第1話

文字数 2,258文字


「お父さん、どこ?」
 小学生のころ、高熱でしばらく入院していたわたしは、自宅ではなく父方の祖母の家に連れて行かれ、ここで暮らすことになったと聞かされた。
「お父さんは死んでしまったんだよ。でも、空から見守ってくれてるからね。お母さんも花菜のために遠くに働きに行ってる。寂しいだろうけど、しばらくここで、ばあちゃんと一緒に頑張ろう」
 祖母だけが傍にいて、なぐさめてくれた。
 わたしはお父さん子だった。急にいなくなったことが受け入れられず、会いたくて何度も泣きわめいて、祖母を困らせた。でも今になって思えば、祖母だって一人息子を亡くしたのだから、相当つらかったに違いない。
 父の死後、母はわたしを祖母に預けて都会へ出て行った。手紙やプレゼントはよく送ってよこしたけれど、仕事が忙しいらしく、会いには来てくれなかった。
 ほそぼそと果樹園をいとなむ祖母と、古くて小さい家での二人暮らし。
 両親に不自由なく守られている同級生たちに対し、引け目を感じないでいるのは無理なことだった。わたしは次第に、教室のすみで静かにしているだけの、どうしようもなく目立たない子どもになっていった。

 ユウと出逢ったのは、そんな暮らしが一年ほど続いたころだ。

 春彼岸の中日。春分の日。その日は父の命日でもあった。
 祖母が風邪で熱を出したので、わたしは独りで父の墓参りに行くことにした。
「火の始末に気をつけるんだよ」
 心配する言葉に素直にうなずき、お供えの品を抱えて墓地へ向かう。
 記憶のなかの父は愛情深く、頼りがいのある存在だった。若くして亡くなった父への思慕は、わたしのなかで大きな割合を占めており、たとえ幽霊でもいいからもう一度会いたいと願う気持ちがあった。
 彼岸とはいえ午後も遅い時間だったので、墓地は閑散としていた。誰にも会いたくなかったので丁度よかった。
「泣いているの?」
 線香をあげているとき、背後から不意に声をかけられた。ふりむくと、小さな黄色い花束を手にした少年が立っていた。
 同じほどの年ごろ。わたしより少し背が高くて、白いシャツを着ていた。
 一瞬、幽霊かと思ったけれど、それにしては存在感がありすぎる。やさしげな顔のなかで、三日月のように細められた美しい目が潤んでいる。長いまつ毛も濡れていた。
「泣いているのはあなたの方でしょう?」
 わたしがそう言うと、少年は微笑んで、菜の花を差し出した。
「これ、あげる」
 戸惑うわたしの手を取ってそれを持たせると、少年は走り去ってしまった。触れた手に温もりがなかったら、本当に幽霊だと思ったかもしれない。
 わたしはその小さな花束を持ち帰って部屋に飾った。



 翌年のその日は、祖母と一緒にお参りしたが、わたしは口実を作って独り残った。あの少年にまた逢えるかもしれないと思ったのだ。
 あのころのわたしにとって、ユウとの出逢いは特別なものだった。
 どこの誰ともわからない少年に花束をもらった――ただそれだけのことが、変わりばえしない灰色に曇った日々を、どれほど鮮やかに彩ってくれたことか。幾度も思い出し、そのたびに胸に灯がともるようなあたたかさを感じた。

「まだ帰らないの?」
 少年が現れたのは夕陽が辺りを染めるころ。
 去年と同じ白い服。手には小さな黄色い花束。
 わたしは引っ込み思案で人見知りするたちなのに、彼とはうちとけて話すことができた。学校のこと、祖母のこと、母のこと、そして父のこと。ユウと名乗った少年は、とりとめのない話を優しい笑顔で聴いてくれた。
 やがて黄昏時も終わるころ、思い切ってユウに尋ねた。
「また会える?」
 東の空に朧な月が浮かんでいた。
 ユウは困った顔をして、わたしを見つめた。なぜか悲しそうな目をしていた。
「僕は人間じゃないんだ」
 ほっそりしたユウの立ち姿は、ほんのり闇色に染まり……いや、染まるというより、闇に融けかかっていた。
「こわがらないで」
 ユウは花束を差し出し、わたしは両手で受け取った。その間にも彼はどんどん透明になっていく。
「来年また来るよ。もし逢いたいと思ってくれるなら……」
 言葉が終わらないうちに、ユウは闇に呑まれるように消えてしまった。

 翌年も、その翌年も、わたしは黄色い花束を手に現れる少年に逢いに行った。
 ユウをこわがる理由なんてない。灰色の日々のなかで、ユウがくれる花束だけが鮮やかな色を見せてくれるのに。菜の花を想うたびに、凍えそうなわたしの心は暖まっていくのに。たとえ人間でないとしても、こわくなんてなかった。
 それに、年に一度逢うたび、わたしたちは等しく成長している。同じ時間軸で生きていることが、たまらなくうれしかった。

 六度めに逢ったときのユウは、青年とよぶには早すぎるとしても、もはや少年とはいえない姿になっていた。
 ふつうの、まわりの男の子たちとは、まるでちがう。人間のようでいて、人間ではないユウ。
 その姿はいつしか、花束がもたらす温もりより熱く、わたしの心を燃やすようになっていた。

 ユウといつでも逢えるのなら。
 あなたと同じ世界にいられたなら。
 そう願わずにはいられなかった。

「あいしてる」
 わたしは儀式のように、夜毎となえて眠りにつく。
「あいしてる」
 本人に言ったことはないが、口にするたび、不思議な力をもらえるような気がした。
 もうすぐ七回めのその日がやって来る。
 わたしは十七歳になった。

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