7 理想の生き方

文字数 5,450文字

7 理想の生き方
 前近代における理想はよく生きることである。それは共同体で共有されている規範に沿った生き方のことだ。前近代は共同体主義であり、価値観の選択が個人に委ねられていない。長明の時代においてそれは仏教の倫理である。現実の私は仏教の教えを認知行動することで理想に到達できる。そこに幸福がある。幸福は個人によって異なるものではなく、共同体規範に忠実によく生きることで得られる。人は世俗的な欲に囚われてしまう。だからこそ、仏教の教えに従って生きることが真に幸福である。

 隠遁生活に入ったきっかけは個人による選択的理由だろう。けれども、それはその個人にとっての価値観に基づいていない。共同体において共有されている規範に則っている。それが理想とする倫理的生き方の実践が隠者である。そのため、人々はその隠れた暮らしにリスペクトを抱く。

 長明は『方丈記』の前半では仏教が教える通りこの世がいかに無常であるか記している。その上で、後半において自身の生涯を解雇しつつ、仏教の説くよい生き方の探究と実践を語る。さらに、彼は作品の結びに近づくにつれ、この世の無常を次のように改めて確認する。

大かた此所に住みそめし時は、あからさまとおもひしかど、今ま(すイ)でに五とせを經たり。假の庵もやゝふる屋となりて、軒にはくちばふかく、土居に苔むせり。おのづから事のたよりに都を聞けば、この山にこもり居て後、やごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその數ならぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。
たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞかりの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。がうなはちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるゝが故なり。我またかくのごとし。身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづかなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。
すべて世の人の、すみかを作るならひ、かならずしも身のためにはせず。或は妻子眷屬のために作り、或は親昵朋友のために作る。或は主君、師匠および財寳、馬牛のためにさへこれをつくる。我今、身のためにむすべり、人のために作らず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこもなし。たとひ廣く作れりとも、誰をかやどし、誰をかすゑむ。

 住み始めて5年も経ち、風の便りで著名人も含め多くの人々の詩を長明は耳にしている。彼は完全に俗世間と縁が切れていたわけではないことがここからもわかる。いかに豊かでも、いかに身分が高くても、人の命ははかなく、必ずいつか尽きるのであり、無常である。

 また、平安京は非常に火事が多い。人の命だけでなく、建物も消失している。すべて無常である。自分にとってはこの庵で十分だ。ヤドカリが己を知って小さい貝、ミサゴは人間を避けて荒磯にそれぞれ棲む。自分も同じだ。自分自身や世の中を知っているから人に交わらず、走り回らない。暮らしは静かで、心配もない。

 世の人は自分自身の事情ではなく、他のために住居を作っている。そこにルサンチマンが生じる。だが、自分には妻子もいないので、自身のためだけで十分である。いかに広大な敷地に豪邸を立てたところで、火事になれば消えてしまう。このモービルホームなら気を病むこともない。足るを知り、世間から離れる長明の生活は「寂び」と言える。なお、「すべて」は、「もし」と並んで『方丈記』に頻出する単語である。強調のレトリックで、字義通り「全員」という意味ではない。

 その上で、長明はいかに方丈の庵での生活に満足しているかを次のように述べている。

それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。
そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。

 『方丈記』にも文献学上の課題があり、この語句が何を意味しているのか、この語句が写し間違いではないのかなどがいくつかの個所をめぐり議論されている。結びの文章は重要な結論であるだけに、特に学説がいくつか提示されている。引用では「閑寂に着するもさはりなるべ」と「障り《さはり》」と表記されている。これは「邪魔」や「妨げ」の意味である。しかし、伝わってきた文献は「さばかり」と記している。「然許り」、すなわち「その程度」や「それくらい」では意味の通りが悪いので、「さはり」の間違いとする説がある。校訂者はその学説を採っているというわけだ。古典にはこういった文献学上の問題があるので、複数の校訂者の版を照らし合わせることが必要である。

 「三界」は欲界・色界・無色界の三つを指す。第一の欲界は物欲に囚われた世界である。第二の色界は物欲から抜け出しているものの、色や形の構造の世界である。第三の無色界は欲望も色形も超越した観念の世界である。この三つを合わせて「三界」と呼び、全世界のことを意味する。こうした三界であっても、心ひとつで変わるものだ。

 穏やかな気持ちになっていなければ、豪華絢爛な乗り物・宝物・屋敷があっても心は満たされぬから、そんなものは要らない。「心、もしやすからずは、象馬七珍もよしなく、宮殿楼閣も望みなし」『は法華経』の「随喜功徳品第十八」を典拠にしている。ある金持ちが金銀財宝を与えようと思ったが、その人たちは80歳をすぎている。彼はそのような無意味なことをするよりも、仏法を説く方がよいと思ったということだ。

 長明は方丈の庵での隠遁生活を気に入っている。確かに、都に行くと、みっともない姿で恥ずかしい思いをする。けれども、庵に戻れば、むしろ、世間のわずらわしさに追われる都の人たちを気の毒に思う。魚も鳥も自分の世界に満足している。その気持ちは魚や鳥にならなければわからない。方丈の庵も同じことだ。

 この「住まずして、誰か悟らむ」にも典拠がある。『新古今集』163の2西行の「山深くさこそ心はかよふとも住まであはれを知らんものかは」である。住んでみなければ、山奥の庵のよさはわわからないというわけだ。

 「三途」」は『金光明経』一の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」に由来する。「途」は「道」を指し、火途(地獄)・血途(畜生)・刀途(餓鬼)を三途、すなわち三悪道と総称する。地獄は灼熱で、畜生は互いに傷つけ合い、餓鬼は刀で追いかけ回す。三途の川のほとりには、奪衣婆と懸衣翁の老夫婦がいる。奪衣婆は死者の衣を脱がせ、懸衣翁がそれを木に掛け、罪状を判定する。罪が多いほど衣が汚れて重くなるので、枝が垂れ下がる。こうして人間は生前の罪状が審査される。

 以上のように、長明はこの世の無常に触れ、仏教の教えに言及しつつ、自身の方丈の庵の暮らしがそれに適っているか語っている。庵と静かなる生活を彼は愛している。もちろん、それもかりそめのことだ。倫理的に無用の楽しみを話して時間を無駄にするべきではない。

 しかし、長明は『方丈記』の最後に至って、これまで語ってきたことに対して、次のように異議を申し立てる。

しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりにしめり。すみかは則ち淨名居士のあとをけがせりといへども、たもつ所はわづかに周梨槃特が行にだも及ばず。もしこれ貧賤の報のみづからなやますか、はた亦妄心のいたりてくるはせるか、その時こゝろ更に答ふることなし。たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。

 長明は、後半を通じて、方丈の庵での生活がいかに幸福であるか語っている。それは共同体の規範である仏教の倫理に即した理想の実践である。だから、幸福であることは間違いない。あの世も近いのに、今さらあれこれ思うことはない。仏が執着してはいけないと教えている。だとするなら、草庵を愛したり、静かでいいと思ったりすることも執着になる。この隠者の生活への満足感も執着心ではないのかと長明は問う。もしそうなら、自分の実践は反仏教的で、まったく理想的ではない。ミシェル・ド・モンテーニュが思索を「我何を知る?(Que sais-je?)」という問いから始めるのに対し、長明は最後に自問する。

 長明は自問自答する。世間から離れて山中の庵に住んでいるのは、仏教の修養をするためである。仏門に入っているにもかかわらず、心は穢れている。「淨名居士」のように方丈の庵に住んでいても、修業は「周梨槃特」のゴミを拾い垢をとるそれにも及ばない。

 長明が言及する「淨名居士」と「周梨槃特」はいずれも釈迦の弟子である。「淨名居士(じょうみょうこじ)」は「維摩居士(ゆいまこじ)」とも言い、釈迦の在家の弟子で、富豪でありながら、方丈を住まいにしていたとされる。長明の方丈の庵はこの故事に倣っている。

 「周利槃特(しゆりはんどく)」は釈迦の弟子で、十六羅漢の一人である。彼は自分の名前も忘れてしまうほど愚鈍で、修行もうまくできない。そこで、釈迦は、忘れないようにと名前を書いた幟を背負うことを教え、箒を手に「塵を払い垢を除かん」と言い渡す。彼は、毎日、「塵を払い垢を除かん」と唱えながら、掃除洗濯の修行に励み続ける。ある日、掃除した後を弟子仲間に汚されて腹を立ててしまう。しかし、その時、汚れていたのは、むしろ、自分の心の方だと悟る。その後、周利槃特は十六羅漢と呼ばれ、「義持第一の周利槃特尊者」と称されるようになったということだ。

 周梨槃特の死後、墓の回りに茗荷が生えたと言う。ここから茗荷を食べると物忘れが酷くなると言い伝えが生まれる。また、「茗荷」という漢字も、彼が名前を記した幟を背負ったエピソードに由来している。日本には「垢」や「茗荷」をめぐる昔ばなしが行くつか伝わっているが、それらはこうした伝説に典拠を持っている。

 「貧賤の報」は、前世で仏法を崇めなかったり、功徳を積まなかったりすると、今生で貧賤の身に生まれ変わってしまう報いのことである。また、「妄心」は俗的な迷いの心のことだ。前世の報いによって修行できないのか、それとも煩悩に囚われておかしくなったのかと長明は自問する。しかし、自答できない。

 「たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ」と長明は言う。「舌根」は味覚のことである。「根」は知覚の器官を指し、仏教はそれが眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の「六根」あるとする。人間はこの六根を清らかにしていなければならないという教えが「六根清浄」である。この場合の「舌根」は口のことだが、仏教関連の内容なので、その用語を使っている。答えられないので、長明は二、三回阿弥陀仏を唱えるだけだ。

 「桑門は出家して修業中で、「蓮胤」は鴨長明の法名、「外山」は京都の地名である。ただ、「外山の庵」とあるので、藤原良経の「深からぬ外山の庵の寝覚めだにさぞな木の間の月はさびしき」を踏まえていると思われる。これは『新古今集』395の和歌である。

 この結びはしばしば近代人流に解釈される。それは、自身を絶対視せず、相対化し、揺らぎつつも、すべてを受け入れる姿勢だといった具合である。長明にとって仏法は絶対である。彼に相対主義などあり得ない。

 自分が果たして理想的なよい生き方をしているだろうかという問いに長明が答えられないのは当然である。良し悪しを決めるのは自分ではないからだ。規範に沿った生き方がよいことは間違いない。しかし、即しているか否かは仏が決めることである。自分は良い生き方をしていると決めつけることは、善悪の判定者を自身にすること、すなわち仏よりも己を上に置くことである。それなら、三途の川での審査も不要である。善悪を決めるのは人間ではない。できることはそれを目指しつつ、これがよいことと決めつけることなく、反省的に生きることである。だから、長明は最後に阿弥陀仏と念仏を唱える。

僕が大好きだった建物たち
もうほとんど残っていない
小さくて痩せ細った子供たちが歌っている
竹の歌が聞こえる

それでも、人々の生活は続いている

All the buildings I have loved
Are barely standing
All the children too young and thin
Sing bamboo music
(Ryuichi Sakamoto & David Sylvian “Bamboo Houses”)
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