5
文字数 4,162文字
ゼラフィは、ザダの視線を辿り見た。もちろん、その瞳には燃えさかる炎しか移らなかったろうが。
精霊は炎の高みで胡座をかいていた。ザダを見下ろし、さらに不敵な高笑いを上げた。
まぎれもなくゼラフィの顔だ。表情をむき出しにいているけれども。
「あんたには、そっくりな兄弟とかいなかったかい?」
「いえ」
ゼラフィは首を振った。
「なぜ、わたしの顔の精霊が?」
「こっちが知りたい」
めぐるましく考えながら、昔聞いた話を思い出した。ごくまれにだが、生きている人間の思いを吸いとって生まれる精霊もいるという。そこにたまたま漂っていた〈素〉が、普通のものより反応しやすい感性を持ち、その人間の思いがことさらに強い時に。つまりは生霊だ。
バグドの一件は、ゼラフィの心の奥のどこかをこじ開けてしまったのかもしれない。〈聴き手〉というやつは、表に感情を出さない分だけ、中に鬱積した思いを抱えているのかも。
火事に気づいた村人たちが、てんでに水桶を持ってこちらに駈けて来るのが見えた。精霊は、高々と上げた両手を振り下ろした。炎からいくつもの火の玉が飛び出し、家々の屋根や木々に降り注いだ。村のいたるところ火の手が上がった。
人々は、近くの火を消し止めるのにおおわらわとなった。精霊は、それを見ながら身をよじってきゃっきゃと笑っていた。
「おれが悪かったんだ」
ザダはつぶやいた。
「あんたに、〈聴き手〉になって後悔していないかなんて訊いてしまった」
あの時、ゼラフィは軽く受け流した。しかし、自問し続けていたのだろう。もし自分が〈聴き手〉でなかったら。何にも囚われない自由の身であったなら。
「そこにいる精霊は、わたしと関係あるものだと?」
「生霊だ。たぶん、あんたの」
ゼラフィは、まじまじとザダを見つめた。
「あいつは、この村を消してしまいたいんだ」
「バグドさんのようになったらどうしようと、不安を覚えたことは確かです。〈聴き手〉として、最後までやっていけるかと」
ゼラフィが言った。
「ですが、なぜわたしがオオヴ村を・・」
「言っただろ、精霊に理性はない。短絡的な連中なんだ。この村さえなくなれば、すべてのしがらみから開放されると思っている」
「止めなくては」
「ああ」
火の玉は、二人の頭上を超えてさらに投げつけられていた。村人たちは叫び交わしながら必死で火を消そうとしている。
ザダは頭陀袋の中から精霊草の塊を取り出して、炎の中に放り込んだ。精霊草はぱちぱちと弾け、紫色の火花を上げた。
燃え上がる精霊草に精神を集中する。それは勢いよく上昇し、精霊の足元にぶつかった。
精霊はぎゃっと叫んで飛び退った。体制を立て直す間を与えず、ザダは〈力〉を放って精霊を押さえ込んだ。
ぎりぎりと締め上げ、こちらの方に引き寄せる。
かたわらで、ゼラフィが胸を押さえてうずくまった。ザダは思い出した。生霊は、他の精霊よりもあつかいにくい。どこかで本体の人間と結びついていて、生霊を祓おうとすれば、その人間も何かしらの痛手を受けるらしいのだ。
ザダの〈力〉が弱まるや、精霊は怒りのまなざしを向けて手を振り回した。火の玉がつぶてのように襲いかかってくる。ザダは両手で火の玉を払った。しかし、そのうちの一つはザダの頭陀袋にぶつかって燃え上がらせた。
精霊草がみな燃えてしまう。ザダは急いで火をもみ消そうとした。精霊は高らかに笑い、さらに火の玉の攻撃を続けた。幾つかがザダの衣や髪に燃え移り、ザダは転げまわりながら側の小川に飛び込んだ。執拗に追いかけてくる火の玉が、水面にぶつかってじゅうじゅうと音をたてた。
「ゼラフィ!」
ぶるっと頭を振ってザダは叫んだ。
「大丈夫か?」
ゼラフィはふらふらと立ちあがり、精霊の姿を追い求めるように目をこらしていた。その視線が、精霊の所に留まった。もともと彼が生み出したものだ。何かしらの気配は感じ取れるのか。
しかし精霊は、ゼラフィに攻撃を加えていない。ゼラフィが受けた傷は、そのまま自分に返ってくることを本能的に知っている。
ザダは考えめぐらした。生霊に〈力〉を振るうのと、本人にもう一度痛い思いをしてもらうのと、ゼラフィにとって、どちらが致命的ではないだろう。
とはいえ自分の〈力〉も、そんなに多くは残っていないようだった。水の中とはいえ、足元がぐらついている。一日に二度も精霊と対峙してしまったのだ。おまけに、精霊草も燃え尽きたときている。
精霊の力を弱めるには、やはりゼラフィを何とかするしかないようだ。
ザダは、濡れた身体を引きずって川岸に上がった。
気がつけば火の玉はいつのまにか止み、精霊は空に浮かんだまま不敵にザダを見下ろしていた。
精霊の青白い輝きが増していた。彼が力を凝縮させているのが分った。
精霊の高笑いが耳にひびいた。
精霊は渦巻く銀青色の塊となって、まっしぐらにザダに飛びかかった。
ザダは罵り声を上げ、ありあわせの〈力〉で自分を防御しようとした。
その時、ゼラフィがザダを庇うように立ちはだかった。
精霊は、ゼラフィにぶつかった。ゼラフィは、両手を広げて受け止めた。
よろめいて倒れるかと思った。しかしゼラフィは足をふんばって持ちこたえた。ゼラフィと精霊の姿がぴったりと重なり合って見えた。
「ゼラフィ!」
ザダは叫んだ。
精霊は、ゼラフィの内にするりと溶け込んだ。
ゼラフィの身体は、青みを帯びて輝いていた。また精霊憑きになってしまったのだ。こんどは彼自身の生霊が戻って来たことになるのだろうが。
ゼラフィは肩で大きく息をして、ザダに首をめぐらした。静かなその目は、憑かれたようではなかった。〈聴き手〉のゼラフィそのものの目だ。
「ゼラフィ・・」
「一番いい方法がわかりました」
ゼラフィはささやいた。
「これはわたしです。こうして押さえ込んでいるうちに、わたしが消滅するしかない」
「何を・・」
問い掛ける間もなく、ゼラフィは身をひるがえした。息を呑んだまま、ザダは彼が燃えさかる家に飛び込んで行くのを見た。
炎がゼラフィを押しつつんだ。ゼラフィは叫び声ひとつ上げなかった。両腕で自分の肩を抱き、胎児のように丸くなった。剥き出しになった四方の柱がゆっくりと傾いた。轟音とともに、〈聴き手〉の家は主の上に崩れ落ちた。
ザダはがくりと両膝をついた。身体中の力が抜けていた。その場に仰向けに横たわり、踊り狂う炎を眺めた。
可哀想なゼラフィ。誰が彼を責められるだろう。生霊を生み出したのは彼だが、彼は自分自身で決着をつけた。
そもそも、〈聴き手〉の存在そのものが間違いなのかもしれない。いかに訓練を受けても、悟り澄ました気でいても、人間であることに変わりはないのだ。ずっと押し殺していた思いは、むしろ普通の人間よりも大きくて、何かのはずみに欲望を剥き出しにした精霊を生み出してしまう。バグドの精霊やゼラフィの生霊のような連中は、思っている以上に多く、世界を乱しているかもしれない。
そして、自分はどうなるのだろう。
ぼんやりとザダは考えた。精霊草も〈薬〉も、頭陀袋とともに燃えてしまった。もうどんな力も残っていない。このまま死んでしまえば、新たな精霊を生み出すことになるのだろうか。
目がかすみ、炎の輪郭もつかめなくなっていた。身体の感覚がなくなってくる。遠ざかりそうな意識の中で、ザダはようやく目を見開いた。青白い人影が、炎の中からこちらに近づいてくる。
それは、ザダの脇で身をかがめた。
ザダは彼の名を言おうとしたが、言葉にならなかった。
ゼラフィ・・。
ゼラフィは、たった今死んだはずだ。だから、ザダの目にはっきりと映っているのは、精霊にまぎれもない。
それにしても、さっきの精霊とはまるで感じが変わっていた。狂喜や破壊欲のかけらもない。ザダが知っているゼラフィと同じ、慎ましやかな物腰。表情は落ち着き払い、以前よりも自信があふれているような・・。
「自分を保っているだけでやっとでした」
ゼラフィは言った。
「わたしは、自分の生霊を押さえ込んでいました。逃げられないように。気がつくと、こうなっていました。不思議ですね。とても自由になった気分です。わたしはもう、〈聴き手〉ではありません。人間でもないのでしょうが」
そのようだ。
普通の精霊とも違う。ゼラフィとしての存在は、自分の生霊を押さえ込みながら、その中に同化していったのだろう。ゼラフィと精霊、両方の特質を持ったしろものだ。精霊にはない知性と、ゼラフィにはなかった自由奔放さを得て。
ゼラフィの精霊は、満足げに微笑んでいた。おそらく人間であったころ、ゼラフィが心の奥底で一番憧れていた状態がこれなのではないだろうか。なにものにも囚われず、自由気ままに生きていくこと。彼はもう生きているとは言えないけれど、充分に幸せそうだ。
「もう、限界ではないですか? ザダさん」
ゼラフィは、さらに顔を近づけてきてささやいた。その声は楽しげな響きを帯びていた。
「あなたに、わたしが乗り移ってみましょうか。精霊草のあるところへ連れて行きますよ。あなたを助けるには、そうするしかありません」
ザダには、意思表示する力も残ってはいなかった。答えを待つことも無く、ゼラフィは微笑みながらザダの上に覆いかぶさった。
嘘つきめ。
ザダは思った。精霊草を嫌う精霊が、それに近づくわけがない。〈聴き手〉から解き放たれたゼラフィは、自由にできる肉体をも手に入れるつもりなのだ。
ザダは、自分の内にじわじわと入り込むゼラフィの存在を感じた。
ご心配なく。
意識が完全にとぎれる瞬間、ゼラフィの軽やかな言葉がザダの唇を動かした。
「あなたは生きていけます。わたしの一部として」
翌朝、オオヴの村人たちは、焼け落ちた〈聴き手〉の家の中から、ゼラフィのものらしい小柄な焼死体を見つけた。
祓い師の姿は、どこにもなかった。
精霊は炎の高みで胡座をかいていた。ザダを見下ろし、さらに不敵な高笑いを上げた。
まぎれもなくゼラフィの顔だ。表情をむき出しにいているけれども。
「あんたには、そっくりな兄弟とかいなかったかい?」
「いえ」
ゼラフィは首を振った。
「なぜ、わたしの顔の精霊が?」
「こっちが知りたい」
めぐるましく考えながら、昔聞いた話を思い出した。ごくまれにだが、生きている人間の思いを吸いとって生まれる精霊もいるという。そこにたまたま漂っていた〈素〉が、普通のものより反応しやすい感性を持ち、その人間の思いがことさらに強い時に。つまりは生霊だ。
バグドの一件は、ゼラフィの心の奥のどこかをこじ開けてしまったのかもしれない。〈聴き手〉というやつは、表に感情を出さない分だけ、中に鬱積した思いを抱えているのかも。
火事に気づいた村人たちが、てんでに水桶を持ってこちらに駈けて来るのが見えた。精霊は、高々と上げた両手を振り下ろした。炎からいくつもの火の玉が飛び出し、家々の屋根や木々に降り注いだ。村のいたるところ火の手が上がった。
人々は、近くの火を消し止めるのにおおわらわとなった。精霊は、それを見ながら身をよじってきゃっきゃと笑っていた。
「おれが悪かったんだ」
ザダはつぶやいた。
「あんたに、〈聴き手〉になって後悔していないかなんて訊いてしまった」
あの時、ゼラフィは軽く受け流した。しかし、自問し続けていたのだろう。もし自分が〈聴き手〉でなかったら。何にも囚われない自由の身であったなら。
「そこにいる精霊は、わたしと関係あるものだと?」
「生霊だ。たぶん、あんたの」
ゼラフィは、まじまじとザダを見つめた。
「あいつは、この村を消してしまいたいんだ」
「バグドさんのようになったらどうしようと、不安を覚えたことは確かです。〈聴き手〉として、最後までやっていけるかと」
ゼラフィが言った。
「ですが、なぜわたしがオオヴ村を・・」
「言っただろ、精霊に理性はない。短絡的な連中なんだ。この村さえなくなれば、すべてのしがらみから開放されると思っている」
「止めなくては」
「ああ」
火の玉は、二人の頭上を超えてさらに投げつけられていた。村人たちは叫び交わしながら必死で火を消そうとしている。
ザダは頭陀袋の中から精霊草の塊を取り出して、炎の中に放り込んだ。精霊草はぱちぱちと弾け、紫色の火花を上げた。
燃え上がる精霊草に精神を集中する。それは勢いよく上昇し、精霊の足元にぶつかった。
精霊はぎゃっと叫んで飛び退った。体制を立て直す間を与えず、ザダは〈力〉を放って精霊を押さえ込んだ。
ぎりぎりと締め上げ、こちらの方に引き寄せる。
かたわらで、ゼラフィが胸を押さえてうずくまった。ザダは思い出した。生霊は、他の精霊よりもあつかいにくい。どこかで本体の人間と結びついていて、生霊を祓おうとすれば、その人間も何かしらの痛手を受けるらしいのだ。
ザダの〈力〉が弱まるや、精霊は怒りのまなざしを向けて手を振り回した。火の玉がつぶてのように襲いかかってくる。ザダは両手で火の玉を払った。しかし、そのうちの一つはザダの頭陀袋にぶつかって燃え上がらせた。
精霊草がみな燃えてしまう。ザダは急いで火をもみ消そうとした。精霊は高らかに笑い、さらに火の玉の攻撃を続けた。幾つかがザダの衣や髪に燃え移り、ザダは転げまわりながら側の小川に飛び込んだ。執拗に追いかけてくる火の玉が、水面にぶつかってじゅうじゅうと音をたてた。
「ゼラフィ!」
ぶるっと頭を振ってザダは叫んだ。
「大丈夫か?」
ゼラフィはふらふらと立ちあがり、精霊の姿を追い求めるように目をこらしていた。その視線が、精霊の所に留まった。もともと彼が生み出したものだ。何かしらの気配は感じ取れるのか。
しかし精霊は、ゼラフィに攻撃を加えていない。ゼラフィが受けた傷は、そのまま自分に返ってくることを本能的に知っている。
ザダは考えめぐらした。生霊に〈力〉を振るうのと、本人にもう一度痛い思いをしてもらうのと、ゼラフィにとって、どちらが致命的ではないだろう。
とはいえ自分の〈力〉も、そんなに多くは残っていないようだった。水の中とはいえ、足元がぐらついている。一日に二度も精霊と対峙してしまったのだ。おまけに、精霊草も燃え尽きたときている。
精霊の力を弱めるには、やはりゼラフィを何とかするしかないようだ。
ザダは、濡れた身体を引きずって川岸に上がった。
気がつけば火の玉はいつのまにか止み、精霊は空に浮かんだまま不敵にザダを見下ろしていた。
精霊の青白い輝きが増していた。彼が力を凝縮させているのが分った。
精霊の高笑いが耳にひびいた。
精霊は渦巻く銀青色の塊となって、まっしぐらにザダに飛びかかった。
ザダは罵り声を上げ、ありあわせの〈力〉で自分を防御しようとした。
その時、ゼラフィがザダを庇うように立ちはだかった。
精霊は、ゼラフィにぶつかった。ゼラフィは、両手を広げて受け止めた。
よろめいて倒れるかと思った。しかしゼラフィは足をふんばって持ちこたえた。ゼラフィと精霊の姿がぴったりと重なり合って見えた。
「ゼラフィ!」
ザダは叫んだ。
精霊は、ゼラフィの内にするりと溶け込んだ。
ゼラフィの身体は、青みを帯びて輝いていた。また精霊憑きになってしまったのだ。こんどは彼自身の生霊が戻って来たことになるのだろうが。
ゼラフィは肩で大きく息をして、ザダに首をめぐらした。静かなその目は、憑かれたようではなかった。〈聴き手〉のゼラフィそのものの目だ。
「ゼラフィ・・」
「一番いい方法がわかりました」
ゼラフィはささやいた。
「これはわたしです。こうして押さえ込んでいるうちに、わたしが消滅するしかない」
「何を・・」
問い掛ける間もなく、ゼラフィは身をひるがえした。息を呑んだまま、ザダは彼が燃えさかる家に飛び込んで行くのを見た。
炎がゼラフィを押しつつんだ。ゼラフィは叫び声ひとつ上げなかった。両腕で自分の肩を抱き、胎児のように丸くなった。剥き出しになった四方の柱がゆっくりと傾いた。轟音とともに、〈聴き手〉の家は主の上に崩れ落ちた。
ザダはがくりと両膝をついた。身体中の力が抜けていた。その場に仰向けに横たわり、踊り狂う炎を眺めた。
可哀想なゼラフィ。誰が彼を責められるだろう。生霊を生み出したのは彼だが、彼は自分自身で決着をつけた。
そもそも、〈聴き手〉の存在そのものが間違いなのかもしれない。いかに訓練を受けても、悟り澄ました気でいても、人間であることに変わりはないのだ。ずっと押し殺していた思いは、むしろ普通の人間よりも大きくて、何かのはずみに欲望を剥き出しにした精霊を生み出してしまう。バグドの精霊やゼラフィの生霊のような連中は、思っている以上に多く、世界を乱しているかもしれない。
そして、自分はどうなるのだろう。
ぼんやりとザダは考えた。精霊草も〈薬〉も、頭陀袋とともに燃えてしまった。もうどんな力も残っていない。このまま死んでしまえば、新たな精霊を生み出すことになるのだろうか。
目がかすみ、炎の輪郭もつかめなくなっていた。身体の感覚がなくなってくる。遠ざかりそうな意識の中で、ザダはようやく目を見開いた。青白い人影が、炎の中からこちらに近づいてくる。
それは、ザダの脇で身をかがめた。
ザダは彼の名を言おうとしたが、言葉にならなかった。
ゼラフィ・・。
ゼラフィは、たった今死んだはずだ。だから、ザダの目にはっきりと映っているのは、精霊にまぎれもない。
それにしても、さっきの精霊とはまるで感じが変わっていた。狂喜や破壊欲のかけらもない。ザダが知っているゼラフィと同じ、慎ましやかな物腰。表情は落ち着き払い、以前よりも自信があふれているような・・。
「自分を保っているだけでやっとでした」
ゼラフィは言った。
「わたしは、自分の生霊を押さえ込んでいました。逃げられないように。気がつくと、こうなっていました。不思議ですね。とても自由になった気分です。わたしはもう、〈聴き手〉ではありません。人間でもないのでしょうが」
そのようだ。
普通の精霊とも違う。ゼラフィとしての存在は、自分の生霊を押さえ込みながら、その中に同化していったのだろう。ゼラフィと精霊、両方の特質を持ったしろものだ。精霊にはない知性と、ゼラフィにはなかった自由奔放さを得て。
ゼラフィの精霊は、満足げに微笑んでいた。おそらく人間であったころ、ゼラフィが心の奥底で一番憧れていた状態がこれなのではないだろうか。なにものにも囚われず、自由気ままに生きていくこと。彼はもう生きているとは言えないけれど、充分に幸せそうだ。
「もう、限界ではないですか? ザダさん」
ゼラフィは、さらに顔を近づけてきてささやいた。その声は楽しげな響きを帯びていた。
「あなたに、わたしが乗り移ってみましょうか。精霊草のあるところへ連れて行きますよ。あなたを助けるには、そうするしかありません」
ザダには、意思表示する力も残ってはいなかった。答えを待つことも無く、ゼラフィは微笑みながらザダの上に覆いかぶさった。
嘘つきめ。
ザダは思った。精霊草を嫌う精霊が、それに近づくわけがない。〈聴き手〉から解き放たれたゼラフィは、自由にできる肉体をも手に入れるつもりなのだ。
ザダは、自分の内にじわじわと入り込むゼラフィの存在を感じた。
ご心配なく。
意識が完全にとぎれる瞬間、ゼラフィの軽やかな言葉がザダの唇を動かした。
「あなたは生きていけます。わたしの一部として」
翌朝、オオヴの村人たちは、焼け落ちた〈聴き手〉の家の中から、ゼラフィのものらしい小柄な焼死体を見つけた。
祓い師の姿は、どこにもなかった。