第19話:軍曹の帰還

文字数 1,693文字

「ぎぃやあああああああああああっ!!」
 風呂からあがり洗面所で髪の毛を乾かしていた茉莉の耳に、雑巾を引き裂くような悲鳴とドシーンという地響きが届く。ドライヤーの音を上回る声の主は、どうやらガスターのようであった。
「どうしたのガスターさん?」
 首にタオルをかけたまま急いでリビングへ駆けつけると、フローリングで腰を抜かしているガスターと、大の字で仰向けに倒れているボルタがいた。ロキソは茉莉がリビングに入るなりミニ化し、彼女の肩に飛び乗ってきた。まるで怯える子リスのようである。
「この有様は一体」
「あああ危ないわ茉莉ちゃん! 逃げてぇーーーーっ!」
 そう絶叫しつつ壁の一点を指差すガスター。指し示す先へ視線を向けると、そこには20センチはあろう蜘蛛が張り付いていた。
「あ、アシさんお久しぶりです」
 巨大蜘蛛に顔色を変えることなく挨拶した茉莉に、ガスターとロキソは目を丸くした。
「ア、アシさん? この蜘蛛、茉莉ちゃんのお知り合いなの?」
「うん。もう3年くらいお世話になってるかな」
 腰を抜かしているガスターに手を貸し、引っ張り上げて起こした茉莉は、親しげな目線を蜘蛛に送った。
「お世話って――」
「アシさんはね、ゴキブリとかハエとかを食べてくれる、アシダカグモっていう良い蜘蛛なの」
 アシダカグモは人家に棲息する大型のクモとしてよく知られ、ゴキブリなどの害虫を食べる益虫である。しかしその見た目から、虫が苦手な人には嫌われてしまう悲しき蜘蛛であった。
「そ、そうなの……。それなら、この前のセミも捕まえてくれれば良かったのに」
「アシさん神出鬼没だから。それにセミはアシさんの好みじゃ――」
 ハッと何かに気付いた茉莉は言葉を切り、リビング内をグルリと見回した。
「アシさんが来たということは、この家にゴキブリやら何やらがいる証拠……」
 蜘蛛は平気だがゴキブリは苦手な茉莉であった。その茉莉の言葉に、ガスターが更に青ざめていく。
「ええ!? アタシ、蜘蛛よりもゴキブリのほうが苦手よお!」
「会ったことあるの?」
「実物を見たことはないけど。殺虫剤のCMとかで見ただけでも、あの恐ろしさは伝わってくるわ」
 己の体をかき抱き、二の腕を摩るガスター。ロキソも茉莉の肩の上で、うんうんと賛同の頷きをしていた。
「じゃあボルタさんもきっと苦手だよね」
「そうねぇ。蜘蛛見て気絶するくらいだから」
 今だ大の字で伸びているボルタを、茉莉達は生暖かく見下ろした。

「アシさんのお仕事邪魔しちゃ悪いから、とりあえず私達は二階に避難しようか」
「そうしましょう。ほらボルタ、いい加減起きなさい! ゴキブリ軍団が押し寄せてくるわよ!」
 発破をかけるためのセリフに、ガスターは自分で言っておいてゾッと身震いした。本当にG軍団が襲ってきたら、ガスターも一瞬で気絶する自信があった。
「ぬぅ……、もう飲めないで候……」
「漫画みたいな寝言いってんじゃないわよ!」
 ムニャムニャと幸せそうに口を動かすボルタの額を、ガスターがお玉でスコーンと殴りつけた。
「ふおっ! 敵襲か!? いざ尋常に――」
 お玉突っ込みで目覚めたボルタがガバリと上半身を起こすと、そのタイミングを見計らったようにアシダカグモがジャンプ。ボルタの顔面に見事着地した。この前のセミといい今回の蜘蛛といい、ボルタの顔面は虫達を引き寄せる何かがあった。
「ウルトラC! 満点ですよアシさん!」
 あまりに美しいジャンプと着地に、思わず拍手してしまった茉莉。だがしかし着地点にされたボルタは何が起こったのかすぐには理解できず、蜘蛛を顔面に貼り付けたまま数秒硬直。かさり……と蠢いたアシさんの足に、それが蜘蛛の足=己の顔面に張り付いているのは蜘蛛、という結果を導き出したボルタは悲鳴をあげることなく失神。また先程と同じように大の字で床に倒れていった。
「あぁ~、まあ仕方ないわね。ボルタは置いて行きましょう」
「そうだね。ごめんねボルタさん。アシさん、あとはよろしくお願いします」
 ペコリとお辞儀をしリビングを出ていく茉莉に、ボルタの顔の上のアシさんが足の一本を軽くあげて返事をしたように見えた。
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