明日香先輩に抱きしめられて・・・

文字数 4,747文字

  王道女学園の英語科補助職員として復帰。
 以前と同じ生活の始まり。
 でも給料がほとんど出ないってやっぱり辛い。
 パンを一個買って、それで一日もたせる。
 それが一週間ぐらい続いてる。
 蘭さんがメモをくれた。
 先輩がぼくに会いたいと言ってる。

 「いまはだめ」

って止めているんだそう。
 別れ際の高城さんの言葉。いまも覚えてる。
 ぼくのとこに来たら、きっと高城さん、補助職員と私的な交流をしてるって攻撃してくる。 
 でも蘭さん、ぼくに言った。
 ふたりで会える段取り考えるんだって・・・
 頼りになる恋のキューピット。
 いつかぼくの方が、蘭さんのキューピットになれたらいいなっ。
 昼休み直前。
 ぼくは英語科専用室で、頼まれた書類を作成中。
 先生方は、授業やほかの用事でだれもいない。おなかがすいて力が出ない。 
 今日も残業みたい。  
 急にドアが開いた。
 高城さんがぼくの前に立った。
 「体は大丈夫?」
 いつもの通り、そっけない口調。

 「はい。ありがとうございます」
 「ごめんね。給料がほとんどないから食事も摂れないでしょう。よかったらこれ」

 ぼくの机の上に、紙の箱を置いてくれた。ずいぶんと大きな箱。

 「えっ、でも・・・」

 受け取っていいんだろうか?

 「君とはもうフツーの関係じゃないの。断ることは許しません」

 高城さんって・・・
 すっごく・・・
 上から目線・・・

 「じゃあね」

 ぼくがお礼を言った時には、もう部屋にはいなかった。
 わずか一分で立ち去った。
 お弁当を届けてくれたんだ。おなかがすいてたから、感謝していただくことにした。
 フタを開けると、そこには、海苔弁もとんかつ弁当も幕の内弁当もなかった。 
 ずっと欲しいって思ってた「ペンシルベニア英語辞典」。
 いつか高城さんが買ってた・・・こんな高価なもの、ぼくにくれるなんて! 
 ぼく、どうしたらいいんだろう。
 入ってたのって、それだけじゃなかった。
 学食の無料カード。一ヶ月間、学食の食事がいくらでも無料で食べられるって説明。
 ますます困ってしまった。しばらく迷ってた。でもやっぱり飢えには勝てなかった。
 ぼくは部屋を出た。
 その時、蘭さんの言ったことを思い出した。
 ぼくを訪ねて来た時だった。

 「松山さん。
 あなたは明日香さんに会いたいですか?
 そうですね」
 「はい」
 「では、わたしの言うこと聞きます。
 仕事に戻ってからすることです。
 昼休みは、散歩でもするように、尾行に注意して、旧校舎の付近を歩いてください}

 旧校舎のあたりは人気もない。もし尾行されたらすぐ気がつく。
 昼休みにはいつもここを散歩してるって思わせる。
 いずれ先輩とこっそり会う段取りを考えるからって教えてくれた。
 さすがは蘭さん!昼休みは二時間近くあるので、学食に行く時間は十分ある。 
 まず旧校舎の近くを散歩することにした。
 旧校舎はいずれ取り壊し、新校舎や寮を増設するって話。いまはなにも使用されていない。
 一応、戸締りはしてるそうだけど、非常口とか鍵が壊れてて簡単に入れるそう。
 もし男女共学なら、デートスポットになるんだろうか?
 何も考えず、ブラブラ歩いてた。
 いきなり右手首をつかまれた。
 横を見る。
 懐かしい顔。真一文字に口を結び、いまにも泣き出しそうな顔をしてた。
 声をかける暇なんてない。
 ぼくの右手首をつかんで、引きずるように旧校舎へ入っていった。
 昔、応接室だった部屋。
 大きなソファにふたりで並んで座った。ソファとテーブルがある以外は、なにも残ってない。
 ソファは運び出しても置き場がないから、残ってるんだろう。
 先輩がぼくの顔を見た。
 ぼくも先輩の顔を見た。
 ゆっくり顔見るなんて久しぶりだった。
 先輩の顔を見た時、ぼくの涙腺は完全に切れてしまった。涙がすぐに溢れ出した。
 先輩も同じだった。

 「洋ちゃん!」

 先輩の涙声。
 赤ちゃんのように抱きしめられ頬ずりをされた。

 先輩の涙とぼくの涙が一緒になって大きな滝になって・・・
 ぼくの涙は先輩の涙になって・・・
 先輩の涙はぼくの涙になって・・・
 お互いの体を流れていった。

 先輩、ぼくの額や鼻、頬にキスの雨を降らしてきた。
 最後に唇を吸われた。
 息ができなくなった。
 でもかまわなかった。
 このまま死んじゃっても・・・

 「ごめんね。洋ちゃん。ごめんね」

 先輩は何度も繰り返した。

 ぼくの頭・・・
 母親が小さな子どもをあやすように・・・
 何度もなでられた・・・
 ぼくらって・・・
 長い時間・・・
 抱きしめあっていた・・・
 ぼくも泣いた。
 
 でも先輩の涙にはかなわなかった。ぼくの服もズボンもぐしょぐしょ。床は水浸しになっていた。
 先輩、何度もぼくの名前を呼んでくれた。
 絶対に離さないって言いたいみたいに、強く強く抱きしめられた。
 ぼくだって二度と先輩とは離れたくなんかない。
 されるがままにしてた。
 そのまま長い時間が過ぎた。
 やっとぼくらは離れ、お互いに見つめあった。

 「洋ちゃん。ごめんね。わたしのために・・・
 いつか、洋ちゃんにひどいことしたこと。許して。
 思い出したら、自分がいやになってきちゃう。」

 先輩、顔を手で覆った。すすり泣きの声・・・

 「洋ちゃんと一緒に撮った写真が・・・
 洋ちゃんからのプレゼントが・・・ 
 ごめんね。ごめんね」 
 「先輩。そんなこと言わないでください」
 
 ぼく、先輩の両手を顔から離した。
 「写真はぼくも持ってます。
 それに写真なんかなくたって、ぼくらの心の中には、ずっとぼくらがいるんです・・・
 先輩の姿だって声だって、いつだってぼくの心の中にいるんです」

 ぼくの話が終わった。先輩が大声で泣き出した。
 また抱きしめられ、何回も何十回も頬ずりをされた。

 「わたしの洋ちゃん。わたしだけの洋ちゃん」

 そう言ってくれたんだ。
 ぼく、本当に嬉しかった。
 先輩は泣き止まない。
 ぼくは、やっとのこと涙を止めた。
 だれだって甘い夢はずっと見ていたい。
 でもぼく、すごく危険な状況だってことに気がついんだ。
 高城さんや取り巻きに知られたら・・・
 先輩って、ぼくの思ってることに気がついたらしい。やっぱりぼくの先輩なんだ。

 「洋ちゃん。大丈夫。
 だれもいないこと確認したから。
 わたし、洋ちゃんがいるとこに一直線で来たからね。
 高城さんたちだって分からないはず」
 「どうしてぼくのいる場所、分ったんですか?」

 旧校舎の敷地って相当大きい。でも先輩、ぼくのいる場所、最初から知ってたみたいだ。

 「黙っててごめんね。洋ちゃんのスマホに『現在地点探索装置』がついてるの。 
 蘭さんがつけといてくれたの。
 これはね、台湾やシンガポールの警察なんかで使ってる最新式だから、GPSだってかなわないって。
 洋ちゃんの居場所も、どうやって行ったらいいか。洋ちゃんの回りにだれか人がいるかまですぐ分るの。
 ホントよ」

 そうだったんだ。

 「ごめんね」

なんてとんでもない。ぼく、蘭さんに感謝した。 
 これなら先輩だって、ぼくの居場所を調べて、回りにだれもいないって分かってから会いに来ることができる。

 「洋ちゃん、ごめんね。おなか空いてたんだね。わたし、なんにも気がつかなくて」

 なんで知ってるの?ぼく、黙ってたのに・・・
 
 「高城さんが生徒会室に来て、教えてくれたの。わたしが洋ちゃんのことなんか、心配してないって・・・」

 やっぱり高城さん!ここにいたら危険だ。先輩、まだ気づいてない。

 「そうなんだね。ご飯、食べてないんだね」

 先輩は心配そうに、ぼくに尋ねてくる。でも話なんかしてられない。
 高城さん、必ずここに来るはず!早く離れないと・・・

 「大丈夫です。ほんとです。これ、持ってます」

 高城さんから貰った学食の無料カードを見せた。
 先輩はそのカードを手に取った。そして真剣な表情でカードを見ていた。
 次にぼくの顏を見た。声を震わせて尋ねてきた。

 「洋ちゃん。これなんなの?どうしたの。ちゃんと教えて」
 
 本当のこと言わなきゃ、どうしたって納得してくれないだろう。ぼく、下を向いた。
 小さな声で説明した。先輩が大きく息をしている。

 「高城さんがくれたんです。さっき・・・」

 先輩、大きく目を開いた。
 ぼくのこと、じっと見つめてた。
 ずいぶん長い時間に思えた。
 先輩、悲しそうな表情になった。
 頬を何度もなでられた。
 先輩が手を伸ばす。
 スクールシャツのボタンに手をかける。
 ひとつひとつ、丁寧にボタンをはずしていく。
 スクールシャツの前を開いて、インナーを上にたくしあげた。
 じっとぼくの胸を見ていた。
 大きく呼吸をした・・・

 「洋ちゃん」

 先輩に抱きしめられた。

 「高城さんにひどいことされた。そうなんだね。
 わたしのせいなんだね。
 スマホや両親のことの口止めだって脅されたんだね。
 可哀そうに・・・」

 先輩の涙声。
 ぼくはなにも言えなかった。
 ただ悲しくてたまらなかった。
 先輩と一緒に泣いた。

 やっぱり分かるんだ・・・
 先輩なら・・・
 だってさ・・・
 ぼくら・・・
 幼馴染だから・・・

 「悪魔
 洋ちゃんを汚す悪魔・・・
 可哀想な洋ちゃん!」

 先輩が泣き叫ぶ。

 「ごめんね、洋ちゃん。
 わたしのせいでこんなことになって・・・
 わたしが助ける・・・
 二度とあんな悪魔・・・
 近づけたりしない・・・
 洋ちゃん!
 こんなの持ってちゃだめ!」

 先輩、学食の無料カードを手に取った。いつかホテルで見せた怒りの表情。

 「洋ちゃんを苦しめた悪魔!」

 ぼくに見せた優しくて慈愛に満ちた表情が一変した。
 鬼のような表情で無料カードを見ていた。
 本当は・・・
 ぼくにカードをくれた、りりしくてかっこいい女性(ひと)の姿、見てたんだ。
 カードがふたつに割れた。先輩、それを放り投げた。
 ぼくに顔を向ける。
 ぼくを抱きしめた時の表情。
 ぼくの手を握って、母親みたいな口調で言った。

 「心配しないで。洋ちゃんの食事、わたしがお弁当にして、朝、昼、晩と届けてあげるから」

 そんなことしたら高城さんの思う壺じゃないか!
 その時、ぼく、ハッキリ分かった。
 間違いない!高城さんだ。
 先輩が動くよう仕組んだんだ。

 「やめてください。私的に交流してるって言われます」
 「見られないように気をつけて、洋ちゃんの部屋の外に置いてく。大丈夫。
 洋ちゃんの好きなものはよく知ってるもん。栄養のバランスも考えて野菜や果物も入れるから。
 洋ちゃんの好きなこんにゃくゼリーもきっと入れるから・・・」

 そう言って立ち上がった。

 「待ってて。寮に帰って簡単なものつくってくるから。
 時間がないからたいしたものは無理だけど・・・」

 先輩が応接室を出て行こうとする。ぼくも後を追った。

 「だめです。寮は授業時間中、休憩時間も含めて、許可なく立ち入りが禁止になってます。
 先輩だって知ってるでしょう」
 「知ってるけど、みんなこっそり帰ってるよ。
 心配しないで。今日だけだから」

 先輩、ぼくの肩をたたいた。

 「待っててね。おいしいもの持って帰るから」 

 先輩が応接室を出た。
 後を追いかけたかった。でも高城さんと取り巻きが外で見張ってるかもしれない。どうしてもできなかった。
 ふたりで一緒のところに踏み込まれたら今度こそアウトだ。
 ぼく、どうなったって構わない。
 でも先輩が退学処分になるかもしれない。
 やきもきした思いで応接室にいるしかない。

 ぼくの予想通りだった。
 先輩が出て行って数分後。
 応接室のドア・・・
 ゆっくり開いた。
 りりしくて、かっこよくて、そして恐ろしい女性(ひと)が立っていた。

 「元気?」

 高城さんはポッキーチョコレートをくわえていた。
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登場人物紹介

高城サキ 《たかしろさき》  名門女子校・王道女学園二年。『王道女学園振興会』会長。JK起業家。『JKカンパニー』会長。父親は有力国会議員。


「ごきげんよう。生徒会長。

 いいこと教えましょうか。

 基本、わたし・・・生徒会長のこと、大キライなんです。

 分かります?」

「IQの低いおじさん。

 分数分かる?九九は?

 可哀想なおじさんはね。

 もうすぐ死んじゃうんだよ」


井上明日香《いのうえあすか》 名門女子校・王道女学園二年。生徒会長。松山洋介の幼馴染。


「洋ちゃんはね。離れていたって家族と一緒。

 だから友だちといてもね。

 最後は洋ちゃんとこへ帰ってくるの」




蘭美莉《ランメイリー》 台湾からの留学生。父親は公安幹部。

「松山さん。純愛ドラマは、

 ハッピーエンドって決まってるんです。

 加油!我的最親愛的好朋友(負けないで。わたしの一番大切な人!)」

進藤早智子《しんどうさちこ》高城サキの秘書。眼鏡美人。

 「会長。松山君に暴力をふるうのはやめてください。

 松山君の言っていることが正しいんです。

 それは・・・会長が一番、よく知ってるはずです」

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