第2話 それぞれの理由

文字数 3,455文字

 佐藤と尚子は一緒に早足で歩き、5分ほどで古ぼけた空き家の前で立ち止まった。そして、佐藤が日傘を畳み始める。
「あの、田中香子さんのお家って何処ですか?」周囲を見渡しながら佐藤に訪ねた。
「ここよ!行くわよ!」
「え?この空き家?」そこには、生け垣の葉先が道に張り出し、窓が割れたまま、長年塗り替えらず薄茶に変色した壁面に蔦が張り付いている木造一軒家があった。

「失礼します!」佐藤は住人の返答を待たずに、古びた木材の玄関ドアをこじ開けて入っていく。尚子は一瞬躊躇しながら、佐藤を盾にするように続いていった。
 玄関の隅には、無造作に古い靴が脱ぎ捨てられてたまま、狭い廊下から覗く部屋には、置き去りにされた家具や雑誌の山、古びた写真たち、壁にかけられた帽子やコートには、うっすら塵が積り歳月を物語っている。一見すると、やはり空き家の物置の様で日常が置き去りにされている様だ。

 奥の部屋から香子の声が、忘れ去られた記憶の中からかき集めるかの様に、か細く響いてくる。
「あら、誰かしら?、、私の家に、お客様?珍しいわね。」
「こんにちは!田中さん!ひだまりの佐藤です!香子さん、私昨日来てたわよ!そして、こちらが今日からお世話させていただく訪問介護員の村田です。」佐藤が微笑みながら尚子を紹介した。
 田中香子は小柄で白髪、メガネを掛けたどこにでもいる高齢者の様に思える。
「始めまして!村田尚子と申します!どうぞよろしくお願いいたします!」
 香子の目はどこか遠くを見て焦点が合わず、尚子の顔を認識するのに数秒を要した。そして、尚子に視線が合うと突然、予期せぬ質問を投げかけた。

「尚子さん、あなたは独身ですね?それとも…離婚したの?」
「、、は?」尚子は一瞬言葉を失ったが、すぐに笑顔を取り戻し、答えた。
「はい、私は以前結婚していましたが、今は独身です。」
「やっぱり!私には判るのよ!いい人はいるんでしょ?」香子の質問はそこで止まらず、更に詳細を尋ねた。
「い、、いません。」佐藤が慌てて制止しようとしたが、矢継ぎ早に、、
「じゃ、なんで離婚したの?離婚の理由は?子供はいるんでしょ?」
 佐藤が手先を横にふって、尚子に真艫に相手にするなと合図するが、尚子は正直に応えた。
「子育てで苦しんでいる時、夫は家事に全く無頓着で、それはいいのですけど、私が苦しんでいる事に関心が無い様で、、、私は自分の力を信じて、自分でやり直したかったんです!」
「村田さんいい加減にしなさい!そんな、まともに相手しなくて良いに!」
 ケースファイルの中に田中香子の離婚歴を一目していた尚子は、田中香子なら分かってくれる気がして話した。

 香子は思案するように腕組みし、頷きながら答えた。
「そう!あなた偉いわね!人生にはいろいろなことがありますよね!大切なのは、それぞれが今、後悔しないように、幸せに生きていることだと思います!」
 一気にその場が和んだ。

  尚子は、部屋の隅々に貼られたメモを目にした。食事の準備、薬の服用、大切な人の名前。それらはすべて、香子が日々の生活を繋ぎとめるための糸のようだった。しかしその糸も、香子の記憶と共に非常に脆く、断片化している。
「【4/2火曜日の昼にヘルパーさんが来るから家に居る事‼︎ 優子】ってメモにある優子さんって、長女さんですか?」
「ん?娘って、居なかったと思うけど?」記憶の糸が手繰り寄せるのが難しそうだ。
「ちょっと!お母さん!私が娘でしょ!優子!もう、、大丈夫?、、嫌になるわ!薬はもう飲んだの?」隣の客間から突然、娘の声が響き渡った。優子は定期的に訪れ、母の生活を支えている。彼女の存在は、このごみ屋敷にあって生活に一筋の光を投げかけている様に思えた。
「飲んだと思うけど、、」か細く響いた。
「お母さん、飲んでないじゃない!もう!毎日毎日!!」
 佐藤が割って入る。
「それでは、今後も服薬や着替え、朝食の確認、必要な買い物、冷蔵庫や日常生活範囲の整理や掃除をさせていただきますね。村田さん、じゃ一緒にお願いします。」
「はい!分かりました!」
 二人は手早く冷蔵庫内を確認し、今日の必要な買い物をメモし、寝室を見に行って脱いだ服を纏めて寝室の状況をチェックし、衣類を洗濯機にかけた後、朝食摂取の状況を確認してから、手際良く流しの洗い物をしていった。
「今日は香子さん落ち着いていらっしゃいますね。では、買い物行ってきますね!」
 佐藤と尚子は近くの徒歩圏内のスーパー日和堂に向かった。
「佐藤さん!優子さんって認知症のお母さんに厳しいと思いませんでしたか?いつもあんなの、可哀想だわ。認知症の人には優しく、否定しないって基本を知らないのかしら?教えてあげた方が良いんでしょうか?」早足で歩きながら、問いを投げかけてみた。
「理由があるのよ。」
「理由?」
「香子さん、旦那の浮気や暴力に耐えられなくて、旦那が事業をやってて経済的に裕福だったから親権を旦那にしたままね、離婚して1人で家を出て行っちゃったの。だから、香子さんとしては、娘に申し訳なく思って過ごしてきたと思うよ。1人できっと寂しかったろうから内縁の夫も居たみたいね。娘は母親に放っておかれた、男も作って!と感じてるかもしれないわね。香子さんに冷たく感じるけど、本当に冷たかったら来ないよ。ああやって毎日来てるんだから、逆に偉いと思うよ。」
「、、、、」何も言えなくなり、決めつけってしまった自分の思い込みを恥じた。
 それと同時に香子が語っていた『後悔しないように、その時を幸せに生きていること、、』を思い出していた。

「ただいま!」尚子が俯き加減で事務所に戻ってきた。
「初日お疲れ様でした!疲れたでしょ?」先に戻っていた高橋ゆりが笑顔で声をかけてきた。ゆりは、手にしていたコーヒーカップをテーブルに置きながらリラックスした声で言った。
「今日は田中香子さんだったんでしょ?認知症のお世話は、精神的にも体力的にもかなり要求されるから、大変だよね。」尚子は苦笑いしながら頷いた。
「はい、特に大丈夫だったんですが、娘さんの態度にちょっと気を取られちゃって…」
 ゆりは優しい笑顔で尚子に視線を向けた。
「認知症に対する理解と本人への対応、そして家族への対応ね。難しいけど、この両立はヘルパーの仕事の核心の1つだよ。香子さんみたいに記憶が曖昧な方は、不安を感じたりすることが多いから安心できるような話題選びや、話し方、寄り添う姿勢を伝えるのが大切だよ。けど、、感情にはとても敏感だから気づいている事も多いしバカにできない。そして、娘さんの事を厳しく感じてしまうのも、彼女なりの思いや愛情の裏返しなんだと思う。認知症の方とその家族を裁かずに、両方をサポートするのが私たちの役目だからね。」
 尚子は真剣な表情で頷き聞いていたが、頭の中は今日の色んな事で溢れそうだった。
「ありがとうございます、ゆりさん!もっと学びたいと思います!」
「無理しなくていいわよ!あと、尚ちゃんって呼んで良い?同い年でしょ。私の事もゆりって呼んで良いし!」
「ありがとう!助かります!ゆり先輩!ゆりちゃん!」

 急に、ゆりが辺りを見回した後、顔を近づけてきた。
「あなたは来たばっかだから、佐藤さん言わないだろうし、私が言っとくね。春田さんには要注意よ!彼女は上っ面は親切そうに見えるけど、実は風見鶏みたいに節操なくお喋りだし、意地悪だし。失敗とかミスを待ち構えて食いついてくるから、絶対気を許しちゃダメだよ!」
 尚子の表情が曇った。そこでゆりはふと笑顔になり「でも、心配しないで。尚ちゃんが私と同年で、これから仲良くやっていけることがすごく嬉しいんだから!私たち、仕事以外のことでもいろいろ話せるといいね。」
「うん!嬉しい!」尚子に笑顔がこぼれた。心強い味方の同僚を得たと感じた。
「村田さん!今日の記録をしてしまって、早く家に帰ってあげてね!」佐藤が会議室から顔を出して話しかけてきた。
「あ、はい!すいません!」同年の気を許せる高橋ゆりと信頼できる佐藤がいる。2人の縁に恵まれて、尚子は初日のしんどさにも関わらず、やっていける自信を得た。

「あ、それと、村田さん!」
「はい?」
「初対面の認知症の人相手に離婚の理由を話すのはどうなの?と思ってビックリしちゃったけどさ。香子さん、あれであなたの事直ぐに信用してたわね。結果としてはOK!って事ね!ま、それも明日には忘れてるだろうけど。」
 尚子はゆりと顔を見合わせて、声をあげて笑った。
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登場人物紹介

 村田 尚子(なおこ)はシングルマザーで、離婚歴があり、日々自立を目指しています。中学時代は引きこもりがちでしたが、人生経験を経て克服し、弱さに立ち向かいながら、ひだまりヘルパーで勤務しています。

 幼少からDV関係にある父母に育てられ、自らも暴言暴力に晒された環境の中、環境からの「自立」が心情のテーマになっていた。

夫とは大学で知り合いし卒業後、恋愛結婚。一男をもうけて、子育てをしていく中で、夫と共同で子育てができない事や夫が妻や家庭を顧みない事から夫婦の仲がすれ違っていった。慎二が小6の時に離婚。当初は、DVのある家から出たいという望みもあり、早急に結婚に至ったが、そんな夫とすれ違いの子育ての中で、自らの人として自立したい。人として独立したいという動因から、離婚へと自らを進めることとなった。

 自宅と職場のバランスを大切にしており、自宅では、彼女は可能な限り子供との時間を大切にし、一緒に料理をしたり、絵本を読んだりしている。また、彼女は自身の内面と向き合う時間も大切にしており、夜には短時間でも良いので瞑想をしたり、日記を書いたりして一日を振り返ります。村田尚子の生活は、シンプルでありながらも、彼女なりの豊かさと満足を見出しているのです。

 日々の生活において、独自の美学と実用性を兼ね備えたスタイルを持っています。彼女の外観は、彼女が直面している日常の挑戦と、その中で見出した小さな喜びのバランスを反映している。髪は、手入れが簡単なボブカットで、朝の忙しい時間でも手早く準備ができるようにしています。彼女の服装は、機能的でありながら個性を表現するものを選んでいます。

彼女はよく、シンプルながらも形が美しいニットや、動きやすいストレッチが効いたパンツを着用しています。色合いは、落ち着いたネイビーやグレー、時には彼女の内面の明るさを象徴するようなパステルカラーを取り入れています。

持ち物にも村田尚子の生活様式が反映されている。彼女の鞄は、機能性とデザイン性を兼ね備えた、耐久性のあるキャンバス地のトートバッグです。このバッグの中には、日常生活で必要な物が整理されて入っており、仕事で使う書類やタブレット、子供のおやつや小さなおもちゃ、そして自分用の読書用の本やスケッチブックが見られます。また、彼女が大切にしているのは、小さなポーチに入った簡単な化粧道具と、いつでも手を清潔に保てるようなハンドジェルです。


村田慎二は現在中学1年生。昨年父と離婚したお母さんからたっぷりの愛情を受けて成長してきた。そのおかげで、慎二は非常に思いやりがあり、友達思いの優しい性格をしている。慎二は人の気持ちをよく理解し、友達の悩みを聞くのが得意。友達からの信頼も厚い。

 新しいことに興味を持ちやすく、学ぶことに対して前向きです。特に歴史が好きで、将来の夢はまだはっきりしていませんが、過去の謎を解き明かす仕事に興味を持っています。たまに、父に相談として、喫茶や食事の時間を作って父と会う時間を設けている。

 卓球部と歴史探究に熱中している。自宅では、歴史の謎に関する書籍やドキュメンタリーを見ることに時間を費やしています。また、週末には地元の博物館や史跡を訪れるのが楽しみの一つです。歴史研究会の非公式メンバーでもあり、時代ごとの文化や出来事について学んでいます。友人関係は非常に良好で、彼の優しさと信頼性から多くの友人がいます。しかし、まだ彼女はいない状態です。友人たちとは放課後や休日に一緒に過ごすことが多く、お互いの家を行き来したり、近くの公園でサッカーをしたりしています。

高橋ゆりは、尚子と同じ年だが、ヘルパー経験20年のベテラン。10代後半で出産、シングルとして子育ても経験し、現在は就労し、独立している長男、長女がいる。尚子にとって、先を行く経験豊富な同僚として、親しくなり、認知症ケアに強いヘルパーとしても多くを学べる同僚。

温かみのある人柄を物語るような柔らかな表情を持つ女性。彼女の長い黒髪はいつもきちんとまとめられており、仕事中でも動きやすいように低い位置で一つに結ばれている。年齢を感じさせない肌のツヤと健康的な笑顔が、彼女の人柄の良さをさらに引き立てている。

身につけているアクセサリーは控えめで、小さなピアスや薄い腕時計が彼女の実用性を重んじる姿勢を反映しています。しかし、その中にも彼女の好みや人柄が垣間見えるような、さりげなくおしゃれなデザインのものを選んでいます。いつも整理整頓が行き届いています。バッグの中には、高齢者のケアに必要な資料や小冊子、緊急時に役立つ基本的な医療用品などが準備されていることから、彼女の責任感の強さと準備の良さが伺えます。

ゆりが身につけているものすべてが、彼女のプロフェッショナルでありながらも温かみのある人柄、そして日々の仕事に対する献身的な態度を象徴しています。

佐藤美紀は、ひだまりヘルパーのチームリーダーとして、その役割を全うしています。彼女は40代後半で、人生のさまざまな経験を経てきた女性です。美紀は自身の離婚歴や水商売での経験を通じて、人とのコミュニケーション能力や危機管理能力を磨いてきました。これらの経験は、多様な背景を持つヘルパーたちをまとめ上げ、チームリーダーとしての彼女の強みとなっています。美紀は、尚子がチームの一員として自然に溶け込むことができるように、また彼女が持つ潜在能力を最大限に引き出せるように、常に配慮深いサポートを提供しています。彼女は尚子の過去の困難や子育ての経験が、ヘルパーとしての仕事で大きな強みになると信じており、それを積極的に励まし、その価値を高めています。

自由闊達な性格の美紀は、オープンマインドで前向きな姿勢をもっており、チーム内での雰囲気作りにも大きく貢献しています。彼女は自身の経験を活かし、チームメンバーが仕事だけでなく、個人的な問題に直面したときにも、頼りになるアドバイザーとなっています。

チームリーダーとしての責任感が強く、ヘルパーたちのキャリア開発や福祉にも深い関心を持っています。彼女は、チームメンバー一人ひとりが専門性を高める機会を得られるように、研修や勉強会の機会を積極的に提供しています。


彼女のリーダーシップの下、ひだまりヘルパーのチームは、互いに支え合いながら、利用者やその家族に対して質の高いケアを提供しています。美紀は、チームの絆を深め、尚子を含むすべてのメンバーが自己実現できる環境を作り上げることに尽力しています。 

武田孝介は、ひだまり居宅介護支援事業所でキャリアを重ねてきた熟練のケアマネジャーです。50代前半の彼は、職業経験が豊富で、精神保健福祉士と社会福祉士の資格を持つなど、その専門知識は極めて深いものがあります。彼は情熱的ですが、穏やかな性格です。好奇心が強く、さまざまな職業体験を通じて培ってきた人や組織に対する洞察力がある一方、アウトサイダー的で一匹狼的な立場にいようとします。若い頃に引きこもった経験があり、鬱傾向もあります。

社会福祉士と精神保健福祉士の資格を持ち、その専門知識と豊富な経験を活かして、利用者やその家族に寄り添ったサポートを提供しています。性格は非常に職務に忠実であり、その仕事への献身的な姿勢は業界内外で高く評価されていますが、その一方で、家庭生活はあまりうまくいっていないとされています。政治にも強い関心を持っており、社会的な問題に対しても敏感です。この性格は、彼が介護の現場で直面する多様な課題へのアプローチにも反映されています。


春田真由美は、ひだまりヘルパーで働く一人のキャラクターで、表面上は親しみやすく見えますが、実際には意地悪で嫌がらせをする一面を持っています。彼女のこのような性格は、彼女の複雑な生い立ちから来ています。

生い立ち:真由美は、比較的厳格な家庭で育ちました。彼女の両親は、常に完璧を求めるタイプで、真由美が幼い頃から、学業やスポーツなど、あらゆる面でトップを目指すように強い圧力をかけてきました。このため、真由美は失敗に対して非常に厳しく、自分自身だけでなく、周囲の人々にも高い基準を求めるようになりました。キャラクター:真由美は、その厳しい生い立ちから、一見すると自信に満ちていて強い性格を持っているように見えますが、実際には不安や劣等感に満ちています。彼女は他人を批判したり、嫌がらせをすることで、一時的に自分の不安を和らげようとします。しかし、このような行動は、結局、周囲の人々との関係を悪化させ、真由美自身も孤独感を感じる原因となっています。

ひだまりヘルパーでの真由美は、自分の経験と知識を過度に誇示し、新しいスタッフや経験の浅いスタッフに対して、時に厳しい態度で接します。彼女は、自分の仕事能力を認めてもらいたいという強い欲求を持っており、そのためには他人を下げることも厭わない態度を取ります。しかし、彼女の行動の背後には、認められたい、愛されたいという強い願望があります。真由美が自分自身と向き合い、他者との関係を健康なものに改善していく過程は、ひだまりヘルパーの物語の中で重要なテーマの一つとなります。

春田真由美は、彼女の厳格な背景とプロフェッショナルな姿勢を反映したブランドや商品を選びます。

山田は、ヒダマリヘルパーの技術担当で、尚子をサポートする。

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