やわ
 黄色いデカいヤツやろがい
 めっちゃ()うてるやん……
 なにをイメージしとんねん
 オレの台詞を取んなや
 で、レックスの肉を旦那が食うたんか
 旦那は何類やねん
 旦那は草を食うアレやろがい
 オレらと同類ってゆえや
 てことは、旦那は種族の垣根を
 乗り越えてないわ!
 

 白亜紀の前をジュラ紀という。その前を三畳紀といい、その前を二畳紀、さらには石炭紀、デボン紀、シルル紀、オルドビス紀、カンブリア紀という。この推移だけで数億年もの時間が流れている。


 進化もやむなしの悠久の刻が、今、まばゆい太陽に乾煎(ロースト)の黄色を宿している。

 

 なんで旦那が肉食竜に進化しよんねん
 旦那が肉を食うた話とちゃうんか?
 いつから旦那が主役になっとんねん
 旦那は旦那の人生の主役やんけ!
 そういう主役ちゃうわ!
 

 肩で息をしはじめるトリケラ。

 

 この話題の主役や
 どの話題やねん
 オレの語りはなんやってん
 その語りの主役は旦那やんけ!
 なんでおまえが決めとんねん!
 なんや、旦那の話とちゃうんか?
 レックスはどこ行ってん
 レックスは捕食されたほうやろ
 誰にやねん
 旦那にちゃうんか?
 なんでレックスが植物になっとんねん
 だって、旦那は草食竜やぞ?
 わかっとるわ同類やろがい
 で、逃げ遅れて捕食されてん
 旦那がなにに食われた思とんねん
 なにって黄色いヤっチゃ
 その黄色いヤツがレックスや
 ……アレがレックスか!?
 今までの話はなんやってん
 

 すると、ごええっと長いゲップを垂れ、ようやくスティラコが首を起こした。

 

 で、レックスがなんやねん
 痛風やぁゆうてるやん
 旦那はどこ行ってん
 旦那は横に置いとけや
 同類を無下(むげ)にはでけんぞ?
 そういう意味ちゃうわ
 

 ここで、トリケラはまたも難しそうな顔をする。

 

 痛風の話や
 おまえ草食竜やろ?
 いつからオレが痛風の話やねん!
 おまえちゃうんか?
 レックスのほうや
 レックスが痛風なんか?
 さっきからゆうてるやん
 で、それがどないしてん
 

 スティラコにうながされると、わずかに頭をうつむかせるトリケラ。

 

 痛風やから凶暴なんかな……って
 なんでやねん
 風が吹いただけで(いた)なんねんで?
 ゆえに痛風という
 知っててしゃべっとんねん!
 痛風やとなんで凶暴やねん
 痛ぇ痛ぇっつってキレるわけや
 おまえアホやろ
 なにがや?
 おまえキレてもええことないど?
 だからオレちゃうわ!
 おまえ以外に誰がおんねん!
 レックスはどこ行ってん!
 なんやレックスの話か
 ずっとや
 で、その子がキレて困っとるんか?
 児童相談ちゃうわ!
 相談とちゃうならなんやねんッ!!
 おまえがキレてどうすんねんッ!!
 

 ふたたびの溜め息を吐くと、やからな?──前置きしてからトリケラは言った。

 

 痛風のまんまにしとけばそのうち……
 どうやって痛風にさすねん?
 発症ありきで話しよんねん
 やったら診療所で診てもらえや
 オレちゃうゆうてるやん!
 旦那のほうか?
 だからなんで旦那が出てくんねん
 出してやろうや
 創作ちゃうわ
 (いた)めやッ!!
 痛風にさす追悼(ついとう)ってなんやねん!
 痛風でも主役は主役やろがい!
 主役はレックスやぁゆうてるやん!
 レックスの追悼か?
 なんで死が前提やねん
 そのほうが泣けるやん
 旦那が食われた時も泣いてへんやんけ
 あとでこっそり泣いたわ
 なんの話やねん
 追悼の話やろがいッ!!
 痛風の話やろがいッ!!
 

 するとスティラコ、なんや最初からそうゆえや──つぶやいてシダを食んだ。そんな兄貴を横目に、しばしばと瞼を瞬かせ、やはり呆れるトリケラ。

 

 ぜんぜん話が進まんわ
 めっちゃ進んでるやん
 実りがないゆうとんねん
 レックスの実りがか?
 レックスの実りてなんやねんッ!!
 旦那が食うた禁断の果実やろがいッ!!
 旦那がなにに食われた思とんねんッ!!
 黄色い痛風やんけッ!!
 せめて物でゆえやッ!!
 ……じゃあアレや、モノクロニウスや
 ヤッツケで同類を出すなや!
 ええやんもうモノクロで
 めっちゃ草食竜やぞあいつら
 わかれへんどぉ?
 だからレックスやぁゆうてるやん
 レックスがナンボのモンやねんッ!!
 頂点に決まっとろうがいッ!!
 頂点が痛風ならワシらはなんやねんッ!!
 捕食対象やろがぁいッ!!
 

 ぜぇぜぇと息を荒げ、トリケラは2歩、3歩と地団駄を踏んだ。とたん、湿気を帯びた土がぬちゃぬちゃと音を()わせる。

 

 だからよぉ……!
 なにがゆいたいねん
 痛風で滅びるんちゃうかって話や
 誰がやねん
 レックスがや
 いつぅ?
 そのうちや
 なんでぇ?
 痛ぁて(かな)んって
 痛いとなんで滅びんねん
 発狂や
 発狂で滅びるんか?
 かも知れへんやんか
 滅んでほしいんか?
 そらそうやろもん
 なんでや?
 いや、だってオレら……
 

 角の根もとに(しわ)を浮かべるトリケラ。そのままスティラコに巨躯を寄せると、ふたたび内緒話の抑揚まで声を落として囁いた。

 

 ……オレら、食われる側やで?
 

 すると、スティラコはまるで避けるようにして頭をトリケラから離す。座った視線で彼の双角を睨み、やや間をあけてから、

 

 ……おまえアホやろ
 

 まるで(うな)るように、本気で呆れているとわかる調子で言った。


 ぽかんとするトリケラ。

 

 な、なんでや?
 どんだけワシがおまえのアホウ話に
 

 ゆっくりと、しみじみと、スティラコはつづける。

 

 ダラダラつきおうたと思とんねん
 

 そしてシダの葉を何枚かひと息に食む。もちゃもちゃと咀嚼音を立てながら、

 

 で、結局、ソコかい
 

 おもむろに快晴を仰いだ。相変わらず、ぐるぐるとテラノドンが旋回している。どうやら迂闊(うかつ)には近寄れない獲物らしい。


 ぽかんとしたトリケラ、いまだ角の間に深い皺を浮かべたまま、(いぶか)るようにして兄貴の顔を覗きこんだ。

 

 だって、食われるの怖いやんけ
 

 投げ捨てるように言う。

 

 滅んだほうがええやんけ
 

 共感を求めるトリケラに、しかしこの兄貴はフリルを傾げることなく、むしろ憐れむように言った。

 

 アっホやなぁおまえ
 なにがアホやねん
 ホンマ、アホやわぁ
 

 づッと鼻を(すす)り、太い尾っぽを左右に1往復させてアザミウマを払い除けると、テラノドンの回遊を凝視しながらスティラコは言葉を重ねる。

 

 あのな?
 

 いつの間にか、丘の中腹にパラサウロロフスの群れがいた。誰もが微動だにせず、背後に長く伸びている後頭部を同じ角度にし、一団となって西の地平線を見つめている。太陽を拝んでいる。

 

 だいたいな?
 

 もう、1日が終わる。


 白から黄色、そして赤くなっていた太陽が容赦なくこの兄弟を染めている。やはり原子の透過度は真に平等か、彼らのみならず、あらゆる営みを思惑どおりに赤く染めあげている。


 とはいえ、それも間もなく闇色に染まる。まるで、

 

 ワシらを食うヤツが滅んだらな?
 

 まるで終焉のように。

 

 緑……なくなるわ
 

 気抜けしている弟分に一瞬だけ視線を馳せると、スティラコはふたたびうつむき、これも摂理の一部であると言わんばかりにシダを食んだ。


 静寂に、草いきれの咀嚼が蘇る。


 途切れないのは悠久の季節のみ。


 終焉のように、穏やかなる悠久。

 

 叶わん希望を垂れとるヒマがあるんなら
 

 しかし、

 

 無限のパラドクスを味わわんかいや
 

 その価値は決して語られまい。

 

 
   【 終わり 】
 
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登場人物紹介

★ トリケラトプス


  巨大な2本の角を持つ角竜


  学 名:Triceratops

  分 類:鳥盤目・周飾頭亜目

      ケラトプス科

      トリケラトプス属

  生息期:中生代は白亜紀後期

  生息地:北米大陸

  全 長:約9m

  体 重:約5~9t

★ スティラコサウルス


  巨大なフリルを持つ角竜


  学 名:Styracosaurus

  分 類:鳥盤目・周飾頭亜目

      ケラトプス科

      スティラコサウルス属

  生息期:中生代は白亜紀後期

  生息地:北米大陸

  全 長:約5~7m

  体 重:約3t

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