過去 その2
文字数 3,988文字
「白一、支度は大丈夫か?」
父が急かした。既に白一は着物に袖を通しており、問題ないと返事をした。
「今日は縁起がいい日だ! 白一の結婚式だもんな!」
今日、七月九日は白一と夕子の結婚の日だ。
「でも明日、伝単によれば……」
母が何かを言おうとして、慌てて口を塞いだ。
「内容、読んだのか?」
「信じないことにします」
米軍機がまき散らした伝単によれば今夜、仙台は灰の町に変わるという。
「そんなの出鱈目だ! 敵の戦略に惑わされるな!」
父はそれを気にしないことにした。ただ白一は気になっていた。
「おお、ようこそ瑞鳳寺へ! 準備は完璧です、後は浅野さんたちを待つだけ」
ここの住職は親を亡くした元治を跡取りとして迎え入れ、彼にも手伝わせる。元治は何か話したいことがあったらしく、白一の手を引っ張って別室に連れ出した。
「お前たちが、結婚するとはな」
「駄目かい?」
「そうじゃない。夕子も幸せだろう。でも少し、悔しい感情がある」
当然だ。元治は子供の頃、夕子のことが好きだった。それは今でも変わらないのかもしれない。でも白一だって、自分の意見を言った。
「何が夕子のためになるかを考えよう」
「そうだよな。断られた俺がしゃしゃり出るべきじゃない」
白一を選んだのは、れっきとした夕子の意思だ。元治もそれを捻じ曲げてまで一緒にいたいとは思わなかった。好きな人の幸せを考えれば、諦めるのが当たり前の行為。
「恨んではいない。俺は夕子の隣にいる器じゃなかったってことだ。俺の分まで幸せにしてやるんだぞ!」
「うん、わかってるよ!」
式の予定は午後からだ。立派な和服を着て、夕子とその家族が瑞鳳寺に現れたので早速始まる。住職の話を聞きながら、白一は夕子の隣に座っていた。
(しげはるや鉄平もできれば呼びたかったな。今頃二人は、どこで戦っているんだろう?)
陸軍なのか海軍なのかもわかっていないが、二人は軍人になって日本のために汗や血を流している。白一がそれになれなかったのは、体が弱いから。でも、二人に差を付けられたとは思っていない。人には役目があって、職務を全うする時こそ一番輝くと感じているからだ。
彼に与えられた使命は、夕子を幸せにすることだ。それが人生の目標であり、最終的な到達地点でもある。
ちらっと、夕子の方を見た。化粧もあるだろうが彼女は改めて見ると、とても綺麗だ。隣にいることに少し、恥ずかしさを感じる。そんな白一の視線に気づいた夕子は、微笑ましい顔を彼に向けた。すると白一の心が熱くなり、心臓の鼓動も速くなる。
(絶対に、幸せにしないといけないんだ、僕が!)
式は日が暮れる前には終わった。今日から夕子は、鳳凰家の一員となってこの家で暮らすことになる。
「お義父さん、お義母さん、よろしくお願いします」
「そんなにかしこまらなくてならなくていいよ、夕子ちゃん。こちらこそ、末永くよろしくね」
「はい!」
今日は挨拶と、鳳凰家の内部を説明して終わり。本格的な家事は明日からやってもらう。それに式でみんな疲れていて、早く寝たい。
「よいしょっと!」
流石の白一でも二人分の布団を敷くことぐらい、できる。夕子は手伝おうとしたが、彼から一人でやり遂げたいという意思を感じたためにあえて黙っていた。
「ふー。これで大丈夫。僕は朝から緊張してたし、もう疲れたよ。夕子は?」
「私も、早めにお休みしたいかな」
まだ早い時間なのだが、二人は寝室の照明を切って布団にもぐった。
(う~ん……)
体も頭も疲れているはずなのに、中々寝付けない。目を閉じたままの状態で、何時間か経った。それでもまだ、意識がある。
ちょっと起き上がって時間を潰そう、と白一は思い立って布団からでた。すると、
「あなたも眠れないの?」
夕子の声がした。彼女もまた、緊張感が抜けてなかったらしい。
「多分、心配なんだよ僕」
「あなた、が?」
夕子を幸せにできるか。鳳凰家の男として、家を存続できるか。悩みの種はきっとそれだ。未来は手に取って見ることができないために、どうなるかわからない。
「でも……僕は生きるよ、夕子のために!」
しかし、十年前に誓ったことは忘れない。思えば白一は、この日この瞬間を迎えるために今まで生きてきたのだ。そしてこれからも長い人生を歩んでいく。
「私も、一緒だよ」
もちろん夕子が隣にいる。彼女は白一の肩に寄り掛かった。
空襲警報が鳴ったのは、その時だった。
「米軍? でも、明日のはずじゃ……!」
この部屋に時計がないためわからないことだが、既に零時を回っている。日付の上では、十日なのだ。
すぐに夕子を連れて居間に駆け付ける。父と母は慌てており、
「えーと、これとこれと……。ああ、あれが足りない!」
「白一、夕子! 先に逃げなさい! 父さんたちは後から行く!」
「でも!」
「いいから!」
無理矢理防災頭巾をかぶせられ、白一と夕子は家を出た。近くの防空壕を目指さなければいけない。
「あなた、あれ……」
夕子が東の方を指差した。赤くなった夜の空に、似合わない黒煙が昇っている。
「爆撃だ……! 本当に米軍機が、今、仙台に来ているんだ……」
仙台には、重要な軍事拠点や工場の類はない。しかし住宅が密集している上に、広場や幅のある道路がない。だから爆撃の標的にされ、次々と焼夷弾の餌食になる。
「早くしないと!」
「う、うん!」
逃げ道を迷っている暇はない。無我夢中で町の中を駆け抜けるのみだ。夕子を引っ張って安全な場所を探し、ひたすら走る。
この時、白一の視線は自然と下を向いていた。引っ張られている夕子は上を見ていた。そして彼女は目にしてしまう、運命の一発を。
「危ない!」
急に夕子が白一のことを突き飛ばした。
直後に白一の背後から鈍い音がした。
「夕子?」
急に引っ張る腕が軽くなったので振り向いた。
「え…………?」
夕子の首筋に、焼夷弾が突き刺さっている。その衝撃で千切れた腕を自分が握っている。彼女の目はもう何も見ていない。声をかけても返事がない。体を焼かれてももがきもしない。
「ゆ、夕子……?」
言葉を失い腰を抜かす白一。燃え始める彼女の体。突然悪夢の中に突き落とされた白一には、何をすればいいのかがまるでわからない。
「あ、白一! お前、無事だったか!」
偶然にも、元治がここに駆け付けてくれた。彼は燃え広がる町中から脱出するために白一のことを担ぎ上げると、
「夕子はどうした? はぐれたのか?」
と聞くが、
「夕子、夕子……」
白一はそう繰り返すだけ。
「逃げるぞ、白一! とにかくここにいたら、死ぬ!」
二時間にも及ぶ米軍の爆撃、落とされた焼夷弾は一万発以上。この徹底的な絨毯爆撃によって、仙台中心部は焦土になった。
あの時、白一の側で燃えていた遺体が夕子であったことを、元治は夜明け頃に知った。
「嘘だろ……?」
白一がようやくまともな言葉を喋れるようになったからだ。
「僕が側にいたのに、夕子は……。焼夷弾が突き刺さって……。僕のせいだ。僕がちゃんと見てなかったから……」
もしも真上に注意を払えていたら、結果は違ったかもしれない。でも今になってそんなことを嘆いても、何も変えられない。
仙台空襲で夕子は、白一をかばって死んだ。
幸せにすると誓ったはずの人に命を救われ、その人が自分の代わりに死んだ。
この残された現実が白一にとって苦しいことは容易に想像できる。
「元治、お願いがあるんだ」
「何だ?」
夕子の亡骸を探すことだろうかと元治は予想したが、
「僕を殺してくれ」
違った。直接手を下せないのなら、縄か包丁を持って来てくれと白一は懇願した。理由は一つしかない。夕子の後を追うのだ。
「それでどうなるんだ?」
「責任を果たすんだ。僕のせいで夕子は死んだ……僕が殺したのと同じだ」
十年前に彼女のために生きると誓ったことも洗いざらい説明した。その責務を果たせなかった彼は、自分の命を断ち切ることを選んでいた。
「大馬鹿野郎!」
怒った元治は、思いっ切り白一の頬を殴る。
「それでいいのか、お前は!」
「だって……。夕子がいないんじゃ、僕は生きている意味がないんだ!」
「あるだろ、生きるために理由なら!」
理由なしには生きられないと感じている白一は、明日にでも何かしら発病しそうだ。それを直感した元治は、
「夕子は最期、どうだったんだ? お前をかばった。その意味がわからないのか?」
「意味って……。複雑な事情があるかい?」
今度は手加減しないで腹に蹴りを入れる。
「今のお前がここにいるのは、夕子がこの世に繋ぎとめてくれたからだろうが! 夕子がお前に、生きて欲しいと願ったからだろうが! それをお前の自分勝手で、台無しにする気か!」
その言葉で、白一もやっと気づく。どうして夕子が自分をかばったのか?
「未来に紡いで欲しいから、なんだね、夕子……」
十年前に白一が抱いた、生きるという決意。その鉄よりも固く鋼よりも鋭い意志を、白一を助けたことによって、夕子は未来に託したのである。
「僕は生きなきゃいけない。夕子がこの世に繋ぎとめてくれた命を、勝手に失っては駄目だ」
この時、白一の目は光っていた。十年前のあの時と同じ輝きを、瞳から放っていた。
「元治、もうちょっと火の手が緩んだら夕子の遺体を探しに行こう」
「ああ。わかったぜ」
燃え盛る仙台の町。炎が消えたら、瓦礫と死体の山だろう。そこから復興するのに、何年かかるかわからない。
でも、白一はやってみせると決意した。夕子が生きたこの町を死なせたままにはできない。またいつの日にか災害に見舞われるかもしれないが、それでもいい。この土地を生きる人の魂までは焼き払われてはいない。それを、町を建て直すことで、世界に発信するのだ。
そして鳳凰家を未来に残す。夕子が望んだことをやり遂げるまで、自分の命を使ってみせようと誓う。
父が急かした。既に白一は着物に袖を通しており、問題ないと返事をした。
「今日は縁起がいい日だ! 白一の結婚式だもんな!」
今日、七月九日は白一と夕子の結婚の日だ。
「でも明日、伝単によれば……」
母が何かを言おうとして、慌てて口を塞いだ。
「内容、読んだのか?」
「信じないことにします」
米軍機がまき散らした伝単によれば今夜、仙台は灰の町に変わるという。
「そんなの出鱈目だ! 敵の戦略に惑わされるな!」
父はそれを気にしないことにした。ただ白一は気になっていた。
「おお、ようこそ瑞鳳寺へ! 準備は完璧です、後は浅野さんたちを待つだけ」
ここの住職は親を亡くした元治を跡取りとして迎え入れ、彼にも手伝わせる。元治は何か話したいことがあったらしく、白一の手を引っ張って別室に連れ出した。
「お前たちが、結婚するとはな」
「駄目かい?」
「そうじゃない。夕子も幸せだろう。でも少し、悔しい感情がある」
当然だ。元治は子供の頃、夕子のことが好きだった。それは今でも変わらないのかもしれない。でも白一だって、自分の意見を言った。
「何が夕子のためになるかを考えよう」
「そうだよな。断られた俺がしゃしゃり出るべきじゃない」
白一を選んだのは、れっきとした夕子の意思だ。元治もそれを捻じ曲げてまで一緒にいたいとは思わなかった。好きな人の幸せを考えれば、諦めるのが当たり前の行為。
「恨んではいない。俺は夕子の隣にいる器じゃなかったってことだ。俺の分まで幸せにしてやるんだぞ!」
「うん、わかってるよ!」
式の予定は午後からだ。立派な和服を着て、夕子とその家族が瑞鳳寺に現れたので早速始まる。住職の話を聞きながら、白一は夕子の隣に座っていた。
(しげはるや鉄平もできれば呼びたかったな。今頃二人は、どこで戦っているんだろう?)
陸軍なのか海軍なのかもわかっていないが、二人は軍人になって日本のために汗や血を流している。白一がそれになれなかったのは、体が弱いから。でも、二人に差を付けられたとは思っていない。人には役目があって、職務を全うする時こそ一番輝くと感じているからだ。
彼に与えられた使命は、夕子を幸せにすることだ。それが人生の目標であり、最終的な到達地点でもある。
ちらっと、夕子の方を見た。化粧もあるだろうが彼女は改めて見ると、とても綺麗だ。隣にいることに少し、恥ずかしさを感じる。そんな白一の視線に気づいた夕子は、微笑ましい顔を彼に向けた。すると白一の心が熱くなり、心臓の鼓動も速くなる。
(絶対に、幸せにしないといけないんだ、僕が!)
式は日が暮れる前には終わった。今日から夕子は、鳳凰家の一員となってこの家で暮らすことになる。
「お義父さん、お義母さん、よろしくお願いします」
「そんなにかしこまらなくてならなくていいよ、夕子ちゃん。こちらこそ、末永くよろしくね」
「はい!」
今日は挨拶と、鳳凰家の内部を説明して終わり。本格的な家事は明日からやってもらう。それに式でみんな疲れていて、早く寝たい。
「よいしょっと!」
流石の白一でも二人分の布団を敷くことぐらい、できる。夕子は手伝おうとしたが、彼から一人でやり遂げたいという意思を感じたためにあえて黙っていた。
「ふー。これで大丈夫。僕は朝から緊張してたし、もう疲れたよ。夕子は?」
「私も、早めにお休みしたいかな」
まだ早い時間なのだが、二人は寝室の照明を切って布団にもぐった。
(う~ん……)
体も頭も疲れているはずなのに、中々寝付けない。目を閉じたままの状態で、何時間か経った。それでもまだ、意識がある。
ちょっと起き上がって時間を潰そう、と白一は思い立って布団からでた。すると、
「あなたも眠れないの?」
夕子の声がした。彼女もまた、緊張感が抜けてなかったらしい。
「多分、心配なんだよ僕」
「あなた、が?」
夕子を幸せにできるか。鳳凰家の男として、家を存続できるか。悩みの種はきっとそれだ。未来は手に取って見ることができないために、どうなるかわからない。
「でも……僕は生きるよ、夕子のために!」
しかし、十年前に誓ったことは忘れない。思えば白一は、この日この瞬間を迎えるために今まで生きてきたのだ。そしてこれからも長い人生を歩んでいく。
「私も、一緒だよ」
もちろん夕子が隣にいる。彼女は白一の肩に寄り掛かった。
空襲警報が鳴ったのは、その時だった。
「米軍? でも、明日のはずじゃ……!」
この部屋に時計がないためわからないことだが、既に零時を回っている。日付の上では、十日なのだ。
すぐに夕子を連れて居間に駆け付ける。父と母は慌てており、
「えーと、これとこれと……。ああ、あれが足りない!」
「白一、夕子! 先に逃げなさい! 父さんたちは後から行く!」
「でも!」
「いいから!」
無理矢理防災頭巾をかぶせられ、白一と夕子は家を出た。近くの防空壕を目指さなければいけない。
「あなた、あれ……」
夕子が東の方を指差した。赤くなった夜の空に、似合わない黒煙が昇っている。
「爆撃だ……! 本当に米軍機が、今、仙台に来ているんだ……」
仙台には、重要な軍事拠点や工場の類はない。しかし住宅が密集している上に、広場や幅のある道路がない。だから爆撃の標的にされ、次々と焼夷弾の餌食になる。
「早くしないと!」
「う、うん!」
逃げ道を迷っている暇はない。無我夢中で町の中を駆け抜けるのみだ。夕子を引っ張って安全な場所を探し、ひたすら走る。
この時、白一の視線は自然と下を向いていた。引っ張られている夕子は上を見ていた。そして彼女は目にしてしまう、運命の一発を。
「危ない!」
急に夕子が白一のことを突き飛ばした。
直後に白一の背後から鈍い音がした。
「夕子?」
急に引っ張る腕が軽くなったので振り向いた。
「え…………?」
夕子の首筋に、焼夷弾が突き刺さっている。その衝撃で千切れた腕を自分が握っている。彼女の目はもう何も見ていない。声をかけても返事がない。体を焼かれてももがきもしない。
「ゆ、夕子……?」
言葉を失い腰を抜かす白一。燃え始める彼女の体。突然悪夢の中に突き落とされた白一には、何をすればいいのかがまるでわからない。
「あ、白一! お前、無事だったか!」
偶然にも、元治がここに駆け付けてくれた。彼は燃え広がる町中から脱出するために白一のことを担ぎ上げると、
「夕子はどうした? はぐれたのか?」
と聞くが、
「夕子、夕子……」
白一はそう繰り返すだけ。
「逃げるぞ、白一! とにかくここにいたら、死ぬ!」
二時間にも及ぶ米軍の爆撃、落とされた焼夷弾は一万発以上。この徹底的な絨毯爆撃によって、仙台中心部は焦土になった。
あの時、白一の側で燃えていた遺体が夕子であったことを、元治は夜明け頃に知った。
「嘘だろ……?」
白一がようやくまともな言葉を喋れるようになったからだ。
「僕が側にいたのに、夕子は……。焼夷弾が突き刺さって……。僕のせいだ。僕がちゃんと見てなかったから……」
もしも真上に注意を払えていたら、結果は違ったかもしれない。でも今になってそんなことを嘆いても、何も変えられない。
仙台空襲で夕子は、白一をかばって死んだ。
幸せにすると誓ったはずの人に命を救われ、その人が自分の代わりに死んだ。
この残された現実が白一にとって苦しいことは容易に想像できる。
「元治、お願いがあるんだ」
「何だ?」
夕子の亡骸を探すことだろうかと元治は予想したが、
「僕を殺してくれ」
違った。直接手を下せないのなら、縄か包丁を持って来てくれと白一は懇願した。理由は一つしかない。夕子の後を追うのだ。
「それでどうなるんだ?」
「責任を果たすんだ。僕のせいで夕子は死んだ……僕が殺したのと同じだ」
十年前に彼女のために生きると誓ったことも洗いざらい説明した。その責務を果たせなかった彼は、自分の命を断ち切ることを選んでいた。
「大馬鹿野郎!」
怒った元治は、思いっ切り白一の頬を殴る。
「それでいいのか、お前は!」
「だって……。夕子がいないんじゃ、僕は生きている意味がないんだ!」
「あるだろ、生きるために理由なら!」
理由なしには生きられないと感じている白一は、明日にでも何かしら発病しそうだ。それを直感した元治は、
「夕子は最期、どうだったんだ? お前をかばった。その意味がわからないのか?」
「意味って……。複雑な事情があるかい?」
今度は手加減しないで腹に蹴りを入れる。
「今のお前がここにいるのは、夕子がこの世に繋ぎとめてくれたからだろうが! 夕子がお前に、生きて欲しいと願ったからだろうが! それをお前の自分勝手で、台無しにする気か!」
その言葉で、白一もやっと気づく。どうして夕子が自分をかばったのか?
「未来に紡いで欲しいから、なんだね、夕子……」
十年前に白一が抱いた、生きるという決意。その鉄よりも固く鋼よりも鋭い意志を、白一を助けたことによって、夕子は未来に託したのである。
「僕は生きなきゃいけない。夕子がこの世に繋ぎとめてくれた命を、勝手に失っては駄目だ」
この時、白一の目は光っていた。十年前のあの時と同じ輝きを、瞳から放っていた。
「元治、もうちょっと火の手が緩んだら夕子の遺体を探しに行こう」
「ああ。わかったぜ」
燃え盛る仙台の町。炎が消えたら、瓦礫と死体の山だろう。そこから復興するのに、何年かかるかわからない。
でも、白一はやってみせると決意した。夕子が生きたこの町を死なせたままにはできない。またいつの日にか災害に見舞われるかもしれないが、それでもいい。この土地を生きる人の魂までは焼き払われてはいない。それを、町を建て直すことで、世界に発信するのだ。
そして鳳凰家を未来に残す。夕子が望んだことをやり遂げるまで、自分の命を使ってみせようと誓う。