第8話
文字数 3,215文字
わたしとミイ姉ちゃんはいつもお日さまが出ているときに会っていた。
つまり、日が沈むとそれがその日の遊びの終了の合図。
わたしはわたしで、お母さんと弟が帰ってくるから家にいなければならなかったし、ミイ姉ちゃんもミイ姉ちゃんで、何か理由があるらしかった。
日が沈みそうな時刻になると「今日の続きはまた明日にしよっか」とミイ姉ちゃんの声がかかった。どんなに何かに熱中していても、さくっと今日という日は終わりになった。
ただ、一度だけ、お日様が沈んだあとにその日の続きをしたことがある。
「ねえ、なっちゃん……流星群。今日、流星群があるって知ってる?」
だんだんと二人の影が伸びていき、空気が金色の粒で満ち始めたとき、ミイ姉ちゃんが呟いた。
「りゅうせいぐん?」
てっきり、また明日にしよっか、と声をかけられるものだとばかり思っていたわたしは、馬鹿みたいにミイ姉ちゃんの言葉を繰り返した。
ミイ姉ちゃんは大きく重くうなずいた。
「そう、流星群。あのね、流れ星がすっごくたくさん降ってくるんだって。流れ星の大群を流星群って言うんだって」
「ながれぼしの、たいぐん……」
流れ星の大群というイメージが浮かばず、なぜだか水族館でみたイワシの大群が夜空でうろこを光らせている想像をしてしまう。
「とても、とても綺麗なんだって。ペルセウス流星群っていうの」
「ペルセウス?」
「うん。ペルセウス。人の名前だよ。図鑑で調べたら、すごい人だった」
「すごいひと? どんなひとだったの?」
「あのね、まずね、ペルセウスは人間じゃないの。半分人間だけど、半分は神様なの。なぜなら、
お姫様と神様の間に生まれた子どもだから。それでね、ペルセウスはとっても勇敢な若者で、メドューサを退治しにいくの」
「メドューサって?」
「恐ろしい魔女。うねうねした髪の毛で、髪の毛一本一本が蛇でね、メドューサを見た人はたちまち石になっちゃうの」
ミイ姉ちゃんが自分のゆらゆらとした長い髪を、わざとわさわさとゆすった。
ミイ姉ちゃんの髪は蛇じゃないし、キラキラつやつやして、とても綺麗なはずなのに、夕焼けが近づいてきているせいか、うねりのある黒髪がいつもと違うように見えた。
「ペルセウスはメドューサを退治してね、そのときに出た血がペガサスになって、ペルセウスはペガサスに乗ってお家に帰ったんだって」
「ペガサスに」
「そう、翼を持った馬だよ。だからね、わたし思うの。流れ星が次から次へ流れて、キラキラ輝いている夜空は、ペルセウスがペガサスに乗って駆け抜けた夜空と、同じなんじゃないかって」
「……?」
ここで、わたしはミイ姉ちゃんの思考回路についていけなくなって、うんともすんとも言えなくなってしまった。
目をぱちぱちさせたまま固まってしまったわたしをみて、ミイ姉ちゃんはあはっと笑った。
「やだなあ、なっちゃんは。そんなに難しく考えなくっていいんだって。だからね、ペガサスが夜空を飛ぶとしたら、光り輝いて飛ぶはずじゃない? 暗闇の中を、翼を持った白い馬が飛んでいる……絶対、ペガサスの周りはキラキラ光っていたと思うの。ということは、ペルセウス流星群の流れ星の輝きが、ペガサスが夜空を飛ぶときの輝きと、そっくりのはずだなって」
「よるのおそらを、とんでるペガサス、の、かがやき、が、ながれぼしのひかり?」
うーんとうなりながら出した答えに、ミイ姉ちゃんは「そうそう、そういうこと!」と手を叩いて喜んでくれた。
「しかも、ただのペガサスじゃなくて、魔女メドューサをやっつけた、ペルセウスが乗っていたペガサスの光なの。だからね、流星群、わたし、絶対に見たいと思って」
「そうなんだ」
「うん。流れ星にお願いしたいこと、あるしね。前、ちょっと話したでしょ。お祈りの話。わたし毎日頑張っているお祈り……ペルセウス流星群の流れ星にお願いごとすれば、お祈りも叶う気がするんだ。だから、今晩、夜中に家を抜け出して流れ星を見に行こうと思うの」
「……ぬけだして、みにいく?!」
ぼんやり話を聞くだけだったわたしだが、危険な単語が耳に飛び込んできた途端、するどい声を上げてしまった。
だって、わたしたちはまだ子どもだ。夏休みが終われば、毎日ランドセルを背負って小学校に通う、小さな子どもだ。
その子どもが、大人がいない状態で夜、外を出歩くなんて。そんなことできっこないと思ったのだ。
「だって、おうちのひとは? いいよっていうはずないよ」
「だから秘密で抜け出すんでしょ、なっちゃんったら、もう。だいたい、こういうのは大人と一緒に見たってだめなんだよ。大人はすぐにわかったふうで話し出すんだから。ほんとはちっともわかってないのにね。もしも誰かと一緒に流星群を見るなら、その人は黙って流れ星を見上げて、お祈りができないと。……なっちゃん、できる? 黙ってお祈り、できる?」
ここまで言われて、やっとわたしは気がついた。
なっちゃんは、わたしに夜中、黙って家から抜け出すよう誘っているんだ!
「できるけど……。でも、どこにいくの?」
「今悩んでるんだよね〜。このあたりで一番空が広く見える場所って、きっと屋上なんだろうな、と思うんだけど。でも屋上は出入りできないし……」
以前、屋上に立ち入ろうとしたときに、ミイ姉ちゃんとわたしは屋上には侵入ができないと諦めたのだ。
屋上には常に鍵がかかっている。鍵を管理しているのは管理人さんだ。そこまではわかっていたが、どうしても、ミイ姉ちゃんもわたしも、管理人さんが鍵を渡してくれるような真っ当な理由を思いつくことができなかった。鍵を渡してもらえない以上、屋上へと続くドアを開けることはできない。
「中庭も考えたんだけど、結局団地のすきまにある場所だから、空が狭いんだよね。でね、いろいろ考えた結果ね、多分、一番空が広い場所ってここなの」
ミイ姉ちゃんは急にガバっと両手を広げた。
「……ここ? こうえん?」
ぼんやりとあたりを見渡す。滑り台があって、小さい砂場(誰かが置き忘れた小さなバケツとショベルがある)とブランコがある。
「裏山の近くも考えたんだけど、たぶん、木のせいで空が狭くなっちゃうと思うんだよね。だからね、ここが一番空が広い場所だと思うんだ」
ミイ姉ちゃんはそう言いながら、滑り台の階段を登り始めた。そして、てっぺんにたどり着くと思いきり顔を上にそらした。
「うん、ほら、なかなか空が大きいよ。なっちゃんも来てごらんよ」
ミイ姉ちゃんに言われたら、滑り台にのぼらない選択肢なんてない。
かんかんと鉄の階段を登りながら、ミイ姉ちゃんが待つてっぺんに行く。
たどり着くと、ミイ姉ちゃんはわたしの真後ろに立った。それからニコっと笑って「じゃあ、思いっきり上を向いてみて」と空を指さした。ミイ姉ちゃんの指先につられるように顔を上げる。
いつのまにこんなに赤くなったのか、そこには青のかけらもない赤い半球の空があった。
いつも自分の頭上にあった空のはずなのに、空がこんなに大きい丸の一部だと、今まで全く気が付かなかった。
真上にある半球の空は薄紅に染まり、太陽が沈みかかっている部分の雲が金色に燃えている。太陽から反対側の地平線の先はもう濃い紫をしていて、ゆっくりと夜の空が染み込んできていることがわかる。
いつも力強く浮かんでいる白い入道雲はどこにいったのか。頭全体を動かして探すと、あった。すっかり柔らかな表情をし、甘い蜂蜜のような色を、少しずつ、少しずつ茜色に、そして薄紫色に変えている。
この公園には高い木々がほとんどないからか、滑り台に登って見上げただけで、どこを向いても空しか見えなかった。
「きれい」
思わずつぶやく。
「ペルセウス流星群はもっと綺麗だよ」
こそっと耳元で囁かれたミイ姉ちゃんの魅力的な言葉に、七歳のわたしの理性が勝てるはずもなかった。
つまり、日が沈むとそれがその日の遊びの終了の合図。
わたしはわたしで、お母さんと弟が帰ってくるから家にいなければならなかったし、ミイ姉ちゃんもミイ姉ちゃんで、何か理由があるらしかった。
日が沈みそうな時刻になると「今日の続きはまた明日にしよっか」とミイ姉ちゃんの声がかかった。どんなに何かに熱中していても、さくっと今日という日は終わりになった。
ただ、一度だけ、お日様が沈んだあとにその日の続きをしたことがある。
「ねえ、なっちゃん……流星群。今日、流星群があるって知ってる?」
だんだんと二人の影が伸びていき、空気が金色の粒で満ち始めたとき、ミイ姉ちゃんが呟いた。
「りゅうせいぐん?」
てっきり、また明日にしよっか、と声をかけられるものだとばかり思っていたわたしは、馬鹿みたいにミイ姉ちゃんの言葉を繰り返した。
ミイ姉ちゃんは大きく重くうなずいた。
「そう、流星群。あのね、流れ星がすっごくたくさん降ってくるんだって。流れ星の大群を流星群って言うんだって」
「ながれぼしの、たいぐん……」
流れ星の大群というイメージが浮かばず、なぜだか水族館でみたイワシの大群が夜空でうろこを光らせている想像をしてしまう。
「とても、とても綺麗なんだって。ペルセウス流星群っていうの」
「ペルセウス?」
「うん。ペルセウス。人の名前だよ。図鑑で調べたら、すごい人だった」
「すごいひと? どんなひとだったの?」
「あのね、まずね、ペルセウスは人間じゃないの。半分人間だけど、半分は神様なの。なぜなら、
お姫様と神様の間に生まれた子どもだから。それでね、ペルセウスはとっても勇敢な若者で、メドューサを退治しにいくの」
「メドューサって?」
「恐ろしい魔女。うねうねした髪の毛で、髪の毛一本一本が蛇でね、メドューサを見た人はたちまち石になっちゃうの」
ミイ姉ちゃんが自分のゆらゆらとした長い髪を、わざとわさわさとゆすった。
ミイ姉ちゃんの髪は蛇じゃないし、キラキラつやつやして、とても綺麗なはずなのに、夕焼けが近づいてきているせいか、うねりのある黒髪がいつもと違うように見えた。
「ペルセウスはメドューサを退治してね、そのときに出た血がペガサスになって、ペルセウスはペガサスに乗ってお家に帰ったんだって」
「ペガサスに」
「そう、翼を持った馬だよ。だからね、わたし思うの。流れ星が次から次へ流れて、キラキラ輝いている夜空は、ペルセウスがペガサスに乗って駆け抜けた夜空と、同じなんじゃないかって」
「……?」
ここで、わたしはミイ姉ちゃんの思考回路についていけなくなって、うんともすんとも言えなくなってしまった。
目をぱちぱちさせたまま固まってしまったわたしをみて、ミイ姉ちゃんはあはっと笑った。
「やだなあ、なっちゃんは。そんなに難しく考えなくっていいんだって。だからね、ペガサスが夜空を飛ぶとしたら、光り輝いて飛ぶはずじゃない? 暗闇の中を、翼を持った白い馬が飛んでいる……絶対、ペガサスの周りはキラキラ光っていたと思うの。ということは、ペルセウス流星群の流れ星の輝きが、ペガサスが夜空を飛ぶときの輝きと、そっくりのはずだなって」
「よるのおそらを、とんでるペガサス、の、かがやき、が、ながれぼしのひかり?」
うーんとうなりながら出した答えに、ミイ姉ちゃんは「そうそう、そういうこと!」と手を叩いて喜んでくれた。
「しかも、ただのペガサスじゃなくて、魔女メドューサをやっつけた、ペルセウスが乗っていたペガサスの光なの。だからね、流星群、わたし、絶対に見たいと思って」
「そうなんだ」
「うん。流れ星にお願いしたいこと、あるしね。前、ちょっと話したでしょ。お祈りの話。わたし毎日頑張っているお祈り……ペルセウス流星群の流れ星にお願いごとすれば、お祈りも叶う気がするんだ。だから、今晩、夜中に家を抜け出して流れ星を見に行こうと思うの」
「……ぬけだして、みにいく?!」
ぼんやり話を聞くだけだったわたしだが、危険な単語が耳に飛び込んできた途端、するどい声を上げてしまった。
だって、わたしたちはまだ子どもだ。夏休みが終われば、毎日ランドセルを背負って小学校に通う、小さな子どもだ。
その子どもが、大人がいない状態で夜、外を出歩くなんて。そんなことできっこないと思ったのだ。
「だって、おうちのひとは? いいよっていうはずないよ」
「だから秘密で抜け出すんでしょ、なっちゃんったら、もう。だいたい、こういうのは大人と一緒に見たってだめなんだよ。大人はすぐにわかったふうで話し出すんだから。ほんとはちっともわかってないのにね。もしも誰かと一緒に流星群を見るなら、その人は黙って流れ星を見上げて、お祈りができないと。……なっちゃん、できる? 黙ってお祈り、できる?」
ここまで言われて、やっとわたしは気がついた。
なっちゃんは、わたしに夜中、黙って家から抜け出すよう誘っているんだ!
「できるけど……。でも、どこにいくの?」
「今悩んでるんだよね〜。このあたりで一番空が広く見える場所って、きっと屋上なんだろうな、と思うんだけど。でも屋上は出入りできないし……」
以前、屋上に立ち入ろうとしたときに、ミイ姉ちゃんとわたしは屋上には侵入ができないと諦めたのだ。
屋上には常に鍵がかかっている。鍵を管理しているのは管理人さんだ。そこまではわかっていたが、どうしても、ミイ姉ちゃんもわたしも、管理人さんが鍵を渡してくれるような真っ当な理由を思いつくことができなかった。鍵を渡してもらえない以上、屋上へと続くドアを開けることはできない。
「中庭も考えたんだけど、結局団地のすきまにある場所だから、空が狭いんだよね。でね、いろいろ考えた結果ね、多分、一番空が広い場所ってここなの」
ミイ姉ちゃんは急にガバっと両手を広げた。
「……ここ? こうえん?」
ぼんやりとあたりを見渡す。滑り台があって、小さい砂場(誰かが置き忘れた小さなバケツとショベルがある)とブランコがある。
「裏山の近くも考えたんだけど、たぶん、木のせいで空が狭くなっちゃうと思うんだよね。だからね、ここが一番空が広い場所だと思うんだ」
ミイ姉ちゃんはそう言いながら、滑り台の階段を登り始めた。そして、てっぺんにたどり着くと思いきり顔を上にそらした。
「うん、ほら、なかなか空が大きいよ。なっちゃんも来てごらんよ」
ミイ姉ちゃんに言われたら、滑り台にのぼらない選択肢なんてない。
かんかんと鉄の階段を登りながら、ミイ姉ちゃんが待つてっぺんに行く。
たどり着くと、ミイ姉ちゃんはわたしの真後ろに立った。それからニコっと笑って「じゃあ、思いっきり上を向いてみて」と空を指さした。ミイ姉ちゃんの指先につられるように顔を上げる。
いつのまにこんなに赤くなったのか、そこには青のかけらもない赤い半球の空があった。
いつも自分の頭上にあった空のはずなのに、空がこんなに大きい丸の一部だと、今まで全く気が付かなかった。
真上にある半球の空は薄紅に染まり、太陽が沈みかかっている部分の雲が金色に燃えている。太陽から反対側の地平線の先はもう濃い紫をしていて、ゆっくりと夜の空が染み込んできていることがわかる。
いつも力強く浮かんでいる白い入道雲はどこにいったのか。頭全体を動かして探すと、あった。すっかり柔らかな表情をし、甘い蜂蜜のような色を、少しずつ、少しずつ茜色に、そして薄紫色に変えている。
この公園には高い木々がほとんどないからか、滑り台に登って見上げただけで、どこを向いても空しか見えなかった。
「きれい」
思わずつぶやく。
「ペルセウス流星群はもっと綺麗だよ」
こそっと耳元で囁かれたミイ姉ちゃんの魅力的な言葉に、七歳のわたしの理性が勝てるはずもなかった。